2010年03月31日

ブノワ(8):荘厳ミサ[2]

〜Hoogmis(荘厳ミサ)のつづき〜

[グローリア]
Snel doch statig(速く、しかし荘重に)ニ長調 4/4拍子

これまでの多くのミサ曲の慣例に従い、三つの部分に分けられる。
まず、キリエと同様、前奏を持たずにいきなり「神に栄光あれ」がffで現れる。
この主題は、トランペットのファンファーレのように直線的で力強い性格のものだ。
ここでの大小合唱は、あるときは掛け合い、またあるときは一体となって、神への賛美を歌う。
次の「地には平和」は
「・・ドー|ーシレソ|ミ…」というしなやかな音型(2度下行→3度上行→5度下行→6度上行)で歌われ、冒頭の男性的な主題と絡みながら進んでゆく。
「あなたに感謝を捧げます」に入る所で、唐突にニ長調から変ロ長調へと転じ、それと同時に新しい「コラールのフラグメント(断片)」が鳴り響く。
このフラグメントは、
「ドーーー|レーーー|・ミファミ|レーーー|ド…」と、シンプルで大らかなもので、大合唱と金管楽器により奏される。
これを巧みに展開し、変ロ→変ト→ニ→変ロと転調を繰り返した後、「全能の父」の部分では大小合唱が無限に続かんとばかりに延々と応酬を重ねる。
そしてニ長調に戻り、これまでの主題を扱いながら「主なる神、神の子羊、父の御子」と歌い、第一部分を結ぶ。


Gaande(アンダンテ)ト長調 3/2拍子

第二部に入ると管弦楽は沈黙し、アカペラの二重合唱となる。(オルガンが下支えの形で加わる)
ここでは大小合唱の掛け合いのみならず、女声/男声の交唱、さらには小合唱がSolo/Tuttiの形で立体感を持たせるなど、ブノワの創意工夫が発揮されている部分である。
バスがやや速度を落として歌う荘重なフレーズと、それに対応するかのような小合唱(Solo)の情感豊かなメロディの対比が美しい。


Eerste Tijdmaat(最初の速度で)ニ長調 4/4拍子

「あなただけが聖なる方」以降、第一部分の楽想が再現される。
最後は速度を減じ(Breed en krachtig=幅広く、力強く)、コラールフラグメントの音型によって「アーメン」が堂々と歌われる。
(つづく)
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2010年03月30日

ブノワ(7):荘厳ミサ[1]

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僕が好きなブノワの曲について、これから少しずつ書いていきたいと思う。
最初に取り上げるのは…やはりこの曲だ。

§Hoogmis(荘厳ミサ)【宗教曲四部作〜第2曲】
・作曲/初演 1860年、パリ/1860年7月、ブリュッセル
・演奏時間  約55分
・編成    フルート2、オーボエ2、クラリネット2、バスーン2
       ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ
       ハープ1、弦五部、オルガン
       テノール独唱、二重合唱(大、小)

[キリエ]
Tamelijk breed(かなり幅広く)ニ短調 3/4拍子

冒頭、男声合唱がppで歌う「主よ、憐れみたまえ」で神秘的に始まる。
所々、小合唱の応答がエコーのように響く。
管弦楽のクレシェンドに導かれた後、第一の主題が小合唱により歌われ、大合唱がそれに応える形となる。
この主題、
「・ミファ|ファーミ|レ#ーミ|ミーー|〜」(移動ドにて表記)
と、半音階進行のみによるメロディである。
苦悩、葛藤、あるいは憐れみの希求の表現であろうか。

平行調であるヘ長調に移り「キリストよ、憐れみたまえ」の中間部へ。
慰めるような、柔和な第二の主題が大合唱により最弱音で歌われ、そこに流麗な小合唱の対旋律がからむ。
さらに、ここでの小合唱は四声で技巧的なカノンを形成し、素朴な第二主題とは対照的である。
この中間部、真に心にしみるひとときである。

クライマックスに達したのち急速に静まり、第一主題部が回帰。
最後は序奏部の気分に戻り、消え入るように終わる。
(つづく)
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2010年03月28日

