2021年06月16日

シューマン「暁の歌」x ヘルダーリン「春」

 
先週、シューマンのことを何となく考えていて (そういえば6月8日は彼の誕生日でした)、ふと大好きなあのメロディが脳裡に浮かんできたのが始まりでした。
 
 
「暁の歌」作品133。
全5曲からなるピアノ小品で、1853年10月、彼の死の3年前に作曲されています。
特にその第1曲は独特の透明感と静謐さとを湛えています。
...モーツァルト晩年の作品がそうだったように。
 
 
楽譜を取り出して眺めているうち、限りなく澄んだコーラスの響きが “見えた” ような気がしました。
そう思うと居ても立っても居られずに、すでに夜更けであったにもかかわらず、混声合唱用にトランスクリプトした譜面を一気に書き上げました。
 
 
(歌詩がほしいな...)
依頼されたわけでもなければ演奏の予定もないのに、妄想(?)だけが次第に膨らんでいきました。
 
 
翌日。
何か手掛かりがないかとシューマンの評伝を読んでいて、作品の構想段階で彼が「ディオティマに」というメモを残していたことを知りました。
ディオティマとはドイツの詩人ヘルダーリンの小説「ヒュペーリオン」に登場する女性の名。
ヘルダーリンとシューマン。
何やら不思議な巡り合わせのようなものを感じ (ヘルダーリンも人生の半ばで精神に変調を来したのでした) 彼の詩作を調べていると...
一編の詩に目が留まります。
 
 
太陽は新しい喜びへ立ち帰り
日々は花のように かがやいて出現する、
(中略)
春の朝は時ごとに晴れやかだ、
高みから真昼はかがやく、
etc.
(「春」手塚富雄訳 より引用)
 
 
(これは...!) 
とひらめき、さっそく原詩にあたります。
その1行目と「暁の歌」第1曲の冒頭を比べると...
 
Die Sonne kehrt zu neuen Freuden wieder,
Die| Son-ne| kehrt zu neu-en| Freu-den| wie-der,
 
ぴたりと当てはまります!
なんということでしょう...
 
 
さらにもう一箇所、奇跡を感じる部分がありました。
この曲の最大にして唯一のクライマックス、第27〜30小節に差し掛かったところ。ヘルダーリンの詩は
上記譜例、4小節目の2拍目まで、フォルテ[強く]の部分:
 
Aus| Hö-hen| glänzt__ der| Tag__
(高みから真昼はかがやく、)
 
続く3拍目〜のピアノ[弱く]の部分:
 
des_| A-bends_| (Le-ben)
(夕べの生は...)
 
“der Tag(真昼)” と “des Abends”(夕べ) のコントラストがシューマンの音楽としっかりと響き合っていたのです。
 
 
取り憑かれたように、わくわくしながら合唱譜を完成させました。
 
 
現下の閉塞感から解放された暁には、ぜひともこの歌を現実のものとして響かせたいと思っています。
 
 
【追記】
この編曲を完成させる直前、
H. ホリガー作曲
合唱、管弦楽とテープのための「暁の歌」
〜シューマンとヘルダーリンに基づく〜
という作品の存在を知りました。
CDを取り寄せて聴いてみると、なんとその第1楽章 (8分半ほど) のタイトルが「春」、上に記したものと同じ詩と同じ曲で歌った合唱が音素材として用いられているではありませんか!
 
僕がすっかり自分で見つけた気になっていた音楽と詩の組み合わせが、30年以上も前にすでに考えられ音化されていたことになります。
(ホリガー氏のほうはバリバリの現代音楽ですが)
よって...
側から見れば小澤がホリガー氏のアイディアをちゃっかり真似たことになるわけですが、
(僕はパクっていません!)
と天に誓いつつ、今回の拙作はボツにはせず手元に置こうと思います。
posted by 小澤和也 at 19:03| Comment(0) | 日記

2021年05月24日

「翼」、そして「ウィングス」

 
♪〜風よ 雲よ 陽光(ひかり)よ
夢をはこぶ翼
etc.
 
「翼」(曲/詞: 武満徹) という歌をご存じですか?
石川セリが1995年にリリースしたアルバム「翼〜武満徹ポップ・ソングス」に収められ、民放ニュース番組のエンディングテーマとして (1996年OA) も広く知られた曲である。
 
僕はこの歌を合唱曲として初めて知った。
1985年頃だっただろうか。
ラジオから聞こえてくる柔らかな響き、幻想的でジャジーなハーモニー...
あっという間に虜になった。
(このとき聴いたのは岩城宏之指揮、東京混声合唱団による演奏。「翼」のほか「小さな空」「島へ」なども流れていたと記憶する)
 
夢、遙かなる空、希望...
 
