ここのところ、仕事を離れてよく聴いている音楽、それがシューベルトのpfソナタ。
それも、20代前半に書かれた青春真っただ中の作品群である。
1817年
イ短調 D.537(第4番)
変ホ長調 D.568(第7番)
ロ長調 D.575(第9番)
1819年
イ長調 D.664(第13番)
完成されたものだけでもこれだけあるのだ。
『…シューベルトの音楽は魂から流れ出したものがそのまま楽譜になっている感じ。…無垢の音楽。無防備を通り越している。』
数日前、Twitter上でテノールの山枡信明さん(ドイツ在住)とシューベルトのpfソナタについてお話しした際の、氏のツイートである。
まさに的を射た言葉!
ソナタ形式という「鋳型」のような枠の中での、極限のカンタービレがそこには感じられる。
特に、上記D.664のイ長調ソナタはその最上の例ではないだろうか。
すべての抑制から解き放たれたかのような、なんと幸福な音楽…
さて、シューベルトが尊敬していた同時代の巨匠ベートーヴェンは、あのガッチリと構成感の強い「熱情ソナタ」(さらには「田園」「第5」交響曲など)を書いたのち、少しずつ作風を変えていった。
1809〜14年頃の作品、
pfソナタで言えば…第24〜27番(第26番は有名な「告別」ソナタ)、
弦楽四重奏ならば…第10番「ハープ」や第11番「セリオーソ」、
そして交響曲では…第8、そしてあの第7!
これらに共通するのがやはり「カンタービレへの志向」である。
旋律の息が長くなり、歌謡的な要素が強くなっていくのだ。
この変化を自身の中に取り込み、天賦の才能を活かし、流れるような筆で「歌うソナタ」を書いたのがこの時期のシューベルトなのではないだろうか。
【その後、シューベルトにも「ペンが進まなくなる」ときが来る(1820〜22年頃)。
そして、ベートーヴェンはさらに深遠を極めた作風で晩年の傑作を書き、シューベルトも独自の深化を遂げていったのは周知の通りである】
シューベルトといえばまず「歌曲」なのだろうが…
これらの若さ溢れるソナタたちも、彼の音楽の持つキラキラとした魅力をいかんなく発揮していると思う。