2011年06月29日
無事終演
東京農工大学グリークラブ第31回演奏会、終演。
(26日、武蔵野市民文化会館小ホール)
最後の一週間の追い込みと仕上がり具合は著しく、お客様に喜んでいただけるステージもあった。
ただし個人的には「本番へのプロセス」を重視しているので、残念ながらその意味では大満足の出来映えとはならなかった。
技術的な課題、運営上の問題点、メンバー個々への要望。
昨日の反省会で、敢えて学生諸君には辛口のコメントを伝えた。
彼らの心に響いてくれただろうか。
期待したい。
お手伝いくださったOBの皆さん、
女子美術大学音楽部の皆さん、
そしてご来場くださいました皆さんに厚く御礼申し上げます。
2011年06月26日
女声合唱の愉しみ
津田ゼンガーフェストの演奏会を聴く。
(25日、津田ホール)
邦人作品(編曲含む)3曲と、ラインベルガー、バルトークを組み合わせたセンスのあるプログラミングにまず惹かれる。
総勢20数名の女声合唱…
その透明な響きは、丁寧にトレーニングが重ねられた成果であろう。
同時に、指揮者(金川明裕さん)との深い信頼関係を感じさせた。
そして、ピアノの小介川淳子さんは歌にそっと寄り添うように、
また時には華麗に、素敵な音の粒をステージ上に振り撒いていた。
小介川さんとは、以前とある合唱団で何度となくご一緒させていただいているが、客席で演奏を拝聴したのは初めてだったかも…
〜楽しい演奏会をありがとうございました〜
(25日、津田ホール)
邦人作品(編曲含む)3曲と、ラインベルガー、バルトークを組み合わせたセンスのあるプログラミングにまず惹かれる。
総勢20数名の女声合唱…
その透明な響きは、丁寧にトレーニングが重ねられた成果であろう。
同時に、指揮者(金川明裕さん)との深い信頼関係を感じさせた。
そして、ピアノの小介川淳子さんは歌にそっと寄り添うように、
また時には華麗に、素敵な音の粒をステージ上に振り撒いていた。
小介川さんとは、以前とある合唱団で何度となくご一緒させていただいているが、客席で演奏を拝聴したのは初めてだったかも…
〜楽しい演奏会をありがとうございました〜
2011年06月24日
思い抜く 歌い抜く 信じ抜く
一昨日に続き、農工グリーの強化練習。
男声ステージの2曲を中心に、正味4時間にわたって歌い込む。
演奏会を三日後に控え、
メンバー全員の気合いがようやくひとところに集結。
渾身の力のこもった歌声となった。
ここまで来たのだ。
あともう一歩…前へ進みたい。
男声ステージの2曲を中心に、正味4時間にわたって歌い込む。
演奏会を三日後に控え、
メンバー全員の気合いがようやくひとところに集結。
渾身の力のこもった歌声となった。
ここまで来たのだ。
あともう一歩…前へ進みたい。
2011年06月23日
田添菜穂子さん
先日のホルツのコンサートに素敵な彩りを添えてくださったのが、
司会の田添菜穂子さん。
その優しくしっとりとしたお声が、会場をほどなく和やかな空気に包んでいく…
また、サンバメドレーでの楽器紹介では、アガリ気味の各プレイヤーにうまく絡んでくださった。
僕がいちばん感動したのは…
アンコール「上を向いて歩こう」紹介の時。
僕は袖に引っ込まずに舞台上にいたのだが、この時の田添さんの語りに落涙寸前であった。
通常のコンサートでは、
アンコール曲をアナウンスすることは滅多にない。
しかし今回は、「この曲をいまここで演奏する」
ということに大切な意味があったのだ。
この日のホルツ演奏会は「震災復興支援コンサート」と銘打って行われた。
また、楽譜出版社「ミュージック・エイト」は、この目的に適った形で演奏する団体に対し「上を向いて〜」の譜面を無償で提供したのである。
そして思い出した…
フリーになられる前の彼女が東北放送のアナウンサーでいらしたこと、
「あの日」以来、絵本の読み聞かせやコンサートのプロデュースなどで被災地を幾度となく訪れていらっしゃることを。
そんな田添さんの、真心のこもった曲紹介だったのだ。
田添さん、ありがとうございました。
またコンサートでご一緒できることを
楽しみにしています。
「田添菜穂子の一期一会」http://blog.goo.ne.jp/tazoenahoko
