2012年10月31日

4年生からの贈りもの

 
 
専修フィル4年生のみんなから
贈りものをいただきました。
 
筆記用具のセット。
ノック式の「鉛筆」、
替え芯は濃いめの2B。
そして消しゴム、定規&ペンケース。
 
定規がちょっと変わっていて、
 
 
素材が、アルミ+畳!
 
嬉しいね…
だいじに使います。
 
4年生のみんな、ありがとう。
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記

2012年10月28日

立川市民合唱祭

 
 
立川市民合唱祭、無事終了。
市民オペラ合唱団の皆さんとともに、目下取り組んでいる「カヴァレリア・ルスティカーナ」からのナンバーを演奏した。
 
Santuzzaのソロパートは、合唱団の母親的存在、発声指導などでいつもお世話になっている宮崎京子さん(ソプラノ)、
ピアノは清水新さん。
 
総勢約60名がステージいっぱいに広がる。
僕が日頃からメンバーに求めている集中力と、この団にもともと備わっている大らかさとがうまくマッチして、のびのびとした歌声がホールに響く。
楽しく、そしてあっという間の10分間であった。
 
合唱団の皆さん、お疲れさまでした。
コーラスサポートのみんな、今回もありがとう。
12月15日のオペラ本公演へ向けて、さらにがんばっていきましょう。
 
(演奏終了後、宮崎京子さんと)
posted by 小澤和也 at 23:49| Comment(0) | 日記

2012年10月27日

今季も通います

 
三菱電機SWOとの、今季2回目のプローべへ。
今日もメインの「展覧会の絵」の合奏。
参加人数がちょっと少なくて残念だったけれど、いろいろ試せたのでまずまずよかった。
 
稽古終了後、久しぶりに駅近くの「珈琲庵」に立ち寄る。
この店のマスターは高校の大先輩。
『お久しぶりです』
と声をかけると、
『おお!また練習始まったのー?!』
しっかり覚えていてくださった。
嬉しいものだ。
 
 
店内はレトロな雰囲気。
落ち着くんだな、これが…
いつものマンデリンを戴く。
今日はベートーヴェンの「テンペスト・ソナタ」が流れていた。
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2012年10月25日

新調

 
 
新しいCDプレーヤが届く。
結局、これまで使っていたモデルの後継機を選んだ。
 
セッティングして、まず最初にかけたのは
ルプーの弾くシューベルト「即興曲集」。
少し硬質で、玉のようにコロコロと転がる音色がいい。
次いで、ブロムシュテット&SkDのブルックナー「交響曲第7番」。
僕が初めて買ったCDである。
どちらも20年越しの愛聴盤。
お気に入りのCDがいい音で鳴ってくれて一安心だ。
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2012年10月23日

楽譜の行間にあるもの、そして伝えたいこと

 
昨日、専修フィルとの今季2回目のプローべへ。
前回に続き、今日もヴァーグナー/マイスタージンガー前奏曲とベートーヴェン/皇帝協奏曲を見る。
 
メンバー達のモチベーションは変わらず高く、難しいパッセージもよくさらっている。
積極的に楽器を鳴らす若々しい姿勢に、大いに好感。
 
ヴァーグナーを指揮しながら、今日彼らに伝えたいことを考えていた。
ある程度譜読みが進んだ段階で、各自に意識してもらいたいこと…
3つ浮かんだ。
微妙な音程感覚、音色を創る意識、
そして、曲ごとのダイナミクスレンジの設定。
(よし、これが今日のテーマだ)
 
 
とりわけ弦楽セクションにおいて、微妙な音程感覚を磨くにはどうすればよいだろう。
それは…
月並みではあるが、課題となっているパッセージの、その調性での音階練習が最も効果的ではないだろうか。
個人でさらっていて、もし音程が外れた時にハッと気づく耳、そしてそれを修正する能力。
これらが積み重なっていくことが、アンサンブルの完成度upに繋がってくるはずだ。
極言すれば…
たとそのフレーズを20回さらっても、音程を正しくとらえていなければ無駄なのである。
 
