2018年08月17日

ペーテル・ブノワの誕生日に

 
 
 
きょう8月17日はフランデレンの作曲家ペーテル・ブノワ (Peter Benoit, 1834-1901) の誕生日。
 
世代的にはブラームスとほぼ一緒。
セザール・フランクと同じベルギー生まれ。
(フランクはワロン人だけれど)
祖国にまつわる伝承・伝説に立脚した作品を遺したという意味ではシベリウスと共通する一面も持つ。
 
 
後半生をアントウェルペンでの音楽教育に捧げたため、作曲家としてはほとんど知られていない。
母国ベルギーにおいてですら、彼の作品が取り上げられる機会はそう多くないという。
 
ブノワは生涯のうちに幾度となく作風を変え、その最後は多分に啓蒙的・国民主義的なスタイルとなった。
(それゆえ、純粋な芸術性や普遍性に乏しいという印象が拭えない)
しかし、そこへ至る以前、特に30歳代初め頃までに書かれた作品はもっと知られてよいと思う。
『宗教曲四部作』(1.クリスマスカンタータ 2.荘厳ミサ曲 3.テ・デウム 4.レクイエム)、『フルートと管弦楽のための交響詩』、『物語とバラッド集』(ピアノ独奏曲) etc.
 
十数年前に彼の『荘厳ミサ曲』『レクイエム』を知って以来、ブノワの生涯、そして音楽を究めることは僕にとってのライフワークとなった。
 
Gefeliciteerd, beste Peter!!
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:54| Comment(0) | 日記

2018年08月15日

ご来場御礼

 
 
東京農工大学グリークラブ 第38回演奏会、おかげさまで無事終演。
 
農工グリーとして今回初めて使用した府中市市民活動センタープラッツ・バルトホール。
空間上・設備上の制約でアコースティックなホールトーンを出せないところを、高度なデジタル音響技術によって補うというユニークな施設である。
体験した感じでは、全体の雰囲気としてはまずまず、ただしよく聴くと弱音時の残響の不自然さが気になった。
 
 
 
今回メインで取り上げた多田武彦の『木下杢太郎の詩から』、なかなかの難曲であったが個人的には得るところのとても多い作品だった。
楽譜を読み込んでいく中で、杢太郎の詩に込められた情感と多田武彦の音楽のそれとが美しく調和する部分を見つけるたびにこのうえない幸せを感じたものだった。
若きグリーメンがこの作品を掴むにはあともう少し時間が必要だったかもしれないが、それでも大健闘だったと思う。
 
女声ステージの「アカペラ・セレクション」では、”メンバーの歌いたい曲“ という純粋かつシンプルな基準で選曲を行った。
結果、テンポや曲想の似かよったものが並んでしまったきらいはあったのだが、最終的には彼女らの熱意がそんな懸念を払ってくれたように思える。
次回はぜひオリジナルの女声合唱曲に挑戦してほしいところだ。
 
ちょっと変わった試みとして、曲間にお喋りを挟みつつ伝アルカデルト、バード、ヴェルディらの “Ave Maria” を歌う混声のステージを置いてみた。
実はこれ、僕がどうしてもやりたかった企画である。
日頃もっぱら邦人作品を歌うことの多い彼らに、ぜひとも西洋古典音楽に触れてほしかったのだ。
出来映えには課題が多く残ったが、一つの挑戦として取り組んだ価値はあったのではないかと思いたい。
 
ご来場くださいました皆さま、そして応援してくださった皆さまにも心より御礼を申し上げます。
これからも農工グリーをどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
 
次回演奏会は
2019年8月11日(日)宮地楽器ホール
での開催を予定しております。
 
 
posted by 小澤和也 at 01:06| Comment(0) | 日記

2018年08月02日

8月1日の記憶

 
 
 
きょうは終日オフ。
運転免許証の更新のため警察署へ。
平日午前にもかかわらずけっこうな混雑だ。
 
受付を済ませ次の講習が始まるのを待っていると、窓口に娘さん&お孫さんに付き添われた老紳士の姿が。
やり取りを見るにどうやら免許の返納にいらしたご様子。
婦警さんが手続きの流れを丁寧に説明していらっしゃる。
その応対ぶりには老紳士へのやさしさと深い敬意が感じられ、傍目で見ていたこちらもあたたかな気分に。
長年持ち続けて来た免許証を自主的に手放す...ご家族、そして何よりご本人はどのような心境であったろうか。
 