2011年06月21日
ご来場御礼
ホルツブラスカペーレ第37回定期演奏会、
おかげさまで盛況のうちに終演しました。
半年ぶりのホルツとの共演ということで、気合いは充分。
メンバーの皆さんも、僕のこだわりに素晴らしい音で応えてくださいました。
音楽する喜びをステージ上で共有できた、至福のひととき。
ホルツの皆さんに、裏方スタッフの皆さんに、
そしてご来場くださったお客様に感謝いたします。
おかげさまで盛況のうちに終演しました。
半年ぶりのホルツとの共演ということで、気合いは充分。
メンバーの皆さんも、僕のこだわりに素晴らしい音で応えてくださいました。
音楽する喜びをステージ上で共有できた、至福のひととき。
ホルツの皆さんに、裏方スタッフの皆さんに、
そしてご来場くださったお客様に感謝いたします。
2011年06月19日
本番前夜
18日、ホルツブラスカペーレのゲネプロへ。
(@磯子公会堂)
待望の、ホールでの音出し。
これまでの練習の積み重ねが報われる瞬間でもある。
「キャンディード序曲」「亡き王女のためのパヴァーヌ」、
そしてホルスト「第一組曲」…
今回、どの曲も "響き" そのものにこだわってきた。
そんな僕の強い思いに、メンバーはよく応えてくださっている。
稽古終了後、メンバー十数人とファミレスで食事。
みんな、とってもリラックスしている…お喋りも尽きない。
〜これがホルツのいい所なんだよな。〜
心から…心の底から楽しんでいるのだ。
仲間との語らいを、そして音楽を。
「音楽すること」の原点が、ここにある。
明日のステリハで初めて全員が揃う。
(多忙な社会人中心のバンドゆえ、やむを得ない)
どんなサウンドになるか、楽しみだ。
§ホルツブラスカペーレ 第37回定期演奏会
6月19日(日)14時開演
磯子公会堂 入場無料(全席自由)
ご来場をお待ち申し上げます。
(@磯子公会堂)
待望の、ホールでの音出し。
これまでの練習の積み重ねが報われる瞬間でもある。
「キャンディード序曲」「亡き王女のためのパヴァーヌ」、
そしてホルスト「第一組曲」…
今回、どの曲も "響き" そのものにこだわってきた。
そんな僕の強い思いに、メンバーはよく応えてくださっている。
稽古終了後、メンバー十数人とファミレスで食事。
みんな、とってもリラックスしている…お喋りも尽きない。
〜これがホルツのいい所なんだよな。〜
心から…心の底から楽しんでいるのだ。
仲間との語らいを、そして音楽を。
「音楽すること」の原点が、ここにある。
明日のステリハで初めて全員が揃う。
(多忙な社会人中心のバンドゆえ、やむを得ない)
どんなサウンドになるか、楽しみだ。
§ホルツブラスカペーレ 第37回定期演奏会
6月19日(日)14時開演
磯子公会堂 入場無料(全席自由)
ご来場をお待ち申し上げます。
2011年06月15日
頭の中のクールダウン
この週末はホルツ・ブラス・カペーレの演奏会。
東京農工大グリークラブの稽古もいよいよ大詰めだ…
複数のプローベを並行してこなしたあとは、
脳みそをすっきりとリフレッシュしたくなる。
アスリートが疲れた筋肉をクールダウンするように。
「フーガの技法」、そして「音楽の捧げもの」。
これらが最近の僕のお気に入りである。
どちらも、バッハの器楽作品の最高峰といってよい傑作だ。
バロック期の音楽を総決算したバッハ。
その晩年、すでに時代遅れと見なされていた「フーガ」に、
彼はこれらの作品を通して改めて生命を吹き込んだのだ。
「愉しい」「哀しい」といった浅薄な感情に溺れない、
純粋に「美しい」音楽である。
後世の音楽家達がみな、一度ならずバッハに立ち返る…
その理由が、今さらながら分かる気がする。
音楽の持つ「根源の美」がここにあるのだ。
東京農工大グリークラブの稽古もいよいよ大詰めだ…
複数のプローベを並行してこなしたあとは、
脳みそをすっきりとリフレッシュしたくなる。
アスリートが疲れた筋肉をクールダウンするように。
「フーガの技法」、そして「音楽の捧げもの」。
これらが最近の僕のお気に入りである。
どちらも、バッハの器楽作品の最高峰といってよい傑作だ。
バロック期の音楽を総決算したバッハ。
