2011年08月31日

ライヴ三昧

今日はコンサートをハシゴ。


まずは銀座へ。
「ツイ友」のフルートティスト、岩下智子さんを中心としたランチタイムコンサート。
(@銀座十字屋ハープ&フルートサロン)

バッハの無伴奏パルティータ、素晴らしかった。
フロアは広くなく、奏者をぐるりと囲むようにいっぱいのお客様。
僕も、およそ5mほどの至近距離(?)から拝聴する。
ややデッドな空間だった分、彼女の奏でる音色そのままを味わうことができた。
一本のフルートが描くポリフォニーの世界。
あるときはバッハの音楽と正面から対峙、
またあるときは、その音の軌跡にそっと寄り添うような…
そんな岩下さんのたたずまいが素敵だった。

プログラムの最後は、ヴァイオリンとハープが加わって、同じくバッハの二重協奏曲が演奏された。
オリジナルは2台のヴァイオリンのための作品だが、うち一つをフルートに置き換えることにより、かえって掛け合いの綾が浮き上がるような効果が生まれていたように思う。


夕刻、上野に移って、アカペラ合唱団「フォルトゥーナ」の演奏会を聴く。
(@東京文化会館小ホール)
フォルトゥーナは11名編成。
(SATB、順に3+3+2+3)
指揮は小濱明さん。

プログラム前半がとてもよかった。
曲はビクトリア(1548−1611)とミシュキニス(1954−)のモテット。
ビクトリア、僕の大好きな作曲家である。
対位法を駆使しつつも明快な旋律線とダイレクトな感情の起伏があり、まさしく「ルネサンス」と「バロック」を結ぶ線上に位置する巨匠である。
対するミシュニキス、僕は今日初めて彼の作品を聴いたのだが、それらは複雑な和声感の中に静謐さと神秘性を湛えていて美しい。
強力なベースを中心に安定したハーモニーを楽しんだ。


美しい音楽を「お腹いっぱい」聴いて、家路につく。
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2011年08月26日

新たなる飛躍へ

今日8月26日は、
N響名誉指揮者としてお馴染みのマエストロ、
サヴァリッシュさんの誕生日。
そして…不肖私の誕生日でもある。


特段変わったこともない、雨の金曜日。
ベートーヴェンなど聴きながら、ゆったりと過ごす。
ひとつの節目として、ここまでの歩みを振り返り、
これからの自分が進むべき道を思う。


佳い音楽をすること。
そのために…善く生きること。
改めて、この一年に飛躍を期す。


 今後とも、小澤和也と「音楽ノート」を
 よろしくお願いいたします。
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2011年08月25日

「霧と話した」

中田喜直の「霧と話した」。
合唱団あしべが、この秋の合唱祭に向けて取り組んでいる曲だ。
オリジナルは独唱歌曲である。
1960年の作曲であるから、既に半世紀を越えて歌われていることになる。


わたしの頬はぬれやすい
わたしの頬がさむいとき
あの日あなたがかいたのは
なんの文字だかしらないが
そこはいまでもいたむまま

そこはいまでもいたむまま
霧でぬれたちいさい頬
そこはすこしつめたいが
ふたりはいつも霧のなか
霧と一緒に恋をした

霧と一緒に恋をした
みえないあなたにだかれてた
だけどそれらがかわいたとき
あなたはあなたなんかじゃない
わたしはやっぱり泣きました

(作詩 鎌田忠良)


失われた恋への哀しい回想。
わたしの心に何かを残していったあなた。
「霧」とは、わたしの夢か…あるいは幻想だろうか。

三連からなる詩であるが、第一連の終わりと第二連のはじめ、
さらにその連の終わりと次の連のはじまりが同じである。
これにより、音楽により自然な流れが与えられているのだ。

その音楽は A−A'−B−A" の構成。
(最後の A"では第一連を繰り返す)

A& A'部の旋律はヘ短調。
きわめて滑らかに歌われるが、アルト声部やソプラノのオブリガートに時折現れる「増2度」音程がどことなく不安な雰囲気を醸している。

対するB部は変イ長調で始まるが、すぐに高まりを見せ、
「あなたはあなたなんかじゃない」の部分で激しい叫びとなる。

最後の A"部は主題の残像のごとく響く。
そして、救いなく消え入るように終わるのだ。

3分程度の短い曲だが、
美しい佇まいと限りない幻想性をもった佳品である。
あしべのあたたかい声で、優しく歌いあげたい。
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2011年08月23日

出会い、そして感動…(2)

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(続き)
山枡信明さんのリサイタル、
後半のプログラムはまず、日本歌曲でスタート。
「箱根八里」が始まるとすぐに、客席の空気が一気に和んだ。
瀧廉太郎、山田耕筰、そして平井康三郎の作品から、
「荒城の月」「この道」「平城山」など、馴染み深い名曲の数々。

中でも山田耕筰の「野薔薇」に感動。
…何て美しい詩、そしてメロディ!

