2010年04月30日

フィガロの結婚

CANTOオペラ道場の「フィガロ」公演を聴く。
(29日、川崎市高津区)
主宰でソプラノの松本潮子さんはじめ、ご一緒したことのある歌い手さんが大勢登場。
マエストロは先日の「小町」でお世話になった平井秀明さんだった。

今日の公演、なかなか楽しめた。
各配役の性格描写が明瞭で、「偉い貴族が家来達の機転によってとっちめられる」という痛快なストーリー展開が、彼らの表情・所作・台詞回しの中から自然と伝わって来る。
実際(字幕があるとはいえ)、原語上演にもかかわらず、客席からはたびたび笑い声があがるほどであった。

そして音楽は…
ケルビーノのアリア、フィガロとスザンナのやり取り、スザンナとマルチェリーナの応酬など、素敵なナンバーを聴くことができた。
全幕を聴き終えて改めて感じたのは、
「モーツァルトでは一切のゴマカシが利かない」ということ。
リズムも和声もいたってシンプル、そのシンプルさの中に美しさがビルトインされているモーツァルトの音楽は、純粋に「響き」で聴かせるしかないのである。
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2010年04月28日

演奏会のごあんない

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近く開催される演奏会のごあんないです。

§ホルツ・ブラス・カペーレ 第35回定期演奏会
 日時…2010年6月19日(土)15時開演予定
 会場…横浜市栄区 栄公会堂(JR根岸線本郷台駅下車)
 曲目…リード/序曲「春の猟犬」、ホルスト/第2組曲 他
 出演…小澤和也(指揮)

♪長年ご一緒している横浜の吹奏楽団です。


§東京農工大学グリークラブ 第30回記念演奏会
 日時…2010年7月4日(日)15時開演
 会場…練馬文化センター小ホール(つつじホール)
 曲目…多田武彦/「富士山」、信長貴富/「うたを うたう とき」他
 出演…小澤和也(指揮)、宮代佐和子(pf)

♪記念ステージではOB、OGの皆さんとの合同演奏をします。


皆さま、ぜひお運びください。
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2010年04月27日

Magic桜

〜我が家では今も桜が満開〜
もちろん本物の桜の話ではない。

厚紙でできた木の幹を立体的に折りつつ組み立てる。
それを丸いお皿のセンターに立てて、
上から謎の液体をかける。
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そのまま一日置くと…

はいっ、この通り!
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商品名は「Magic桜」。
Made in TAIWANと書いてあったような…

おそらく、枝(厚紙)にも薬品が染み込ませてあるのだろう。
どういう理屈でこうなるのかは分からないが…
枝がだんだんと色づいていく様子は、見ていて楽しかった。

もう一週間経つが、いまだに元気である。
(直射日光と風に当てないのが長持ちのコツらしい…)
「ローテク」なおもちゃだけれど、不思議と心がなごむ。
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2010年04月25日

チャイ4

久しぶりの茅ヶ崎へ。
長年ご一緒している茅ヶ崎交響楽団の合奏稽古。
今回はチャイコフスキーの第4交響曲を中心としたプログラムである。
「第3」から大きな飛躍を遂げたこの作品、僕は大好きだ。
特に、お得意の憂鬱なチャイコ節全開の第一楽章、そして弦・木管・金管のコントラストが楽しい第三楽章がいい。
(フィナーレの底抜けの熱狂も痛快だが、途中少し密度の薄い箇所があるような気がする)
〜そう、この曲は前半二楽章が重厚で暗く、後半に入ると突然明るい。
ベートーヴェンの「エロイカ」に似てるなと、ふと思った。
(そういえば、「前作からの大きな飛躍(第二→第三)」という点でも共通しているか…?)