その晩年、すでに時代遅れと見なされていた「フーガ」に、
彼はこれらの作品を通して改めて生命を吹き込んだのだ。
「愉しい」「哀しい」といった浅薄な感情に溺れない、
純粋に「美しい」音楽である。
後世の音楽家達がみな、一度ならずバッハに立ち返る…
その理由が、今さらながら分かる気がする。
音楽の持つ「根源の美」がここにあるのだ。
2011年06月10日
我が農工グリー
昨日の稽古前、僕はツイッター上でこんなことを呟いていた。
kazuya_ozawa 農工大グリークラブのレッスン、今日は男声。
練習時間が強制シフトされたせいで、出席率が悪い。与えられ
た条件下でベストを尽くすしかないのは解っているのだが…
そしてレッスン後…
kazuya_ozawa 農工グリー男声練習、はかばかしい進歩は見ら
れず。僕の求める領域と彼らの目指すレベルとの差が埋まらな
いのが残念。
少人数ゆえに、一人一人の力量が如実に現れてしまうのだ。
ここまで手詰まりだと…
「残念」を通り越して「悔しい」。
この悔しさは…メンバーにとっても同じではないかと思う。
僕に悪態をつかれながらも、それを必死に受け止めている彼らの表情。
それを見て、僕は感じた。
「悔しい」と思っているということは、まだ脈アリなのだと。
ここから化けてくれる、豹変してくれると信じている。
僕はギリギリまであきらめない。
kazuya_ozawa 農工大グリークラブのレッスン、今日は男声。
練習時間が強制シフトされたせいで、出席率が悪い。与えられ
た条件下でベストを尽くすしかないのは解っているのだが…
そしてレッスン後…
kazuya_ozawa 農工グリー男声練習、はかばかしい進歩は見ら
れず。僕の求める領域と彼らの目指すレベルとの差が埋まらな
いのが残念。
少人数ゆえに、一人一人の力量が如実に現れてしまうのだ。
ここまで手詰まりだと…
「残念」を通り越して「悔しい」。
この悔しさは…メンバーにとっても同じではないかと思う。
僕に悪態をつかれながらも、それを必死に受け止めている彼らの表情。
それを見て、僕は感じた。
「悔しい」と思っているということは、まだ脈アリなのだと。
ここから化けてくれる、豹変してくれると信じている。
僕はギリギリまであきらめない。
2011年06月09日
激辛
農工グリーの稽古のあと、今日は武蔵小金井駅方面に出てみる。
Twitterのフォロワーさんが以前薦めてくださったカレー屋さんを探す。
ありました、『カレーの店 プーさん』。
店名も店構えも洋風。
だけど…メニューはインドカレー専門。
一瞬たじろいだが、せっかく来たので食べてみることに。
ポークカレー。
辛さは5段階中の "3" を選ぶ。
それでも、僕には充分スパイシー。
(奥深い味がするようなのだが、辛過ぎてわからなかった)
食後のアイスクリームに救われた気分。
このお店、
いま調べたら「野菜カレー」が有名らしい…
こっちにすればよかったかな(?)
もしも次回行ったらば、これにしよう。
ただし…辛さは "2" で!
2011年06月08日
「ノスタルジア」
農工グリーの女声合唱練習へ。
信長貴富編曲による日本名歌集をじっくりとさらい込む。
どの曲もアレンジに工夫が凝らされ、楽しい。
中でも傑作なのが『村の鍛冶屋』。
「トカトントン」「ティキティン」「ザザザー!」…
早口&擬音のオンパレードが面白い。
鋼を打つペースは次第にヒートアップし…
キーもG→B→Hと、どんどん上がってゆく。
そして最後は…?
「朧月夜」「里の秋」「この道」も、美しいハーモニーで大いに聞かせる。
アカペラ女声合唱曲のアキレス腱とも言える "ベースライン" の処理が実に巧みなのだ。
最後にアンコール曲(タイトルは内緒!)を練習する。
これも素敵な作品。
〜演奏会まであと半月、稽古もいよいよ佳境へ〜
信長貴富編曲による日本名歌集をじっくりとさらい込む。
どの曲もアレンジに工夫が凝らされ、楽しい。
中でも傑作なのが『村の鍛冶屋』。
「トカトントン」「ティキティン」「ザザザー!」…
早口&擬音のオンパレードが面白い。
鋼を打つペースは次第にヒートアップし…
キーもG→B→Hと、どんどん上がってゆく。
そして最後は…?
