2025年03月24日

ご来場御礼、そして合唱団のみなさんへ

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立川市民オペラ 2025
「プッチーニ/ラ・ボエーム」、
二日間の公演が無事終了しました。
ご来場くださった皆さま、応援してくださった皆さま、そして心に留めてくださった皆さまに心より御礼申し上げます。
気鋭の歌手陣と熱き心をもった市民オーケストラ&合唱団が織りなす青春ドラマ、いかがでしたでしょうか。


私の主たる仕事場は今年も1階客席最後方のさらにうしろに位置する調整室でした。(私たちはこの部屋をよく「金魚鉢」と呼びます...四角いガラス窓が水槽のようにも見えるからでしょうか)
ここからステージ上の歌手・合唱団へ向けてペンライトで指揮をするのです。
今回は例年以上に、ガラス越しに20m以上離れたところで歌い演ずる彼らとの「繋がり」を強く感じつつライトを振り続けました。
このうえなく幸福な時間でした。


コーラスサポートのみなさんには今回も大いに助けていただきました。合唱パートの補強のみならず、立ち稽古ではミミ役を、ロドルフォ、ムゼッタ、マルチェッロ役etc. を務めてくださいました。
合唱団にとってこのように恵まれた稽古環境というのは簡単に得られるものではありません。
ほんとうにありがとうございました。


終演後、合唱団主催の打ち上げレセプションに招かれ、マエストロやキャストのみなさんとともに楽しい時間を過ごしました。
私が立川市民オペラ合唱団のみなさんとご一緒するようになってから既に十年余り... 今公演のもつ特別な意味とも相俟って、合唱団に長く籍を置かれている団員さん方との思い出話は尽きることがありません。
みなさん、さまざまな思いが溢れ出るなか、目をさくらんぼのように赤くしながら次々と私に話しかけてくださいました...私も感慨無量でありました。


「ラ・ボエーム」第4幕で瀕死のミミはロドルフォに語りかけます。
『あなたに話したいことがたくさんあるの ─ いえ、たったひとつかも、それは海のように大きく深く、そして限りなく...』
そしていま、
私は立川市民オペラ合唱団のみなさんにこうお伝えしたいです。

お話ししたいことはたくさんあります
でもひとつだけ言うとしたら ─
私は立川市民オペラ合唱団のことを
海のように大きく深く、
そして限りなく愛しています

と。
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posted by 小澤和也 at 22:21| Comment(0) | 日記

2025年03月17日

祈りの地へ

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鎌倉の祈り 3•11追悼・復興祈願祭へ。

(11日、鎌倉・鶴岡八幡宮舞殿にて)


結果として新型コロナ禍の到来期ギリギリの挙行となった2020年以来、私にとっては5年ぶりの参列でした。


─ よろしければこちらもご覧ください  ─

3•11祈りの日に(2020年3月14日のブログ)

http://kazuyaozawa.com/s/article/187269624.html

鎌倉にて祈る(2014年3月11日のブログ)

http://kazuyaozawa.com/article/90210825.html


式はこれまでと変わらず、神道による祈り、鎌倉市仏教会による祈り、そしてキリスト教諸教会による祈りと、各宗教者がそれぞれの形で震災の犠牲者を悼み、被災された人々へ心を寄せるというもの。


この日はあいにくの曇天、途中から雨も降り出しましたが、式は粛々と執り行われました。

讃美歌が歌われる頃には本降りとなり、職員の方から『傘をお持ちでなかったらこちら(テントの中)へどうぞお入りください』をお声をかけていただいたのですが、私は軽く会釈を返しつつ舞殿のすぐ傍らに立ったままでいました。

