2011年03月31日

素晴らしき哉、御役所根性

5月に演奏会を予定している、都内の合唱団団長さんから連絡が入った。
週一回の稽古場として利用している某区営の施設から、
『予約してあった4〜5月の音楽室の使用を断られた』
とのこと。
(とうとう来たか…)
内心、そう思った。


「理由はなんと?」
一応、団長さんに尋ねてみた。

 『節電のため』
 『こんなご時世だから…』
 『他の利用者も断ったから…』

嗚呼、なんと分かりやすい物言い!
素晴らしき哉、この御役所根性!
「闇雲に自粛を強制する」ことが「被災者、被災地を思う」ことであると、彼らは本気で思っているのか!


ちなみにこの区、毎年5月に行っている地域のイベント(パレード行進、各種サークル発表、出店など)についても早々に開催中止を決定したそうだ。
でも…
取りやめにするよりも、その会場でバザーや募金や献血をやって盛り上がるほうが、よほど「みんながひとつになれる」のではないのか。


自治体のこういった「負のアクション」が今後蔓延してゆくのかと思うと…
どうにもやりきれない。
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2011年03月29日

還ってきた響き

今日、僕の脳内で鳴っていた音楽…ベートーヴェン。
僕にとって常に「原点」となる作曲家である。


3・11以来、しばらく遠ざかっていたあの力強い響き。
(否、僕の疲れた心が遠ざけていたのだろう…)
それが、少しずつ僕の中に還ってきた。


久しぶりにハ短調交響曲のスコアを開く。
第一楽章、アレグロ・コン・ブリオ。
ベートーヴェンが全身全霊を傾けて刻み込んだ音符たちと改めて向き合う。


作曲家との、時を超えた対話。
孤独だが、このうえなく幸せなひととき。
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2011年03月26日

音楽ができるよろこび

昨日、合唱団あしべの稽古へ。
仕事のキャンセルが続く中、僕にとって久しぶりの「現場」であった。
朝の交通事情が読み切れないので早めに家を出る。

言葉にならない、あふれる気持ちを抑えつつ稽古場へ。
団員の皆さんはとても落ち着いていらして、実に「ふだん通り」の歌声を聴くことができた。
「私たちはこんなに歌が好き!」と、周りに呼び掛けているかのように…

今回ばかりは、あしべの皆さんの明るい表情に大いに救われた気がする。

音楽ができる喜び。
音楽を通して繋がれる喜び。
 
〜よし、次は音楽を「伝える喜び」をみんなで分かち合おう!
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2011年03月25日

祈りの音楽 〜モーツァルト〜

ピアノ協奏曲変ロ長調第27番 K.595〜第2楽章


モーツァルトの死の年、1791年の作曲。
この静けさ、軽やかさ、そして響きの透明感は一体なんだろう…
それゆえにかえって、聴く者の心に痛いほどに迫ってくる。
例えは甚だ良くないが「半ば彼岸に到達してしまっているような」音楽である。

 「〜もはやどんな野心や譲歩も入り込む余地はない。
  モーツァルトは誰に聴かせるともなく、ひたすらに
  純粋な諧音を響かせる」
  (田辺秀樹氏の著作より)

第2楽章…ラルゲット 変ホ長調 2/2拍子
最晩年のモーツァルトにとって、この「変ホ長調」というのは正に特別な調性だったのではないか。
弦楽五重奏曲 K.614、歌曲「春への憧れ」 K.596、そしてフリーメイソンの聖数"3"が散りばめられた「魔笛」も変ホ長調を軸として書かれている。
(言うまでもなく、変ホ長調=♭3つである)

楽章冒頭、ピアノ独奏で、続いてオーケストラによって奏でられる主題。
すでに「天上の音楽」である。
さらに僕の心を震わすのが、33小節目(2分と少し進んだあたり)からのヴァイオリンのかすかなため息、そしてfでの啜り泣き。
ああ、まだモーツァルトは「こちら側」にいるのだ…
ギュッと胸を締め付けられる瞬間である。

中間部は天衣無縫、融通無碍の自由な世界。
変ロ長調→変ト長調→変ホ短調と、あたかも羽が生えたように飛びうつり、ほどなく主部へと回帰する。
ピアノの右手とフルート、ヴァイオリンで奏でられる再現主題のブレンドされた響きは、目に涙をいっぱいためながらも微笑んでいるモーツァルトの歌声のようだ。