曲想と歌詞のイメージから、ずっとこの歌をおおらかな青春賛歌のようなものと漠然と捉えていた〜ついこの間までは。
 
 
先日「混声合唱のための『うた』」について少し調べる機会があり、いくつかの資料にあたった。
それらによると...
「翼」のメロディの原型は1982年に西武劇場にて上演された「ウィングス」(恩地日出夫演出) の劇中音楽であったとのこと。
実際の舞台ではピアノや弦楽合奏によって奏でられたそうである。
この旋律に武満自身が詞をつけ、合唱曲にアレンジしたのが翌1983年のこと。
 
 
この劇、いったいどのようなストーリーだったのだろう?
にわかに興味がわく。
 
【ウィングス】
アメリカの劇作家A.コピットによる1978年の作品。
脳卒中に倒れたアクロバット飛行士の凄絶な闘病を描いた物語。
 
飛行士...ウィングス...翼...
 
ここまでくるとどうしても戯曲を読んでみたいではないか。
日本語版 (額田やえ子訳) の存在を知り、さっそく古書をゲット。
 
 
戯曲は
プレリュード/カタストロフ/覚醒/探険
からなる四部構成。
 
主人公のアクロバット飛行士エミリー・スティルソンは脳の発作により記憶を失い、さらに彼女自身が何者であるのかという意識すら定かではなくなっている。
彼女の存在する空間は孤独と混乱、恐怖と無秩序の世界だ。
 
そんなエミリーに優しく寄り添い、彼女に手を差し伸べ続けるのが療法士であるエイミィ。
エイミィの献身によりエミリーは少しずつ言葉とアイデンティティを取り戻してゆく。
 
 
エイミィ「あなたの人生について、何か思い出せる?(...)」
エミリー『(...)それにわたし、もしかするとわたしかも知れないものを見るわもしかするとあれはあの(...)あれをとじたときおこるものかも知れない。あの目を。』
エイミィ「夢のことね。」
エミリー『(ほっとして)ええ。だからはっきりわからないの。』
 
エイミィ「あなた、昔は飛行機に乗ってたんでしょう?」
エミリー『ええ、そうなの!とっても!わたしいつも...歩いた...翼の上を歩いたのよ。』
 
エイミィ「どうしたの?」
エミリー『何か...濡れてる。』
エイミィ「それ何だかわかる?』
エミリー『言葉が...その言葉を見つけることができないの。』
エイミィ「きっと見つかるわ。(...)何なのかはわかっているんでしょう。」
エミリー『...なみだ?』
エイミィ「そう、そうよ。よくできたわ、(...)じゃどういう意味があるかわかる?」
エミリー『悲しみ?』
エイミィ「そうよ、よくできたわ、それはね...あなたが悲しんでるってこと。」
 
(本文より適宜引用させていただいた)
 
 
そしてラストシーン。
ついにエミリーは、とある日の自身の夜間飛行についての記憶を完全に蘇らせる。
エミリーの長い長いモノローグが終わり...音楽...暗転...そして沈黙。
 
 
この「破砕から集成」へと向かう物語に寄せた音楽に、武満は自ら詞をつけた。
 
ひとは夢み 旅して
いつか空を飛ぶ
(...)
遙かなる空に描く
「自由」という字を
 
これらの言葉のもつ意味の重さ・深さが、僕の中でいつの間にか一変していた。
いま我々が否応なく直面しているコロナ禍という厳しい現況...
(エミリーの苦闘とは質的に異なるものだけれど) その終息に向け光が見えてきたときには、一語一語を噛み締めながらこの「翼」を歌いたいものである。
〜「希望」を、そして「自由」を空に描くのだ〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 11:57| Comment(0) | 日記

2021年04月28日

台湾パイナップルを食べてみた

 
貿易上のトラブルから台湾産のパイナップルがちょっとした話題となったのは2月末頃だっただろうか。
 
日本への輸出が増えるらしいという噂も聞き、(これは食べて応援だ!) などと思いつつも、近所のお店ではなかなか見かけることもなく...
 
しかし
「その日」は突然やってきた。
 
仕事帰り、普段はめったに立ち寄らない駅前のスーパーマーケットの前をたまたま通りかかると、店頭のワゴンにパイナップルが積まれている。
(もしや!) と思い手に取ると...
 
これだ!
 
 
迷わずまるっと1顆購入。
2日ほどおいてから切ってみた。
イメージに反して、サクサクと包丁が入る。
(皮がもっと硬いと思っていた)
 
 
 
 
甘〜い!
そしてよい香り!
まろやかでみずみずしい美味。
舌の上でチカチカする、あの独特の刺激は皆無。
「芯まで食べられる」とも聞いていたが...
むしろ (芯はどこに?) という感じ。
 
僕の中でのパイナップル観が180°変わった!
リピート必至のおいしさである。
posted by 小澤和也 at 10:21| Comment(0) | 日記

2021年04月17日

ケルテス48回目の命日に

 
4月16日はハンガリーの名指揮者イシュトヴァン・ケルテス(1929-1973)の命日。
久しぶりに彼のディスクを何か聴くとしよう、と手に取ったのがウィーンフィルとのこの2曲。
 
 
§シューベルト: 交響曲第6番ハ長調D589
(1971年4&10月録音)
屈託のない明るさ、溌剌としたリズム、そして溢れる歌心...
作品のもつ魅力とケルテスの若々しい音楽性とが見事に調和した演奏。
 