不順な天候のせいか分からないが、喉を痛めたようで声が出ない。
養生しなければ…!
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2010年04月22日

瀧廉太郎の「四季」

瀧廉太郎(1879-1903)作曲
組歌「四季」

明治33(1900)年出版。
彼自身の筆による序文には、学校唱歌などよりも芸術的に高度な、また西洋歌曲に日本語の歌詞を当て嵌めただけのものでもない、詞と音楽が高い次元で融合した歌曲を目指した、とある。
またこの組歌は、日本で作曲された最初の合唱曲であり、この作曲家の傑作の一つであるとされる。
「組歌」とされているが、後述のように4曲すべて演奏形態(編成)が異なっているのも特徴であろう。


「花」…作歌 武島又次郎

有名な「春のうらゝの隅田川…」で始まる、二部合唱とピアノのための作品である。
歌詞は3番まであり、それぞれの旋律は素材としては同じものであるが、巧みに変形を施され、単なる繰り返しに陥ることはない。
Allegro moderato、2/4拍子。
歌集などでよく見かける楽譜ではト長調になっていることが多いが、全集版では長二度高いイ長調で書かれている。
また、原稿では「花盛り」というタイトルだったそうである。


「納涼」…作歌 東くめ

夏にちなんだ独唱歌曲である。
詩は6行+6行の構成だが、瀧の音楽はA-B-Aの三部形式をとるため、4行×3部分に分けられている。
(2行毎のまとまりを持って書かれているため、あまり違和感は無い)
Allegretto grazioso、6/8拍子。
第一部分はイ長調、軽快なピアノの右手のリズムに乗って、
「ひるまのあつさの なごり見せて/ほのほぞもへたつ ゆふべの雲に/〜」
と歌われる。
第二部分(中間部)はイ短調に転じ、速度もUn poco lento となるが、旋律は第一部分のそれから派生したものである。
「やけたるまさご路 いつかひえて/しほかぜ涼しく 渡る磯を/〜」
伴奏音形もよりレガート的となり、前段との対比を見せる。
最後は属和音上に終わり、それが解決しつつそのまま第三部分に入る。
第三部分は概ね第一部分の再現であるが、調性的に若干の変更があるとともにダイナミクスにも変化を持たせて、完結感を明瞭に出している。
「すゞみに来しかひ ありそ海の/波にも戯れ 月にうたひ/〜」
この曲も、原題は「海辺の納涼」だったとのこと。


「月」…作歌 瀧廉太郎

Andantino、6/8拍子、ハ短調、無伴奏混声四部合唱。
秋のもの憂い感情を歌った作品である。
ここでは詩をすべて掲げる。

 ひかりはいつも かはらぬものを
 ことさらあきの 月のかげは
 などか人に ものを思はする
 などかひとに ものを思はする
 あゝなくむしも おなじこゝろか
 あゝなく虫も おなじこゝろか
 こえのかなしき

3&4行目、5&6行目は実質的に同じ言葉であり、音楽も1&2、3&4、5&6行で各8小節のまとまった楽節を持つ。
そして最終行「こえのかなしき」だけは独立して扱われ、2小節の短いフレーズとなる。
そして、最後の音は第三音が半音上げられ、ハ長調の和音となってこの曲を結ぶ。
瀧が目指した「詩と音楽の一致」の効果をもっとも強く感じる箇所のように僕には思える。
なお、この曲はのちに山田耕筰が独唱曲に編曲している。
(タイトルも「秋の月」と変えられている)


「雪」…作歌 中村秋香

Andante、4/4拍子、変ホ長調、混声四部合唱。
この曲の最大の特徴は、伴奏楽器としてピアノと共にオルガンが用いられている点であろう。
2小節の前奏は、モーツァルトの珠玉のモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」そっくりである。
また、この詩の終わり二行は
「あはれ神の仕業ぞ/神の仕業ぞ あやしき」
であり、両者の深い関連を感じさせる。
(同年、瀧が教会で洗礼を受けていることも忘れてはならないだろう)
旋律と和声は賛美歌のように穏やかに流れてゆく。
オルガンの響きも実に効果的である。
中盤、バス→テノール→アルト→ソプラノの順に単独で旋律を担う。
フェルマータの後、全合唱の最強音で前掲の詩が歌われ、伴奏ピアノの力強い低音のトレモロで曲を閉じるのである。


全4曲で10分足らずの小品であるが、実に味わい深い名曲だ。
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2010年04月19日

「四季」の音楽

「四季」から連想される音楽といえば…?