途中聞こえてきた会話がちょっぴり面白かった。
婦警さん
『(老紳士へ) こちらへはどうやっていらっしゃいましたか?お帰りの足は大丈夫ですか?』
娘さん
『(老紳士に代わって) あ、はい、私の運転する車で来ましたので...』
婦警さん
『そうですか!わかりました...いえ、時々ね、“自分で車を運転して来た” って方がいらっしゃるんですよ...でもそうすると、返納したあと帰れなくなっちゃうんですよね〜』
一同 (笑)
 
 
無事に新しい免許証を受け取り、その足で自転車店へ点検のため立ち寄る。
「ブレーキパッドがだいぶすり減ってますね〜」
部品交換に2時間ほどかかると言われ (さてどうしたものか) と思っていたら、修理の間は代車を貸してくださるとのこと。
これは有難いとお願いしたところ...
 
 
出てきたのは所謂 “ママチャリ”。
小径、低いサドル、妙に身体に近いハンドルetc.
久々に乗ったママチャリは漕いでも漕いでもなかなか進まずひと苦労 (苦笑)
昼食を済ませて改めてショップへ出向き、無事に愛車を引き取る。
 
 
夕方。
祇園の舞妓さんがお師匠さんやお茶屋さんに挨拶に回るという「八朔」と呼ばれる行事の話題をTVニュースで見る。
8月1日、か...
不意に高校生時代の記憶が頭をよぎった。
(なぜかは自分でもよく分からないのだけれど)
 
高校2年の僕の夏はちょっとだけ長かった。
この年、吹奏楽コンクールで初めて県大会に出場できたのだった。
あのときの音楽室の熱気を今でも手に取るように覚えている。
部活の指導者であり指揮者であった我がA師 (当時ご新婚)、奥様が第一子ご出産間近だということもあって妙にピリピリとした雰囲気も漂っていたっけ...
 
あれ?
 
長女Mちゃんの誕生日、今日じゃなかったかしら?
違うかもしれない...確かめる手だてもないのだけれど、どうしてもそんな気がしてならないのである。
 
何ということもない、
それでいて静かにエキサイティングな一日でありました。
 
 
posted by 小澤和也 at 00:58| Comment(0) | 日記

2018年07月31日

農工グリーの練習風景

 
 
農学部のある府中キャンパス。
正門から農学部本館を臨む。
(国の登録有形文化財なのだそう)
 
 
ある日の発声練習。
リーダーは学生指揮者Hさん。
 
 
またある日の男声練習、休憩時間。
音の確認に余念のないメンバー達。
ところで...
この練習室にはピアノが何台あるのだろう?!
 
 
そして今日。
ぷー が迎えてくれました。
 
演奏会まであと半月。
学業で多忙な中、グリーメンは自分たちの音楽を懸命に追究しています。
 
 
東京農工大学グリークラブ
第38回演奏会
2018年8月12日 15時開演
府中市市民活動センタープラッツ
バルトホール
 
みなさま、どうぞおはこびください。
posted by 小澤和也 at 22:38| Comment(0) | 日記

2018年07月20日

多田武彦『木下杢太郎の詩から』の詩たち〈5〉

 
組曲の最後に置かれた詩である。
 
 
市場所見
 
沖の暗いのに白帆が見える、
あれは紀の国蜜柑船。
蜜柑問屋に歳暮(くれ)の荷の
著(つ)く忙しさ ー 冬の日は
惨澹として霜曇(しもぐも)る市場の屋根を照らしたり。
 
街の柳もひつそりと枯葉を垂らし、
横町の「下村」の店、
赤暖簾さゆるぎもせず。
 
街角に男は立てり。手を挙げて指を動かし
「七(なな)番、中一(なかいち)あり」と呼びたれば
兜町、現物店の門口に
丁稚また「中一あり」と伝へたり。
 
海運橋より眺むれば
雲にかくれし青き日は
陰惨として水底(みなぞこ)に重く沈みて声もなし。
時しもあれや蜜柑船、
橋の下より罷りいづ。
そを見てあれば、すずろにも
昔の唄の思ひ出づ。
 
あれは紀の国蜜柑船。
 
 
【第一書房版『木下杢太カ詩集』(昭和5年刊) より引用。原文においてはほぼすべての漢字にルビが振られているが、ここではその大半を省略。また旧漢字は現行のものに改めた】
 
・霜曇り...霜のおくような夜の寒さに空の曇ること。
・現物...ここでは現物取引 (売買契約の成立と同時または数日後に現品の受渡しを行う取引) の意か。
・罷り出づ...参上する。人前に出て来る。
・漫ろ(すずろ)...理由もないさま。予期しないさま。
 
 
初出は明治44年1月『昴』。
作曲にあたって多田武彦が底本としたのは第二詩集『木下杢太カ詩集』である。
 
この『市場所見』、これまで取り上げたどの詩よりも僕には難解に思えた。
“横町の「下村」の店” とは?
第三連に描かれる “「七番、中一あり」” の呼び声は何を表すか? etc.
 
