アントウェルペン音楽院のヤンさんから戴いた『戦争』のフルスコア。 おそらくは… 日本にあるのはこの1冊。 表紙をめくると、ペーテル・ブノワのリトグラフと、なぜかまた表紙(?)。 かなり古そうな本。 紙は茶色く焼け、製本もかなり… めくってゆくそばから、見事にバラバラに… ヤンさん曰く「ブノワの最高傑作」とのこと。 これを読んで、さらにブノワ道を究めるぞ! |
2013年02月27日
オラトリオ『戦争』のスコア
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2013年02月25日
追悼 サヴァリッシュさん
昨日、突然僕の耳に飛び込んできたヴォルフガング・サヴァリッシュさんの訃報。(2月22日死去) ショックだった… 引退されて久しかったし、90歳に近い高齢(1923年生まれ)でいらっしゃったのだから、仕方がないといえばそうなのだけれど。 NHK交響楽団とゆかりが深く、それゆえTVやFM放送でそのお名前や姿を見聞きする機会も多かったサヴァリッシュさん。 いわゆる "楷書体" の指揮をなさる方だなぁと、昔から思っていた。 サヴァリッシュがベートーヴェンやブラームスを振られるN響定期にも、よく足を運んだものだ。 これはラジオでの記憶でしかないのだが、鮮烈に印象に残っている演奏がある。 それは1981年8月のザルツブルク音楽祭…カール・ベームが指揮するはずであったシューベルト・プログラム。 ところがベームはこの月の14日に亡くなってしまう。 そして代役がサヴァリッシュさんであった。 このときの『未完成』の、刺さるような鋭いエッジの響き、火を吹くような『グレイト』のスケール感は30年経った今でもほんとうに忘れられない。 N響との共演は2004年が最後だったとのこと。 その別れ際、サヴァリッシュさんはオーケストラに向かって(Auf wiedersehenでなく)"Lebewohl!" とおっしゃった、という話を聞いたことがある。 どこまでも筋の通った、真っ直ぐなマエストロだったのだ… 昨晩は、大好きなシューマン/第2交響曲のCD(シュターツカペレ・ドレスデンとの録音)を小さくかけて、お別れをした。 第3楽章…沁み入るように美しかった。 サヴァリッシュさんの指揮姿からは実にいろいろなことを学んだような気がする。 そして…これはまったく内輪なことなのだけれど、サヴァリッシュさんと僕は誕生日が一緒(8月26日)なのだ。 〜そのことだけでも、不思議な親近感を覚えていたのだった。 RIP, Maestro Sawallisch... |
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2013年02月24日
「魅惑の室内楽」
友人でピアニストの平野裕樹子さんが出演された室内楽コンサートを聴く。 (22日@津田ホール) 書き下ろし作品2曲(野崎美波/午後の光と影、プティ/渦巻く恐怖)を含め、ほとんどが初めて耳にする作品だったが、大いに楽しんだ。 中でも印象に残ったのは、上記プティの曲、そして萩京子/3つの悲歌である。 「渦巻く恐怖」は、クラリネット、ファゴット、ピアノおよびメゾソプラノのための作品。 作曲家によって書かれた詩の朗読に続き、タイトルから連想されるイメージ通りの刺激的な響きが畳み掛ける。 それらはときに痛々しいものだけれど、決して無秩序ではなくある一定の「フォルム」を持っているように感じた。 またそれぞれの音型も、各楽器の特性を巧みに活かしたものになっていて、前衛的なサウンドながら強い説得力を帯びていたと思う。 フルート、ファゴット、ピアノのためのトリオ「3つの悲歌」では、ひたすらに美しい響きに惹かれた。 穏やかな、それでいて遣り場のない哀しみが綿綿と流れてゆくような音楽。 プログラムノートによれば、萩さんの先輩であり同志でもあった作曲家・林光氏の訃報がこの曲に影響を与えているとのこと。 (余談だが、演奏終了後に客席にいらっしゃる萩さんが紹介された…僕のすぐ目の前に座られていた女性がすっと立ち上がられて一瞬ビックリ) その他、グリンカ/悲愴トリオは僕が唯一聴いたことのあるものだったのだが、それは2本のクラリネット&ピアノでの演奏だった。 今回聴いたクラリネット、ファゴットとピアノ(こちらがオリジナルなのだろう)のほうが色彩感、立体感に富んでいて好感。 ハールストン/トリオ ト短調では、ブラームスそっくりのメロディが一瞬出てきたりして思わずニヤリ。 平野さん(そしてファゴットのF.ルブロワさん)は全曲乗り番… お疲れさまでした! この日、池袋からホールまでてくてく歩いた。 途中、高田馬場あたりまで路面電車の専用軌道としばし並行。 (高戸橋交差点付近) |
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2013年02月22日
ブルックナー雑感
昨日、東京芸術劇場でブルックナー/第5交響曲(読響名曲シリーズ・下野竜也さん指揮)を聴いてから、頭の中がずっとブルックナー・モードである。 演奏を聴いて感じたこと。 前半2楽章はどちらかといえば静的な印象、端正な造型感覚に好感を覚えた。 続くスケルツォはメトリークが明快で実に鮮烈。 (特に中間部!)。 そして終楽章は一転、マエストロの創意工夫が満載。 オーケストラのサウンドも素晴らしかったな。(Hrnソロが絶品!) ブルックナー演奏として限りなく理想的な響き。 Mr.Sの遺した大きな功績のひとつなの だろう。 今日はあれこれスコアを眺め、音源を確認したりして過ごす。 改めて思うことだが、ブルックナー演奏は指揮者が「何かやってやろう…」と思うところに危険をはらんでいるような気がしてならない。 表現としての "あざとさ" を排し、この作曲家独自の響きを肌で感じながらひたすらに愚直を通す… これが僕のイメージするブルックナー像だ。 どの作曲家にも作風の変遷があるように、ブルックナーの作品にも年代によってカラーの差があるように思う。 この「第5」、番号こそ5番目であるが、僕らが一般に耳にする「第3」や「第4(ロマンティック)」の決定稿よりは成立が早いのだ。 《第5=1878年、第4第2稿=1880年、第3第3稿=1889年》 その意味で、第5交響曲は彼の「初期スタイル」の総決算と呼んで差し支えないだろう。 流麗で洗練された第7、あるいは第8交響曲と違ってゴツゴツしているが、そこがまた堪らなく魅力的なのだ。 この日は、正指揮者というポストでの下野さんの最後の演奏会だったとのこと。 楽員の皆さんが退場した後、下野さんの「ソロ」カーテンコール。 素敵な場面であった。 昨日の演奏は、オーケストラと指揮者によるこのうえなく幸福な共同作業であったと思われる。 |
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2013年02月20日
伝記 ペーテル・ブノワ(4)
§第2章
[ペーテル・ブノワの少年時代]
(前回からの続き)
ブノワの母親もまた、息子の心を動かすすべを理解していた。
彼女は、宝物のような物語・伝説の数々を知っており、表現豊かな朗読を聞かせることにより、子供たちのイマジネーションに強い感動を与えられるような、不思議な力を持った女性だった。
彼女はあるとき、ドイツの作家コツェビューの戯曲を全幕朗読した…それは韻文で書かれ、演劇協会によって10回以上も上演されている作品であった。
こうして母親はペーテル少年のために、おとぎ話の登場人物や伝説的な出来事に満ちたミステリアスな世界を築いてみせる。
そして、それらのイメージや感動の宝庫(後にこの芸術家を幾度となく奮い立たせる)は、幼い頃よりペーテルの敏感な心の中で育まれていたのだった。
さて、これらはすべて事実だろうか?
あるいは、それらの奇抜さが書き遺されることによって生まれた空想の産物なのか?
