10〜20代の頃は熱心な「レコ芸」ファンでした。 初めて本誌を手に取ったのは中二の秋。(表紙が厳しい面持ちの巨匠カール・ベームだった) クラシックを聴き始めたばかりの“ブラバン少年K”には著名アーティストの居並ぶ新譜月評が、さらには往年の名演奏家の歴史的遺産を回顧する特集記事の数々が ”古典に触れそこから学ぶ“ うえでの良き指針となりました。 某有名評論家氏からの影響で「ベートーヴェンの交響曲はやっぱり奇数番がフルトヴェングラー、偶数番がワルターだよね」などと当時から生意気な口を叩いておりました。 そののち、音楽を “我が道” と定めたことをきっかけに「レコ芸」購読を敢えて封印しました...一つの ”けじめ“ だと当時の私は考えたのだと思います。 あれからさらに四半世紀が経ちました。昨年の「レコ芸」誌休刊の報は(薄々予感していたこととはいえ)やはりショックでした。久しく離れてはいましたが紛れもなくかつての自分の ”居場所“ のようなものでしたから。 そこへ立ち上がったクラウドファンディングの話題!微力ながら私も参加しました。 そしてきょう、この日。 デジタル端末の操作も覚束なく配信での音楽を未だ聴いたこともない私ですが、“ついて行ける” 範囲で永く愛読者でいようと思います。 「レコ芸ONLINE」のますますのご発展を願ってやみません。 |
2024年10月03日
「レコード芸術」雑感、レコ芸ONLINE創刊に寄せて
posted by 小澤和也 at 21:56| Comment(0)
| 日記
2024年09月28日
コーヒーショップにて
レッスンからの帰り道。 某大手コーヒーショップでブレンドを啜りながら原稿のチェックをしていたところ、店員さんから優しく声をかけられた。 『こちらの限定販売豆の試飲をしていただいているのですが...いかがでしょうか?』 勧められるままに、小さな紙カップに注がれたゲイシャブレンドをいただく。 作業の手を止められてしまったことにほんの少し苛立ちを覚えながらも、その店員さんの落ち着いたたたずまいとやわらかな話しぶりにもやもやはほどなく消え、ごく自然な流れで始められたセールストークを伺うことに。 『お味はいかがでしたか』 「以前にパナマゲイシャのシングルオリジンを飲んだことがあるんですが...確かにあの独特の香りと舌触りがしますね」 『いつもブラックでお召し上がりになるのですか』 「はい」 『どんな種類の豆がお好きですか』 「エチオピアのモカ系などよく飲みますがマンデリンも好きですね」 『マンデリン、私も好きなんです』 etc. 店内飲食では比較的よく利用するのだが、実はこの店の豆を買ったことはない。 パッケージが200g入りであること、そして[賞味期限=12ヶ月]という点が残念ながら僕を「その気にさせない」のだ。 『他の豆よりはお高いのですが...本日はセール価格になっております。いかがですか』 我が家にはいま未開封の豆が100gあり、きょう持ち帰っても持て余してしまうことになるのでその旨を正直に伝える。 すると ─ 『きょうお求めいただいて後日またお持ちいただければその場でお挽きすることもできますよ(ニッコリ)』 (なるほど、そういうことか) 「私はいつも敢えて少量ずつ買って、一杯淹れるごとに自分で挽いて飲んでいるんですよ(ニッコリ)」 『そうでしたか!コーヒー、とてもお好きなのですね』 「ええ、まあ...」 もう二言三言を軽く交わしたのち、 店員さん、にこやかに退出。 何やら妙に“通”ぶっているイヤミな客だと思われてしまっただろうか(苦笑) 店員さんとのやり取りはとても楽しかった。 (あの物腰の柔らかさと専門知識の豊かさはどう考えてもアルバイトではないな...商品開発部門のベテラン社員さんかもな...) などとぐるぐる考えてしまった。 豆が100g売りで焙煎日が明記されていたならば(もちろん大手では難しいだろう)買っていたかもしれない。 |
posted by 小澤和也 at 10:35| Comment(0)
| 日記
2024年09月18日
【ペーテル・ブノワ試聴記】3つの無言歌より「舟歌」