カザドシュ独奏の盤でよく聴いている。
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2011年03月21日

第五の山

数年前に読んだこの本のことを、ふっと思い出した。
著者はブラジルの作家、パウロ・コエーリョさん。
(敬虔なカトリックであられるとのこと)


あらすじについて、巻末の「訳者あとがき」から自由に引用させていただく。
 『〜題材は旧約聖書の列王紀上に出てくる預言者エリヤです。
  この小説はエリヤが故国イスラエルを追われ、隣国レバノン
  の小都市ザレパテで亡命生活を送っていた間の出来事として
  描かれています。(中略)その三年間に彼がどのように生き、
  何を学び取っていったかを作家の想像力をふくらませて書い
  ています〜』


エリヤが身を寄せていたザレパテは、アッシリア軍によって攻撃され廃墟と化す。
町の有力者や生き残った男達は町から逃げ去った。
エリヤは、残った女達、老人達、そして子供達とともに動き出す。
廃墟を片付け、食料を集める。
文字の書き方を教え、灰を畑にまく。
そして残った住民一人ひとりに新しい名前をつけ、役割を与える。
〜そう、これは再建の物語でもあるのだ。


心に強くひびく言葉が、この中にいくつも記されている。
「避けられないことを止めることはできない」
「以前と同じ強さをと力を自分は持っている、ということに気付くこと」
「不満足な過去があるならば、それはすぐに忘れなさい」
「子供は常に、三つのことを大人に教えることができる…理由なしに幸せでいること。何かでいつも忙しいこと、自分の望むことを全力で要求する方法を知っていること」


この本は、僕が苦しいときにいつも支えになってくれた。


 「第五の山」
  パウロ・コエーリョ著
  山川紘矢、山川亜希子訳
  角川文庫
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2011年03月20日

祈りの音楽 〜ハイドン〜

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弦楽四重奏曲ハ長調 Op.76-3「皇帝」〜第2楽章


1797年1月、ハイドンは「皇帝讃歌」を作曲する。
当時、オーストリアは戦乱によって危機に瀕していた。
このようなときこそ国民の心の支えとなる歌を…
と考えた彼は、イギリス滞在中に深く感銘を受けたイギリス国歌「神よ、王を護らせたまえ」にならって、この曲を作ったと言われている。
そして翌月、オーストリア皇帝の誕生日に際し国歌として発表された。

このメロディを主題とした変奏曲の形をとっているのが、この四重奏曲の第2楽章である。
はじめに第一ヴァイオリンが「皇帝讃歌」のテーマを奏でる。
続く第1変奏では第二ヴァイオリン、第2変奏ではチェロ、そして第3変奏ではヴィオラが主旋律を受け持つ。
最後にもう一度、第一ヴァイオリンがテーマを奏し、静かに曲を閉じる。

16小節の短く親しみやすいメロディ。
優しく、穏やかなニュアンスで始められるが、曲が進むにつれ次第に表情豊かに、和声もよりドラマティックに(ただしあくまで気品は損なわない)色付いてゆくのだ。
その移り行きが…じわじわと聴く者の心に沁みる。

ハイドンの亡くなる年(1809年)、フランス軍の攻撃がハイドン邸のすぐそばまで近づいた。
 『…彼の家の窓と扉とがはげしく揺れた。狼狽し恐怖におののく
  召使たちに向かって、彼は威厳に満ちた声で言った。「子供た
  ちよ、恐れることはない。ハイドンのいるところでは、おまえ
  たちは決して不幸に陥ることはないのだ!」…』
  (大宮真琴氏の著作より)

晩年のハイドンはこの「皇帝讃歌」を毎日欠かさず弾いていたそうだ
posted by 小澤和也 at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年03月18日

祈りの音楽 〜J.S.バッハ〜

平均律クラヴィーア曲集 第1巻
 〜前奏曲とフーガ第22番 変ロ短調

18世紀ドイツの大作曲家、ヨハン・ゼバスチャン・バッハ。
敬虔なプロテスタントであり、各地の教会のカントル(音楽監督)を長く務めてきた彼の音楽は、ある意味ほとんどすべてが「祈りの音楽」と言ってよいのかもしれない。
この「前奏曲とフーガ」もクラヴィーア(鍵盤楽器)のための作品である。

