2011年10月31日
「天使」の歌声
女子美音楽部のミニコンサートを聴く。
(28日、女子美術大学相模原キャンパス)
音楽部は、学業や作品制作などの傍らで精力的に活動する女声合唱団。
女子美祭でのステージは、そんな彼女らの大切な「アウトプット」の場だ。
そして…
今年も3週にわたって集中的に、レッスンをご一緒した。
歌唱への指導はもちろんのこと、学生指揮者への指揮の指導も…
その意味では、僕にとっての "Shipment" でもある。
僕がずっと言い続けてきたのは、
伝達手段としての「発声」「言葉(歌詞)の処理」、
そして「音楽の"流れ"への意識」だ。
それらを用いて『何を伝えたいか』は、
表現者の卵である彼女らにすでに備わっている資質である。
以下は、僕が気に入った曲。
・コダーイ『天使と羊飼い』…
シンプルだが難曲。
少し粗さも目立ったが、よくここまで歌い込んだという努力を買う。
・信長貴富『天空歌』…
指揮者をはじめ、メンバーが如何にこの曲を愛しているかが手にとる
ように分かる歌声。
・『Hail Holy Queen』
ご存じ「天使にラブソングを」の劇中歌。
ゴスペルのノリは、若い彼女らの真骨頂。
なかなかいい本番だった。
毎年聴いているわけではないが、
こんなに楽しめた女子美祭ステージは久しぶりかも。
音楽部の皆さん、お疲れさまでした。
また一緒に音楽をしよう。
2011年10月28日
ペーテル・ブノワへのオマージュ
我がペーテル・ブノワにまつわる古いポスターが、彼の母国ベルギーから届く。
アイテムは全部で3点。
いずれもインターネットオークション(eBay.be)でゲットしたものだ。
まずはこれ。
"HULDIGING van PETER BENOIT"(ペーテル・ブノワへのオマージュ)
と題された、1934年(ブノワ生誕100周年)の祝祭イベントのものだ。
彼の誕生月に合わせて、8月に開催されたのだろう。
初日(8/11)のプログラムは、オラトリオ「戦争」。
"700名のプレイヤーによる" と銘記されている。
1870年代前半、ブノワの最充実期に書かれた超大作だ。
(残念ながら私はまだ聴いたことがない…スコアは持っているのだけれど)
2日目(8/12)に催されたのは
「ペーテル・ブノワ展覧会」開幕と「モニュメントの除幕」、
ならびに「スヘルデ川」の上演。
(こちらは 800人編成だそうだ…とにかく彼の曲はスケールが大きい!)
「戦争」よりも少し前の時期の作品で、全編にわたって愛国心と幸福感に満ちたオラトリオである。
話はやや逸れるが、
国家、あるいは民族というものを意識する中で
「川」は実に密な存在なのだな、と改めて感じる。
ドナウしかり、
ライン、ヴルタヴァ、そしてこのスヘルデも。
そして最終日(8/13)は…
フランデレン歌劇場での「声楽コンクール」が開催されている。
やはりブノワの作品が歌われたのだろうか。
改めてポスターを眺めてみた。
シックで上品な文字のレイアウトと色遣いが美しい。
どのポスターにも、いちばん上の部分に
"STAD ANTWERPEN"(アントウェルペン市)と記されている。
ブノワの存在、そして功績が、いかにこの街、ひいてはフランデレンによって大切にされているかが、このポスターから見て取れる。
残りの2枚については…また今度。
2011年10月26日
「手」を「投げる」街
録画しておいたBS日テレ
「大人のヨーロッパ街歩き〜アントワープ」を観る。
美しい町並み、壮大な大聖堂の佇まい、
流行最先端のファッション・ジュエリー、そしてグルメの数々…
のんびりとした気分で画面を眺めていた。
ところが…
旧市街の広場前、
「切断された手を投げようとする男」
の像が映し出された場面で、こんなナレーションが。
「街の港で悪さをする巨人が兵士を退治し、手を切って川に
投げ捨てた、という伝説がアント(=手)ウェルペン(=
投げる)という名前の由来になっています…」
は?
悪い巨人が兵士を退治?
逆だろ?
「ローマ人の兵士ブラボーが、悪い巨人の手を切って投げ捨てた」
というのが通説のはず。
少し細かく言えば…
「悪い巨人が、この地の港を航行する船から法外な通行料を
取っていた。払えない船に対しては、その船長の手を切っ
て海に捨てていた。
そこへやって来たローマ人兵士ブラボーが、巨人と戦って
彼を退治し、その手を切って投げ捨てた」
というものである。
そもそも、これでは日本語としておかしくないか?