  野ばら 野ばら かしこき野ばら
  神の聖旨(みむね)を あやまたぬ
  曠野(あらの)の花に 知る教え
  かしこき野ばら

  (三木露風作詩、上記は歌の二番)

そして平井康三郎の「平城山」と「九十九里浜」、
この2曲はいずれも、北見志保子の短歌に曲が付けられている。
聴きながら、平井秀明氏(お孫さん)の曲を思い出していた。
彼のオペラ『かぐや姫』『小野小町千年の恋』では、平安朝期に詠まれた短歌がアリアのテキストになっているのだ。
(あれはお祖父様譲りのスタイルだったのだな…)


さて、この日手にしたパンフレット、
山枡さんのこだわりが随所に見られる。

冊子の内容はテキストとその対訳が中心である。
開演前のアナウンスでも
「パンフレットをご覧になりながらお楽しみください」との案内が。
そう、山枡さんは「言葉を伝えること」に意を尽くしていらっしゃるのだ。

そして…
さらなるこだわりが、印刷のレイアウトと紙質。
曲の途中でページをめくる必要がほとんど無いように組まれている。
加えて、めくっても音が出にくい厚手の紙なのだ。
聴衆へのこうした細かい気配りが有り難い。


最後はブラームスの歌曲。
まず歌われた「ジプシーの歌」は、オリジナルが混声合唱曲である。
実は…僕はこの作品を大学の合唱団で歌っているのだ。
懐かしい気持ちでいっぱいになりながら聴く。
そして、トリは「郷愁 2」と「永遠の愛」。
名歌の夕べを締めるに相応しい、確信に満ちた歌唱であった。


アンコールは「椰子の実」と「楽に寄す」。
日本を離れてドイツで活動されている山枡さんの心境、
そして、親愛なる音楽への尽きぬ感謝の思いが溢れる二曲であった。
最後まで、品格のある素晴らしい選曲に感動…


終演後のロビーで、山枡さんと対面した。
初めてなのに…
なぜかお互いにガッチリと握手。
今宵の感謝の気持ちを伝え、会場を後にした。

(了)
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2011年08月21日

街角にて

先日、通りすがりに見つけた建物。
これ、なんと読むのだろう?
 「ち」だと…うーむ、ちょっとイヤだなあ。
  ならば「じ」か…地ビールと読みたくなる!
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昨日、とある駅前で発見したお店。
店構えと店名が、どうにもこうにもミスマッチ。
ネーミングの由来を確かめたかったが…
お腹いっぱいだったので断念。
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2011年08月19日

出会い、そして感動…(1)

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山枡信明さんのリサイタルを聴く。
(8月18日(木)/神奈川県民ホール小ホール)

山枡さんはデュッセルドルフ在住のテノール歌手。
知り合ったきっかけは…
ツイッターを通してのお喋りだ。
いつも含蓄のあるつぶやきを書かれていらして、すぐに意気投合。
この日が待望(?)の初対面である。


「夏のリサイタル10周年記念」と銘打って開かれた昨晩のリサイタル。
ドイツリートを中心とし、その間に日本歌曲を挟む形の、実に盛りだくさんなプログラムであった。
まず前半は…
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、そしてR.シュトラウス(これだけでもすごいラインナップ!)の名曲の数々。
やや緊張気味のスタートだったが、ほどなくホールの響きと馴染んできたようであった。
山枡さんの声は常に柔らかく美しい。
また、決して楽曲を力で征服しようとなさらない。
歌声とテキストとの調和、さらには伴奏ピアノとの調和を常に意識されている。
シューベルトでは『夜と夢』のピアニシモが絶美。
次のシューマンでは『静けさ』と『月夜』がattaccaで歌われた。
あたかも、広い空間に美しい弧をスッと描くように。
思わず客席で(納得!)と呟く。


そしてシュトラウス。
『万霊節』が、まさに感動的な歌唱!