「小町」公演、そしてその前に…

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そして「小町」公演当日(3/26)。
午前中は部屋で英気を養いつつ、読譜をして過ごす。
正午きっかりに宿を出る。
途中で昼食をすませ、向かった先は劇場…
ではなく、その隣にある茨城県近代美術館。
折しもアントワープ美術館コレクション展が開催されていたのだ。
マグリットをはじめとするベルギーの近代絵画の数々…
平日の昼間ということもあり客足もまばら、ゆっくりと落ち着いて作品を味わう。
中でも印象に残ったのはアンソール「待ち合わせ」、フレデリック「咲き誇るシャクナゲ」、そしてやはり、この展覧会のおそらく目玉であろうマグリット「9月16日」…といったところか。

心身ともに大いにリフレッシュして、劇場に入る。
照明・舞台・音楽…周到な準備が開場直前まで続く。
そして開演。
小野小町(他)役の腰越満美さん、深草少将(他)役の上原正敏さん、仙人(他)役の吉川健一さん、阿鼻役の清水良一さん、閻魔大王役の豊島雄一さんらキャストの皆さん、素晴らしかった。
合唱団も熱演。オーケストラの好サポートも光る。

終演後の合唱団の皆さん、世話役の方々の達成感に溢れた笑顔が実に印象的であった。
お疲れさまでした…
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2010年03月26日

横浜→水戸 その2

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あいにくの雨となった木曜日…
横浜国立大学の卒業式へ。
会場の横浜文化体育館は、オーケストラにとっては苛酷な条件である…
響きもそうだが、とにかく寒いのだ。
それでも無事に演奏を終える。
来週の入学式は晴れるといいな…

急ぎ水戸へと入る。
「小町百年の恋」、いよいよ劇場入りだ。
場当たり稽古、サウンドチェックと進み、ゲネプロ開始。
前日の音楽稽古時とはまた異なる問題をひとつひとつクリアしてゆく。
オーケストレイションの変更・改善も続いた。

まもなく公演だ。
聴衆に、そして公募合唱団の皆さんにも感動を届けたい。
posted by 小澤和也 at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月24日

横浜→水戸

午前、横浜国立大学管弦楽団とのプローベ。
明日の卒業式&翌週の入学式における式典演奏のための稽古である。
彼らとはここ数年、ずっとご一緒している。
曲目は恒例のエルガー/威風堂々。
よく練習しているようで、指も良く回る。
そこに "+α" として何を加えれば良いか…
今日のテーマは「音色」そして「響き」。
旋律線のみならず、あらゆるセクションに音のイメージを与えてゆく。
佳い音になってきた。
明日、成果を存分に発揮できることを願う。

急ぎ水戸へと移動。
横浜、上野、水戸、すべての駅で走る走る…
「小町百年の恋」オーケストラプローベ、そして独唱&合唱との総稽古。
バランスチェックからオーケストレイションの推敲まで、あらゆる作業を行う。
あとは明日のゲネプロ、明後日の本番を残すのみだ。
すべてにベストを尽くし、公演に備えたい。

今日は横浜泊。
特急の車中で飲むビールが美味い。
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2010年03月22日

富士山

母校、東京農工大学へ。
グリークラブの演奏会に向けての稽古が今年も始まった。

今回は第30回ということで、男声OBにもご参加いただく形での記念ステージが予定されている。
演奏曲目は、多田武彦/男声合唱組曲「富士山」。
グリー経験者ならば誰でも一度は歌ったことがあろう、名曲中の名曲だ。

練習会場には現役生から若手OB、さらには僕の先輩、大先輩に当たる方々まで、およそ40名のメンバーが勢揃いした。
期待に胸躍らせながらタクトを下ろす…
男声特有の厚みのある、倍音豊かな響きが会場を満たしていく。
メンバーの生き生きとした表情が嬉しい。
大学サークル、そして音楽そのものを媒体として、こうして世代を超えて一つの作品を創り上げることができる喜びをひしひしと感じる。
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2010年03月19日

ブノワ(6):J.デウィルデさん

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ペーテル・ブノワと僕を結び付けた二つの存在…
まず "Hoogmis"(荘厳ミサ)を初演した長岡市民合唱団、
そして…この演奏会に際して来日したベルギーの音楽学者、ヤン・デウィルデさんである。

デウィルデさんはとても気さくな方だ。
初対面の日、僕は覚えたばかりのオランダ語で話しかけた。
"Goedenavond!…Mijn naam is Kazuya Ozawa. Ik ben dirigent."
彼は一瞬驚いた顔をしたあと、にっこりと微笑んだ。
「君はオランダ語ができるのかい?」
「いえ、これで全部です」
ここから先はすべて英語でのやり取りであった。