今後の本格的な調査が、ブノワの青年時代に新たな光を投げかけるかもしれない。
ハレルベーケには、この少年を抑えがたく引きつけるさらに別のものがあった…それは日曜日や祝日に教会で演奏された音楽である。
そこにはオルガンだけでなく、オーケストラおよび充実した合唱団があり、共に大変有名な作曲家〜なかんずくハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン…既に100年以上にわたり世界中で演奏され、喝采を送られている三人のウィーンの作曲家〜の偉大な作品を演奏していた。
ペーテル少年はこれらの演奏を、一つの響きも聞き落とすことなく熱心に聴いていた…彼のような少年は他にいなかった。
彼の思考は、音楽によって高みを浮遊していく。
美しい旋律の響き、オルガンやその他様々な楽器の音色は、注意深くそして有頂天になってそれらを聴くペーテルにとって魅惑的な夢の世界の黄金の扉を開いたのだった。
音楽への欲求は抗いがたくかきたてられ、そしてペーテルは音楽的能力を身につけるためのあらゆる機会を逃さなかった。
教会で聴いた音楽によって、少年はより多くの恩恵を受けたであろう…家族から与えられたそれよりも。
(彼は父親の吹く甲高いクラリネットや祖父の吹くクラクションのようなホルンを聴いているのだが)
けれども、二人は常に音楽を理解する耳を持っていた…ともに音楽をこよなく愛し、そして疑いなくペーテルの音楽的成長に大いに貢献したのであった。
(第2章 つづく)
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2013年02月18日
ヴィオロンでの雅なひととき
カフェ・ヴィオロンにて『21世紀にこれだけは残したいSPの名演奏』と題したレコードコンサートを聴く。 (17日、阿佐ヶ谷) 駅北口、飲食店街を抜けて住宅地にさしかかったあたりに建つこのお店。 外観からして雰囲気満点。 中へ入ると… すでに店内は暗く、開演を待つお客さんの姿もちらほら。 解説の板倉重雄さん。 (こっそり撮ってしまってごめんなさい…) 月一回のペースで、もう10年以上にわたってこの会を催していらっしゃるそうである。 この日はベートーヴェン特集。 はじめに聴いたのは、ケンプの弾く『熱情』ソナタ。 ('43年録音) 冒頭、針音の向こう側にある音色そのものの美しさにいきなり度胆を抜かれる。 空間を感じる録音、ピアニシモも綺麗だ。 40歳代のケンプの、瑞々しくロマンティックな演奏を楽しむ。(技術的には既に完璧ではなかったようだが) 続いてのプログラムは、メンゲルベルク&コンセルトヘボウによる第8交響曲。 (’38年録音) 弦の色、管の奥行きをしっかりと感じる演奏。 第3楽章、ホルンとトランペットのファンファーレが、実によい音で録れている。 随所に現れるルバート(メンゲルベルク節)にニヤリ、聴き終えてニッコリ。 ここまでで改めて感じたこと。 "ベートーヴェンは…SPで聴いてもまったく遜色ないのだな" 楽曲の持つ色彩感、そしてダイナミズムが、SPの技術の枠内に(ギリギリだが)収まっているように思えるのだ。 そして、演奏者の「意志」がしっかりと聴き取れる音質であった。 休憩を挟んでの後半、カペー四重奏団による『ラズモフスキー第1番』を聴く。 (’28年録音) おっとりと始まる第1楽章。 やや乾いた音色だ。(前2曲との10〜15年の収録年の差か?) 最初の2つの楽章は、曲の前衛性とカペーSQの演奏スタイルが今ひとつマッチしないように感じられたが、後半は素晴らしかった。 第3楽章の、1stヴァイオリン主導のカンタービレ、そして力感を取り戻したフィナーレ… 往年の巨匠達の奏でる音楽を充分堪能するとともに、状態の良い盤を優れた機器で再生したときの、SPレコードの持つ情報量の多さに心底感服した。 もちろん、ノスタルジックな意味合いでの感動も深い。 SPの収録時間は片面数分ずつ。 この日の『熱情』『第8』は3枚6面、『ラズモフスキー』は6枚12面であった! 