「退治する」というのは、
"害をなすものをうち平らげる" ことであるのに…
(広辞苑より)
民放TV局の取材力・文章構成力って、こんな程度…?
ちょっとガッカリしてしまった。
「大人のヨーロッパ街歩き〜アントワープ」を観る。
美しい町並み、壮大な大聖堂の佇まい、
流行最先端のファッション・ジュエリー、そしてグルメの数々…
のんびりとした気分で画面を眺めていた。
ところが…
旧市街の広場前、
「切断された手を投げようとする男」
の像が映し出された場面で、こんなナレーションが。
「街の港で悪さをする巨人が兵士を退治し、手を切って川に
投げ捨てた、という伝説がアント(=手)ウェルペン(=
投げる)という名前の由来になっています…」
は?
悪い巨人が兵士を退治?
逆だろ?
「ローマ人の兵士ブラボーが、悪い巨人の手を切って投げ捨てた」
というのが通説のはず。
少し細かく言えば…
「悪い巨人が、この地の港を航行する船から法外な通行料を
取っていた。払えない船に対しては、その船長の手を切っ
て海に捨てていた。
そこへやって来たローマ人兵士ブラボーが、巨人と戦って
彼を退治し、その手を切って投げ捨てた」
というものである。
そもそも、これでは日本語としておかしくないか?
「退治する」というのは、
"害をなすものをうち平らげる" ことであるのに…
(広辞苑より)
民放TV局の取材力・文章構成力って、こんな程度…?
ちょっとガッカリしてしまった。
2011年10月22日
九段下へ
合唱団あしべの稽古へ。
16日の合唱祭ステージを無事に終え、メンバーの皆さんもほっと一息ムード。
今日から練習するのは、引き続き中田喜直作品だ。
おなじみ「雪のふるまちを」と、独特の和風の響きを持った「春の佛」の2曲にじっくり取り組んでゆく。
先週歌った「霧と話した」と同様、あしべの歌声と「春の佛」、とっても合うような気がする。
あっという間の楽しい2時間。
ランチをご一緒したあと、都営新宿線で九段下へ。
向かうは…タイ王国大使館。
こちらで、さきの大水害に対する義援金を受け付けている、と
Twitterの書き込みを通して知った。
にわかに心が動く…
「行こう!」
1階受付に進む。
傍らに置かれた募金箱。
ほんの少しばかりの気持ちを納め、受付の男性と言葉を交わす。
わざわざ来てくださってアリガトウゴザイマス。
これから、お互いにガンバリマショウ…
丁寧な日本語で話す彼。
「微笑みの国」の方らしく、その表情は穏やか。
心がすーっと落ち着いてゆくのを感じる。
やはり…来てよかったな。
一日も早い復興をお祈りします。
(参考)タイ王国大使館
東京都千代田区九段南 2-2-1
2011年10月19日
そうか、もう君はいないのか
最近入手し、一気に読んでしまった本のひとつだ。
経済小説のパイオニア・城山三郎氏の遺稿。
真の夫婦愛、そして家族愛が感動的に描かれている。
読了後、Twitterに思わずつぶやいた文章をここに再掲させていただく。
愛する夫人を亡くし、それきり止まってしまった時の中で
綴られたかのようなラブレター的回想記。
互いに相手を心から思いやる素敵なご夫婦の姿が美しく、
僕の心を震わせ、濡らす。
抱きしめる、手を握る、傍にいる…
なんと素晴らしい愛の形!
「オレンジ色がかった明るい赤のワンピースの娘」
「間違って、天から妖精が落ちてきた感じ」
作品の中で(将来の)奥様と出会った瞬間のことを、氏はこんなふうに記している。
どんなに素敵な方だったのだろう…
以下、僕の心に留まったフレーズをいくつか挙げてみたい。
終戦後、復員した当時のこと…
《立ち直るために、ひたすら本を読んだ。私は廃墟になって
生きていた。私はすべてを自分の手で作り直さなくてはな
らなかった。》
文筆の道を志し、苦闘する氏の心境…
《それで認められなければ、自分の力不足ということ。改め
て、自分にそう言い聞かせた。イタリアの経済学者パレー
トが好んだ、
「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで
行く」
という箴言を、何度も口ずさみながら。》
そして…
癌の宣告を受けた奥様を前にして…
《私は言葉が出なかった。かわりに両腕をひろげ、その中へ
飛び込んできた容子を抱きしめた。「大丈夫だ、大丈夫。
おれがついてる」》
淡々とした静かな語り口ながら、深い愛情に貫かれた素敵な作品。
互いへの尊敬の念、そして旅立ち(=永遠の別れ)に対する向き合い方…
僕自身もかくありたいと、心から思った。
経済小説のパイオニア・城山三郎氏の遺稿。
真の夫婦愛、そして家族愛が感動的に描かれている。
読了後、Twitterに思わずつぶやいた文章をここに再掲させていただく。
愛する夫人を亡くし、それきり止まってしまった時の中で
綴られたかのようなラブレター的回想記。
互いに相手を心から思いやる素敵なご夫婦の姿が美しく、
僕の心を震わせ、濡らす。
抱きしめる、手を握る、傍にいる…
なんと素晴らしい愛の形!