演奏会終了後のレセプションにて…
僕はブノワのスコアを持って彼にサインを求めた。
彼はそこにメッセージを書いてくれた。
「日本で君のような、ブノワについて識っている人に会えて嬉しい」

デウィルデさんとは現在も交流が続いている。
初期のモテット集やレクイエム、さらに大作「戦争」の楽譜など、彼からは多くの研究資料をいただいた。
彼は(かつてブノワが設立した)王立アントワープ音楽院の音楽資料館長でもあるのだ。
先だってこのBlogに載せたブノワの生涯についての小文も、デウィルデさんの著作を参考に纏めたものである。

ブノワは日本ではほとんど知られていないが、"Hoogmis" を含め素晴らしい作品を数多く遺している。
これから、それらを少しずつ紹介していきたいと思う。
posted by 小澤和也 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽雑記帳

2010年03月17日

Dekopon

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初めてデコポンを食べる。
大きな箱を抱えて、訪問販売の若者がやってきた。
普段は、そのテの来訪者にはめったに応対しないのだが、昨日は何となく「そんな気分」だったのだと思う…
いくつか買い求め、食後に食べてみた。
「美味しい!」

デコポンは冬〜翌春が旬。
糖度が高いのが特徴なのだとか。
これまで、柑橘類=酸っぱいという感覚しかなかったのだが…
僕の中で少しだけ印象が変わった気がする。

ちなみに、英語の名称も "Dekopon" で通用するそうだ。
posted by 小澤和也 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月14日

記憶

茅ヶ崎交響楽団の弦楽分奏稽古へ。
本番を3週間後に控え、残された難所のさらい込みを徹底する。
演目はラフマニノフ「交響的舞曲」とドヴォルザーク「新世界」。
特にラフマニノフは難曲だ。
さらなる「前進」に期待する。

メンバーの健闘を祈ろう。


稽古前、17時過ぎ。
鈍くて緩い、眩暈にも似たかすかな揺れを感じた。
即座に3年前の記憶が蘇った〜中越沖地震だ。
(あの時、僕は演奏会場の楽屋でこれと全く同じ感触に遭遇したのだった)
嫌な予感がしてケータイを開く。
「福島県沖で震度5弱」とあった。
大きな被害の無いことを願うばかりである。
posted by 小澤和也 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月13日

佳境の「小町」

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「小町」水戸での立ち稽古へ。
今日の稽古場は水戸芸術館のすぐそばにある施設だった。
いつもの成人合唱団に加え、今日の稽古には子供達も参加。
村の古老から昔話を聞く場面、茨城に伝わるわらべうたを歌いながら仲良く遊ぶ場面など、大活躍だ。
歌も台詞もよく仕上がっている。

思わずハッと胸を打つ瞬間があった。
終幕の大詰め、舞台後方に並ぶ合唱団がすっと動く。
すると…
それまでただ整列しているだけのように見えていたのが、何組もの「家族」の姿となったのだ。
そして、それぞれの「家族」がゆっくりと前へ進んでいく…
とても美しい情景であった。

この、ほんの十数秒の動きになぜこれほど惹かれたのか。
自分でもわからないのだけど…


【画像:夕方、稽古場の建物の4階から見た水戸芸術館のアートタワー】
posted by 小澤和也 at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月12日

私の愛聴盤(4)

§シューマン/交響曲第4番
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリンフィル('53年録音)

これはあまりにも有名な指揮者による有名な演奏なので、挙げるのをやや躊躇ったのだけれど…
やはり「好きなモノは好き」ということで。

音楽は「再現芸術」である、とよく言われる。
以前、ある人の言葉として
「作曲が "創造" 芸術だとすれば、演奏は "追創造" である」
といった意味合いの文章を本で読んだ。
単なる「楽譜の機械的再現」では決してないのだ、と…
その時は、改めて「目から鱗」の思いであった。