この場所から動きたくなかったのです...自分でもなぜだか分からないのですが。


私の中で“あの時”の記憶は(悲しいかな)少しずつ薄らいできていますが、やはり宗教者の方々の言葉は重くそして深いものでした。

それらの言葉を通して、改めて自分自身を見つめ直すことのできた貴重な時間となりました。

posted by 小澤和也 at 01:18| Comment(0) | 日記

2025年03月08日

ペーテル・ブノワの命日に

きょう3月8日は
フランデレン(ベルギー)の作曲家ペーテル・ブノワ(1834-1901)の命日。

十数年前に彼の音楽と出会って以来、ブノワ研究は私にとってのライフワークとなりました。

ずっと以前につぶやいたブノワの生涯と作品についての連続ツイートを再掲します。


(1) ペーテル・ブノワは1834年8月17日、南西フランデレンの小さな町ハレルベーケに生まれました。ブリュッセルで学び、カンタータ「アベルの殺人」でベルギー・ローマ大賞を受賞。ドイツ他に留学後パリへ移り、オペラ作曲・指揮を志しましたが成功しませんでした。

(2) ブノワはその後アントウェルペン(アントワープ)へ赴き音楽学校を設立します。そこで彼はフランデレン語(オランダ語)による音楽教育に尽力、母国語による歌曲やオラトリオなどを数多く作曲しました。

(3) ブノワはその晩年、アントウェルペンにフラームス(フランダース)歌劇場を設立、また彼の音楽学校はフランデレン王立音楽院として承認され、パリやブリュッセルなどのそれらと肩を並べるに至ったのでした。

(4) 「宗教曲四部作」(1859-63)... 1.クリスマス・カンタータ 2.ミサ・ソレムニス 3.テ・デウム 4.レクイエム…壮年期のブノワの代表作。カンタータを除く3曲で、彼のトレードマークともいえる二重合唱が用いられています。素朴さとロマン性を併せ持った佳品です。

(5) ピアノのための「物語とバラッド集」(1861)、ピアノと管弦楽のための交響詩(1864)、フルートと管弦楽のための交響詩(1865)… 母国に伝わる民謡・伝説からインスピレーションを受けて作曲されました。特に「フルートと〜」はロマン派期にこの楽器を用いた数少ない協奏的作品として要注目。

(6) カンタータ「フランデレン芸術の誇り」(1877)… 1870年代前半、ヴァーグナーの影響を受け神秘的・内省的作風に傾いていたブノワが、そのスタイルを一変させて広く大衆にアピールした壮大な頌歌。「ルーベンス・カンタータ」という愛称でより知られるようになります。

(7) ルーベンス・カンタータ、そのテキストは愛国心にひたすら訴えかける微笑ましいものですが、その音楽は平明な人懐こさを持っています。きっと一般市民も混ざってコーラスパートを歌ったことでしょう。児童合唱の歌う「すべての鐘を鳴らそう〜」のくだりはグッときます。


きょう、ヴォーカルアンサンブルのレッスンでいつもご一緒する団員Aさんからすてきなプレゼントをいただきました。
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1934年、ブノワの生誕100年を記念して発行された切手です。
国名の表記が二ヶ国(フランス/オランダ)語でなされているところがいかにもベルギーらしい。
未使用、しかもこんなに美しいコンディションで残っているものなのですね。
Aさん、ありがとうございます。

さて ─
ペーテル・ブノワ作品を聴いていただくための小さなプロジェクト、現在準備中!
近日公開いたします...ご期待ください。
posted by 小澤和也 at 22:26| Comment(0) | 日記

2025年02月06日

ブノワを知る10曲 (6)


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《フランデレンの芸術的栄光
(ルーベンスカンタータ)》

完成: 1877年6月、アントウェルペン
初演: 1877年8月18日、フルーン広場、ペーテル・ブノワ指揮
出版: ペーテル・ブノワ財団


§音楽スタイルの大転換
1877年はフランデレン地方で活躍したバロック期の画家ルーベンス(1577-1640)の生誕300周年でした。
これを記念してアントウェルペン市がブノワに委嘱し作曲されたのがこの「フランデレンの芸術的栄光」です。
1870年代前半までのブノワは「愛の悲劇」(歌曲集)や反戦オラトリオ「戦争」など、前衛的な和声を多く用いた主観的な作品を書いていましたが、その後表現のスタイルを“一般大衆にも容易に理解できる平明な音楽”へと大きく転換させていました。この「フランデレンの芸術的栄光」もキャッチーで魅惑的な旋律、色彩的な劇的効果といった特徴をもった明快な作品となっています。