  万霊節とは…
  キリスト教で、この世を去ったすべての信徒を
  記念する日。11月2日。(広辞苑より)

詩は三つの部分からなる。
はじめの二節では、愛する人に優しく話しかけているかのようだ。
 《ふたりでもう一度愛を語ろう
  かつての五月のように…》
そして…第三節は次のように始まる。
 《今日はどの墓にも花が飾られ
  香りを放っている…》
そう、愛する人は亡き人だったのだ。


その第三節に入ったところで、
舞台上の山枡さんが浮かべたこのうえなく優しい微笑み。
(少なくとも僕にはそう見えた!)
その瞬間…
僕は込み上げる気持ちをほとんど抑えられなくなっていた。
旋律とテキストとの妙なる調和がそこにあった。


プログラム後半については…
改めて書くことにしよう。
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2011年08月17日

ブノワな一日

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8月17日は、わがペーテル・ブノワの誕生日。
(177歳ということになる)
一日中彼の作品を聴き、スコアを読んで過ごす。


そして今日は、世界的にはほとんど知られていないこの愛すべき巨匠について、朝からツイッターでつれづれなるままに呟いてみた。


まずは、簡単なプロフィールから。

 1)1834年ベルギー・ハレルベーケ(フランデレン)生まれの作曲家・
 教師。ブリュッセル音楽院に学ぶ。1857年カンタータ「アベルの殺害」
 でベルギー・ローマ大賞受賞。ドイツ、ボヘミアに留学。その後オペラ
 作曲家を志しパリへ出るも成功せず、アントウェルペンへ戻る。

 2)→1867年、アントウェルペンに音楽学校を設立。《当時国内で優位
 であった仏語でなく》フラマン語による音楽教育の確立のために尽力す
 る(1898年、この学校は王立フランデレン音楽院に昇格)。1893年、フ
 ラームス歌劇場を設立。1901年、アントウェルペンにて死去。

 3)ブノワはその後半生を母国語での音楽教育に捧げたため、没後はナ
 ショナリストのレッテルを張られてしまうことになります。また教育者
 としてのイメージが先行して、ベルギー国内ですら「誰もが名前は知っ
 てるけど作品は知らない」という状況です。

 4)→実際、彼の中〜後期作品にはオラトリオ「スヘルデ川」、劇音楽
 「ヘントの講和」、カンタータ「フランデレン人の芸術の誇り」(副題
 :ルーベンスカンタータ)や多くの子供カンタータなど、教育的・啓蒙
 的な作品が多いのは確かです。ずばり「我が母国語」なんてタイトルの
 歌曲もあります。

 5)→しかし彼の作品はそれだけではありません。パリ時代を含む20〜
 30代に書かれた「宗教曲四部作」や「フルートと管弦楽のための交響詩
 」「ピアノと管弦楽のための交響詩」(いずれも実質は協奏曲)など、
 ナショナリズムの色眼鏡にとらわれずにもっと広く聴かれていい佳品が
 あるのです。


次に、現在聴くことのできる数少ない音源から、僕の好きな作品をいくつか紹介。

 6)【ミサ・ソレムニス】1860年パリで作曲。宗教曲四部作の第2曲。
 僕が初めて聴いたブノワ作品。最大の特徴は彼が好んで用いた大小の二
 重合唱。全編美しい旋律と豊かなハーモニーに満ちた名作。ラハバリ指
 揮BRTNフィル、ジョージ(T) ベルギーTALENT/DOM2910 88

 7)【フルートと管弦楽のための交響詩】1865年作曲。生地ハレルベー
 ケの古い伝説にインスパイアされた幻想的な響きと土の香り、華麗な技
 巧。数少ないロマン派の管楽器協奏曲の名品。デフレーセ指揮王立フラ
 ンダースフィル、ファン・リート(fl) MARCO POLO/8.223827

 8)【ルーベンスカンタータ】1877年作曲。生誕300年を迎えた著名な
 画家の名の下に、フランデレン芸術の偉大さを高らかに歌う。大衆のた
 めの共同体芸術的大作。作風は平明。児童合唱の歌う「カリヨンの歌」
 が感動的。デ・フォホト指揮王立オペラ管弦他 ベルギーEUFODA/1158


 9)彼の作曲スタイルはその生涯の中で様々に変化を遂げる。初期のピ
 アノ曲などはショパン風。充実期においてはメンデルスゾーンやヴェー
 バーの影響を感じさせる。その後大胆な非古典的和声を多用する時期を
 経て、啓蒙的でシンプルな作風に到達するのだ。先のミサや協奏曲は充
 実期の作品だ。

