2011年01月31日

私の愛聴盤(20)

§マーラー/交響曲第4番、歌曲集 他
 エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S)
 ブルーノ・ワルター指揮 ウィーンフィル
 ('60年録音)


10代の頃、LPで既に持っていた、いわば「思い出の中の」レコードである。
そもそもなぜこの盤を手に取ったのか、その記憶は定かではない。
(ワルター協会盤という、かなりマニアックな体裁のそれであった)
「マーラーの流れを汲む名指揮者」としてのワルターの名前は、おそらく何かで読んで知っていたと思うが。

僕はこの第4交響曲を、カラヤンの演奏で初めて聴いた。
隅々まで磨き抜かれた、ひたすら美しい音楽だな…と思ったものである。
その後聴いたアバド&ウィーンフィルの録音でも、同様の感想を持った。

そこへ、このワルター盤である。
まず、録音のあまりの古さに(モノーラルのライヴだから当然)びっくり。
もっと驚いたのは、オケの濃厚なサウンドとその歌わせ方だった。
「なんだろう、この人懐っこさは…!」
全ての音が(Bassまでも!)徹底して歌い込まれている。

この演奏会がマーラー生誕100年に際して行われたこと、
ワルターとウィーンフィルとの長きにわたる関係、
この盤の演奏が両者の最後の共演となった(1962年に死去)ことなど…
様々な歴史的背景を識ったのは、だいぶ経ってからだった。

そして…
最近手に入れたこのCDを改めて聴く。
タイムカプセルを開けたかのように、当時の記憶が甦る。
ワルターの、1フレーズ1フレーズを慈しむような指揮ぶり…
老巨匠の棒に丁寧に応えてゆくオーケストラ。
声のみならず言葉で聴かせるシュヴァルツコプフの繊細な歌。

ワルターのマーラー解釈は、作曲家の書いたスコア指示に必ずしも忠実ではないと言われている。
その意味では、ワルターのみに許された表現だと思うが、決して忘れてしまいたくない甘い魅力に溢れている。
posted by 小澤和也 at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2011年01月29日

演奏会のごあんない

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近く開催される演奏会のごあんないです。


§合唱団あしべ 第8回演奏会
 日時…2011年5月15日(日) 午後開演
 会場…江戸川区総合文化センター小ホール
 曲目…新実徳英/「花に寄せて」より、ドイツ名歌曲集 他
 出演…坂野早苗(ソプラノ)、浅野正美(ピアノ)、小澤和也(指揮)


§ホルツ・ブラス・カペーレ 第37回定期演奏会
 日時…2011年6月19日(日) 午後開演
 会場…横浜市磯子公会堂
 曲目…未定
 出演…小澤和也(指揮)


§東京農工大学グリークラブ 第31回演奏会
 日時…2011年6月26日(日) 午後開演
 会場…武蔵野市民文化会館小ホール
 曲目…松下耕/そのひとがうたうとき、信長貴富編/ノスタルジア 他
 出演…小澤和也(指揮)、宮代佐和子(ピアノ)


皆さま、ぜひお運びください。
posted by 小澤和也 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 演奏会情報

2011年01月28日

ベートーヴェン詣で(後編)

前編と同じく、日々少しずつ呟いたものを纏めてみた。
こうして眺めてゆくと…
ベートーヴェンが常に進化を意識して作曲していたことが判る。
それを自分の言葉によって改めて認識できたのは、僕にとっての収穫だ。


交響曲第6番「田園」…並行して書かれた第5とのなんという対照!同様に緻密な書法でありながら、実に緩やかな時の流れと気分が描かれている。この作曲家がいかに自然を愛し、また自然から祝福されていたか…終楽章、感謝と祈りの音楽には宗教的感動を覚える。

交響曲第7番…これまで彼が用いてきた「動機展開」の手法に加え、カンタービレな旋律線を豊かに取り込んだ新しいスタイルが見える。サウンド的にも「凝縮ゆえの緊張」から解放された一種の伸びやかさがあり、バスの動きやハッとさせる転調も魅力的だ。「後期様式」まであと少し。