§巨大なオーケストラ編成
この曲のもう一つの特徴は大人数の管弦楽を使用していることです。その編成は次のとおりです:
ピッコロ2、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、E♭クラリネット、クラリネット2、バスクラリネット、ソプラノサックス、テナーサックス、ファゴット2、コントラファゴット
ホルン6、トランペット6、トロンボーン6、テューバ2
ティンパニ、打楽器(トライアングル、シンバル、大太鼓、小太鼓
バンダ(アイーダトランペット6)
弦五部
混声四部合唱、児童合唱

オーケストラ本体と離れて置かれた2群のアイーダトランペット、そしてユニゾン(斉唱)を多用した圧倒的なコーラスの響きが印象的です。


§作品について
全体は三部構成になっています。
各部において世界の国や地域が“擬人化されて”合唱によって歌われます。

第1部は“(ベルギーとオランダからなる)姉妹都市”のもとを“ヨーロッパ”“アジア”“アフリカ”などが訪れるという筋立てでフランデレンを称える歌が展開していきます。
(”アントウェルペン“という一都市もこの中に加わっています)
最後は古代ギリシャへの讃歌で締めくくられます。

第2部はその冒頭で“姉妹都市およびアントウェルペン”によって
『なんと長く陰鬱な夜だったか(...)人類は手枷足枷をかけられ(...)』
と重苦しく歌われて始まります。
すると世界の各地域が
『最初の光はどこに射したか?』『自由の歌は何処で初めて響いたか?』『それはフランデレンで!』etc.
とこぞってフランデレンを誉め称えます。
結びは児童合唱の澄んだ声が美しい「カリヨンの歌」で賑々しく終わります。

第3部は、第1部の冒頭に現れた祝祭的なファンファーレで始まりますが、すぐに“嫉妬” と“姉妹都市”との間で応酬が繰り広げられます。
『汝らの芸術は、自由は、魂は失われた!』
『踏みにじられ嘲笑された祖国に慈悲を!』
すると“全世界”が支配からの自由を訴えかけるように平和共存のメッセージを叫びます。
『人間は自由であれ、歩き回るところ、住むところすべて、スヘルデの泡立つ流れのように』
フィナーレではふたたび「カリヨンの歌」が感動的に歌われ全曲の幕を閉じます。


§参考音源
・デ・フォホト指揮、王立フラームス歌劇場管弦楽団他
(1958年ライヴ録音)
Eufoda 1158
・ファラハ指揮、アントウェルペン・フィル他
(1977年ライヴ録音)
CBS 73697 (LP)

前者は録音が非常に古めかしくトランペットが派手にコケたりしますが、ライヴ感・祝祭的な気分は満点です。
これに比べると後者はいくぶん穏やかな表現ですが音質的にははるかに聴きやすいと思います。

「カリヨンの歌」は短く素朴ですがとてもキャッチーで心にしみるメロディです...まずはこの部分からご一聴を!


