2010年02月16日

ブノワ(2):ブノワの生涯[1]

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ペーテル・ブノワ(Peter benoit)は、1834年8月17日、ベルギー・フランドル地方南西部のハレルベケに生まれた。
【ネーデルランドから独立し、ベルギー王国が成立したのが1830年の
 ことである。それまでこの地域は数百年にわたり、スペイン・オー
 ストリア・フランスなどの支配下にあった。】
フランドルはオランダ語圏であるが、当時のベルギーはフランス語を用いる少数のエリートの支配が優位を占めていた。
そしてフランドル地域は政治的、また文化的にも軽視され、疲弊していた。
若き日のブノワもやむなくフランス語で手紙を書き、自らの名前をフランス風にPierre(ピエール)と綴っていた。

1851年、首都ブリュッセルの王立音楽院に入学、F-J.フェティスらに作曲を学ぶ。
当時のブノワはかなり厳しい経済的状況にあったようである。
卒業後もブリュッセルに留まり、1857年、カンタータ「アベルの殺害」でベルギーのローマ大賞を受賞、ドイツ主要音楽都市への留学を認められた。
【「アベルの殺害」のテキストはフランス語である…当時の政府によ
 って約定されていた】
彼はドレスデン、ライプツィヒ、ミュンヘンに滞在、またベルリンではこの頃に作曲の「アヴェ・マリア」が演奏された。
この作品は二重合唱で書かれている…ブノワはこの美しい小品に「作品1」の番号を与えた。
そしてこれが、彼の作曲家としてのキャリアの本格的なスタートであった。

(つづく)
posted by 小澤和也 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽雑記帳