2022年11月03日

演奏会のごあんない

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12月に『椿姫』を指揮します。

素敵なご縁に恵まれ、ソプラノ荒牧小百合さんを中心とした素晴らしいカンパニーとご一緒することとなりました。
皆さま、どうぞお運びください。

【チケットのご用命・お問い合わせは
小澤までお気軽にどうぞ】


§オペラチックナイト Vol.9
§ヴェルディ/歌劇『椿姫』(原語上演・字幕付き)

2022年12月24日(土) 18:00開演
2022年12月25日(日) 14:00開演
劇場 シアターΧ(カイ)
(JR線・都営地下鉄線両国駅下車)

主な出演
ヴィオレッタ: 荒牧小百合
アルフレード: 吉田連
ジェルモン: 藪内俊弥
フローラ: 佐間野朋美
ガストン: 下村将太
ドゥフォール男爵: 押見春喜
ドビニー侯爵: 星田裕治
医師グランヴィル: 狩野賢一
アンニーナ: 相田麻純
合唱: コーロ・ジーリオ

ピアノ: 山口佳代
ヴァイオリン: 西田史朗
チェロ: 羽川真介

演出: 田丸一宏
指揮: 小澤和也

主催: 百合の会 (yurinokai.office@gmail. com)
全席自由 一般6000円/学生3500円(席数限定)
posted by 小澤和也 at 15:01| Comment(0) | 演奏会情報

2022年10月17日

ブロムシュテットさんのマーラー

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NHK交響楽団 第1965回定期公演を聴く。
(10月15日、NHKホール)

ブロムシュテットさんが転倒して入院、当面の演奏会をキャンセルとの報を知ったのは6月の末だった。
(ああ...)
僕の脳裡に暗雲が立ちこめた。
快方に向かっているらしいとはいえ、彼の年齢での転倒事故となると音楽家人生にとっては致命的ではないのだろうか?
(どうか10月の来日に間に合いますように...いえ、せめてお元気で復帰なさってください...)

祈りは通じた。
ブロムシュテットさんは9月中旬にストックホルム・フィル、同月末にベルリン・フィルに客演し指揮活動を再開。
そして今週無事に来日されN響とのリハーサルを開始した。

以上のような経緯があってのこの日の演奏会、僕にとってはブロムシュテットさんの指揮でマーラーが聴けるだけで既に奇跡であった。

開演予定時刻より5分押しで団員の方々が舞台へ。
会場を包み込むような温かな拍手。
と突然、拍手の音が急変したではないか!
コンサートマスターにエスコートされ、ブロムシュテットさんが登場されたのだ。
NHKホールでこれほどに大きな、否、嵐のような激しい拍手を聴いたのは初めてだった。

第1楽章が始まる。
ここ数年のブロムシュテットさんの音楽的志向と共通する、どこまでも澄みきった各楽器の音色、充実した内声 (レコードなどではあまり聞こえないバスクラリネットやコントラファゴットの動きが実に鮮明であった)、そして過度な “情念的表現” を排した純度の高い “歌” がそこにはあった。

座って指揮をするブロムシュテットさんの上体の動きはかなり小さくなっていたものの、打点 (拍を示すための手の動き) は十分に明瞭であった (ように私には見えた)。
オーケストラも必死にマエストロの意図を汲み取っていた。
だが...
楽章の大詰め、フルート、ホルンおよび低弦を中心としたアンサンブル的に最難関ともいえる箇所 (第382小節〜) でそれは起きた。
ホルンだけが糸の切れた凧のように離れて行き、そのまま還って来なかったのだ。
痛恨の極み。
N響でもこのようなことが起きてしまうのか...

第2楽章はレントラー舞曲の形をとった、アイロニーに満ちた音楽。
「ゆったりと」「やや速く」「きわめて遅く」と作曲者によって示された3つの楽想が自在に展開し運ばれてゆくのだが、ブロムシュテットさんはそれらの対比を (かつてのバーンスタインやテンシュテットが激しく描き分けていたほどには) 大きく取っていなかったように思えた。
プログラムノートには「マーラーに独特の “意図的に愚劣に作られた” 音楽」という言葉でこの楽章について説明がなされていたが、ブロムシュテットさんの音楽では常に「美」と「抑制」が全体を支配していた。
「ロンド・ブルレスケ」と題された第3楽章においてもその流れは継承されていて、“狂気すれすれの” “苦悩する天才” マーラーの戯画化された姿はそこにはなかったように感じた。