いっこうに手掛かりの掴めぬ中、何かしらのヒントはなかろうかと淡い期待をもって静岡県伊東市の杢太カ記念館を訪ねたのは4月の初めだった。
そこで偶然出会ったのが “杢太カ会” 発行の小さな冊子である。(文頭の画像参照)
タイトルもズバリ
“木下杢太カ『食後の唄』を読み解く”。
さっそく手に取り、ドキドキしながら目次を見ると...
何という幸運!
 
 
すぐに買い求め、帰りの東海道線の中で一気に読んだ。
著者は林廣親先生、杢太カに関する記念講演を文字起こししたもの。
以下の拙文においては、林先生のこのご著書を参考にさせていただいたことは言うまでもない。
 
 
第一連の冒頭。
 
沖の暗いのに白帆が見える、
あれは紀の国蜜柑船。
 
これは江戸発祥の大道芸「かっぽれ」の詞からの引用である。
(なぜこれが詩の冒頭に置かれたか...その理由は最後に明らかとなる)
 
年の瀬のある日。
詩人は日本橋界隈を散策していたのだろうか、まず目にしたのが蜜柑の市場であった。
(この後、彼の視点は次々と移動してゆく...『両国』においてのそれは “レストラントの二階” からの、いわば固定カメラに映った様々な風景であったのと対照的だ)
 
 
第二連も引き続き冬の寒々しい描写に始まる。
そして...下村の店である。
林先生の文章を引用させていただく。
 
この「下村の店」とは、私たちもよく知っている「大丸」の別称ですが、通旅篭町にあったこの店は、明治四十三年十月末日に閉店して、残務処理の営業に移っていました。その時期が、詩の書かれた時期とちょうど重なっています。入り口の暖簾はまだ掛かっていても、出入りする人も稀な状態だったのでしょう。
 
これ以上何を望もうかというほどの見事な解題である。
 
 
第三連。
兜町という地名から金融街のイメージをなんとなく持ったのだが、果たしてその通りであった。
舞台は株取引を営む店の前。
「七番、中一あり」の語は林先生によれば商人達の間の符牒であるとのこと。
(残念ながらその意味は僕には未だ分からず)
通信手段のないこの時代、街角の男の指の合図を店内に中継するのが丁稚の役目だったのだろう。
 
以下補足。
この『市場所見』は杢太カの第一詩集『食後の唄』にも収められているが、第三連の四行目が
 
後場なかば ー 店の前にも
 
となっている。
林先生の文章によれば、”後場半ば“ はやはり業界用語で午後2〜3時頃をさすという。
(さらにそのまた補足であるが、『昴』に掲載された初出の段階では、この第三連四行目そのものが無かったそうだ...すなわち杢太カは出版の折々にこの一行を書き足し、さらに差し替えたということになる。)
 
 
そしていよいよ第四連。
海運橋の上にたたずむ詩人の目にはふたたび、第一連で見たような薄暗い陽の光と冷たい川の水だけが写っているようだ。
そのときー
ふいに蜜柑船が橋をくぐって現れる。
この瞬間の詩人の心の動きはいかばかりであったろう。
いま一度、林先生の文章から。
 
狂言の名乗りに通じるような「罷りいづ」という擬人的な言い回しによって喚起されるのは、「青き日」とは対照的な浮上の感覚です。それは物怖じもせず、舞台にせり上がって来た役者の登場場面を想わせます。「青き日」の寒色に対する「蜜柑」の暖色、沈潜と凝固に対する浮上と開放という、鮮やかに対照的なイメージが詩人の視覚を不意打ちした。
 
その瞬間、わけもなく詩人の脳裡に蘇った ”昔の唄“ が、詩の冒頭に置かれた
 
あれは紀の国蜜柑船。
 
であったのだ。
読み終えて、何とも言えぬ懐かしさ、そして人の心のあたたかさのようなものを感じ取ることのできる味わい深い詩である。
 
 
【参考文献】
木下杢太カ『食後の唄』を読み解く
林廣親 著/杢太カ会 刊
(杢太カ会シリーズ第22号)
 
 
(完)
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:18| Comment(0) | 音楽雑記帳