間もなく新しい年が明ける。
2011年、自分にとってどんな年だったろうか。
言葉にはしづらいが、
自身の中で「何かが変わった」という実感は大いにある。
自分が変わると、見えてくる景色(音の風景、楽譜の風景)が変わり…
それによる新たな発見がまた、自分というものを変えてゆく。
そして導かれる結論は、月並みだけれど
「一生勉強」、この一語に尽きる。
今年もまた、いろいろな方々と新たなる「音楽を通しての繋がり」を持つことができた。
それが契機となって、自分がこれまで知らなかった様々のことに気付くことができる…
何という喜び!
多くの出会いに感謝。
この「音楽ノート」をご覧くださっている皆さま、
一年間ありがとうございました。
これからも、応援よろしくお願いいたします。
どうぞ佳い新年をお迎えくださいませ。
小澤和也
2011年12月31日
2011年12月27日
ご来場御礼
ホルツブラスカペーレ第38回定期演奏会、
おかげさまで無事終了。
(25日、横浜市栄区公会堂)
横浜は朝から快晴、300人を超えるお客様にご来場いただきました。
ティケリ作曲「ヴェスヴィアス」、難曲でしたが、本番は上々の出来映え。
先の震災からの復興を願って書かれたスパーク作曲「陽はまた昇る」は、私たちなりの祈りを込めて。
前回からさらにパワーアップしたホルツ・サンバステージでは、会場から手拍子も起こるほどの大盛り上がりでした。
佳いコンサートになりましたね。
ホルツの皆さん、お疲れさま。
賛助出演の皆さん、
素敵な司会で彩りを添えてくださいました板橋典子さん、
そして裏方の皆さん…ありがとうございました。
ホルツは今回も会場にて 義援金を募り、ご来場のお客様から51,352円の温かいお気持ちを頂戴いたしました。
心より御礼申し上げます。
2011年12月25日
ホルツ定演、いよいよ当日!
2011年12月22日
100年前のブノワ演奏会
古い演奏会パンフレットを手に入れた。
表紙には大きく
"Drama Christi" と "HOOGMIS"、
そして
"Muziek van PETER BENOIT" の文字が。
ペーテル・ブノワ基金の設立9周年記念コンサート。
(1911年9月25日、アントウェルペン)
曲目は上記のように「ドラマ・クリスティ」および「ミサ・ソレムニス」である。
ページを繰っていく。
まず「ドラマ・クリスティ」の簡単な解説と歌詞がオランダ語で記されている。
それに対して「ミサ・ソレムニス」では、楽章毎にかなり詳細な曲目解説が。
しかも、オランダ語&フランス語で!
(未だ『そういう時代』だったのである…)
最後に、ソリスト・コーラス・オーケストラのメンバーズリストが載せられている。
試しに、ミサ・ソレムニスの合唱団の人数を数えてみた。
Klein Koor(小合唱)=計23人
Groot Koor(大合唱)=計370人(!)
やはり…さすがのスケールである!
(ちなみに、3年前の日本初演時はそれぞれ約30人、90人であった)
と、パンフレットに挟まれた一枚の紙片を発見。
「J.メルテンス(テノール)は体調不良のため出演不可能となり、L.スウォルフスに代わります」
…なるほど。
巨匠ペーテル・ブノワにまつわる100年前の光景が(直前のアクシデントも含め)眼前に迫るようだ…
うれしい。
2011年12月17日
あしべ歌い納め
金曜日、合唱団あしべの稽古へ。
この日が年内の歌い納め。
まず、現在手掛けている「春の佛」(中田喜直作曲)をじっくりと歌い込む。
音楽に少しずつ表情が加わってきた…表現する喜びを味わう境地まで、あともう少し。
レッスン後半は…ちょっぴりお楽しみの時間。
この一年を通して練習してきた曲を、その時そのときのあれこれを思い起こしながら歌い綴った。
〜いわば『あしべ2011・懐かしのメロディ特集』とでも言おうか〜
「雪のふるまちを」「ばら・きく・なずな」「四季」…
そして合唱祭で歌った「霧と話した」。
久しぶりに譜面を開く作品も多かったが、やはりよくさらった歌は身体が覚えているものだ。
練習終了後は…
これまた恒例の懇親会へ。
会場近くの小さなレストランを借り切って、美味しい料理とお酒を戴く。
もちろん、楽しいお喋りも。
宴の終わりにご挨拶をさせていただいた。
今年も健康で楽しく歌えたこと、
演奏会を通して、色々な作品にチャレンジできてよかったこと、
そして最後に、私からの感謝の言葉として、こう添えた。
「3・11の直後も落ち着いて、徒らに停滞した気分に陥ることなく(かつ節度をもって)活動を継続なさったのは素晴らしいことだと思います。
あしべの皆さん、ありがとうございます。」
一年間お疲れさまでした。
来年も、もっと楽しく歌いましょう!