筆頭はやはり「ヴィヴァルディ」のヴァイオリン協奏曲集ということになろうか。
クラシック音楽への入門曲のような存在だが、その平明さと屈託のない朗らかさはたしかに魅力である。
趣向をこらした新しい解釈の演奏が流行っているが、僕のお気に入りはオールドスタイルのイ・ムジチ(アーヨ独奏のステレオ盤)だ。

僕の中でもっとも思い入れが深い曲は「ハイドン」のオラトリオである。
数年前のパイオニア合唱団との共演が忘れられない。
同じ作曲家の「天地創造」に比べると地味な印象は否めないしストーリーも垢抜けないのだが、音楽は実に素晴らしい。

あと思い付くのは「グラズノフ」のバレエ音楽と「チャイコフスキー」のピアノ曲くらいか…
「グラズノフ」は、むかし「秋」の吹奏楽編曲モノが流行った。
「秋」なのにずいぶん派手に、堂々と終わるのだなぁ…
と思っていたら、なんとこの曲は「冬」で始まって「秋」が大団円となるのだった。
「冬春夏秋」…さすがロシアである。

そして…つい最近出会ったのが「瀧廉太郎」の組歌「四季」。
初めてその存在を知ったときは「ほぅ、そんな曲があるのか!」と驚いたが、その第1曲があの「花」なのだと聞いてもう一度ビックリ。
(なぜ「花」だけがこんなに飛び抜けて有名になったのだろう?)
他の3曲もとても佳い曲だ。

瀧廉太郎の「四季」については改めて…
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2010年04月16日

私の愛聴盤(6)

§モーツァルト/交響曲第40番ト短調
ケルテス指揮ウィーンフィル('72年録音)

今さら何を語れようか、というほどの名曲である。
作曲家の晩年の不遇、また宿命的な「ト短調」ゆえに、後世のわれわれはこの曲に対して様々に思いを巡らせてきた。
そして「苦悩」「哀愁」「疾走する悲しみ」といったキーワードがイメージとして定着する。
ヴァルターは「愛撫するようなカンタービレ」で、またフルトヴェングラーは「重い音色と焦燥にかられたようなテンポ」をもってこの曲を表現した。

イシュトヴァン・ケルテス。
まるでモーツァルトを指揮するために生まれてきた「もう一人の天才」のように、僕には思える。
ケルテスはこの40番に「暗さ」の解釈をしない。
スコアに対するひたすら忠実なアプローチ。
「楽譜通りにやれば佳いモーツァルトになるのだ」という揺るぎない確信を持っているかのようである。
テンポは常に自然であり、ウィーンフィルの音色も明るい。
それでいて、流れ出る音楽は実に表情豊かなのである。
端正だがロマンティックでもあり、微笑みを見せつつも密やかな涙がある。

ケルテスは1973年4月16日、遊泳中に高波にのまれて非業の死を遂げた。
43歳の若さであった。
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2010年04月14日

アントワープから

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アントワープのデウィルデさんから郵便が届く。
彼の著作、"Me voici a` Paris" を僕に送ってくださったのだ。

これはブノワのパリ滞在期間中(1859〜63年)のクロニクルと書簡をまとめたものである。
この本の存在は少し前にインターネットで知った。
ぜひ読んでみたかったのだが日本からの取り寄せが難しそうなので、デウィルデさんに尋ねたのだった。
まあ、半ば「おねだり」したようなものかな…