フルトヴェングラーのこのシューマンは、まさに「追創造」そのものだと思う。
これは僕の勝手な想像だが、おそらく作曲家が考えた以上に暗く、激しく、そして甘美な演奏がここに繰り広げられているように感じる。
このうえなくドラマティック、かつチャーミングなシューマンだ。
冒頭、序奏から主部へ流れ込む際のうねるような弦楽器。
憧れをもって、あるいは救いを求めるかのようにこの楽章が力強く終わると…
次に待っているのはオーボエとチェロの静かな、涙の無い悲しみ…その後は独奏ヴァイオリンによる甘い慰め。
第三→第四楽章のブリッヂではトロンボーン、ホルン、そしてトランペットが天からのお告げのように響き渡る…

一人の指揮者が、自身の透徹した音楽的意図をオーケストラに余すところ無く伝える。
オーケストラは一体となって、最大限の力をもってそれに応えていく。
僕にとっての理想であり、究極の目標なのである。

追記)
このレコードはフルトヴェングラーの、さほど多くないスタジオ録音であるが、中断なしの通し演奏、一切の切り貼り編集なしということだ。
posted by 小澤和也 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2010年03月09日

ブノワ(5):ブノワの生涯[4]

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([3]からのつづき)

アントワープ音楽学校において、ブノワは熱心な教育活動を展開してゆく。
母国フランドルの言語(=オランダ語)と民謡…これら2つが彼にとっての中心的概念であった。
その傍ら、オラトリオ「スヘルデ川」を1869年に作曲。
そしてこの頃より、彼のナショナリストとしての着想が作品に現れてくる。

1870年代前半には、非常に独創的・革新的な2つの作品が書かれた。
不戦主義的オラトリオ「戦争」、そして風変わりな連作歌曲集「愛の悲劇」である。
「戦争」は三管編成の管弦楽と大小3群の混声合唱、および4人の独唱が加わる巨大な作品である。
(それゆえ滅多に演奏されない)
「愛の悲劇」では、鋭い不協和音と奔放なリズムが聴くものの胸を引き裂くようである。

1870年代半ば以降、ブノワの作風はさらに変化を遂げる。
ブノワはより大衆的な音楽を書くようになり、彼の作品は野外での上演のための大規模なカンタータがその中心となってゆく。
彼が目指したものはフランドル人のアイデンティティの再創造であり、そのために偉大な歴史的人物や事象が題材となった。
そして作品を通して、平和と幸福をもたらす人類の創造力への讃歌が歌われたのだった。
ブノワは作品の中で、理解しやすい音楽形式、多くのユニゾン(斉唱)、そして色彩的なオーケストレイションを用いた。
その最も成功した例が「ルーベンス・カンタータ」であろう。
  【ルーベンス…17世紀フランドルの画家。バロック絵画の巨匠と
   称されている。アニメ「フランダースの犬」の中でネロ少年が
   ずっと見たがっていた十字架上のキリストの絵画は彼の作品で
   ある。】
このカンタータは合唱、大管弦楽に直管トランペット(アイーダ・トランペット)およびカリヨン(アントワープ・ノートルダム大聖堂の塔上にて奏される)が加わるという、壮大なスケールで上演された。

ブノワは1893年にフランドル歌劇場を設立する。
そして1897年、彼の音楽学校は王立音楽院として正式に認められた。
首都ブリュッセルの音楽院と、ついに肩を並べたのであった。

1901年3月8日、ペーテル・ブノワ死去。
あのジュゼッペ・ヴェルディが亡くなった数週間後のことであった。

(了)
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2010年03月07日

「小町」の里

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「小町百年の恋」今回の公演の地、水戸での立ち稽古へ。
「水戸」と言えば、やはり「梅」だろうか。
(納豆は大の苦手である…)
行きの特急スーパーひたちも、一つ手前の偕楽園駅に臨時停車する。
外はあいにくの雨模様だったが、窓越しの梅は可憐に花をつけていた。

地元公募の「小町」記念合唱団中心の稽古は、和気藹々とした中にも緻密な空気感を含んだものであった。
演出・十川先生の妥協を許さない要求と、それに応えようとするメンバーの熱意…
こだわりをもって、細部を繰り返し練習する。

 「繰り返しのための繰り返し」に陥らなければ、集中力は途切れない。

今日は十川先生のお誕生日なのだそうだ…
ということで稽古の合間に、サプライズでバースデーケーキが登場!
演出助手Tさんによるおしゃれな計らいであった。
一同の歌う "Happy Birthday" も色を添える。

公演まであと19日。
posted by 小澤和也 at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月05日

