2013年02月18日

ヴィオロンでの雅なひととき

 
 
カフェ・ヴィオロンにて『21世紀にこれだけは残したいSPの名演奏』と題したレコードコンサートを聴く。
(17日、阿佐ヶ谷)
 
駅北口、飲食店街を抜けて住宅地にさしかかったあたりに建つこのお店。
外観からして雰囲気満点。
 
 
中へ入ると…
すでに店内は暗く、開演を待つお客さんの姿もちらほら。
 
解説の板倉重雄さん。
(こっそり撮ってしまってごめんなさい…)
月一回のペースで、もう10年以上にわたってこの会を催していらっしゃるそうである。
 
 
この日はベートーヴェン特集。
はじめに聴いたのは、ケンプの弾く『熱情』ソナタ。
('43年録音)
冒頭、針音の向こう側にある音色そのものの美しさにいきなり度胆を抜かれる。
空間を感じる録音、ピアニシモも綺麗だ。
40歳代のケンプの、瑞々しくロマンティックな演奏を楽しむ。(技術的には既に完璧ではなかったようだが)
 
続いてのプログラムは、メンゲルベルク&コンセルトヘボウによる第8交響曲。
(’38年録音)
弦の色、管の奥行きをしっかりと感じる演奏。
第3楽章、ホルンとトランペットのファンファーレが、実によい音で録れている。
随所に現れるルバート(メンゲルベルク節)にニヤリ、聴き終えてニッコリ。
 
ここまでで改めて感じたこと。
"ベートーヴェンは…SPで聴いてもまったく遜色ないのだな"
楽曲の持つ色彩感、そしてダイナミズムが、SPの技術の枠内に(ギリギリだが)収まっているように思えるのだ。
そして、演奏者の「意志」がしっかりと聴き取れる音質であった。
 
 
休憩を挟んでの後半、カペー四重奏団による『ラズモフスキー第1番』を聴く。
(’28年録音)
おっとりと始まる第1楽章。
やや乾いた音色だ。(前2曲との10〜15年の収録年の差か?)
最初の2つの楽章は、曲の前衛性とカペーSQの演奏スタイルが今ひとつマッチしないように感じられたが、後半は素晴らしかった。
第3楽章の、1stヴァイオリン主導のカンタービレ、そして力感を取り戻したフィナーレ…
 
往年の巨匠達の奏でる音楽を充分堪能するとともに、状態の良い盤を優れた機器で再生したときの、SPレコードの持つ情報量の多さに心底感服した。
もちろん、ノスタルジックな意味合いでの感動も深い。
SPの収録時間は片面数分ずつ。
この日の『熱情』『第8』は3枚6面、『ラズモフスキー』は6枚12面であった!
途中で面(盤)を替え、ゼンマイを巻き直して再び針を落とす、この儀式のような感覚が懐かしかった。
(LP時代でも、"1枚もの"の『第九』では第3楽章の途中で必ず面が変わったものだ)
 
アンコールとして、ヴォルフシュタールの独奏による『ロマンス』第2番が再生された。
初めて聴く名前だった(フレッシュ門下のドイツ人とのこと)が、甘い音色の美しいヴァイオリンであった。
 
楽しいひとときを味わう。
ご案内くださった板倉さんに心から感謝。
 
帰り道にふと気付いた。
"今日の演目、全部「ヘ調」の作品だった…アンコールまで!"
これは偶然ですよね?
(板倉さんにお尋ねしないと!)
 
 
posted by 小澤和也 at 22:11| Comment(0) | 日記

2013年02月16日

久々の "買い物"

 
 
ふと思い立って、バッハ・コレギウム・ジャパンの公演チケットを買い求めた。
受難節コンサート2013、ヨハネスパッションである。
 
電話で予約し、チケットセンター窓口へ直接取りに行った。
インターネット全盛、そして買ったものは何でも送ってもらえるこのご時世に、こんな風にして演奏会のチケットを手に入れるのはすごく久しぶりのような気がする。
 
学生時代、小遣いを貯めてはコンサートに通っていた頃のドキドキ感をちょっぴり思い出した。
楽しみだな、バッハ。
posted by 小澤和也 at 23:25| Comment(0) | 日記

2013年02月14日

伝記 ペーテル・ブノワ(3)

 
ブノワの肖像画
(Walter Vaesの銅版画より)
 
 
§第2章
[ペーテル・ブノワの少年時代]
 
フランデレンの中で、アントウェルペンほどペーテル・ブノワが崇拝されている都市はない。
もっとも、ブノワは出生地という意味ではアントウェルペン人ではない。
彼は西フランデレン、美しいレイエ川地域の子供であった。
コルトレイクの近く、古く小さな村ハレルベーケにて、ペーテル・レナールト・レオポルト・ブノワは1834年8月17日に生まれた。
 