"Me voici a` Paris."(僕はここパリにいます)とは、ブノワがパリから両親に宛てて最初に送った手紙の書き出しである。
ブノワはこの地でオペラ作曲家としての成功を夢見たのだった。
(しかしそれは不首尾に終わったのであった)
僕の好きな「荘厳ミサ」、そして「レクイエム」はいずれもパリ時代の傑作である。
この本を通じて、作曲家と作品の精神に少しでも近づきたい。

手紙はフランス語、本文とクロニクルはオランダ語で書かれているので、かなりの苦戦が予想されるが…

Dank je wel, Jan!
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2010年04月11日

ブノワ(12):荘厳ミサ[6]

〜Hoogmis(荘厳ミサ)のつづき〜

[アニュス・デイ]
Gaande(アンダンテ) ニ短調 3/4拍子

いよいよ終章だ。
このアニュス・デイにおける響き・曲想は、キリエのそれに還って来たような印象を僕は持つ。
(ニ短調、3拍子、そして半音階を多様したうねるような旋律線…)
構成は明快で、三部形式の後に独立した終結部が続く形をとっている。

冒頭、大小合唱の掛け合いにより「神の子羊よ」と三回、フェルマータによりフレーズを区切られながら劇的に歌われる。
その三回目で巧みな転調を見せ、次いで現れる主部主題が(属調である)イ短調で始められる点がややユニークだ。
この主題、
「ミドソ#|シーラ|ソーファ|ミー〜」
は小合唱のみで提示され、大合唱の男声のみが「憐れみたまえ」とpppで呟く。
続いて、全合唱により新しい悲壮なメロディが歌われる。
ヴァイオリンとヴィオラは一貫して分散和音を奏で、低弦は付点リズムとトリルによるバロック的な音型でこれらを支える。
イ→ホ→ロ→嬰ヘ短調と激しく転調を重ね、イ短調に戻り最初の楽段を終える。

ブリッヂを経てヘ長調に転ずると、ここからが中間部である。
まず、テノール独唱により美しい歌謡的主題が歌われる。
スコア上ではこの旋律は小合唱パートに書かれている(Soloと記されている)が、ラハバリ盤では独唱者が受けもっている。
(一昨年の日本初演でも同様であった。)
ドラマティックで情感豊かなメロディは、ベネディクトゥスと同様我々に強い印象を与える。
短い経過部を経たのちに主題がやや短縮された形で繰り返され、そのまま第一楽段の再現へと続いてゆく。
ここでは、主部主題が本来のニ短調で歌われ、聴く者に安定感と回帰感をもたらすのだ。
型通りの再現の後、ブリッヂを経て、

Tamelijk licht (かなり明るく) ニ長調 2/2拍子
の終結部へ入る。
ここで雰囲気は一変し、男声四部合唱が「我らに平和を与えたまえ」と終結主題を歌う。
すると続いて小合唱による柔和な旋律が管弦楽を伴って応える。
短い間奏の後、不意に変ロ長調に転じ(グローリアでも同様の転調があったのを想起させる)、男声の主題、そして小合唱の応答が繰り返される。
再び間奏を経て、ニ長調により三たび主題が響くがこれは完結せず、小合唱との神秘的なpp応唱となる。
全休止の後、全合唱にてppからfffへ至る無限のクレシェンドの弧が描かれ、「平和を」と歌い切る。
そして、木管楽器によるppのコードが消え、ミサ曲の幕は静かな感動をもって閉じられる。

(完)
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2010年04月09日

三週間ぶりの合唱団あしべ稽古へ。
5月の地域イベントでの発表に向けての練習が続く。
ここまで、考えていた以上に順調な仕上がり。
一昨年、昨年と、この屋外イベントは雨に祟られている。
今年は…ぜひ歌いたい!