ペーテル・ブノワ作品の新譜を聴く。 「月の光に」 〜フランダースのロマン派ピアノ曲集 川口成彦(pf)、他 2022年リリースのCD。 (いずれ手に入れよう...)とのんびり構えていたら2年近く経ってしまった。 ブノワの作品は次の3曲。 ・舟歌 op.2-2 ・幻想曲第3番 op.18 ・幻想曲第4番 op.20 このうち「舟歌」が初めて聴く曲だ。 「舟歌」は1858年9月(ブノワ24歳)、留学先のベルリンにて作曲された「3つの無言歌 op.2」の第2曲。 (他の2曲には標題は付けられていない) 題名からはメンデルスゾーンが連想されるのだが、果たしてその通りのこぢんまりとした性格的小品。 op.2として3曲通して聴けたならばまた違った感興が浮かぶかもしれない。 2つの「幻想曲」、殊に第3番 op.18はおそらくすべてのブノワ作品中もっとも有名なものだと思う。 ↓この曲についての少し詳しい解説へのリンク↓ http://kazuyaozawa.com/s/article/190768135.html (小澤和也 音楽ノート) この他にもブノワはそのキャリア最初期にマズルカ、カプリチオ、スケルツァンドなどのサロン風小品を多く手掛けた。 当時多くの作曲家がそうであったように、ブノワもパリでの成功を目指していたのだ。 川口成彦さんの流麗かつ鮮烈なフォルテピアノ演奏は実に美しく、聴く者の心を震わす。 ブノワの全ピアノ作品を録音してくださらないだろうかと真剣に願うものである。 幻想曲op.18の第二中間部で見せた即興的パッセージには思わず(おおっ!)と声が出た。 その他の収録曲は以下の通り。 ・C.L.ハンセンス(1802-71) ピアノフォルテのための協奏曲 (作曲者による六重奏編曲版) ・J.ファンデルヘイデン(1823-89) フランダースのロマンスによる奇想曲 op.4 ・P.ファンデン=ベルへ(1822-85) 月の光に(即興曲) op.17 シンプルな旋律 op.29 サロン風マズルカ op.30 ピエ=ララ 〜 17世紀フランダースの流行歌によるピアノのための幻想曲 op.24 3名ともブノワより前の世代の作曲家である。 ハンセンスはブノワが「彼から管弦楽法と指揮のレッスンを受けた」として伝記に名前の挙がるモネ劇場の指揮者...彼の楽曲は今回初めて知った。 ファンデルヘイデンはパリでグノー、フランクら作曲を学んでいるそう。歌曲やオペラ作品からのパラフレーズや変奏曲など、主にピアノ曲を作曲。 そしてファンデル=ベルへ。 「裕福な家庭に生まれたアマチュア音楽家、自費出版で作品を発表」などという経歴を見て驚いたが、ヒラー、タールベルク、シュルホフら著名な音楽家への師事歴もあってもう一度びっくり。 ここに聴く作品はどれも心地良い響きで気楽に楽しめるものばかり...素晴らしいピアノフォルテの響きを優れた録音で味わえる愉しいアルバムだった。 |
posted by 小澤和也 at 20:30| Comment(0)
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2024年08月21日
ブノワを知る10曲 (5)
《スヘルデ》 完成: 1868年10月、アントウェルペン 初演: 1869年2月、フランセ劇場、 ペーテル・ブノワ指揮 出版: ペーテル・ブノワ財団 (アントウェルペン) §音楽学校の校長に 1867年、アントウェルペンに音楽学校が設立され、ブノワはその初代校長となります。この学校がフランデレン人のための、そしてフラマン語によって運営される組織機構となることを条件に彼は就任を受諾したのでした。(建国当初のベルギーでは政治・経済はもちろん教育・文化面においてもフランス語が支配的だったのです) §フランデレン運動、ヒールとの交流 このような社会情勢の中で、ブノワは作家で詩人のエマニュエル・ヒール(1834-99)と出会います。彼は文芸の分野におけるフランデレン運動 (フラマン語の復興を目指すムーヴメント) の旗手のひとりでした。 二人はすぐに意気投合し、ブノワは1866年、ヒールの台本によるオラトリオ「リュシフェル」を発表し賞賛を浴びます。次いで書かれたのがこの《全三部からなるロマン的・歴史的オラトリオ「スヘルデ」》です。 ブノワはその後もヒールの台本や詩に作曲し、二人の協同作業は長く続いていきました。 §オラトリオ「スヘルデ」 主な登場人物: 詩人、芸術家、青年、少女、フランデレン(ネーデルラント)史における実在の人物たち 第1部、その冒頭で響くゆったりとしたコラールのような和音進行がさっそく私たちの心を掴みます。 詩人がスヘルデを讃え、二人の若者が愛を語ります。そして船乗りたちの合唱が「出航だ!」と叫びます。 第1部を通して流れる明るくのびやかな音楽はブノワとヒールによる ”フランデレン民族への呼びかけ、励まし“ のように感じられます。 第2部は一転して戦いの場面の連続に...いわばフランデレン(ネーデルラント)の歴史絵巻のようです。 登場するのは次の人物(の霊魂)たち: ニコライ・ザネキン...中世、騒乱の時代の蜂起のリーダー ヤコブ・ファン・アルテヴェルデ...15世紀の政治家、自治都市連合の指導者 オラニエ公ウィレム...16世紀、スペインの圧政に対し立ち上がったネーデルラントの貴族 これらのテキストは泥臭くいささか国粋主義的でもありますが、ブノワの音楽はほんとうに素晴らしい! アルテヴェルデのアリアは全曲中の白眉ですし、ウィレム沈黙公の歌う旋律はのちに “Het Lied der Vlamingen (フランデレンの歌)“ と名付けられ現在でも親しまれています (ヒールが新たに詞をつけました)。 