そして第4楽章。
冒頭、ゆったりとした美しい主題を奏でる弦楽合奏...それを指揮するブロムシュテットさんの後ろ姿が突然、何倍にも大きく見えたのは僕だけだろうか。
バーンスタインやテンシュテットによるレコードでは諦念のため息、あるいは慟哭のようにも聞こえるこのアダージォの音楽を、ブロムシュテットさんはひたすら美しく、あたかも救済と再生の音楽であるかのようにオーケストラを導いていた。

最後の音が静かに消える。
長い長い沈黙。
そして割れんばかりの喝采へ。
(ブラヴォーの一声は要らなかった...かな)
僕も懸命に手を叩きながら、こんなことを考えた。

〜ブロムシュテットさん指揮のマーラー第9 交響曲の音楽的志向は、音楽書やレコード解説などでしばしば書かれまた語られているような “作曲者の辞世の歌” あるいは “死への静かな眼差し” といった文言から最も遠く離れたところにあるのではないか〜

僕の耳が (もはや習慣的に) “演奏上の瑕疵に気づかずにいられない” 聴きかたをしてしまうゆえ、この日の演奏に手放しで感動することは残念ながらできなかったが、それでも終演後には改めて “音楽に触れるよろこび” そして “人の心のあたたかさ” がしっかりと胸の奥に刻まれているのを感じたのだった。
posted by 小澤和也 at 01:00| Comment(0) | 日記

2022年09月29日

江戸川区合唱祭のごあんない

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出演イベントのお知らせです。

§第44回 江戸川区合唱祭
(合唱団あしべ)

3年ぶりにお客さまをお迎えする形で開催のはこびとなりました。
合唱団あしべは出演順がなんと第1番!
さまざまな制約のなかで、感染防止対策に細心の注意を払いつつ「うたうよろこび」を噛みしめながらレッスンに励んできたあしべのみなさん、今回はまど・みちおさんの詩に美智子皇后陛下(当時)が英訳を施された『うたを うたうとき(When I sing a song)』(上田真樹作曲) ほか全3曲を心をこめて歌います。

この日は区内の数多くの合唱団が素敵な歌声を披露されます。
お近くの方、ご都合よろしければぜひお出かけください。


§日時: 2022年10月23日(日) 13:00開演
会場: タワーホール船堀 大ホール (都営新宿線船堀駅下車すぐ)
出演: 合唱団あしべ、小澤和也(指揮)、平岡祐子(ピアノ)
posted by 小澤和也 at 15:46| Comment(0) | 演奏会情報

2022年09月15日

“No” の意味…ラ・トラヴィアータ考

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ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」第2幕。
舞台はパリ、ヴィオレッタの友人フローラの邸宅での華やかなパーティーの場面。
そのクライマックス直前にヴィオレッタとアルフレード、そして宴の参加者たち (合唱) との次のような短いやりとりがある。

Alf. : Or tutti a me.
Tutti: Ne appellaste?.. che volete?..
Alf. : Questa donna conoscete?
Tutti: Chi? Violetta?
Alf. : Che facasse non sapete?
Vio. : (Ah! taci.)
Tutti: No.

アルフレード: さあ皆さん、僕のところへ集まってください。
一同(合唱): 私達を呼びましたか?いったいどうしたのです?
アルフレード: この女性をご存じですね?
一同(合唱): 誰?ヴィオレッタを?
アルフレード: 彼女が何をしたかご存じないでしょう?
ヴィオレッタ: (ああ、黙っていて。)
一同(合唱): いいえ。

この幕の前半...
喧騒のパリを離れ郊外でアルフレードとの同棲を始めたヴィオレッタのもとへ彼の父親ジェルモンが突然現れる。
旧弊氏ジェルモンは愛息と高級娼婦との愛の生活を咎め、彼と別れるようヴィオレッタに強くもとめる。
アルフレードとその家族の幸福のためにとその要求を受け入れた傷心のヴィオレッタは、彼に置き手紙を残し家を出る。
真相を知らぬまま不信感に駆られているアルフレードはヴィオレッタから「いまは男爵を愛している」(もちろん本心ではない) と聞かされ逆上...そして先の場面となる。
嫉妬に怒り狂ったアルフレードは一同の前でヴィオレッタを激しく罵倒、ヴィオレッタは気を失って倒れるのだった。

ここで...
最後に一同が発する「いいえ」、僕はこれを最近までずっと、アルフレードの言葉に対する返答
「いいえ、(彼女が何をしたかを) 知りません」
という意味だと思っていた。
直前の (括弧書きの) ヴィオレッタの言葉が “独白” である、と理解していたのだ。

ところが、である。
先日『ラ・トラヴィアータ』の台本とその対訳を読んでいてあることに気づいた。
そこではヴィオレッタのこの台詞に括弧が付いていないのである。

Alf. : Che facasse non sapete?
Vio. : Ah! taci.
Tutti: No.

