2013年01月25日

フルトヴェングラーを味わう

 
 
今日1月25日は、僕の敬愛する大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの誕生日にあたる(1886年生)。
仕事から帰ったら、久しぶりにじっくり腰を据えて何か聴こう…
などと考えながら一日を過ごす。
 
そして夕方。
自室にて「WFバースデーコンサート」、開催!
 
 
まず1曲目は…
ヴェーバー/「魔弾の射手」序曲
(BPO,'35年録音)
しなやかな歌、そして自在なオーケストラコントロールが見事。
WFを論ずる際に必ず出てくる
 〈"有機体" としての音楽〉
という言葉(氏自身も用いていたか)とその概念が実にしっくりくる、そんな演奏。
実に真っすぐで健康的なドイツ・ロマンの調べ、深い森の音楽だ。
 
 
2曲目に選んだのは、
モーツァルト/交響曲第40番ト短調K.550
(VPO,'48-’49年録音)
第1楽章の冷徹なる疾走に鳥肌…
セピア色の甘い旋律美とは程遠い。
(実に、作曲者の指定はMolto allegroである)
"宿命" を超えて、死の予感さえ覚える痛切なト短調の響き。
 
続く第2楽章にも、安らぎの瞬間はついぞ現れない…
あるのは哀しみと諦念。
 
切り立つ絶壁の如きメヌエットを経て、フィナーレへ。
第2主題、何かに思い焦がれるようなオーボエの音色が艶かしい。
(WFはこの曲では第1版を使用)
 
この指揮者の心の奥底から湧き上がる暗く熱い気質と、楽曲の持つ性格が素晴らしく一致した名演だと思う。
 
 
休憩を挟んで、後半のプログラムへ。
3曲目は…
シューマン/交響曲第4番ニ短調
(BPO,’53年録音)
むせ返るような浪漫の香り。
スコアに様々な手を加え、ここまで濃密なシューマンの音世界を描き切ることのできた「時代」というものに対し、半ばジェラシーにも似た羨望を覚える。
(現代においては…ここまでやるにはリスクが少なくないのではないか)
60年前のモノラル録音から、オーケストラの無限の色彩が浮かび上がるのだ!
 
惜しむらくは、第1〜第2楽章間の無音が長いように思えるところ。
WFのオリジナルの解釈なのか、LP編集時に生じたものなのか。
第1楽章最後のニ長調の力強い全合奏の和音から、次の楽章の寂しげなニ短調の和音(管楽器のみ)へ…
ここにこそ「有機的繋がり」が必要なのではないかしら?
 
今日も、そしてこれからも、フルトヴェングラーの音楽・音による思想は、僕に無限の示唆を与えてくれることだろう。
 
(追記)
ここまで書いてしまってから、2012年の今日のBlogを見てみた。
やはり、フルトヴェングラー・コンサートをやっているではないか!
セレクトした曲が重なっていないから、まあ良しとしようか。
posted by 小澤和也 at 23:29| Comment(0) | 日記