「オレンジ色がかった明るい赤のワンピースの娘」
「間違って、天から妖精が落ちてきた感じ」
作品の中で(将来の)奥様と出会った瞬間のことを、氏はこんなふうに記している。
どんなに素敵な方だったのだろう…
以下、僕の心に留まったフレーズをいくつか挙げてみたい。
終戦後、復員した当時のこと…
《立ち直るために、ひたすら本を読んだ。私は廃墟になって
生きていた。私はすべてを自分の手で作り直さなくてはな
らなかった。》
文筆の道を志し、苦闘する氏の心境…
《それで認められなければ、自分の力不足ということ。改め
て、自分にそう言い聞かせた。イタリアの経済学者パレー
トが好んだ、
「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで
行く」
という箴言を、何度も口ずさみながら。》
そして…
癌の宣告を受けた奥様を前にして…
《私は言葉が出なかった。かわりに両腕をひろげ、その中へ
飛び込んできた容子を抱きしめた。「大丈夫だ、大丈夫。
おれがついてる」》
淡々とした静かな語り口ながら、深い愛情に貫かれた素敵な作品。
互いへの尊敬の念、そして旅立ち(=永遠の別れ)に対する向き合い方…
僕自身もかくありたいと、心から思った。
2011年10月17日
会心の「歌ごころ」
快晴…を通り越して、夏の暑さを思わせるような日曜日だった。
江戸川区合唱連盟主催の第33回合唱祭に出演。
(タワーホール船堀 大ホール)
合唱団あしべの今年のテーマは「中田喜直」。
おなじみの「夏の思い出」「ちいさい秋みつけた」、そして「霧と話した」の3曲を手掛けた。
普段、どちらかといえば手狭な音楽室で稽古しているあしべにとって、大ホールはやはり慣れない空間である。
それでも、ステージでの発声練習やリハ室でのウォーミングアップで少しずつ勘を取り戻してゆく。
そして…本番。
今回、メンバーの楽曲への共感はとても強かった。
素晴らしい集中力と求心力。
この歌声の中にいつまでも浸っていたい、そう思えるほどであった。
あしべの皆さん、お疲れさまでした。
(打ち上げに参加できなくてごめんなさい)
これからも、いい歌をずっとずっと、歌っていきましょう!
2011年10月14日
小澤征爾の執念
NHKのドキュメンタリー
〜執念 小澤征爾 76歳の闘い〜 を観た。
はじめに書いておく。
僕は小澤さんが大好きだ。
僕が音楽家になるずっと前から、彼のファンである。
番組中、彼の指揮する「青ひげ公の城」は鬼気迫る音楽であった。
表現は峻烈さを極め、バルトークの描く救いようのない深い闇が十全に音化されていたと思う。
文字通りの「執念」であろう。
しかし…
僕はこの放送を観ながら、何とも言えない「痛々しさ」を感じない訳にいかなかった。
思うにまかせない己の右腕を嘆く小澤さんの姿。
「もう一回やり直させてくれないか」と、楽団員の前で…
僕がこんなことを書くのはおこがましいことこの上ないが、
「できれば見たくなかった…見せて欲しくなかった」
と思ってしまうのである。
タイトルが思い出せないのだが、岩城宏之さんがその著書の中で
「指揮者は健康でなければならない」
「弱っているさまを外にあらわしてはいけない」
といったようなことを述べられていたのが忘れられないのだ。
小澤さんの完全復活を心から願う。
〜執念 小澤征爾 76歳の闘い〜 を観た。
はじめに書いておく。
僕は小澤さんが大好きだ。
僕が音楽家になるずっと前から、彼のファンである。
番組中、彼の指揮する「青ひげ公の城」は鬼気迫る音楽であった。
表現は峻烈さを極め、バルトークの描く救いようのない深い闇が十全に音化されていたと思う。
文字通りの「執念」であろう。
しかし…
僕はこの放送を観ながら、何とも言えない「痛々しさ」を感じない訳にいかなかった。
思うにまかせない己の右腕を嘆く小澤さんの姿。
「もう一回やり直させてくれないか」と、楽団員の前で…
僕がこんなことを書くのはおこがましいことこの上ないが、
「できれば見たくなかった…見せて欲しくなかった」
と思ってしまうのである。
タイトルが思い出せないのだが、岩城宏之さんがその著書の中で
「指揮者は健康でなければならない」
「弱っているさまを外にあらわしてはいけない」
といったようなことを述べられていたのが忘れられないのだ。
小澤さんの完全復活を心から願う。
2011年10月11日
Real Artists Ship
"Real Artists Ship"
(本当の芸術家は、出荷する)
先頃亡くなったスティーヴ・ジョブズ氏の言葉だそうである。
(脳科学者の茂木健一郎さんが twitter上で紹介していた)
以下、茂木さんのツイートを少し引用させていただくと...