そうすると、この “No.” は
「いいえ、知りません」ではなく
「いや、黙っていないで(話しなさいな)」
というニュアンスに変わってくるのでは、という疑問が生じてくる。

どうにも気に掛かって仕方ないので、ネット上で閲覧できるいくつかの楽譜で当該箇所を調べてみた。
以下、出版社名(都市)、出版年、ヴィオレッタの歌詞の順に記する。

Escudier(パリ)、1855 …… Ah! taci.
Hofmeister(ライプツィヒ)、1860 …… (zu Alfred) Ah! taci. *
Escudier(パリ)、1864 …… De gràce! **
Ricordi(ミラノ)、1868 …… (Ah! taci.) ***
Ricordi(ミラノ)、ca.1883 …… (Ah! taci.)

*) 伊/独語歌詞。独語で (アルフレートに向かって) とト書きあり
**) 仏語歌詞。「お願いだから!」
***) 出版社名は正しくは R.Stabilimento Tito di Ricordi

楽譜上でも括弧のない版があった!

少なくとも初期の印刷譜ではヴィオレッタのこの言葉は独白扱いでなかったことがわかる。
そして1868年、Ricordi社版で初めて括弧が付けられる。
印刷ミスとは考えにくい。
やはりヴェルディの指示とみなすのが自然であろう。

“No.”
たったひと声ではあるがこうして見るとさまざまな捉え方ができるものだなと、実に興味深く思えたのであった。


(追記)
今回あれこれ調べているうちに、台本自体にも年代によって違いのあることがわかった。
最初期のものでは、この “No.” がなんと【アルフレードの言葉として】書かれている。

ヴィオレッタ「ああ、黙っていて」
アルフレード「いいや(黙ってなどいられるか)」

こんな感じだろうか。

そのあたりの変遷、機会があればまた深掘りしてみたいと思っている。
posted by 小澤和也 at 14:58| Comment(0) | 日記

2022年07月20日

カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる (5)


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「源流をたどる(4)」の続きです。

『カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる』
(1) へのリンク↓
(2) へのリンク↓
(3)へのリンク↓
(4)へのリンク↓

[第6場]
【トゥリッドゥ、ローラ、フィロメーナ、ブラーズィ、カミッラ、ヌンツィア】
ヌンツィアの居酒屋の前の広場。
オペラの「シェーナ、合唱と乾杯の歌」にあたる場面。
戯曲では前の第5場から続くシーンであるが、オペラにおいては前景との間に例の有名な「間奏曲」が挿入されているのはご存知のとおりである。

ヌンツィアの居酒屋の前の広場。
皆で一杯やろう、とトゥリッドゥがローラに声をかける。
ブラーズィ、カミッラ、フィロメーナも集まってくる。
オペラではトゥリッドゥ、ローラと合唱が『輝くグラスのなかで泡立つワインに万歳!」と歌うのだが、戯曲ではトゥリッドゥを中心に軽妙な、そして際どい会話が続く。

トゥリッドゥ: (店の中のヌンツィアに向かって) おい、母さん!あの美味い酒はまだあるかな?
ヌンツィア: ああ、あるよ、お前さんがきょうフランコフォルテから買ってきたはずのものならね!
トゥリッドゥ: わかったわかった、復活祭の日だってのに母さんまでそんな話するなよ(...)

ローラ: 兵隊に行ってた先では向こうの女たちをこんなふうに口説いていたのね、見れば分かるわ!
トゥリッドゥ: まったく女ってやつは!俺はいつでもこの村のことばかり考えていたんだ (...)
可哀想な男が遠くへ行って、頭も心もおかしくなって、それでも一人の女のことだけを考えながら...
そこで突然聞かされるんだ、「あの女結婚したんだぞ」って!
ローラ: あんたが遠くにいてそこで他の女に囲まれているときでも「彼女らには一切見向きもせずひとりの女のことだけをずっと考えている」と女は信じてるだなんて思ってるの?
そして帰った後は最初の女に落ち着くとか思いたいわけ?
トゥリッドゥ: 悪かったよ、謝るよ...