「朧月夜」「里の秋」「この道」も、美しいハーモニーで大いに聞かせる。
アカペラ女声合唱曲のアキレス腱とも言える "ベースライン" の処理が実に巧みなのだ。
最後にアンコール曲(タイトルは内緒!)を練習する。
これも素敵な作品。
〜演奏会まであと半月、稽古もいよいよ佳境へ〜
2011年06月03日
珈琲
今日は久しぶりの快晴。
合唱団あしべの稽古のあと、神保町で何となく途中下車。
美味しいコーヒーが飲みたいなと思い…
Google検索して見つけたお店がここ。
こぢんまりとした、雰囲気のある店内だ。
ふだん家でも飲んでいるマンデリンをいただく。
黙々とコーヒーを淹れ続けるご主人、接客にあたられている女性(奥様だろうか)の応対がとても丁寧で好感度大!
また来たいな…と自然に思える、素敵なお店だった。
2011年06月01日
私の愛聴盤(23)
§J.S.バッハ/平均律クラヴィーア曲集
エトヴィン・フィッシャー(pf)
('33〜36年録音)
別名「ピアノの旧約聖書」。
まさに絶妙の例えである。
(このようになぞらえたのはハンス・フォン・ビューローだったろうか)
そのおかげでというわけでもないが…
僕はこの曲集を長年「聳え立つ山の頂」のように捉えていた。
そして、聖なるものとして貴ぶあまり、逆に距離をおいてこれらに接して来たような気がする。
そんな呪縛から僕を解き放ってくれたのが、フィッシャーのこの演奏だ。
もちろん、彼の解釈が「俗っぽい」とか、単に「解説的で解り易い」ということでは決してない。
フィッシャーはここで、最大の畏敬の念をもってバッハと向かい合っている(と、僕は思う)。
加えてそこには「楽曲への深い愛」があるのだ。
それは、実に自然に、それでいてよく歌う演奏となって表れている。
特に、「バスがよく歌う」。
ここで突然思い出したことがひとつ…
僕は中学生の頃、吹奏楽部でテューバを吹いていた。
そこで出会った二人の恩師がO先生とT先生。
そのお二人が(それぞれ別の機会に)僕に向かって
「君のバスはよく歌うねえ」とおっしゃったのだ。
嬉しかった。
テューバは前打ちばかりやらされるのだが、その中で
自分なりに旋律や和声を感じて演奏していたからだ。
…
話が大脱線してしまったが…
「歌うバス」、
これをバッハのクラヴィーア曲でこれほどまでに感じることができたのは(しかも品よく!)フィッシャーが初めてかもしれない。
大きな構えの中にも、しなやかさと立体感を持った佳演だと思う。
エトヴィン・フィッシャー(pf)
('33〜36年録音)
別名「ピアノの旧約聖書」。
まさに絶妙の例えである。
(このようになぞらえたのはハンス・フォン・ビューローだったろうか)
そのおかげでというわけでもないが…
僕はこの曲集を長年「聳え立つ山の頂」のように捉えていた。
そして、聖なるものとして貴ぶあまり、逆に距離をおいてこれらに接して来たような気がする。
そんな呪縛から僕を解き放ってくれたのが、フィッシャーのこの演奏だ。
もちろん、彼の解釈が「俗っぽい」とか、単に「解説的で解り易い」ということでは決してない。
フィッシャーはここで、最大の畏敬の念をもってバッハと向かい合っている(と、僕は思う)。
加えてそこには「楽曲への深い愛」があるのだ。
それは、実に自然に、それでいてよく歌う演奏となって表れている。
特に、「バスがよく歌う」。
ここで突然思い出したことがひとつ…
僕は中学生の頃、吹奏楽部でテューバを吹いていた。
そこで出会った二人の恩師がO先生とT先生。
そのお二人が(それぞれ別の機会に)僕に向かって
「君のバスはよく歌うねえ」とおっしゃったのだ。
嬉しかった。
テューバは前打ちばかりやらされるのだが、その中で
自分なりに旋律や和声を感じて演奏していたからだ。
…
話が大脱線してしまったが…
「歌うバス」、
これをバッハのクラヴィーア曲でこれほどまでに感じることができたのは(しかも品よく!)フィッシャーが初めてかもしれない。
大きな構えの中にも、しなやかさと立体感を持った佳演だと思う。