この日が年内の歌い納め。
まず、現在手掛けている「春の佛」(中田喜直作曲)をじっくりと歌い込む。
音楽に少しずつ表情が加わってきた…表現する喜びを味わう境地まで、あともう少し。
レッスン後半は…ちょっぴりお楽しみの時間。
この一年を通して練習してきた曲を、その時そのときのあれこれを思い起こしながら歌い綴った。
〜いわば『あしべ2011・懐かしのメロディ特集』とでも言おうか〜
「雪のふるまちを」「ばら・きく・なずな」「四季」…
そして合唱祭で歌った「霧と話した」。
久しぶりに譜面を開く作品も多かったが、やはりよくさらった歌は身体が覚えているものだ。
練習終了後は…
これまた恒例の懇親会へ。
会場近くの小さなレストランを借り切って、美味しい料理とお酒を戴く。
もちろん、楽しいお喋りも。
宴の終わりにご挨拶をさせていただいた。
今年も健康で楽しく歌えたこと、
演奏会を通して、色々な作品にチャレンジできてよかったこと、
そして最後に、私からの感謝の言葉として、こう添えた。
「3・11の直後も落ち着いて、徒らに停滞した気分に陥ることなく(かつ節度をもって)活動を継続なさったのは素晴らしいことだと思います。
あしべの皆さん、ありがとうございます。」
一年間お疲れさまでした。
来年も、もっと楽しく歌いましょう!
2011年12月14日
ブノワ(30):ドラマ・クリスティ[2]
(続き)
楽曲構成は次のようになっている。
§序唱(Voorzang)アレルヤ
§第1部
・第1景 イエズスは我々に
「清貧の誉れ」を教える
・第2景 「労働への愛」
・第3景 「従順」
・第4景 「誘惑の克服」
・第5景 「祈り」
・第6景 「互いへの愛」
・第7景 「成功時の謙虚さ」
§第2部
・第8景 「逆境における精神力」
・第9景 「不屈の勇気」
・第10景「信仰告白」
・第11景「服従」
・第12景「不当さへの忍耐」
・第13景「悔悟」
・第14景「侮辱の赦免」
§第3部
・第15景 勝利の歌、アレルヤ
各景ごとにまず、四重唱が上記のタイトルをコラール風に歌う。
(ブノワはこの四重唱を "Stenenkoor" と呼んだ…直訳すれば「煉瓦石の合唱」であろうか)
すると続いて、語り手や洗礼者ヨハネ、イエズスや悪魔、それに大合唱も加わり聖書の物語を歌ってゆく。
それぞれの題名は多分に説教風だが、これが彼のスタイルと言えよう。
母国語での音楽教育に熱意を燃やし、信仰にも篤かったであろうブノワの…。
この曲(というか楽譜)にはもう一つの特徴がある。
それは…
各景ごとにその場面に即した、写真凸版によるキリストをモチーフとした細密画が挿入されていることである。
(画像は第13景、キリストが十字架を担わされる場面のものである)
ブノワの音楽とこれらの宗教画(ギュッフェンスとスヴェルツの共同制作)とが合わさって、一つの作品を形づくっているかのようである。
(つづく)
2011年12月13日
積ん読【つんどく】
本が好きだ。
もっと言えば…書店を巡るのが大好きである。
小説は、あまり読まない。
やはり音楽関係のものが多いかな。
「おっ、これは…」
と思うと、つい手を伸ばしてしまう。
「もしもこのタイミングを逃して、それっきり忘れてしまったら…」
と思ってしまうのだ。
ふと気になって、読みかけのものを引っ張り出してみた。
すると、あるわあるわ。
作曲家・指揮者の評伝やエッセイをはじめ、
ダンテ<神曲>の解説本、茂木健一郎さんの脳科学の本、
さらには歌集まで…
いくら何でも溜め過ぎか。
よし、いま読んでいる本を終えたら、これらを順にすべてやっつけるぞ!!