途中で面(盤)を替え、ゼンマイを巻き直して再び針を落とす、この儀式のような感覚が懐かしかった。 (LP時代でも、"1枚もの"の『第九』では第3楽章の途中で必ず面が変わったものだ) アンコールとして、ヴォルフシュタールの独奏による『ロマンス』第2番が再生された。 初めて聴く名前だった(フレッシュ門下のドイツ人とのこと)が、甘い音色の美しいヴァイオリンであった。 楽しいひとときを味わう。 ご案内くださった板倉さんに心から感謝。 帰り道にふと気付いた。 "今日の演目、全部「ヘ調」の作品だった…アンコールまで!" これは偶然ですよね? (板倉さんにお尋ねしないと!) |
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2013年02月16日
久々の "買い物"
ふと思い立って、バッハ・コレギウム・ジャパンの公演チケットを買い求めた。 受難節コンサート2013、ヨハネスパッションである。 電話で予約し、チケットセンター窓口へ直接取りに行った。 インターネット全盛、そして買ったものは何でも送ってもらえるこのご時世に、こんな風にして演奏会のチケットを手に入れるのはすごく久しぶりのような気がする。 学生時代、小遣いを貯めてはコンサートに通っていた頃のドキドキ感をちょっぴり思い出した。 楽しみだな、バッハ。 |
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2013年02月14日
伝記 ペーテル・ブノワ(3)
ブノワの肖像画 (Walter Vaesの銅版画より) §第2章 [ペーテル・ブノワの少年時代] フランデレンの中で、アントウェルペンほどペーテル・ブノワが崇拝されている都市はない。 もっとも、ブノワは出生地という意味ではアントウェルペン人ではない。 彼は西フランデレン、美しいレイエ川地域の子供であった。 コルトレイクの近く、古く小さな村ハレルベーケにて、ペーテル・レナールト・レオポルト・ブノワは1834年8月17日に生まれた。 ブノワは壮大で豊かなフランデレンの風景の中で成長する。 ハレルベーケからそう遠くない所に、1302年、フランデレン市民がフランスの支配者を打ち負かした地である Groeninger Kouter がある。 1世紀前には人口4000人をようやく数えるほどであったこの小さな村は、レイエ川ーイギリス人が亜麻精製所としての優れた能力ゆえに黄金の川と名付けたーの川岸に興った。 穏やかに波打つような耕地、陽気に流れるレイエ川、そして広大な空ーこうした彼の生地の自然は、ブノワの心に常に深い感銘を与え、そして彼はこれらの印象を、彼の音楽作品の中に繰り返し表現していったのだった。 つい数年前まで、ハレルベーケには中世の城の遺跡があった。 ハレルベーケはとても古い村である、と先に私は述べたが、歴史がそのことを我々に示している。 古文書は我々に次のように教えてくれるー 882年、《Harlebeca》はノルマン人によって壊滅させられた… さらには11世紀、フランデレンの森林監督官もしくは伯爵がハレルベーケの城に移り住んだ、と。 ハレルベーケの人口は、その大半が農民、そして亜麻の栽培者である。 ペーテル・ブノワの一族はその例外となった…彼らは、村民の中ではむしろ裕福な方であった。そしてブノワの両親は質素な生活をしながらも、彼らの子供たちに幸福な青春期を送らせ、適切な教育を授けることができた。 ペーテル少年は初めての音楽教育を彼の父から受けた…と、ブノワに関する様々な著作物は伝えている。 この父親はレイエ川沿い、ハレルベーケから数キロの所にあるベーフェレンで生まれ、若い頃にコルトレイクで音楽(楽典、声楽、クラリネットおよびコルネット)を学んだ。 彼は並はずれた技量の専門家ではなかったが、音楽のセンスに富んだ人物であった。 後にブノワの父親はハレルベーケの水門管理人となる…彼はそこで質素に、つましく暮らした。 彼はまた聡明で感受性が強く、生命と自然が我々に示す「美」のすべてを見るためのペーテル少年の目を開かせたのである。 (第2章 つづく) |
