2012年03月08日

ペーテル・ブノワの命日に寄せて


今から111年前の1901年3月8日、
ベルギー・フランデレンの作曲家 ペーテル・ブノワ Peter Benoit が亡くなっている。

今日の昼頃、そのブノワについて気の向くままにTwitter上でつぶやいたところ、何名かの方々から反応をいただいた。
せっかくなので、それらの連続ツイートをここに再掲しようと思う。







1)ペーテル・ブノワは1834年8月17日、南西フランデレンの小さな町ハレルベーケに生まれました。ブリュッセルで学び、カンタータ「アベルの殺人」でベルギー・ローマ大賞を受賞。ドイツ他に留学後パリへ移り、オペラ作曲・指揮を志しましたが成功しませんでした。

2)その後ブノワは、アントウェルペン(アントワープ)に赴き、音楽学校を設立します。そこで彼はフラマン語(≒オランダ語)による音楽教育に尽力、フラマン語による歌曲やオラトリオなどを数多く作曲しました。

3)ブノワはその晩年、アントウェルペンにフラームス(フランダース)歌劇場を設立、また彼の音楽学校は王立フラームス音楽院として承認され、パリやブリュッセルなどのそれと肩を並べるに至ったのでした。

4)「宗教曲四部作」(1859-63)1.クリスマス・カンタータ 2.ミサ・ソレムニス 3.テ・デウム 4.レクイエム…壮年期のブノワの代表作。1を除く3曲で、彼のトレードマークともいえる二重合唱が用いられています。素朴さとロマン性を併せ持った佳品です。

5)ピアノのための「物語とバラッド集」(1861)、ピアノと管弦楽のための交響詩(1864)、フルートと管弦楽のための交響詩(1865)…母国に伝わる民謡・伝説からインスピレーションを受けて作曲。特にフルート〜はロマン派期にこの楽器を用いた数少ない協奏的作品として要注目。

6)カンタータ「フランデレン芸術の誇り」(1877)…'70年代前半、ヴァーグナーの影響を受けて神秘的・内省的作風に傾いていたブノワが、そのスタイルを一変させて広く大衆にアピールした壮大な頌歌。「ルーベンス・カンタータ」という愛称でより知られるように。

7)ルーベンス・カンタータ、そのテキストは愛国心にひたすら訴えかける微笑ましいものですが、その音楽は平明な人懐こさを持っています。きっと一般市民も混ざってコーラスパートを歌ったことでしょう。児童合唱の歌う「すべての鐘を鳴らそう〜」のくだりはグッときます


オペラの仕事がひと段落したら、しばらく遠ざかっていたブノワ研究を再開しよう!
それからオランダ語の勉強も…
                           






posted by 小澤和也 at 22:53| Comment(0) | 日記