まずは、途中であまりに切なくなって進めなくなってしまった「たとへば君」からいこうか…
でも、きっとまた本屋さんへ行ってしまうのだろうな。
2011年12月12日
ありがとう、インターネットマシン
2011年12月07日
ブノワ(29):ドラマ・クリスティ[1]
久しぶりに、我がペーテル・ブノワの作品について書いてみたい。
§DRAMA CHRISTI (キリストのドラマ)
1871年(ブノワ37歳頃)の作曲。
表紙タイトルの下にフラマン語(オランダ語)で
"Geestelijk Zanggedicht" と書かれている。
直訳すれば「宗教的音楽詩」、いわゆるオラトリオと考えてよいだろう。
タイトルは上述の通りラテン語だが、テキストはオランダ語による。
ドラマ・クリスティを作曲した頃のブノワについて、J.デウィルデさんの文章から引用すると…
アントウェルペン市の音楽学校校長に任命(1867年)された後も、
ブノワの宗教音楽への熱意は不変であった。
作曲家としてのみならず、大聖堂の音楽監督の職にあり、この地位
において彼自身の「国民のための音楽」のプリンシプルを宗教音楽
にも適用することを試みた。
彼は、コラールの歌唱を自国語で行うことを主張した…それにより
会衆が音楽に、そして典礼により深く携わるようになる、と。
ブノワはさらに、主要な宗教曲が自国語で作曲されることを望み、
その実例として「ドラマ・クリスティ」を書いた。
(ブノワ/20のモテット CD解説より)
楽曲は三部構成。
アレルヤの序章の後、合計15の場面(楽章)に分かれている。
キリストの誕生から受難までを、聖書のテキストによって描き進む形をとる。
この曲の最大の特徴はその編成ではないだろうか。
スコアによれば、
「独唱、大小の男声合唱、オルガンと管弦楽のための」とある。
独唱も3人の男声(テノール、バリトン&ベース)を想定しているようだ。
配役は
・語り手1(テノール)
・イエズス(バリトン)
・語り手2、洗礼者ヨハネ、悪魔、ユダ、大祭司、総督(以上ベース)
また、オーケストラの楽器編成も
チェロ、バス、トランペット、トロンボーン&ティンパニ
と、かなり独特である。
(彼の「Hoogmis 荘厳ミサ」中のベネディクトゥスで聴かれる、やはりチェロ&バスを柱としたサウンドを想起させる)
このヴォーカルスコア、つい最近ようやく手に入れたものだ。
でも音楽は…
実演はもちろん、録音でもまだ聴いたことがない。
(おそらく、母国ベルギー以外ではあまり演奏されないのではないか)
いずれぜひ、僕自身の手で、
そしてこの耳でブノワの響きを確かめたいと思っている。
(つづく)
2011年12月06日
初心忘れるべからず
東京音楽大学での指揮科公開レッスンを見学させていただいた。
講師は高関健さん。
課題曲はベートーヴェンの第2交響曲。
7名の受講生が、学生有志からなるオーケストラを振る。
(受講生の中にはオーボエの茂木大輔さんもいらしてビックリ!)
素晴らしいレッスンだった。
よく知っているつもりだったこの曲のスコアから、これほどまで新鮮な音の風景を見ることになるとは!
多くの貴重なアドヴァイスを聞くことができた。
いつも思っていることだけれど…
音楽家は一生勉強だ。
そして〜初心忘るべからず。
講師は高関健さん。
課題曲はベートーヴェンの第2交響曲。
7名の受講生が、学生有志からなるオーケストラを振る。
(受講生の中にはオーボエの茂木大輔さんもいらしてビックリ!)
素晴らしいレッスンだった。
よく知っているつもりだったこの曲のスコアから、これほどまで新鮮な音の風景を見ることになるとは!