夜、「ALWAYS 三丁目の夕日」を観る。
既に繰り返し放送されており、僕自身も初めてではないはずなのだが…
今回もやっぱり、グッと来てしまった。
(同様に…「ボエーム」の第4幕も、何度観ても涙が抑えられないのだ)

 人が人を思いやる。
 なんて素敵なのだろう。

ほんのちょっぴり、心が洗われたような気がした。
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2010年04月08日

ブノワ(11):荘厳ミサ[5]

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〜Hoogmis(荘厳ミサ)のつづき〜

[サンクトゥス]
Statig(荘重に) ニ長調 3/4拍子

まず、弦楽器を中心とした重々しい付点リズム音型とともに、全合唱が「聖なるかな」と喜ばしく唱和する。
次いで管弦楽のレガートに導かれて小合唱のソプラノとテノールが「万軍の神なる主は」としなやかに歌うが、ほどなく力を取り戻し、attaccaで
Levendig(生き生きと) ニ長調 4/4拍子
の部分に入る。
「天地は栄光に満ち」以降、大小合唱は応唱の形を取り、また大合唱の中でも男声が特に扱われるなど、立体的な音響構造をみせる。
最後は再び全合唱で「ホザンナ」を連呼し、この短い章を閉じる。


[ベネディクトゥス]
Nogal breed (かなり幅広く) イ長調 3/4拍子

このベネディクトゥスで我々は、これまでの楽章とは全く異なる「別世界の響き」を聴く。
(ヴァイオリン・ヴィオラ・全ての管楽器がここでは用いられない)

冒頭、ハープの分散和音に続いて、四分割されたチェロにより主題の断片が柔らかく奏される。
再びハープが鳴ると、テノール独唱がレチタティーヴォ風に「ほむべきかな」と歌う。
この甘美な声とチェロとのブレンドされた響きが絶美である。
次いで、合唱のppとともにオルガンが奏でるたおやかなモティーフ、これはもう僕にとっては「天上の空気感」そのものだ。
「・ソド#ミレシ|ドソファ#ラソ・〜」(←画像参照)

これらのやり取りが終わると、いよいよテノールが主題を綿々と歌う。
「・・ソ|ミソド|ラーソ|ファーー|ミー〜」
「天上の」オルガンのそれに比べてシンプルな音の進行だが、実に優しい。
既出のハープ、チェロ、ほのかに響く合唱、そしてオルガンが独唱と溶け合ってゆく。
この場面が永遠に続くかのように思えたそのとき…

「高揚して」と指示された男声合唱の「ホザンナ」が、互いに呼び交わすように聞こえてくる。
iets vooruit(少し前進して)の部分を経て音楽はみるみる力を増してゆき、そこに女声合唱も加わって、サンクトゥスで歌われた「天地は栄光に満ち」の部分に再びなだれ込むのである。

(つづく)
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2010年04月07日

no title

プロ野球、巨人の木村拓也コーチが天に召された。

僕の好きな選手だった。

努力と笑顔の人であったと聞く。

安らかに。
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2010年04月06日

私の愛聴盤(5)

§バッハ/カンタータ第106番「神の時こそいと良き時」
リリング指揮シュトゥットガルト・バッハコレギウム 他('75年録音)

僕にとって、バッハのカンタータは長い間「聖域」であった。
キリスト教(プロテスタント)の深い理解こそが楽曲の理解にとって不可欠ではないか、という思いがあったからである。
それでも、聖書やそれに関する書物を読み、またいろいろな作曲家の宗教音楽に触れていく中で、少しずつその「壁」が取り払われていく気がした。

この106番は、僕が初めてしっかりと聴き、かつ「味わった」曲である。
数多あるバッハのカンタータの中で、なぜこれを最初に手に取ったのか…
その記憶は今となっては定かではないのだが、前奏(ソナティーナ)のリコーダとヴィオラ・ダ・ガンバの優しく深い響きが、一瞬のうちに僕の心を掴んでいったのを覚えている。

