2010年02月22日

ブノワ(3):ブノワの生涯[2]

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([1]からのつづき)

1857年からのドイツ留学中、ブノワはさらに「弦楽四重奏曲」「クリスマスカンタータ」、そして多くのピアノ曲を作曲した。
クリスマスカンタータ」は、テノール独唱、混声合唱と管弦楽のための、9分ほどのチャーミングな作品である。
ここでは二重合唱は用いられていないが、ところどころ女声合唱と男声合唱が対になるような構成となっている。
また、「スケルツァンド」「マズルカ」「幻想曲」などと題されたピアノ小品は、まさに "ショパン風" のサロン音楽そのものである。

ブノワにとっての次のステージはパリであった。
この「音楽の都」で、オペラ作曲家としての地位を確立させたかったのだ。
  【留学中に家族へ宛てた手紙の中でも、早くパリへ行きたい
   と記している。また、当時すでにいくつかのオペラを完成
   させていた。】
1859年春、パリ到着。
グノーのヒット作「ファウスト」がパリ・リリック劇場で初演された数週間後のことであった。
…だが、必死の努力にもかかわらず、ブノワはついにこの街のオペラ・シーンを征服することはできなかった。

それでも彼はいくつかのオペラを書き、その合間に連作ピアノ曲「物語とバラッド集」を作曲する。
  【この作品は大いに注目され、後年パリで出版された。】
ブノワはさらに、各楽章に標題を持つ「フルートと管弦楽のための交響詩」「ピアノと管弦楽のための交響詩」を発表した。
これら3曲はいずれも、彼の故郷ハレルベケの古い伝説や物語が発想の源となっている。
…彼はこれら2つの交響詩と「物語とバラッド集」とを、一晩の演奏会で一緒に演奏して欲しいと望んでいた。

(つづく)
posted by 小澤和也 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽雑記帳