 
あるフレーズから次へと移るその瞬間、音色への意識が薄くなりがちである。
例えば、休符を挟まずに subito p(突然pで)で新しいフレーズが続く場合、p の直前の音を無造作に扱えばその効果は損なわれてしまう。
聴く側に自然な subito p の効果を感じさせるには、極めて短い時間(1/2拍とかその半分とか…)のうちにdiminuendoが行われるような、そんな意識が求められるのだ。
フレーズの終いにおいては、常に音色への配慮が必要である。
 
 
この日はヴァーグナーの後にベートーヴェンを稽古した。
だからであろうか…
後者での f が粗くなりがちであった。また逆に、p で音の芯が損なわれてしまうことも。
時代様式の違いはもちろん、作曲家の個性によっても、ダイナミクスのレンジはその都度綿密に考えられるべきである。
ベートーヴェンにおいて、f とff の間には明確な差があるべきだし、p はあくまで "美しく" であって "弱く" ではないと思う。
 
 
…3時間の合奏はあっという間に終了。
一つでも多く、メンバー達の心に伝わっていることを願っている。
 
 
専修フィルが今度演奏するのは、この2曲プラス「幻想交響曲」(ベルリオーズ)。
どれも素晴らしい作品だ。
是非とも、それぞれの楽曲に相応しい「音色」「語法」によって、堂々と表現し切って欲しいと思う。
posted by 小澤和也 at 21:45| Comment(0) | 日記

2012年10月21日

アマデウスの響き

 
 
湘南アマデウス合唱団・合奏団
第14回定期演奏会へ。
(20日、藤沢市民会館大ホール)
 
今回も、合奏団のトレーニングの成果を聴き届ける〜すなわち僕自身にとっての "アウトプット" の確認でもある〜ために、期待を込めて客席につく。
 
 
プログラム前半は、
シューベルト/交響曲第7番ロ短調(いわゆる「未完成」交響曲)。
弦楽器を主体としたまとまりのあるアンサンブルに、合奏体としての進化の跡を聴く。
これでさらに音の厚みが増せば、なお一層美しいアマデウス・サウンドになるに違いない。
そして今後はぜひ、管楽セクションにもより高度な音楽性を求めていきたいと思う。
首席メンバーのリーダー的存在感、個々のプレイヤーの音色的魅力、そして繊細なる和声感覚…etc.
 
 
後半の演目はすべて、モーツァルトの宗教的声楽曲。
はじめに演奏されたキリエ(K.341)は、小品ながら充実の作。
私も今回の指導に際し初めてスコアを広げたのだが、読み込むほどに深い感銘を受けた。
作曲は1781年(モーツァルト25歳)、彼がウィーンに腰を落ち着ける直前の意欲作ということになる。
(これがグローリア以下、アニュスデイまで通して作られていたならば、どれだけ堂々たるミサ曲になっただろう。)
 
メインのクレード・ミサ(K.257)では4名の素晴らしい独唱者(小島三恵子さん、城守香さん、梶井龍太郎さん、清水良一さん)が華やかに彩りを添えてくださった。
 
 
合唱団は全編通して大熱演!
お疲れさまでした…
ご盛会おめでとうございます。
そして合奏団の皆さん、
また次のプローべでお会いしましょう。
posted by 小澤和也 at 00:43| Comment(0) | 日記

2012年10月18日

素顔のモーツァルト

 
 
聖徳大学オペラ公演『フィガロの結婚』の公開ゲネプロを見学した。
 
演出は、いま立川のカヴァレリアでご一緒させていただいている十川稔先生。
先生らしく、シンプルですっきりとした舞台だった。
各人物の動きに細やかさと自然さ、そして必然性があって、実に切れ味ある演技。
歌も総じて安定していたが、伯爵の高橋祐樹さんとフィガロの青戸知さんが特に素晴らしかった。
 