 10)そして彼には、ミサと同時期に書かれた「レクイエム」があります
 。市販の音源は無く、本国でも数回しか演奏されていませんが、これが
 とても美しい作品なのです。二重合唱+少年合唱の清澄な響き、神秘的
 なホルンソロ…これらブノワ作品を日本で演奏したい〜これが僕のライ
 フワークです。

ささやかなる拙文だが、これからブノワが少しずつでも知られていくようになればと願う。


いま、これを書きながら、彼の中期の大作、カンタータ「スヘルデ川」を聴いている。
テキストはもちろんフラマン(オランダ)語。
ドナウといい、ヴルタヴァ(モルダウ)といい、川というものはやはりアイデンティティの象徴なのだなと、改めて感じている。

 Gefeliciteerd met je verjaardag, Peter!
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2011年08月14日

私の愛聴盤(25)

§ベートーヴェン/交響曲第7番
 クラウス・テンシュテット指揮北ドイツ放送響
 ('80年ライヴ録音)


とにかく人気の曲。
レコードの種類も多いし、プロ・アマを問わず演奏会でもよく取り上げられる。
これまでにどれだけこの曲を聴いただろうか…
加えて「のだめカンタービレ」がさらなるブームを巻き起こしたようだ。
僕自身は映画もコミックも見ていないので分からないのだが…


第1楽章の序章は、スコアの指示(Poco sostenuto)の通り、幅広さと格調の高さをもって始まる。
低弦の圧倒的なパワーと存在感、
そしてほのかに見え隠れするフルートの音色の美しさ。
主部に入ってからも、快活さの中に余裕を持った音楽が展開される。
第5交響曲や熱情ソナタ、あるいはラズモフスキー四重奏曲のような、たたみかけるような緊張感、凝縮された激しさとはひと味違うこの「第7」の作風・特徴を、この演奏ははっきりと感じさせてくれる。
そう…
これは「リズムの神化」であると同時に「カンタービレ」な交響曲なのだ。


続く第2楽章は「無為の美」である。
我がフルトヴェングラーのように慟哭することはなく(これはこれで大好きだ!)、静かに淡々と流れてゆく。
各楽器のブレンドされた音色…それだけで美しい。
それは取りも直さず、ベートーヴェンのオーケストレーションがいかに卓越しているかということだ。


熱狂と怒涛の第3楽章が終わった直後…
プレイヤー達が急いで譜面をめくるパラパラという音が録られている。
このあたり、ライヴらしくて面白い。
しかも、それを待ちきれないかのようにテンシュテットはタクトを振りおろしている(ように聞こえる)。
実際、すぐにでも始めたかったのだろうな…
そのフィナーレは予想通り、指揮者とオーケストラの「鍔ぜり合い」だ。


堂々と落ち着き払った前半二楽章、
そして突如燃え上がる第3、第4楽章…
何たる対比!
ライヴというものの楽しさ、素晴らしさがここにある。
 「音楽とは」
 「演奏とは」
 「ベートーヴェンとは」
  …
聴くたびにいろいろなことを考えさせてくれる、僕のお気に入りである。
posted by 小澤和也 at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2011年08月11日

una vacanzetta

ぶらりと高崎へ。
さすがは群馬県…暑い!

駅構内のあちらこちらに「ミストシャワー発生器」。
(正確な呼び名は不明)
画像では分かりにくいけれど、かなり豪快に霧を噴き出している。
真下を通ると、一瞬気持ちよかった。
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駅近くの「レストラン momo」。
ワインとベルギービールの店、ということだが…
お目当てはもちろんベルギービール。
まずはじめにシメイ・レッド、
続いてハウデン・カロリュスをいただく。
この香ばしさがたまらない。

料理も美味しかった。
この日の僕的 No.1は…ズッキーニのチーズ焼き。
素材の味そのまんま。 Simple is best...!
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駅のホームで偶然見かけた「SL レトロ碓氷」。
はじめは全然気づかず、
(何だかレトロな客車が停まってるなあ)などと思いつつ前を見ると…
先頭の機関車がなんと "C61"!

