2020年09月12日

半年ぶりの音楽会

 
 
《日本歌曲の今
田三郎・没後20年の今 [T]》
を聴く。
(9月10日、音楽の友ホール)
 
 
最後に足を運んだのがいつだったか、にわかに思い出せないほどに久しぶりの演奏会。
出演者のおひとりからご案内をいただき、なんとなく閃くものもあって出かけることに。
 
客席数は間引かれ、左右4つの扉は演奏中も開放されるなど、新型コロナ感染予防のためにしっかりと対策が取られていた。
(この演奏会を挙行するんだ) という関係者の方々の強い意志が感じられた。
 
僕にとって田三郎といえばなんといっても「水のいのち」をはじめとする合唱曲の神様のような存在であり〜恥ずかしながらそれが全て。
氏の歌曲については「パリ旅情」の中のどれかを聴いたことがある (ような気がする) だけ...
予備知識ほぼゼロで臨んだリサイタルだったわけだが、作品・歌唱そしてピアノ、これらのすべてが素晴らしく、遅まきながら新しい世界をまた一つ知ることができた。
 
 
§パリ旅情 (詩: 深尾須磨子)
さすらい/売子/パリの冬/街頭の果物屋/降誕節前夜/市の花屋/冬の森/すずらんの祭
斉藤京子(Sop)、小原孝(pf)
1959-60年作曲。
この日聴いた4つの曲集のなかでもっとも色彩的・絵画的な作品。
目にも鮮やかな果物たち、灰色の空、すずらんの花の香り、石の壁の冷たさ etc.
これらを描く豊かな言葉たちをそっくりそのまま音楽に置き換えたような歌とピアノ。
ことに「降誕節前夜」で聞かれる教会の鐘の音とオルガンの響きのリアリティ!
 
 
§啄木短歌集 (歌: 石川啄木)
やわらかに/頬につとう/いのちなき/病のごと/不来方の/ふるさとを/はずれまで/あめつちに
金子美香(Msop)、塚田佳男(pf)
1956年作曲。
三十一文字のコンパクトな世界になんとこれまたシンプルな、それでいて陰影に富んだ音楽を付けたことだろう。
ある歌は繰り返され、また別の歌は一度うたわれるだけであっさりと終わる...その呼吸と配列までもが美しい。
 
ふるさとを出でて五年(いつとせ)、
病をえて、
かの閑古鳥を夢にきけるかな。
 
曲の結び、ピアノが小さく奏でる「カッコウ」の声に思わずはっとした。
 
 
§水と草木 (詩: 北川冬彦)
滝/坐像/水蓮/大樹/雑草
原田圭(Br)、小原孝(pf)
1960-62年作曲。
この詩人の名は不覚にも初めて知った。
彼について少し調べるとダダイズム、シュルレアリスム、ネオリアリズムなどさまざまなワードが出てくるが、ここで作曲家が選んだ5編の詩はいずれも溢れんばかりのプリミティヴな生命力が、そして詩人の冷静な観察眼が感じられるものである。
〜そしてそこに付けられた音楽も。
 
 
§ひとりの対話 (詩: 高野喜久雄)
いのち/縄/鏡/蝋燭/遠くの空で/くちなし
廣澤敦子(Msop)、塚田佳男(pf)
1965-71年作曲。
高野喜久雄はもちろんあの「水のいのち」の詩人。
テキストの重さ、深さそして厳しさが上記三作とは隔絶したスケール感をもつ。
(詩の優劣とはもちろん無関係である)
当然ながらその音楽もひたすらに自問自答を繰り返すかのような痛切・峻烈な響きである。
 
そこへゆったりと現れ出る「くちなし」の前奏...張り詰めた会場の空気も一変したような気がした。
単独で取り上げられることも多いというこの「くちなし」だが、今回初めて聴くにあたって “チクルスの終曲として” 味わうことができたのは実に幸運であったと思う。
 
 
全編を通して、ベーゼンドルファーの重厚な音色をもって語られるピアノパートの存在感と説得力に圧倒された。
そして4名の歌手の皆さんの美しくまた誠実な歌唱にも終始心が震えっぱなしであった。
(余計なお世話だけれど...扉の開放によって変化したであろう響きや聴感上のバランスにはさぞ御苦労されたのではないかしら)
 
演奏のみならず、会全体の進行役や詩の朗読までを務められた塚田先生のお元気そうな姿も印象的であった。
お言葉のそこここにコンサートを開ける喜びと安堵感のようなものが現れており、それはこの場にいた全員に伝わっていたのではないかと感じた。
 
僕にとって久々のライヴ聴体験がこの演奏会でほんとうによかったと心から思う。
ご案内くださった廣澤さん、ありがとうございました。
posted by 小澤和也 at 23:31| Comment(0) | 日記

2020年09月08日

生きた楽の音

 
9月6日、日曜日
湘南アマデウス合奏団のプローベへ。
7ヶ月ぶりに “生きた楽の音” を聴く。
 
週に一度
めいめい楽器を携え集まり
大好きな音楽を奏で
ともにそのよろこびを語らう
 
そんな「ごく当たり前の日常」だと思っていたことが当たり前でなくなった現在。
 
この日練習したバッハ/ブランデンブルク協奏曲第3番の響きを僕はきっと忘れない。
posted by 小澤和也 at 22:44| Comment(0) | 日記

2020年08月28日

待望のベルニーニ再訪

 
仕事帰りの楽しい寄り道。
曜日限定でイートイン営業を再開されたお気に入りのカフェへ。
待望の再訪がようやく叶い感慨もひとしお。
 
 
確認したところ、前回の来店は5月末だった。
(そんなに経ったのか...)
 