デ・フォホト指揮による演奏へのリンクはこちら↓

カリヨンの歌は29’50”付近(第2部)と47’50”付近(第3部)です。
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posted by 小澤和也 at 01:55| Comment(0) | 音楽雑記帳

ブノワを知る10曲 (6)

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《フランデレンの芸術的栄光
(ルーベンスカンタータ)》

完成: 1877年6月、アントウェルペン
初演: 1877年8月18日、フルーン広場、ペーテル・ブノワ指揮
出版: ペーテル・ブノワ財団


§音楽スタイルの大転換
1877年はフランデレン地方で活躍したバロック期の画家ルーベンス(1577-1640)の生誕300周年でした。
これを記念してアントウェルペン市がブノワに委嘱し作曲されたのがこの「フランデレンの芸術的栄光」です。
1870年代前半までのブノワは「愛の悲劇」(歌曲集)や反戦オラトリオ「戦争」など、前衛的な和声を多く用いた主観的な作品を書いていましたが、その後表現のスタイルを“一般大衆にも容易に理解できる平明な音楽”へと大きく転換させていました。この「フランデレンの芸術的栄光」もキャッチーで魅惑的な旋律、色彩的な劇的効果といった特徴をもった明快な作品となっています。


§巨大なオーケストラ編成
この曲のもう一つの特徴は大人数の管弦楽を使用していることです。その編成は次のとおりです:
ピッコロ2、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、E♭クラリネット、クラリネット2、バスクラリネット、ソプラノサックス、テナーサックス、ファゴット2、コントラファゴット
ホルン6、トランペット6、トロンボーン6、テューバ2
ティンパニ、打楽器(トライアングル、シンバル、大太鼓、小太鼓
バンダ(アイーダトランペット6)
弦五部
混声四部合唱、児童合唱

オーケストラ本体と離れて置かれた2群のアイーダトランペット、そしてユニゾン(斉唱)を多用した圧倒的なコーラスの響きが印象的です。


§作品について
全体は三部構成になっています。
各部において世界の国や地域が“擬人化されて”合唱によって歌われます。

第1部は“(ベルギーとオランダからなる)姉妹都市”のもとを“ヨーロッパ”“アジア”“アフリカ”などが訪れるという筋立てでフランデレンを称える歌が展開していきます。
(”アントウェルペン“という一都市もこの中に加わっています)
最後は古代ギリシャへの讃歌で締めくくられます。

第2部はその冒頭で“姉妹都市およびアントウェルペン”によって
『なんと長く陰鬱な夜だったか(...)人類は手枷足枷をかけられ(...)』
と重苦しく歌われて始まります。
すると世界の各地域が
『最初の光はどこに射したか?』『自由の歌は何処で初めて響いたか?』『それはフランデレンで!』etc.
とこぞってフランデレンを誉め称えます。
結びは児童合唱の澄んだ声が美しい「カリヨンの歌」で賑々しく終わります。

第3部は、第1部の冒頭に現れた祝祭的なファンファーレで始まりますが、すぐに“嫉妬” と“姉妹都市”との間で応酬が繰り広げられます。
『汝らの芸術は、自由は、魂は失われた!』
『踏みにじられ嘲笑された祖国に慈悲を!』
すると“全世界”が支配からの自由を訴えかけるように平和共存のメッセージを叫びます。
『人間は自由であれ、歩き回るところ、住むところすべて、スヘルデの泡立つ流れのように』
フィナーレではふたたび「カリヨンの歌」が感動的に歌われ全曲の幕を閉じます。


§参考音源
・デ・フォホト指揮、王立フラームス歌劇場管弦楽団他
(1958年ライヴ録音)
Eufoda 1158
・ファラハ指揮、アントウェルペン・フィル他
(1977年ライヴ録音)
CBS 73697 (LP)

前者は録音が非常に古めかしくトランペットが派手にコケたりしますが、ライヴ感・祝祭的な気分は満点です。
これに比べると後者はいくぶん穏やかな表現ですが音質的にははるかに聴きやすいと思います。

「カリヨンの歌」は短く素朴ですがとてもキャッチーで心にしみるメロディです...まずはこの部分からご一聴を!


デ・フォホト指揮による演奏へのリンクはこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=CEoWft7jUsA
カリヨンの歌は29’50”付近(第2部)と47’50”付近(第3部)です。
posted by 小澤和也 at 01:49| Comment(0) | 音楽雑記帳