僕がこの曲に強く惹かれるようになったのは、ごく最近のことだ。
きっかけは、ツイッターで偶然知り合ったデュッセルドルフ(ドイツ)在住のテノール歌手、山枡信明さんとのやり取りである。
山枡さんとのことは、いつか改めて書こうと思う。

重い足取りでゆっくりと進む前奏曲。
リズムの反復が「一途な想い」を、
上行を続ける旋律線は「高みへの永遠の憧れ」、
そのラインは、見えない存在への問い掛けのようにも、また自問自答のようにも聞こえる。
続くフーガでは、哀しみをたたえた美しい主題が「重層の建築のように重々しく、どこまでも整然と力強く」(吉田秀和氏の著作より)連なってゆく。
[ちなみに、僕が聴いているのはE.フィッシャーの演奏する盤である。]

受難曲やカンタータのようにテキスト(歌詞)こそ持たないが、このうえなく深い祈りの感情にあふれた作品だ。

  いま、僕の心は
  この曲によって
  どれだけ救われていることだろう...
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2011年03月16日

音楽のもつ力

東京周辺で予定されていた各種演奏会やイベントの中止の報を、この数日耳にする。
とても残念だ。
とは言え、余震や交通事情、燃料のことを考慮すれば当然の流れなのであろう。


でも、僕は信じている。
音楽は決して無力ではない。
人々の心を癒す力、元気づける力が音楽にはある。
音楽が必要なときが、きっと来る。
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2011年03月14日

僕に出来ること

地震発生から3日目の夜。
あれから、折にふれ考えていた。
僕に出来ることはなんだろう…

そして思った。
月並みだけれど、人として、できることを当たり前にやるだけだ、と。
節電、募金、献血。
そして被災地とそこにいる方々を思い、無事と平穏を祈る。
あとは…
これまで通り、音楽をし、音楽について考え、音楽の持つ喜びや力を伝えてゆく、
それしかないのだな。


この次からまた、今までと同じように音楽についてここに綴っていこう。
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2011年03月12日

3・11

14時46分、東北地方太平洋沖地震。
被害に遭われた皆様へ心よりお見舞い申し上げると共に、
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

小澤和也
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2011年03月10日

NESSUN DORMA

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先日戴いたイタリアワイン。
ラベルに描かれているのは…タクトを持つ指先。
その下の文字が…"NESSUN DORMA"(誰も寝てはならぬ)
これだけでもう、なんだか楽しくなってしまう!

その下に書かれている "SUPERTUSCAN"、聞いたことはあったが意味をきちんと理解していなかった。
〜よく見ればこれがいちばん大きな文字だ!〜
スーパータスカン(スーペルトスカーナ)とは…
ワイン法や従来の格付け基準にとらわれずに造られるトスカーナ産の上質なワインの特別な呼び名だそうだ。
よって、法のもとでは下位の格付けになるのだが、品質の良さから世界的に評価が高まっているものも多い、とのこと。
要は…
無名でも美味いものは美味い!というわけだ。

僕好みのしっかり重めの赤。
チーズフォンデュにも負けないほどの強さ。
美味しくいただいた。

このボトル、部屋に飾っておこう。
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2011年03月08日

今日は何の日?

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我が Peter Benoit の命日です。
(1901年死去)
久しぶりに彼のレクイエムでも聴くとしよう。
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2011年03月04日

ブノワ(27):子供のためのカンタータ「世界へ!」[1]

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先日入手した Kindercantate "De Waereld in!" について、少し調べてみた。
作曲の動機は?
なぜこのときに?
…そしてブノワは何を表現したかったのか?
これらを考えるにあたっては、当時のヨーロッパの情勢や、ベルギーという「国」の、ひいてはフランデレンという「地域」の歴史を無視することができない。

けれども…まずは作品そのものを見ていこう。
ユリウス・デ・ヘイテル(Julius de Geyter)によるテキストを、拙い語学力で訳してみた。
できるだけ忠実に、でも難解な部分は想像力をふくらませて…
多分に教育的・啓蒙的であり、後半は若干「きな臭い」けれど。
以下に全文を記す。


 世界の中へ!