音楽が始まるまで気が付かなかったのだが、今回の公演は「アリア以外は日本語による歌唱」とあった。
てっきり、レチタティーヴォだけが日本語で語られるのだと思っていたら…
第1幕冒頭、フィガロが部屋のサイズを測る場面は『…六尺…一間…よし!』といった歌詞で始まり、一瞬ビックリ。
(じきに慣れたけれど…)
 
スザンナとマルチェリーナの二重唱、若いスザンナが年増のマルチェリーナに "l'età! l'età!" (けっこうなお齢で!)と畳み掛けるところ、今日の訳では『婆さん!婆さん!』となっていて…
あまりにもダイレクトで思わず苦笑い。
 
音楽も演出も極度な自己主張をすることなく、互いに調和しながら進んでゆく物語…
そこから見えてくるものは、月並みだが
「モーツァルト作品そのものの美しさ」、
やはりこれに尽きる。
(そこがモーツァルトの「難しさ」でもあるのだけれど…)
そう思いながら聴いていると、何語で歌われているかなんて、ほとんど気にならなくなってくる。
 
アイディアや才気に寄りかからない、そんなモーツァルト演奏が僕は好きだ。
 
posted by 小澤和也 at 23:24| Comment(0) | 日記

2012年10月14日

江戸川区合唱祭、無事終了

 
 
わが合唱団あしべにとって、(演奏会を除けば)年間を通して最大のイベント…
それが「江戸川区合唱祭」。
 
今年は、林光さんの編曲による『かやの木山の』『この道』『待ちぼうけ』
(すべて北原白秋/山田耕筰コンビの手になる名歌曲である)
の3曲を選ぶ。
いずれもが、原曲の良さ・イメージを見事に活かしたアレンジ。
じっくりと取り組むに値する、素晴らしい作品だったと思う。
 
練習期間はおよそ4ヶ月。
譜読みはもう少し前から始めていたから、実質はもっと時間をかけたことになるだろう。
 
対して、発表の時間は…10分弱。
この「一瞬」のために、あしべのみなさんは持てる力を注ぎ込んできた。
15人という、いつもよりちょっと少ない人数ながら、メンバーは心のこもった歌を客席へと届けてくれたのだった。
 
今回、浅野先生がご病気のため、藤城敬子さんに先月より急遽おいでいただいた。
短期間にもかかわらず、優しく寄り添うような伴奏でコーラスを支えてくださった。
 
 
あしべの皆さん、お疲れさまでした。そして、おめでとうございます。
また次の発表の機会に向けて…
これからも楽しくがんばりましょう!
posted by 小澤和也 at 22:28| Comment(0) | 日記

2012年10月09日

愛機のメンテナンス

 
 
愛機、1650AZが故障…
左chから全く信号が出なくなってしまったのだ。
 
メーカーに問い合わせると、ひとまず修理は可能とのこと。
これを機に買い換える、という考えも頭をよぎったのだけれど、やはり直してもらうことにした。
近所の量販店に持ち込んで…
しばしのお別れ。
 
この1650AZ、
たしか1999年製のモデルである。
旧い、と言ってしまえばそれまでだけれど…
 
この頃はまだ、至って単純な「音質重視」の設計思想というものが、ごく普通に存在する時代であったと思う。
シンプルな機能、そして
重量感のある構造。
捨てがたい魅力がここにはある。
 
無事に直って、戻ってきますように!
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記

2012年10月06日

侮れないぞ、インスタントラーメン

 
昨晩、たまたま点けたTVで、
タレントさんがインスタントラーメンを美味しそうに食べるシーンを見た。
大いに食欲をそそられたが、その場はどうにか我慢して…
今日、さっそくスーパーで購入。
 
「マ○ちゃん正麺 醤油味」。
(役所広司さんのCMでお馴染み)
 
 
麺はノンフライ、スープは液状。
いわゆる「即席中華めん」がここまで進化しているとは、正直なところ想像していなかった。
かなり本格的な味である。
(懐かしい「支那そば」風…かな)
 
恐るべし、
日本の技術!
 