5/31のブログ:
「2ヶ月ぶりの味」
 
 
さっそくブラジル(Washed)、中深煎りをオーダーする。
 
 
 
爽やかな酸味と苦みのバランスが見事。
シンプルだけれど豊かな味わい。
 
 
フロア内は密集防止のためテーブル数を減らすとともにカウンター席のスツールも撤去。
僕の感覚では6人で満席、といったところか。
お店としてはさぞ苦渋の決断だったであろう。
 
 
(もう一杯いただきたいな...)
銘柄はもう決めていた。
ベルニーニブレンド。
マスターの自信作とのこと。
 
 
思いのほか明確な個性をもったテイスト。
キーワードは「コク」と「甘み」であろうか。
僕がお代わりを頼む直前に入店されたお客さんも、着席するとすぐにこのブレンドをオーダーされていた。
(きっと常連さんに愛されている味なんだろうな)
想像が膨らむ。
 
 
会計時にマスターと言葉を交わした。
「お久しぶりです。ようやく来れました...美味しかったです」
『ありがとうございます。こうして皆さんにコーヒーを味わっていただけるのがほんとうに嬉しいですね』
飾らない言葉がそのままマスターのお人柄を表しているよう。
 
 
マスター、
またおじゃまします!
 
 
posted by 小澤和也 at 23:01| Comment(0) | 日記

2020年08月27日

忘れられない誕生日

 
 
これまで当たり前のように歌い、奏で、演じていた “表現者にとっての日常” がぴたりと歩みを止めて...はや半年。
そんな中で迎えた誕生日、いろいろな意味で忘れられないものになりそうです。
 
SNS等を通して、ほんとうにたくさんの方々からお祝いのメッセージを頂戴しました。
ありがとうございます。
振り返ったときに
(ああ...大変な年だったけれど、まあよくやったよな)
と思えるような一年間にしたいと思います。
 
“音楽ノート” ともども、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
小澤和也
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記

2020年08月11日

【音楽雑記帳】ハイドン交響曲 (2) 1774-1884 その1

 
 
 
1766年 (エステルハージ家の楽長に昇格した年) 〜1773年頃がハイドンの交響曲創作における最初の充実期とされていることは以前に述べた。
(メルクール、哀しみ、告別、マリア・テレジア、受難などのニックネームを持つ40番台の交響曲はすべてこの時期の作品)
 
〜ではその後の作品はどうだったのだろう?〜
 
1784年にハイドンはパリのオーケストラから交響曲の注文を受ける。
その結果生まれたのが6曲からなる有名な「パリ交響曲集」(第82-87番) だ。
 
これら2つの時期に挟まれた1774-84年頃のハイドンの交響曲はいかにも地味である。
演奏会等で取り上げられる機会も少ないように思われるし、音楽学者ランドンの著作にも『ハイドンのこの時期の交響曲は最上の作品とはいえない』『重い責任を背負いながら任務を果たし、むしろあたふたと交響曲を作曲し(...)』などといったどちらかといえばネガティヴな記述が見られるのだ。
(ちなみに “重い責任”“任務” とはエステルハージ宮におけるオペラ上演である)
 
 
以下、この時期の作品とされている24曲を列挙する。
(作曲年代および表記順序はあくまで僕の個人的な分類・参考データである)
その際、便宜的にさらに3つの時期に区切ってみた。
 
【前期】
§1774年
第54番ト長調、第55番変ホ長調『学校の先生』、第56番ハ長調、第57番ニ長調
§1774/75年
第60番ハ長調『うかつ者』、第68番変ロ長調
§1775/76年
第66番変ロ長調、第67番ヘ長調、第69番ハ長調『ラウドン』
§1776年
第61番ニ長調
 
【中期】
§1778/79年
第53番ニ長調『帝国』、第70番ニ長調、第71番変ロ長調
§1779年
第63番ハ長調『ラ・ロクスラーヌ』、第75番ニ長調
§1780年
第62番ニ長調、第74番変ホ長調
§1781年
第73番ニ長調『狩』
 
【後期】
§1782年
第76番変ホ長調、第77番変ロ長調、第78番ハ短調
§1783/84年
第79番ヘ長調、第80番ニ短調、第81番ト長調
 
 
一瞥して気付くのが「調性の選択」だ。
24曲中、短調作品はたったの2曲 (第78番、第80番)しかない。
長調のうち最も多いのがニ長調 (7曲)、次いでハ長調と変ロ長調が4曲ずつとなっている。
1766-73年頃の作品群において短調が5/19曲あったこと、ロ長調 (シャープx5) やへ短調 (フラットx4) といった調号の多い調性も用いられていたことを思うとその変化は興味深い。
 
楽章構成は24曲中
・第60番...全6楽章
・第68番...第2楽章にメヌエット、第3楽章がいわゆる緩徐楽章
の2曲を除きすべて「急-緩-メヌエット-急」の形をとる。
彼の集大成である「ザロモン交響曲集」、そしてその後の古典派交響曲に見られる楽章配置の “鋳型” が既にこの頃確立されていたということになろうか。
第1楽章はすべてソナタ形式で書かれ、うち7曲にゆったりとした序奏をもつ。
 
楽器編成においては、1776年の作品である第61番以降フルートが恒常的に用いられるようになった以外は大きな変化はないが、ファゴットやチェロがBassパートから独立して動くようになりオーケストラの色彩感が飛躍的に増している。
 
 
上に挙げた順でスコアを読み込み音源も聴いたのだが、ハイドンの実験精神とユーモアは変わらず健在である...
ルーティンワークのようにさらさらと書いたような作品は皆無といってよい。
 
(この項つづく)
posted by 小澤和也 at 17:31| Comment(0) | 音楽雑記帳