2012年08月17日

ペーテル・ブノワ生誕178年

 
 
今日8月17日は、ペーテル・ブノワ(1834-1901)の誕生日。
 
ブラームスとほぼ同世代、ベルギー(フランデレン)の作曲家。
そして…
僕にとっての「ライフワーク」ともいえる存在だ。
 
いま僕の頭の中で最も強く響いている作品、
「レクイエム」を聴く。
 
 
H.ルールストレーテ指揮
BRT合唱団、コルトレイク混声合唱団&室内管弦楽団
(1975年録音)
 
 
神秘的なホルンのモットー。
そして男声合唱が厳かに歌い出す。
「我らに永遠の安息を与えたまえ…」
 
ブノワのトレードマークともいうべき二重混声合唱が、全曲を通してある時は重厚に、またある時は柔らかく綾をなすように響く。
 
「怒りの日」の中ほど、「思い出したまえ」の、胸を震わせる美しいメロディ、
そして「聖なるかな」のアカペラ女声合唱は、天使の歌声そのものだ。
 
 
〜近い将来、「レクイエム」を日本で演奏する〜
 
この記念の日に際し、
改めて心に誓った。
posted by 小澤和也 at 23:04| Comment(0) | 日記

2012年08月15日

九段にて祈る

 
 
 
都内の神社にお参りした。
夕方近くだったにもかかわらず、鈴なりの参拝者。
 
「終戦の日」に際し、神前に平和を祈る。
清々しく穏やかな気分であった。
 
 
posted by 小澤和也 at 23:35| Comment(0) | 日記

2012年08月14日

8月に想うこと

 
映画「父と暮らせば」を観た。
 
〜舞台は昭和23年の広島〜
原爆投下のあの日を奇跡的に生き延びたヒロインと、彼女の父親(の幽霊!)との心の交流を描く二人芝居。
 
生きていることへの申し訳なさ、罪悪感、幸福の拒絶…
あまりに痛々しいが、これは極限状況を体験した者のみが解りうる心情なのだろう。
 
そんな彼女に対し、父親が願ったのは
「それでも生きること、そして幸福になること」だった。
なぜか?
それは「伝えてほしいから」。
 
物語のラスト、
ヒロインは希望を取り戻し、その笑顔を見届けて父親の姿は消えていく…
やわらかな結末。
 
『過去を生かすために
    未来を向いて進み続ける』
 
改めてここに誓う。
posted by 小澤和也 at 23:38| Comment(0) | 日記

2012年08月09日

夏の夜の「物語の世界」

 
 
山枡信明 テノールリサイタルを聴く。
(8日、横浜みなとみらい小ホール)
 
今回のテーマは「物語の世界」。
曲間にピアノ独奏と語りが挿入されつつステージが進んでゆく、という形。
ユニークなアイディアで、なかなか効果的であったと思う。
 
この日の中心的曲目として、フーゴ・ヴォルフの「歌い手」を取り上げられる、と山枡さんよりあらかじめ伺っていた。
ヴォルフは僕にとってほとんど馴染みのない作曲家だったので(もちろん名前は知っていたけれど)、今回、事前に予習をして出掛けたのだった。
 
 
第一部、最初の曲の前にピアノ(小林周子さん)によって奏でられたのがこの「歌い手」の美しいメロディ。
いっぺんにハートをグッと掴まれたような気分に。
(やりますね、山枡さん!)
 
前半で特によかったのは
シューマン「古城の上で」
モーツァルト「すみれ」
マーラー「美しいラッパの鳴るところ」。
 
ゲーテの名作「すみれ」。
モーツァルトはその末尾に2行、
『かわいそうなすみれ!
    それは愛らしいすみれだった』
と自ら付け加えたのだった。
これぞまさに…物語の世界。
 
山枡さんの歌の真髄は今回も「言葉と表情、そして音色 」であった。
力任せに「声だけで聴かせてしまう」技は慎重に避けられていたように思う。
(ただ、これは僕の勝手な希望だけれど…
「二人の擲弾兵」と「魔王」は、あと少しだけ「声そのもの」を聴きたかったな)
 
 
リサイタルの第二部は、「うさぎとかめ」「あわて床屋」などの日本の歌をまじえて始まる。
幾分寛いだ雰囲気が客席にも漂う。
 
後半、僕にとっての白眉は
シューベルト「ガニュメート」「トゥーレの王」、
そしてやはりヴォルフ「歌い手」が圧巻であった。
 
〜その素晴らしい歌声ゆえに、王宮の広間に招かれた一人の歌い手の物語〜
詩の第3節、
『歌い手は固く眼を閉ざし
    あらん限りの力で楽器を掻き鳴らした』
この部分を歌う山枡さんの姿は…
あたかもこの華麗なる広間にあるかの如く堂々たるものであった。
 
〜歌い手は褒美の金の鎖を固辞し、その代わりに一杯の極上のぶどう酒を所望する〜
この場面でのピアノ間奏、紡がれた和音の響きのなんという輝き!
金の鎖のきらめきか、
あるいは、ぶどう酒の注がれた金の盃の放つまばゆい光だったろうか…
 
詩の最終節、
ぶどう酒を飲み干した歌い手が王たちに語る。
『恵まれた人々よ
    私のことを思い出して
    神に熱い感謝を捧げてください…
    私がこの飲み物に感謝いたしますように』
 
歌声への、音楽への、そして芸術への感謝の念。
これはそのまま、今宵のリサイタルのテーマであり、山枡さんが伝えたかったものなのではないかと、僕は直感した。
 
山枡さん、
素敵な歌をありがとうございました。
posted by 小澤和也 at 17:37| Comment(0) | 日記

2012年08月07日

「母乳のような音楽」


この前、子供の頃に読んだモーツァルトの伝記本のことについて少し書いた。
我が家の書棚にずらりと並んでいた「世界音楽全集」(河出書房刊)。
実は、その中で僕がいちばん好きだったのが
「ヨハン・シュトラウス」の巻である。

盟友ヨーゼフ・ランナーとともにウィンナ・ワルツ流行の礎を築いたヨハン(父)、そしてその息子ヨハンの栄光に満ちた生涯が綴られたこの伝記…
難しい言葉の意味はもちろん解らなかったが、幼い僕は夢中になって何度もこれを読んだものだった。

そんな僕の心に深く刻まれたフレーズがある。
「母乳のような音楽」。

あれこれ思い起こすうちに矢も盾もたまらなくなって、この本を再び入手して久しぶりに読んだ。
あった…

『〜彼ら[シュトラウス一家の人たち]の果たした役割は、大型天才たち[モーツァルトやベートーヴェンなど]をしのぐものがある。なぜかというと、世界のクラシック音楽愛好家たちの揺籃の時代は、ほとんどの場合、このシュトラウス一家の人たちの音楽のお世話になっているからである。だからわたしは、ときどき「シュトラウスの音楽は母乳のようなものだ」と言ったり書いたりしている。…』
(本文より引用。[ ]内は小澤記)

懐かしい…
当時の記憶が甦る。
家にあったボスコフスキ指揮のLPをよくかけてもらったこと。
そのレコードジャケットの鮮やかな青色。
ワルツ集のピアノ譜も買ってもらったっけ…
(ほとんど弾けなかったけれど)
シュトラウスの音楽は、まさに僕にとって「母乳のような音楽」だったのだ。
posted by 小澤和也 at 11:26| Comment(0) | 日記