次に食べてみたいモノも決まっている…
「サッ○ロ一番 麺の力 ちゃんぽん」だ。
posted by 小澤和也 at 23:27| Comment(0) | 日記

2012年10月05日

立ち稽古、スタート

 
立川市民オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」、
今日から合唱立ち稽古が始まった。
 
演出は十川稔先生。
以前「かぐや姫」「小町千年の恋」(いずれも平井秀明作曲)でご一緒させていただいた。
整然とした舞台、そして細やかな手指の動きや、扇などの小道具の捌きの美しさが強く印象に残っている。
 
まず全体の構想を、そして基本的な所作や衣装などについて一通り説明されたのち、いよいよ最初の場面の稽古へ。
 
最小限の約束事を押さえたうえで、合唱団員一人ひとりから自然でしなやかな身のこなしがおのずと生まれ出てくるような、そんな導きをなされる。
音楽と動きとの調和も綿密に図られていて、とても美しい。
 
メンバーに向けてのいくつかの言葉も、心に残った。
 
「皆さんが演じるのは…農民ですね。日々逞しく生き、両の足をしっかりと地に着けて力強く歩く人々です…
そういうふうに動き、歌ってくださいね」
 
「皆さんの身体から発せられるエネルギーの強い伝播が欲しい」
 
「舞台上では "動いている" か "止まっている" かのどちらかしかありません。
止まっている時にも、エネルギーと明確な意志をもって」
 
 
よい舞台にしたいな。
posted by 小澤和也 at 00:08| Comment(0) | 日記

2012年10月03日

愛聴盤(32)〜ノイマンのマーラー

 
§マーラー/交響曲第3番
  ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコフィル
('94年録音)
 
 
マーラーの音楽に何を求め、何を見るか。
僕にとってのそれは、年月の経過とともに、また僕自身の音楽的素養の深化(していると仮定して…)につれて、少しずつ変わってきた。
 
10代の頃…
御多分に洩れず、ワルターやバーンスタインの録音によって僕はマーラーの世界を知った。
そしてその後、ショルティに度肝を抜かれ、テンシュテットに魂を激しく揺さぶられもした。
これらの名指揮者の演奏すべてが「マーラーの真実」を語っているのだと思う。
 
第3番をはじめて聴いたのは中学生の頃、たぶんFM放送で流れていた若杉弘/ケルン放送響の演奏だったと記憶する。
(この時はたしか、特集が組まれていて、他にカラヤンの第4、ギーレンの第7、インバルの第9などが放送されたのではなかったかしら…
今思えば、マーラー理解の洗礼を受けたような一週間であった)
それから、クーベリックの2枚組LP(当時、数少ない廉価盤だった)を小遣いをはたいて買い、全音のミニスコアを見ながら聴いたものだった。
マーラーに関する本や雑誌も、手当たり次第に貪り読んだ。
 
こうして僕の中で、マーラーのイメージが形作られていった。
華麗な極彩色的音響、激しい感情表出、さらには極めて強い「部分部分」の存在感。
 
それゆえ、長大な第3交響曲はなかなかの難敵(?)であったのだが…
このノイマン盤との出会いが、僕にとっての「作品の景色」を大きく変えた。
ここに聴くチェコフィルの響きは実に柔らかく、「部分」の誇張によって全体が犠牲になることが決してない。
瞬間瞬間を切り取ったような巨大な音の塊の代わりに、常に流れる歌がある。
そして何よりも…
(最終的に表題は除かれたが)マーラーが全6楽章を通して語ろうとしていた「森羅万象のありよう」なるものがかくも見事に、かつ作為なく表現されているのだ。
 
全曲を聴き終える。
静かな、真に静かな感動。
現在の僕の心に最も深く響くマーラーは、これだった。
 
作品のキャラクターと指揮者ノイマンの美質との、このうえなく幸福な結び付きが…ここにはある。
 
 
posted by 小澤和也 at 01:58| Comment(0) | 愛聴盤