第3部では詩人および芸術家による哲学的なバラード、二人の恋人の愛の歌、そしてフランデレンの人々 (船乗り、漁師、貿易商etc.) のうたうスヘルデへの感謝の歌が絡み合いながら進んでいきます。 やがて聖堂の鐘が鳴り響き、大編成の合唱によって上記オラニエ公のテーマが朗々と歌われ大団円となるのです。 『愛の川スヘルデ、皆の恩恵のために流れよ、自由の祖国ネーデルラントを!』 §追記 ドナウやヴルタヴァ(モルダウ)もそうであるように、”川“ というものはやはりアイデンティティの象徴たり得るのだなと改めて感じます。 オラトリオ「スヘルデ」の物語と音楽について詳しくまとめた記事へのリンクです。 少し長いですが、ご興味がありましたらぜひご覧くださいませ。 その1 その2 その3 その4 その5 【参考音源】 ・フラス指揮、BRT交響楽団&合唱団他、ヘンドリクス(sop)、ドゥヴォス、デュモン(ten)、フェアブリュッヘン、ヨリス(bar)、フィッセル(bas) (1966年録音) Eufoda 1021 (LP、2枚組) ・ブラビンス指揮、ロイヤル・フランダース・フィル、フランダース放送合唱団、オランダ放送合唱団、ファン=ロイ(sop)、ファン=デル=リンデン、ファン=デル=ヘイデン(ten)、ファン=メヘレン、ベリク(bar) (2013年ライヴ録音) Royal Flemish Philharmonic RFP009 (CD、2枚組) 長い間、フラス指揮のレコードが入手可能な唯一の音源でした。2014年にブラビンス指揮による新しい録音がリリースされ、素晴らしい音質でこの大曲を聴くことができるようになりました。 フラス指揮による演奏へのリンクはこちら↓↓ (アルテヴェルデのアリアは41’40”〜から) |
posted by 小澤和也 at 17:13| Comment(0)
| 音楽雑記帳
2024年08月17日
ペーテル・ブノワ 生誕190年
きょう8月17日は フランデレンの作曲家ペーテル・ブノワ (1834-1901) の誕生日。 ブノワって...誰? 皆さんきっとそう思われることでしょう。 世代としてはドイツ・ロマン派の巨匠ブラームス (1833-97) とほぼ同じ、またベルギー生まれという点ではセザール・フランク (1822-90) と同郷。 (もっともフランクはパリで活躍したワロン人ですが) §ベルギー・フランデレン地方の小都市ハレルベーケ生まれの作曲家・教師。ブリュッセル音楽院にて学ぶ。1857年、カンタータ『アベルの殺害』でベルギー・ローマ賞受賞。ドイツおよびボヘミアに留学、そののちオペラ作曲家を志しパリへ出るも成功せず、ブリュッセルへと戻る。 § 1867年アントウェルペンに音楽学校を設立、フラマン語 (ベルギーで話されるオランダ語) による音楽教育の確立のために尽力する。 (当時ベルギー国内では政治・経済・文化等あらゆる面でフランス語とその話者が優位であった) この学校は1898年王立音楽院として正式に認められる。1893年、フランデレン歌劇場を設立。1901年アントウェルペンにて死去。 § ブノワはその後半生を母国語での音楽教育に捧げたため、没後はナショナリストのレッテルを貼られてしまう。また教育者としてのイメージが先行し、ベルギー国内ですら「誰もが名前は知っているけれど作品は知らない」という状況である。 § 実際、彼の中期以降の作品には劇音楽『ヘントの講和』、カンタータ『フランデレン芸術の誇り』(別称: ルーベンスカンタータ) やいくつかの子供カンタータなど、啓蒙的・教育的な作品が多い。そしてテキストにフラマン語を用いているため国外ではまず演奏されない。 § しかしブノワの作品はそれだけではない。20〜30代に書かれた『宗教曲四部作』、『フルートと管弦楽のための交響詩』、ピアノ曲集『物語とバラッド』などナショナリズムの色眼鏡にとらわれることなくもっと広く聴かれてよい佳品も多い。 昨年、『荘厳ミサ』(上記『宗教曲四部作』の第二作) を東京で上演しました。 ↓そのときのブログ記事がこちら↓ http://kazuyaozawa.com/s/article/190580476.html みなさまにもペーテル・ブノワとその作品を知っていただけますよう願ってやみません。 そしてそれが実現するよう、これからも発信を続けていきたいと思います。 |
posted by 小澤和也 at 07:32| Comment(0)
| 日記