2011年01月28日

ベートーヴェン詣で(後編)

前編と同じく、日々少しずつ呟いたものを纏めてみた。
こうして眺めてゆくと…
ベートーヴェンが常に進化を意識して作曲していたことが判る。
それを自分の言葉によって改めて認識できたのは、僕にとっての収穫だ。


交響曲第6番「田園」…並行して書かれた第5とのなんという対照!同様に緻密な書法でありながら、実に緩やかな時の流れと気分が描かれている。この作曲家がいかに自然を愛し、また自然から祝福されていたか…終楽章、感謝と祈りの音楽には宗教的感動を覚える。

交響曲第7番…これまで彼が用いてきた「動機展開」の手法に加え、カンタービレな旋律線を豊かに取り込んだ新しいスタイルが見える。サウンド的にも「凝縮ゆえの緊張」から解放された一種の伸びやかさがあり、バスの動きやハッとさせる転調も魅力的だ。「後期様式」まであと少し。

交響曲第8番…前作から更なる「脱力的進化」を遂げる。交響的なのに優雅な第一楽章、軽妙な第二楽章、第三楽章のホンワカとした中間部〜そして圧巻はフィナーレ。鮮やかな転調、効果的な総休止、そしてFオクターヴに調律されたティンパニの乱打は第九の先取りだ。

交響曲第9番…前作(第7&8)完成後、彼の楽曲スタイルは大きく変貌を遂げていった。これまで外界に対し発せられていた精神の自由のための激しい闘争は己の内面に向けられ、自然なるものへの憧憬・憩いの気分は創造主への祈りへと深化する。そして破格の終楽章は劇的カンタータ。
「歓喜」とはここでは「自由」と同義である。「全ての人は兄弟となろう」「抱き合え、百万の人々よ」…作曲家が我々に伝えたかったものはこれらの言葉に集約される。我々は演奏の際、全身全霊でもってこのメッセージを感じ取らなければならない。


以上、僕の心の中でのベートーヴェン詣での旅、終了。
posted by 小澤和也 at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記