第1楽章、序奏に続く主部Allegroをケルテスは心持ち速めにとり、当時シューベルトが大いに感化されていたイタリアオペラの序曲のスタイルをくっきりと描き出している。
また第2楽章において我々は、ウィーンフィルとの厚い信頼関係から滲み出たであろう親密な音楽を聴く。
 
唯一意外だったのが終楽章のテンポである。
作曲家の指定はAllegro moderato、その主題もややおっとりとした曲想であるにもかかわらず、ケルテスはこれを第1楽章主部よりもさらに速く始めるのだ。
実は、この楽章のコーダ(結尾)の楽想は上記アレグロ・モデラートよりもずっと速く演奏されるべきもので、指揮者は皆この部分の扱いに頭を悩ませるのだが、ケルテスは楽章冒頭から速めのテンポをとることでこの問題をあっさりと解決している...いかにもケルテスらしいやり方、ということになるだろうか。
 
 
§モーツァルト: 交響曲第40番ト短調K.550
(1972年11月録音)
言わずもがなの名曲、名盤である。
モーツァルトの晩年の不遇を思い、またト短調が彼にとっての宿命的調性であるがゆえに、後世の我々はこの作品に対してさまざまに思いを巡らせてきた。
そして「苦悩」「愁傷」「疾走する哀しみ」といったキーワードがイメージとして定着する。
 
しかしケルテスはこの交響曲に「暗さ」の解釈を施していないように思える。
スコアに対するひたすら忠実なアプローチ。
「楽譜通りにやれば佳いモーツァルトになるのだ」
という揺るぎない確信を持っているかのようだ。
テンポは常に自然であり、ウィーンフィルの音色も明るい。
それでいて、流れ出る音楽は実に表情豊かなのである。
端正だがロマンティックでもあり、微笑みを見せつつも密やかな涙がある。
posted by 小澤和也 at 01:09| Comment(0) | 日記

2021年03月22日

立川トゥーランドット、無事終演

 
立川市民オペラ公演2020-21
プッチーニ「トゥーランドット」ハイライト
&ガラコンサート
 
おかげさまをもちまして二日間の公演を無事終えることができました。
未だ厳しいコロナ禍の状況のなかお運びくださった皆さま、心に留めて応援してくださった皆さまに感謝申し上げます。
 
 
本番の1週間前にPCR検査を受けました。
(もちろん初体験)
出演者・スタッフ他、公演に携わるすべてのメンバーが受検、全員が陰性であることを確認したうえでの劇場入りでした。
舞台稽古が始まってからも、感染拡大防止のためあらゆる行動パターンに制約が課せられましたが、思いはみな一緒でした。
「とにかく幕を上げよう」
「よい舞台を創るんだ」
 
 
キャストの皆さんの歌唱は真に素晴らしく、客席に向けて音楽の愉しみと悦びをキラキラと振り撒いているさまが見て取れました。
管弦楽と合唱も、限られた準備期間のなかで最善のパフォーマンスだったと思います。
敢えて一つだけ挙げるならば...
千秋楽のトゥーランドット第1幕終盤、カラフ (福井敬さん) のアリア「泣くな、リュー」のあたりからオーケストラのサウンドがみるみる変わりはじめ、そのあとのコンチェルタント、さらにコーラスが加わる場面から音楽全体がぐるぐるとうねり出し...
それでもアンサンブルは全く乱れず、照明の妖しい美しさも相俟って驚異的なエンディングに到達する〜
僕は映写室から舞台へ向かってペンライトを振っていて、身震いが止まりませんでした。
歌の力、音楽の力というものをひしひしと感じさせられた瞬間でした。
 
映写室 (通称: 金魚鉢) 
 
 
終演後。
いつもなら皆で固い握手、そして肩を叩き合いながら喜びと達成感を分かち合うのですが、今回はそれも叶いませんでした。
それぞれが身の回りと各自の持ち場を片付けて解散、お世話になった方々 (総監督、制作統括、演出家、舞台監督、そして音楽スタッフの仲間達etc.) に御礼の言葉を申し上げることもできませんでした。
「打ち上げ」が出来ない、というのがこんなにも寂しいことなのだなあと改めて実感しました。
 
 
地元に戻り、馴染みのピッツェリアで一人打ち上げを開宴。
1杯目、苦楽を共にした副指揮仲間&いろいろ助けてくださったコレペティチームに...
乾杯!
 
2杯目は、市民オペラ合唱団の団員さんの多くがやむなく参加を断念されてゆくなか、今回の公演が立ち消えぬよう支えてくださったコーラスサポートのメンバー各位に...
乾杯!!
 
そして3杯目は...
PCR検査をはじめあらゆる感染対策のための手段を整えてくださり、この日まで献身的に支え続けてくださった地域文化振興財団、とりわけスタッフOさん&Yさんに、心からの感謝をこめて...
乾杯!!!
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 18:15| Comment(2) | 日記