・子供たち
  家に置かれた植木鉢
  五月の 母なる種
  僕らは種が芽を出し 伸びてゆくのを見た
  そしたら僕らは 自分たちの手で
  草木にお水をあげよう! 
・少女たち
  お母さんのお庭 なんて光ってるんでしょう
  輝きいっぱいの花々
  なんてすてきに色づいて!
  なんていい香り!
・娘たち
  踊って遊びながら 花を摘みましょう
  花輪をひとつ またひとつ
  たえず育ち
  たえず咲く
  青葉の中で開く 小さな花
・少年
  君たちの頬が バラのように赤く…
・少年たち
  父さんの果樹園の あたり一面
  実ったくだものが僕らに微笑みかける
  天からの賜物として 摘み取ろう
・子供たち ・少女たち ・娘たち ・少年たち
  種…    草木…   花…   果実…
・全員
  こうして自然は 土と空気より創られる
  学校もまた 心と魂をこめて創られる
  かくて今 学びの園を祝おう!

・子供たち
 僕たちはまだ種だけど やがて草木になるんだ
・少女たち
  私たちはまだ草木だけど やがて花になります
・娘たち、少年たち
  祖国は私たちに期待しています
  繁栄、自由、そして誇りの果実となることを
・少年たち
  強健な腕と明晰な知力をもって…
・娘たち
  清らかな心と喜ばしい感覚をもって…
・全員
  人間に約束されたあの楽園のように
  世界へ! 世界へ!

・少年たち
  そして僕らは種をまき 刈り取ろう
  いくつもの海をわたろう 自由な鷲のように
  ハンマーは激しく打ちつけ 車輪はブンブンとうなる
  村人は立ち上がり 市民は気取って歩く
  心臓は鼓動し 魂は光り輝く…
  ともにこうして 心からの喜ばしい繁栄が
  この国に与えられるでしょう
・少女たち、娘たち
  あなたの姉妹、花嫁、配偶者、そして私たちはお家で
  あなたたちに たくさんの幸福を贈りましょう
  平和と安らぎのなかで
  活気とともに
  あなたたちの心は満ち足りるでしょう
・少年たち
  平和と安らぎのなかで
  活気とともに
  僕らの心は満ち足りるでしょうか?…

  けれども 敵が僕らの家に攻めかかってきたら
  僕らは立つでしょう 樫の木のように
  僕らは戦うでしょう 英雄のように
  故国のために 僕らの血を犠牲にする覚悟はできています
  男は 自由と幸福のための盾なのです!
・少女たち、娘たち
  そして女性は 傷と苦難を癒します
・全員
  いいえ! いいえ! いいえ!
  この地上にあるのは兄弟愛だけ
  憎しみなどはない
  青春 それは草木のように
  友愛の絆として花開き
  国じゅうに広がっていく
  人類はひとところにあって
  そこには 知性と労力の所産がある
  すべての国境に、繁栄を
  素晴らしき 価値ある青春!


(この項つづく)
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2011年03月02日

私の愛聴盤(21)

§ディーリアス/管弦楽曲集
 ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管
 ('77年録音)


かなり昔のことである。
NHK-FMで「夜の停車駅」という番組があった。
ナレーションは江守徹さん。
(渋くていい声だったなあ…)
どういう企画構成だったのか、毎回クラシックを扱っていたのか…
今となってはまったく覚えていないのだけれど…

その日の放送では、江守さんの語りの合間にずっと、ディーリアスの音楽が流れていた。
フレデリック・ディーリアス(1862-1934、イギリス)。
この作曲家のことは何一つ知らなかったのに…
気がつくと、部屋のラジカセに食い入るようにして聴いていた、そのことだけは鮮明に記憶している。

ここに収められているのは、いずれも数分程度の小品やオペラの間奏曲である。
「春初めてのカッコウを聞いて」「河の上の夏の夜」「日の出前の歌」…
いずれも、季節や情景のさりげない描写を通して、甘美なノスタルジアを感じさせるチャーミングな作品だ。
民謡風の人懐っこいメロディに淡く優しい和声が寄り添い、独特の雰囲気を醸し出している。

実はもう一枚、サー・トマス・ビーチャム指揮のCDもお気に入りなのだが、今回はこちらを選んだ。
それは…
このマリナー盤には「エアーとダンス」という弦楽合奏の小曲が入っているから。
この曲は間違いなく、あの日の放送でもかかっていたのだ…
今でも耳に焼き付いている。
posted by 小澤和也 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