ブノワは壮大で豊かなフランデレンの風景の中で成長する。
ハレルベーケからそう遠くない所に、1302年、フランデレン市民がフランスの支配者を打ち負かした地である Groeninger Kouter がある。
1世紀前には人口4000人をようやく数えるほどであったこの小さな村は、レイエ川ーイギリス人が亜麻精製所としての優れた能力ゆえに黄金の川と名付けたーの川岸に興った。
穏やかに波打つような耕地、陽気に流れるレイエ川、そして広大な空ーこうした彼の生地の自然は、ブノワの心に常に深い感銘を与え、そして彼はこれらの印象を、彼の音楽作品の中に繰り返し表現していったのだった。
 
つい数年前まで、ハレルベーケには中世の城の遺跡があった。
ハレルベーケはとても古い村である、と先に私は述べたが、歴史がそのことを我々に示している。
古文書は我々に次のように教えてくれるー
882年、《Harlebeca》はノルマン人によって壊滅させられた…
さらには11世紀、フランデレンの森林監督官もしくは伯爵がハレルベーケの城に移り住んだ、と。
 
ハレルベーケの人口は、その大半が農民、そして亜麻の栽培者である。
ペーテル・ブノワの一族はその例外となった…彼らは、村民の中ではむしろ裕福な方であった。そしてブノワの両親は質素な生活をしながらも、彼らの子供たちに幸福な青春期を送らせ、適切な教育を授けることができた。
 
ペーテル少年は初めての音楽教育を彼の父から受けた…と、ブノワに関する様々な著作物は伝えている。
この父親はレイエ川沿い、ハレルベーケから数キロの所にあるベーフェレンで生まれ、若い頃にコルトレイクで音楽(楽典、声楽、クラリネットおよびコルネット)を学んだ。
彼は並はずれた技量の専門家ではなかったが、音楽のセンスに富んだ人物であった。
 
後にブノワの父親はハレルベーケの水門管理人となる…彼はそこで質素に、つましく暮らした。
彼はまた聡明で感受性が強く、生命と自然が我々に示す「美」のすべてを見るためのペーテル少年の目を開かせたのである。
 
(第2章 つづく)
 
posted by 小澤和也 at 22:30| Comment(0) | 音楽雑記帳

2013年02月12日

伝記 ペーテル・ブノワ(2)

 
 
 
§第1章
 
[彼は民衆に「歌うこと」を教えた]
 
フランデレン地域、とりわけアントウェルペンの人々は、自国の偉大な芸術家の栄誉を壮大な国民的祝祭をもって称えている。
1912年には、国民的作家 H.コンシエンスの生誕100周年が熱狂的に祝われた。
人々は彼を《民衆に「読むこと」を教えた人物》と呼び習わしている。
 
彼はその著作を世に送ることにより、民衆に「読むこと」を教えた。
それらの作品の中では、フランデレンの英雄達や著名人の物語に出会う。
また別の本の中には、フランデレンの街や村でその土地の人々によって演じられた、民衆の興味を引くような伝説を見つけることができる。
これらの作品の数々をもって、コンシエンスは民衆に、固有の地域、民族、そして言語への尊敬と愛情の念をふたたび呼び起こし、育んだのだった。
 
さて、1934年は新たな記念の年、栄光に満ち熱狂をもって祝われる年となろう。
今年はもう一人の偉大な芸術家、作曲家ペーテル・ブノワの生誕100周年に当たる。
コンシエンスが《民衆に「読むこと」を教えた人物》と称されるように、ペーテル・ブノワは《民衆に「歌うこと」を教えた人物》と呼ばれる。
 
ブノワは、音楽がその力をフランデレンの伝統・伝承から引き出すことができる、ということを理解した最初のフランデレン人作曲家であった。
彼はその音楽をフランデレン語のテキストで書いている。
彼の歌曲、そして彼の作品の多くが、民衆の心へ向かう道を見出したのだ。
 
我々はペーテル・ブノワをこう呼んでもよいだろう…現代のフランデレン人にとっての音楽芸術における真の創始者である、と。
 
 
posted by 小澤和也 at 09:43| Comment(0) | 音楽雑記帳

伝記 ペーテル・ブノワ(1)

 
 
数年前に入手した、我がペーテル・ブノワの伝記本である。
今でこそ、彼に関する数冊の資料を持っているが、はじめてこれを手にした時の感動は忘れられない。
 
 
副題に
"Een levensbeeld voor de Vlaamsche Jeugd"
「フランデレンの青少年のための伝記」
とある通り、フラマン語(≒オランダ語)によって書かれた、教育的・啓蒙的な本であるようだ。
出版年は1934年、ブノワの生誕100周年に際して頒布されたものであろう。
 
まだ読み終えてはいないのだけれど、僕自身のためのアウトプットを兼ねて、訳出したものをこれから少しずつ書いてみたいと思う。
posted by 小澤和也 at 09:26| Comment(0) | 音楽雑記帳