どんなに素晴らしい考えがあっても、感性がすぐれて
いても、美意識が深くても、それが形になって世の中
に出ていかなければ、伝わらない。
読んだ瞬間、心に何かが響いた。
思いを「形」にすることの大切さを改めて思った。
出荷して、評価を受ける。
それによって自分が磨かれ、新たな力となる。
これからの仕事、
常に "Shipment" を意識して向き合いたい。
(本当の芸術家は、出荷する)
先頃亡くなったスティーヴ・ジョブズ氏の言葉だそうである。
(脳科学者の茂木健一郎さんが twitter上で紹介していた)
以下、茂木さんのツイートを少し引用させていただくと...
どんなに素晴らしい考えがあっても、感性がすぐれて
いても、美意識が深くても、それが形になって世の中
に出ていかなければ、伝わらない。
読んだ瞬間、心に何かが響いた。
思いを「形」にすることの大切さを改めて思った。
出荷して、評価を受ける。
それによって自分が磨かれ、新たな力となる。
これからの仕事、
常に "Shipment" を意識して向き合いたい。
2011年10月08日
稽古スタート
大船へ。
長年ご一緒しているソシオテック・ウィンド・オーケストラとの稽古が今季もスタート。
気心の知れたメンバーとの合奏は嬉しい。
新しい団員さんのお顔もちらほらと。
華麗で軽快な「ハンティンドン・セレブレーション」、
民謡風の美しい旋律をしっとりと響かせる「ヨークシャー・バラード」。
そして、メインはチャイコフスキー「大序曲 1812年」。
来年1月の定期演奏会へ向けて、音楽創りを楽しんでいきたい。
稽古場から駅へ向かう途中にある喫茶店「珈琲庵」。
マスターが光陵高校の先輩でいらっしゃると伺って、帰りに初めて寄ってみた。
後輩であることを告げるととても喜んでくださり、
卒業生名簿(なぜかカウンター内に!)を一緒に見ながら楽しくお喋りさせていただいた。
静かな店内。
BGMはモーツァルトの弦楽五重奏曲。
マンデリン、美味しかった。
2011年10月07日
De Rhijn(ライン川)
ベルギーeBayで久しぶりに、
ペーテル・ブノワの未知なる楽曲のヴォーカルスコアをゲット。
「ライン川」
ユリウス・デ・ヘイテル 詞
民謡の様式を用いて作曲
ペーテル・ブノワ 1889年
(以上、表紙より)
アントウェルペン音楽協会創立25周年を記念して作曲された、
独唱、混声合唱、児童合唱、管弦楽とオルガンのためのオラトリオである。
テキストはオランダ語、当然ながら音源も無い。
どんな内容の詞なのか、これから辞書を引いて調べねば…
僕がいま少しずつ読み進めている伝記の中でも、
『ブノワ最後の大作「ライン川」』
と題され、一つの章として扱われている。
同じ時期の作品としては、歌曲「我が母国語」しか資料がなかったので、晩年のブノワのスタイルを知るうえでも、このオラトリオはとても興味深い。
2011年10月03日
財布を〜 忘れて〜♪
財布を家に忘れて仕事に出掛けてしまった。
気付いた時には、すでに電車の中…
(幸い、suicaは財布と別に持っていた)
遅い昼食を駅蕎麦で済ませ、
稽古場に入る前に、suicaの使えるコンビニでミネラルウォーターを買う。
帰り道、やはり駅ナカでコーヒーを一杯。
内心焦りつつも、suicaだけで一日どうにか凌ぐことができた。
便利な時代になったものである。
気付いた時には、すでに電車の中…
(幸い、suicaは財布と別に持っていた)
遅い昼食を駅蕎麦で済ませ、
稽古場に入る前に、suicaの使えるコンビニでミネラルウォーターを買う。
帰り道、やはり駅ナカでコーヒーを一杯。
内心焦りつつも、suicaだけで一日どうにか凌ぐことができた。
便利な時代になったものである。