器楽編成は上記に加えて通奏低音があるだけの簡素なものである。
それがかえって少人数の声楽パートとよく溶け合い、しっとりと音楽に浸ることができる。
合唱、独唱、どの部分をとってもこのうえなく美しい。
これが青年バッハ22歳の作だというのだから、驚きだ。

世評の高いリヒター盤も聴いたが、今の僕にしっくりくるのはリリングの演奏である。
リヒターのバッハにある劇性と臨場感の代わりに、ここには「安らぎ」、そして良い意味での「距離感」がある。
バッハの世界を広く「俯瞰」するような…
posted by 小澤和也 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2010年04月03日

春を感じる

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昨日の荒天がウソのような快晴。
横浜の吹奏楽団、ホルツブラスカペーレのお花見に合流させていただく。
JR戸塚駅から歩いてすぐ、柏尾川沿いの桜は満開だった。
河岸の一角に陣取り、陽のあたたかさを全身で感じながら、ビールを片手に持ち寄りのお料理をいただく。

春だなぁ。

夕方からは、ホルツ事務局長Sさん邸に場所を移し、花抜きで宴の続き。
皆さん、おつかれさま。
Sさん、そして奥様、お世話になりました。
posted by 小澤和也 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年04月02日

ブノワ(10):荘厳ミサ[4]

〜Hoogmis(荘厳ミサ)のつづき〜

[クレード(つづき)]
Matig(中庸の速さで) ニ長調 4/2拍子

第三の部分「三日目によみがえり」は全合唱と管弦楽のユニゾンで晴れやかに始まる。
その表情には一点の迷いも苦しみも無いかのようだ。
「その王国に終わりはありません」の部分では、小合唱に「十字架音型」が幾度となく現れる。
これは「シ-ソ-シ♭-ラ」「ラ♭-ファ-ソ-ミ」のようにジグザグに動く音型のことであり、多くの作曲家によって宗教曲などで象徴的に使用されているものだ。
これと並行して、大合唱はオクターヴ跳躍で「生きる者と死者は裁かれる」と叫ぶ。
全管弦楽による二つの力強い和音が響き、第四の部分へ進む。


Matig snel(程よく快速に) ニ長調 3/2拍子

「主なる聖霊を」で始まる第四の部分は、様々な素材やモティーフが縦横に組み合わされた巨大な音の建造物である。

まず、それらの素材を列挙する。

・フーガ主題(これを【A】とする)
「ドーー|ーレド|シドレ|ミーー|ーファ#ミ|レ#ミファ#|ソ〜」
これは言うまでもなく、第一の部分に出てきた「じわりじわりと高みへ昇る音型」の変形である。
・分散和音+上行音型のモティーフ【B】
主に弦楽器によって奏されるが、合唱でも歌われる。
・【A】から派生した新しい音型【C】
「ラーー|ソ#ラシ|ドーー|シドレ|ミーー|レ#ミファ#|ソ〜」
と、これも次第に上昇してゆく音型である。
・十字架音型【D】
「・・ド|シソシ♭|ラファラ♭|ソミソ|ファラ♭ソ|ド〜」

はじめに主題【A】が大合唱にて、各声部ごとに(計4回)提示・応答される。
次いで【B】が現れ、6回にわたって調性的に発展していく。
再度【A】がイ長調、ニ長調で歌われ、音楽はいったん解決へと向かうが、偽終止(ニ長調で終わらずにロ短調に転ずる)によってさらなる展開へと進む。

次の【C】は調性的には不安定で、ロ短調、イ長調を経てさらにハ→変ホ→変ト長調と目まぐるしく移ってゆき、最後は変ハ短調という滅多にみられない調に落ち着く。
これが異名同音的に扱われ、ロ短調で三たび【A】が歌われた後、【D】がロ長調で現れる。
この【D】は例の「十字架音型」の後ろに主題【A】(「ドレド|シドレ|ミ〜」)が加えられたもので、信仰への揺るぎない確信を表している。
音楽の圧倒的な「力」を感じる部分だ。