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2013年02月12日
伝記 ペーテル・ブノワ(2)
§第1章 [彼は民衆に「歌うこと」を教えた] フランデレン地域、とりわけアントウェルペンの人々は、自国の偉大な芸術家の栄誉を壮大な国民的祝祭をもって称えている。 1912年には、国民的作家 H.コンシエンスの生誕100周年が熱狂的に祝われた。 人々は彼を《民衆に「読むこと」を教えた人物》と呼び習わしている。 彼はその著作を世に送ることにより、民衆に「読むこと」を教えた。 それらの作品の中では、フランデレンの英雄達や著名人の物語に出会う。 また別の本の中には、フランデレンの街や村でその土地の人々によって演じられた、民衆の興味を引くような伝説を見つけることができる。 これらの作品の数々をもって、コンシエンスは民衆に、固有の地域、民族、そして言語への尊敬と愛情の念をふたたび呼び起こし、育んだのだった。 さて、1934年は新たな記念の年、栄光に満ち熱狂をもって祝われる年となろう。 今年はもう一人の偉大な芸術家、作曲家ペーテル・ブノワの生誕100周年に当たる。 コンシエンスが《民衆に「読むこと」を教えた人物》と称されるように、ペーテル・ブノワは《民衆に「歌うこと」を教えた人物》と呼ばれる。 ブノワは、音楽がその力をフランデレンの伝統・伝承から引き出すことができる、ということを理解した最初のフランデレン人作曲家であった。 彼はその音楽をフランデレン語のテキストで書いている。 彼の歌曲、そして彼の作品の多くが、民衆の心へ向かう道を見出したのだ。 我々はペーテル・ブノワをこう呼んでもよいだろう…現代のフランデレン人にとっての音楽芸術における真の創始者である、と。 |
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伝記 ペーテル・ブノワ(1)
数年前に入手した、我がペーテル・ブノワの伝記本である。 今でこそ、彼に関する数冊の資料を持っているが、はじめてこれを手にした時の感動は忘れられない。 副題に "Een levensbeeld voor de Vlaamsche Jeugd" 「フランデレンの青少年のための伝記」 とある通り、フラマン語(≒オランダ語)によって書かれた、教育的・啓蒙的な本であるようだ。 出版年は1934年、ブノワの生誕100周年に際して頒布されたものであろう。 まだ読み終えてはいないのだけれど、僕自身のためのアウトプットを兼ねて、訳出したものをこれから少しずつ書いてみたいと思う。 |
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2013年02月09日
渋谷公会堂で聴いたルスラン
港北区民交響楽団とのプローべへ。
久しぶりなのでとても楽しみだった。
会場の都築公会堂、よく知っている場所(昔演奏会でよく利用)にもかかわらず迷ってしまい、時間ギリギリに到着。
始まる前から大汗…
今回の曲目はドヴォルジャーク/第8交響曲、ハイドンの104番、そして定番「ルスランとリュドミラ」序曲。
譜読みを始めてまだ二週目とのことだったが、皆さん必死に食らいついてくださっていた。
ルスランといえば、ちょっとした思い出がある。
あれは大学生の頃、黛敏郎さんが司会をしていらした時代の「題名のない音楽会」の公開収録を観に行ったときのことだ。
(あの頃の「題名〜」はほんとうに良かったな)
出演は岩城宏之さん、たしか2本撮りだったっけ…
そのうちの一本が「暗譜」をテーマにした回だった。
岩城さんは基本的に暗譜で振られる方で、「覚えにくい曲」としてシベリウス/第5交響曲の第3楽章を例に挙げ、スコアをスクリーンに写しながら演奏を聴かせてくださった。
次に「オーケストラが暗譜で弾くとどうなるか?!」という話題に移り(通常そういうことはあり得ない)、ここで指揮者はじめ全員が暗譜で演奏したのが…ルスランとリュドミラだったのだ。
凄まじい集中力で一気呵成に弾き切った瞬間…客席からは万雷の拍手!
