§シューベルト/ピアノ・ソナタイ長調 D.664
ディーター・ツェヒリン(pf)
('72年録音)
以前にも書いたが、最近好んでよく聴く音楽のひとつがシューベルトのピアノソナタである。
その中でも、このイ長調ソナタは飛び切りのお気に入りといってよいだろう。
『シュタイヤーーそれはウィーンから西へ170キロ程にある、リンツから程遠くない美しい町で、古い家並みはいまも見事に保たれている。ここでシューベルトは美しい自然に囲まれて、〜恵まれた夏を過ごした。このころはシューベルトの最もしあわせだった時期に数えていいだろう。それは音楽のうちにも聴きとれるようだ。』(p.68)
僕の愛読書、
「フランツ・シューベルト」(前田昭雄著、春秋社)からの自由な引用である。
1819年6月にこの地で書かれたイ長調ソナタを、ツェヒリンは実に表情豊かに奏でている。
表情豊かといっても、ただ単にテンポを揺らすとか、老練な語り口で聴かせるなどというのとはまったく異なる。
『第一楽章には、本当に明るくのびやかな気分が溢れている。これほどシューベルト的な、幸せの輝く主題は多くはない。』(同ページ)
シューベルトが楽譜に記したそのままに、歌ったり呟いたり、飛び跳ねたり身をかがめたり…
「青さ」をも含めた若々しさを、何のフィルターも通さずに音にした〜
ツェヒリンの演奏はそんな印象なのである。
『第二楽章アンダンテのしっとりした優雅さも、牧歌的な安らぎを呼吸している。しかしこの一見平穏な変奏曲の音の言葉には、やがて美しい憧れと深い悲しみの心が漲り溢れてくる。』(同ページ)
ツェヒリンはここでも、ことさら暗さを強調し過ぎることなく、「初期シューベルト」の様式感をしっかりと保っているように思える。
そして第三楽章…
『モーツァルト風のきりりとした楽想に続いて、ウィーナーヴァルツァーのリズムもきこえてくる。この快活なフィナーレも「シュタイヤーの夏」のしあわせの反映と言えるだろう。』(p.69)
この言葉に付け加えるものは、何もない。
このディスク、録音も美しい。
付け足されたり加工されたりといった余計なものが、ここには一切ないのだ。