再び【B】による展開、主題【A】の四たびの登場(ト長調→ニ長調)を経て、【D】がいよいよ満を持して主調(ニ長調)での再現となる。
そして、a音の保続低音の上でテンポを増し、「死者の復活と来世の命を待ち望む」と大小合唱が一体となって歌い切ると、そこにはようやく頂上が…
Langzamer(よりゆっくりと)、さらにはBreed(幅広く)の大団円で「アーメン」が三唱され、この長大なクレードは幕を閉じる。


音楽を文章で表すことの難しさ、そして虚しさ…
それでも、敢えて書いてみた。
この「クレード」は正に桁外れのスケールである。
稽古中、特にこのフーガ部は「終わりそうで終わらない」「(スコアを)めくってもめくっても終わらない…」
そんな印象だったことを書きながら思い出した。

(つづく)
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2010年04月01日

ブノワ(9):荘厳ミサ[3]

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〜Hoogmis(荘厳ミサ)のつづき〜


[ディスク紹介]
僕の知る限り、この曲のCDは1種類だけ出ている。

A.ラハバリ指揮 BRTNフィル、同合唱団他、D.ジョージ(テノール)
レーベル:ベルギー、Classic Talent

2003年リリース。デジタル録音。
録音年などは不詳だが、「アントワープ・聖ミカエル教会でのライヴ」と記されている。
これが最良の演奏であるかはともかくとして、唯一のディスクとしての価値は充分にあると思う。
残響が多く、曲の雰囲気はよく出ている。


[クレード]
Tamelijk breed(かなり幅広く)ニ短調 3/4拍子

大きく分けて4つの部分からなる。
序奏部、管楽器の主和音がppで響く中、弦楽器によってややためらうように、単純な上行・下行音型がやはりppで奏される。
これが下属和音上で繰り返された後、今度は上行音型のみが畳み掛けるように速度・音量を増してゆき、主部へと進んでいく。

Statig(荘重に)に入り、大小合唱の力強いオクターヴ跳躍による「われ信ずる」がユニゾンで歌われ、長大なクレードが幕を開ける。
「全能の父を」以降、小合唱がユニゾンで第一の主題を提示、四分音符による確固たる歩みを表すかのような伴奏音型がこれを支える。
大合唱はオクターヴのモティーフで応ずる。
この部分、キリエと同じくニ短調ではあるが決して暗くはなく、むしろ肯定的な、確信に満ちた音楽である。
やがてヘ長調に転じ、「神からの神を」の部分から新しい主題が現れる。
「ドーー|ーレド|シドレ|ミーー|ミーー|ーファ#ミ|レ#ミファ|ソ〜」
と、じわりじわりと高みへと昇っていくような音型である。
ここでもオクターヴのモティーフが要所要所で響き渡る。
やがて第一の主題が、今度は大合唱のユニゾンで歌われ、小合唱の交唱となって堂々と第一の部分を締めくくる。


Breed en geheimvol(幅広く、神秘的に)変ロ長調 4/4拍子

低弦のピツィカートに導かれて、第二の部分に入る。
ここから雰囲気は一変し、大合唱がpのユニゾンで「聖霊によって肉体を受け」とささやくように歌うと、小合唱のSoloが清澄な和音を伴って応える。
両者の掛け合いが、静かな、このうえなく深い感動をもたらす部分である。

やがて、低弦に重々しく足を引きずるような音型が現れ、「十字架にかけられ」が小合唱によって悲痛な表情で歌われる。
この間、大合唱は付点音符による葬送のリズムを受けもっている。
息絶えるようにすべての音が消えると同時に、箴言のようなホルン信号(a-e-a音)が鳴り響き、次に起こる「何か」を予感させつつこの部分を閉じる。

(クレードの項 つづく)
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