でも、岩城さん曰く
「ちょっと "守り" に入ってたかな」
放送で流れたのはたしかここまで。
収録の際には黛さんが間髪を容れず、
「では今度は楽譜を見て弾いていただきましょうか!」
(今思えば…なんと人遣いの荒いこと!)
岩城さんはさっと指揮台に上り、オーケストラも実にのびのびと、先ほどよりさらにパワーアップしたルスランを聴かせてくださったのであった。
この曲を2度も続けて聴いた経験は、後にも先にもこの時だけである。
区民響の皆さん、また来月に!
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2013年02月06日
ドライヴ
寺田由美パーカッションアンサンブル「ドライヴ」のコンサートを聴く。 (@横浜みなとみらいホール(小)) メンバーの一人、天明さおりさんは高校の後輩だ。 (チラシ・中央左端) 演奏家としての天明さんを聴くのはおそらく今日が初めて。 プログラムは二部構成。 前半のオリジナル作品2曲、「オルタネイト・スティッキン・パレード」(村松達之)と「セレブレーションとコラール」(N.D.ポンテ)がやはり圧倒的に楽しめた。 定番曲らしく、華やかな演奏効果とカッチリとした曲のつくりが魅力。 それから、今回彼らと共演する形となった木管五重奏団「アンサンブル・ネージュ」によるミヨー/ルネ王の暖炉も佳演。 (木五を聴くのも久しぶりだったなあ…懐かしい) 演奏会後半は、木管五重奏+打楽器アンサンブル、そしてフルート三重奏+打楽器アンサンブルという新しいスタイルの作品が4曲。 いずれも委嘱、あるいは編曲作品である。 これらは「演奏していて楽しい曲」なのだろうなぁ… というのが正直な感想。 客席には、楽器を携えた学生さんと思しき若い方々の姿も多く、彼らへアピールする力というものはすごく強いのかもしれない。 ただ申し訳ないことに、僕には「限りなく小編成な吹奏楽」との違いを感じ取ることができなかった。 サウンド的にはとても美しかったのだけれど。 それでも、前半が聴けただけで大満足! (「プライマリートリオ」によるフルート三重奏(メルカダンテ/セレナード)も素敵だった) 天明さん、お疲れさまでした! 楽しいコンサートをご案内くださってありがとう。 |
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2013年02月05日
魂のごはん
「バッハの音楽とは?」
『"魂のごはん" です』
とあるNHKのTV番組での、鈴木雅明さんの言葉。
限りない高みにあって、しかも何ら"特別なものではない" ということなのだろう。
けだし至言。
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2013年02月03日
アイディアノート
丸の内オアゾの丸善にてノートを買い求める。 紙の質や綴じ方などにメーカーの強いこだわりが感じられる、そんなノートだ。 数年前から「アイディアノート」(ありきたりな命名…)をデスクの傍に置いて、思いついたことや心に響いたことなどを書き留めている。 この "LIFE/ Noble Note" を使うようになってから、それまでにも増して書くこと、考えることが楽しくなった。 なんといっても、書き味、ペンのすべりがいい。 こういった知的作業、昨今ではパソコンや各種ポータブル端末を使ってやられるのが主流だとは思うのだが、僕は未だに「紙とペン」派である。 結構お高いノートだけれど… これのおかげでヤル気が湧いたりよい着想が生まれるのであれば、決して無駄ではなかろう。 (…と己に言い聞かせるのであった) |
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2013年02月02日
音楽ノート 満3年
2月2日。 この「小澤和也 音楽ノート」を書き始めてから、本日で満3年となりました。 こうして続けることができたのも、ご覧くださっている皆さまの応援のおかげです。 心より御礼申し上げます。 これからも音楽家として、またひとりの人間として、この深遠なる芸術に対し真摯に向き合っていくことを、 そして、その中から湧き上がる喜びや感動を皆さまと分かち合えるよう努力してゆくことを、ここに誓います。 今後とも「音楽ノート」をよろしくお願い申し上げます。 小澤和也 |
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