多くの貴重なアドヴァイスを聞くことができた。
いつも思っていることだけれど…
音楽家は一生勉強だ。
そして〜初心忘るべからず。
2011年12月03日
愛聴盤(28)〜モントゥーの「牧神」
§ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
ピエール・モントゥー指揮ロンドン響
('61年録音)
中学生の頃、LP盤で繰り返し聴いた懐かしの演奏である。
当時、ベートーヴェンやモーツァルトから入門した僕にとって、ドビュッシーのこの音楽は不思議の世界であった。
和声とその進行の「縛り」からの解放、緩慢な拍節感、そしてハープやフルートによる夢のような響き…
けだるい夏の午後。
木陰で物憂げに葦笛を奏でる半人半獣の牧神。
冒頭、フルートソロの音色が明る過ぎず、正に憂いを帯びて響く。
それを受けるホルンの、何と柔らかくまろいこと…
ハープは…あるときは光の反映、またあるときは風のそよぎのよう。
モントゥーのバトンから紡ぎ出されるデリケートなニュアンスが、聴く者の心をつかむ。
夢とうつつの交錯。
水浴する美しい水の精の姿に惹かれ、
彼女をとらえようとする牧神…しかしその姿は消え去ってしまう。
実に表情豊かなオーボエのひと吹き。
それを引き継ぐヴァイオリンの旋律の艶やかさといったら!
しかし、幸福の時間も長くは続かない…
後ろ髪を引かれるような気分のまま、次の場面へ。
ヴィーナスに寄せる陶酔の境地。
愛の女神との抱擁を空想する牧神。
主題を奏でるフルート、オーボエ、イングリッシュホルン&クラリネットの、
絶妙にブレンドされた音色が美しい。
やがてテーマは弦楽器に移され、この曲で唯一、しかも一瞬のff(フォルテシモ)を情熱的に響かせる。
むせ返るような官能の世界…
やがてヴィーナスの幻影も消えて、
牧神は身を横たえ、再び眠りに落ちてゆく…
ほとんど室内楽的とも言える精緻さを湛えたこの「牧神」。
オーケストラはこの老巨匠(この時モントゥー81歳!)に対し、このうえない敬意と信頼をもって応え、
モントゥーは作曲家ドビュッシーとそのスコアに対して、心からの献身の思いを見せている。
資料によれば、この録音がなされたのは1961年12月。
…今からちょうど50年前ということになる!
現在でも新鮮さを全く失っていない、魅力的な演奏だと思う。
ピエール・モントゥー指揮ロンドン響
('61年録音)
中学生の頃、LP盤で繰り返し聴いた懐かしの演奏である。
当時、ベートーヴェンやモーツァルトから入門した僕にとって、ドビュッシーのこの音楽は不思議の世界であった。
和声とその進行の「縛り」からの解放、緩慢な拍節感、そしてハープやフルートによる夢のような響き…
けだるい夏の午後。
木陰で物憂げに葦笛を奏でる半人半獣の牧神。
冒頭、フルートソロの音色が明る過ぎず、正に憂いを帯びて響く。
それを受けるホルンの、何と柔らかくまろいこと…
ハープは…あるときは光の反映、またあるときは風のそよぎのよう。
モントゥーのバトンから紡ぎ出されるデリケートなニュアンスが、聴く者の心をつかむ。
夢とうつつの交錯。
水浴する美しい水の精の姿に惹かれ、
彼女をとらえようとする牧神…しかしその姿は消え去ってしまう。
実に表情豊かなオーボエのひと吹き。
それを引き継ぐヴァイオリンの旋律の艶やかさといったら!
しかし、幸福の時間も長くは続かない…
後ろ髪を引かれるような気分のまま、次の場面へ。
ヴィーナスに寄せる陶酔の境地。
愛の女神との抱擁を空想する牧神。
主題を奏でるフルート、オーボエ、イングリッシュホルン&クラリネットの、
絶妙にブレンドされた音色が美しい。
やがてテーマは弦楽器に移され、この曲で唯一、しかも一瞬のff(フォルテシモ)を情熱的に響かせる。
むせ返るような官能の世界…
やがてヴィーナスの幻影も消えて、
牧神は身を横たえ、再び眠りに落ちてゆく…
ほとんど室内楽的とも言える精緻さを湛えたこの「牧神」。
オーケストラはこの老巨匠(この時モントゥー81歳!)に対し、このうえない敬意と信頼をもって応え、
モントゥーは作曲家ドビュッシーとそのスコアに対して、心からの献身の思いを見せている。
資料によれば、この録音がなされたのは1961年12月。
…今からちょうど50年前ということになる!
現在でも新鮮さを全く失っていない、魅力的な演奏だと思う。