交響曲第8番…前作から更なる「脱力的進化」を遂げる。交響的なのに優雅な第一楽章、軽妙な第二楽章、第三楽章のホンワカとした中間部〜そして圧巻はフィナーレ。鮮やかな転調、効果的な総休止、そしてFオクターヴに調律されたティンパニの乱打は第九の先取りだ。

交響曲第9番…前作(第7&8)完成後、彼の楽曲スタイルは大きく変貌を遂げていった。これまで外界に対し発せられていた精神の自由のための激しい闘争は己の内面に向けられ、自然なるものへの憧憬・憩いの気分は創造主への祈りへと深化する。そして破格の終楽章は劇的カンタータ。
「歓喜」とはここでは「自由」と同義である。「全ての人は兄弟となろう」「抱き合え、百万の人々よ」…作曲家が我々に伝えたかったものはこれらの言葉に集約される。我々は演奏の際、全身全霊でもってこのメッセージを感じ取らなければならない。


以上、僕の心の中でのベートーヴェン詣での旅、終了。
posted by 小澤和也 at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年01月26日

もうひとりの1/25生まれ

昨日の記事を載せてから気がついた。
「ほう、この人もだったんだ!」

アルフレッド・リード(1921.1.25−2005.9.17)。
吹奏楽の世界では神様のような存在である。
ブラスをやっていて、彼の曲を吹いたことのない人はおそらく皆無だろう。
作品の数も桁外れに多い。


中学生のとき、初めて吹いたリードの作品が、
「アルメニアン・ダンス・パート1」。
(超有名曲!)
そのブラスバンド部はお世辞にも上手くなく、発表会では途中の5/8拍子の音楽をまるまるカットした記憶がある。
何ともお粗末な(それでも精一杯だったのだ)、ほろ苦い思い出だ。

  この時はさらにスゴイ(というよりは酷い)ことが
  あったのだが…
  それはちょっと書けない。


さて、僕がいちばん好きな曲は…
「シンフォニック・プレリュード」である。
(今はあまり流行っていないだろうか)
弱音で始まり、主題は短調。
テンポは終始緩い。
金管や打楽器の派手な出番もほとんどなく、ラストも消え入るように終わる。とにかく "ブラバン" らしくないのだ。
この曲の魅力は、ひとえにその「サウンドの繊細な美しさ」と「緻密なオーケストレイション」である。
"ブラバンなんて!" と思われる方に是非聴いていただきたいと思う。

  高校生時代は、バンドの基礎創りのためにこの曲を
  しょっちゅう練習していたっけ。
  もう何年も聴いていない気がする。
  どこかで出会う機会がないだろうか…
posted by 小澤和也 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年01月25日

フルトヴェングラー考

グスタフ・ハインリヒ・エルンスト・マルティーン・ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。
1886年1月25日、ベルリンに生まれる。
…というわけで、今年はこの大指揮者の生誕125周年なのだそうだ。
(アニヴァーサリー企画のCDもよく売れているらしい)


久しぶりに、フルトヴェングラーの録音をいろいろと聴きながら、彼の代表的著作「音と言葉」を読んで過ごす。
ベートーヴェン、ヴァーグナー、ブルックナー、ブラームスなどの作曲家について論じたものや、「作品解釈について−音楽の宿命的な問題」他の実際的な論述など、その内容は多岐にわたっている。
(ただし、どの章においてもその文体は重く難解だ)


今日じっくりと読んだのは
「偉大さはすべて単純である」という最晩年の論文。
現代における音楽界の危機について、厳しく指摘したものだ。
(理論万能の演奏表現、あるいは作曲家と聴衆の間の乖離、etc.)
この「現代」とはもちろん、これが書かれた1954年当時のことを意味する。
だが、これをそっくり「今」に当て嵌めても通用するように思うのだ。


ブルックナーの「第9交響曲」を聴く。
フルトヴェングラーがデビューの際に選んだ作品である。
楽曲そのものの持つ悲劇性と、彼の音楽創りのベクトルとが見事なまでに一致していて、このうえなく痛切な響きとなって表現されている。
実に感動的な演奏だ。


未だ前世紀の余韻の中にあった古き佳き1920〜30年代から、ドイツの最も暗い「第三帝国」時代、そして戦後の混乱・変革期に至るまで…
真に激動の時代に生きたマエストロであった。
posted by 小澤和也 at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記