ホームグラウンド

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今日は快晴。
金曜日の恒例、合唱団あしべの稽古へ。
5月下旬に行われる、地元江戸川区のイベントで歌う曲が出揃った。
これまで稽古してきたドイツ歌曲集に加えて、日本の唱歌より「茶摘」「夏は来ぬ」を今日から取り上げる。
この2曲、あしべが歌うのは数年ぶりだったが、合唱組曲や外国の曲をさらう時とはどこか違うメンバーの表情がうれしい。

日本の歌はやはり「ホームグラウンド」なんだな…と改めて感じる。


帰り道に寄ったカフェで、ちょっと変わったことがあった。
レジ係の店員さん曰く、
「マシンが故障したので、申し訳ありませんがホットドリンクがお出しできません」と!
カフェでコーヒーが飲めない?!

 来店客一人ひとりに謝るのも大変だろうな…
 それでも臨時休業しないのだからタイシタモノだな…

余計なお世話だろうが、いろんなことを考えてしまった。
滅多にオーダーしないアイスコーヒーをいただく。
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2010年03月03日

私の愛聴盤(3)

オーケストラ曲が続いたので、今回は…

§フォーレ/レクイエム
 ミシェル・コルボ指揮ローザンヌ声楽&器楽アンサンブル 他('92年録音)

中学〜高校生時代を吹奏楽一筋で過ごした僕だったが、どういう訳か大学で合唱を始めることに…。
そこで初めて歌った本格的な宗教曲がこの「フォーレク」である。
当時、勉強のためにいろいろなレコードやCD(ようやく出始めた頃だった)を聴いた記憶がある。
世評の高いコルボ旧盤、クリュイタンス盤ももちろん聴いた。
指揮者とソプラノ歌手のネームヴァリューに惹かれて買ったあるCDは、録音のせいか合唱のppがほとんど聞こえず…ガッカリ。

それから数年後、音楽雑誌の新譜情報で見つけたのがこの盤である。
まず「イントロイトゥス(入祭唱)」における、合唱主体の美しい響きに感動!
音楽の運びも実に自然で、「オッフェルトリウム(奉献唱)」などはさらさらと、悲しいほどに穏やかに流れていく。
「ピエ・イエズ(慈悲深きイエスよ)」のソプラノがまた素敵だ。
透明感にあふれていながら、それでいて芯のある大人の女性の声…
こういった声のほうがボーイソプラノよりはこの曲に相応しいと、私は思う。
〜そして「イン・パラディスム(楽園にて)」が消え入るように終わる。
あとに残るのは…静かな感動。
心が浄化される思いだ。

僕にとっての「理想の歌声」のひとつである。
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2010年03月01日

ブノワ(4):ブノワの生涯[3]

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([2]からのつづき)

留学期間が過ぎた後もパリに留まるため、ブノワは1862年、ブフ・パリジャン劇場(オッフェンバック主宰のオペレッタ劇場)の指揮者となる。
またブノワは、「荘厳ミサ」「テ・デウム」「レクイエム」をパリ滞在中に作曲した。
  【これらの作品にはいずれも二重合唱が用いられている。
   このスタイルは、ブノワの作風の大きな特徴のひとつと
   いってよいだろう。】
彼はこれら3曲にドイツ留学中の作品「クリスマスカンタータ」を加え、「宗教曲四部作」とした。
「四部作」はパリでは演奏されなかったが、ブリュッセルでは好評をもって迎えられ、この成功により、ブノワはベルギー音楽界における「最も有望な作曲家」として注目を浴びる。

1863年秋…パリでの成功への希望を持ち続けながらも、ブノワは祖国へと戻ったのだった。

ベルギーに帰った後、「音楽における民族主義」に対するブノワの思いは次第に形を成してゆく。
  【当時、国内においてはフランドル地域ならびにフランドル
   語の権利回復運動が大きく推進されていた。】
またこの頃より、この運動の主唱者の一人でもある詩人のエマヌエル・ヒールとの交流が始まる。
1866年に作曲されたオラトリオ「リュシフェール」は、ベルギー国内における彼の名声をさらに高め、この作品はフランドル音楽史のマイルストーンの一つと評された。
翌1867年、教育のための言語として[フランス語でなく]オランダ語を用いる音楽学校がアントワープに設立される。
そして…
同市評議会によって33歳のブノワは校長に任命されたのであった。

(つづく)
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