このメカニカルで重厚な姿…
僕は鉄道マニアではないけれど、蒸気機関車にはやはり男子のハートをくすぐる不思議な力があると思う。
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レトロ碓氷を横目に見ながら、おとなしく高崎線で帰途へ。
のんびりと、佳い時間であった。
posted by 小澤和也 at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年08月08日

カトピリ

今日は立秋。
この暑さ、暦のうえでは「残暑」ということになるのだが〜
まったくもってピンと来ない。


それはさておき、
僕の好きな「涼」の音楽がある…
ボサノバだ。
そんなにあれこれ詳しいわけではないが、小野リサの声は大好き。


最近ヤフオクで手に入れたのが "Catupiry"(カトピリ)というアルバム。
これが期待通りの「涼しさ」!
もちろんブラジルの「熱い」音楽なのだが、同時に覚える「さらっと乾いた空気感」がたまらない。
加えて、ボサノバに特徴的なシンコペーションのリズム(いわゆる "2拍三連符" に近いそれ)が何とも言えない気怠さを醸し出す。
夕方少し前の浜辺のたたずまい…のような。


ところで「カトピリ」って何だろう?
ちょっぴり気になって調べてみた。
…「ブラジルの代表的なクリームチーズ」なのだそうだ。
アルバムの1曲めがズバリ「カトピリ」。
『カトピリの効いた海老のグリルで夕食を〜』
なんて歌われている…
いいなあ。食べてみたい。


涼しくて、ちょっぴりお気楽なボサノバ。
扇風機、グリーンカーテンとともに…
ぜひ一度、お試しあれ!
posted by 小澤和也 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年08月07日

光は希望

昨日、母校へ出かけ、久しぶりに校歌を歌った。
秋に行われる「青春かながわ校歌祭」のための練習へ。

20数年ぶりの校歌は懐かしく…
またそれ以上に鳥肌モノであった。
練習を始めてすぐに思い出す。
…そう、在学当時から僕はこの曲が大好きだったのだ。

「光陵高校の歌」はオリジナルが混声四部合唱である。
テンポはモデラート、繊細な和声、そして流れるようなメロディ。
分析というほどでもないが、楽曲構成を少し眺めてみると…

・1コーラスは22小節、それも(4+7+6+5小節)と自由な構造
・二度現れる間奏は、各々異なるニュアンスが施されている
・3番は結尾が反復拡大され(4+7+6+7小節)、そのまま後奏
 へと繋がってゆく

…と、なかなか凝ったつくり。
一般的な校歌のイメージとはかなり異なるように思う。
そこに独特の魅力を感じるのだ。

OB会の皆さんと声を合わせるのが、これまた楽しい。
9月の本番が待ち遠しいな。


 光陵高校の歌  作詞:石渡比泥夫

1.光は希望 その光あふれる陵に
  陽に向かう芽ばえの息吹き
  玲瓏大気は澄みて 若き生命に薫る
  友よ 青雲の心は高く
  英知未来を探るもの
  光陵高校 われら ここに 生きる

  2.光は力 その光あまねき土に
    伸びゆくは若木のみどり
    光陵 われをつくり われら 光陵をつくる
    友よ 大地深くその根を鍛え
    富士に不屈を誓うもの
    光陵高校 われら ここに 励む

3.光は理想 その光きらめく空に
  ひろがるは若人の声
  群青の風にとけて 未知の星を拓く
  友よ 新しき世界の夢に
  今日の実りをつなぐもの
  光陵高校 われら ここに 育つ
posted by 小澤和也 at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年08月04日

読書な一日

ヤフオク落札した本が届いた。
『佐藤可士和の超整理術』と
『脳を「見える化」する思考ノート』(午堂登紀雄)。
さっそく読んでみた。


まずは『超整理術』から。
タイトルに惹かれて手に入れたのだが…
端的に言えば、
「敏腕アートディレクターである佐藤氏の仕事ぶりとその実例、氏の思考回路を知る」ための本だ。
発泡酒、ユニクロ、そして国立新美術館…
氏の斬新な発想とそこから生み出された作品には大いに感心させられたが、期待していた内容とはちょっと違ったかも。


そして先ほどから『見える化〜』を読み始める。
これはいわゆる正統派「自己啓発本」、僕の好きなタイプの書物だ。
まだ途中までだが、「おっ」と思える瞬間があってうれしい。
実は、何年も前から僕も「ノート」をつけている。
僕の使い方と比べながら読むのも楽しい。
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年08月03日

プチ模様替え

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ふと思い立って、居間の敷物を替えてみた。
インド綿ラグ。2580円也。


模様替えはわりと好きだ。
なぜなら…部屋がきれいになるから。
(日々の片付けが苦手なだけ、というのは内緒である)
今日読んだ本にも、
「年末の大掃除のような義務感はダメ」と。
頭では解っているのだけれど…


インド綿、肌触り(というか足裏触り)が涼やかで気持ちいい。
もっと早くやればよかった。
この夏〜秋はこれでいこう。
posted by 小澤和也 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記