〜なんとも散々なトゥリッドゥである。


[第7場]
【アルフィオ、トゥリッドゥ、ブラーズィ、ローラ、カミッラ、およびフィロメーナ】
この場面以降はオペラの「フィナーレ」に相当する。
アルフィオがトゥリッドゥの差し出すグラスを撥ねつけ、二人が決闘の約束を交わすという展開は戯曲においてもほぼ同じであるが、一つ決定的に異なる点がある。

トゥリッドゥ: アルフィオさんよ、何か俺に言いたいことがあるのかい?
アルフィオ: 何も。俺が言いたいことは分かっているだろう。
トゥリッドゥ: それじゃ俺はここであんたの言いたいようにするさ。

(先に席を外していたブラーズィが妻に家へと入るように合図し、カミッラは出て行く)

ローラ: いったいどうしたの?
アルフィオ: (ローラの言葉に耳を貸さず彼女を押しやって) ここでちょっと顔を貸してくれれば、腹を割ってあの話ができるんだがな。
トゥリッドゥ: 村はずれの家のところで待っていてくれ、(...)すぐにあんたのところへ行くから。

(互いに抱き合ってキスをする。トゥリッドゥは彼の耳を軽く噛む)

アルフィオ: よくやってくれた、トゥリッドゥさんよ!お前さんにはその腹づもりがあるってことか。これこそ名誉を重んずる若者の誓約というものだ。
ローラ: ああ、マリアさま!アルフィオさん、どこへ行くの?
(...)

このように、戯曲においてはトゥリッドゥがアルフィオの耳を噛む瞬間をローラも目撃するのだ。
そしてアルフィオだけがこの場を立ち去り、第8場へと進む。


[第8場]
【トゥリッドゥ、ローラ、およびヌンツィア】
「俺がもう持ってこないほうがお前にはいいんだろうが」とアルフィオに突き放されうろたえるローラ。

ローラ: トゥリッドゥさん!あなたまでこのまま私のことを放っておくつもり?
トゥリッドゥ: 俺はあんたとはもう関係ない、二人の仲はすっかりおしまいだ。あんたの旦那と生き死にを賭けて抱き合ってキスしたのを見たろう?

戯曲ではローラのただならぬ心境が克明に描かれ、この終盤における物語中の存在感も確かである。
(この後の最終第9場にも彼女は登場する)
マスカーニがオペラ化にあたり、ローラを “修羅場” から早々に退場させているのも彼なりの考えがあってのことであろう。

ローラとのやり取りのさなかに「まだいたのかい?」とヌンツィアが顔を出す。
そこで、酔いのせいにして「サンタを頼む...」とトゥリッドゥが最後の思いを母親へと託すくだりはオペラと戯曲でほぼ共通である。

alla Santa, che non ha nessuno al mondo, pensateci voi, madre.
サンタのことなんだけど...あいつには頼れる人が誰もいないんだ...だから考えてやってくれないか、母さん。

cf. 前にも触れたが、短編小説においてはサントゥッツァは裕福な農園主コーラ氏の娘という設定になっている。


[第9場]
【ヌンツィア、ブラーズィ、ローラ、フィロメーナ、カミッラ、およびピップッツァ】
以下、台詞の全文を拙訳にて:

ヌンツィア: いったい何が言いたいんだい?
ブラーズィ: ローラ、家にお帰りよ、帰るんだ!
ローラ: なんで帰らなきゃならないのよ?
ブラーズィ: 今お前さんがここに、この広場にいちゃ良くないんだよ!もし誰かについていてほしかったら...おい、カミッラ、ここでヌンツィアさんのそばにいてやってくれ。
フィロメーナ: ああ、神様!
ヌンツィア: 息子はどこへ行ったんだい?
カミッラ: いったい何があったのさ?
ブラーズィ: 見てなかったのか、ばかだなあ、あのとき耳を噛んだろう?あれは俺がお前を殺すか、さもなくばお前が俺を殺すか、って意味なんだ。
カミッラ: ああ、なんてこと!
ヌンツィア: 私のトゥリッドゥはどこへ行ったのさ?もう何がどうなっているんだい?
ローラ: 不幸な復活祭になってしまった、ヌンツィアさん!一緒に飲んだワインがぜんぶ毒になったのよ!
ピップッツァ: トゥリッドゥさんが殺された!トゥリッドゥさんが殺されたよ!

(幕)


こうして戯曲とオペラを比較してみると、マスカーニと台本作家たちによるオペラ作品としての再構成がいかに当を得たものであるかを改めて実感させられる。
同時に、今回の戯曲台本との出会いによって、近い将来再び「カヴァレリア〜」のスコアを開いたときにこれまでとひと味違った楽譜の風景が見えてくるような気がするのだ。
楽しみである。


[参考資料]
カヴァレリーア・ルスティカーナ/河島英昭訳 (岩波文庫)
オペラ対訳ライブラリー カヴァレリア・ルスティカーナ/小瀬村幸子訳 (音楽之友社)
イタリアオペラを原語で読む カヴァレリア・ルスティカーナ/武田好 (小学館)
戯曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」翻訳/武田好 (星美学園短期大学研究論叢第40号)
Cavalleria rusticana/Giovanni Verga (OMBand Digital Editions)
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posted by 小澤和也 at 08:38| Comment(0) | 音楽雑記帳