2013年02月14日

伝記 ペーテル・ブノワ(3)

 
ブノワの肖像画
(Walter Vaesの銅版画より)
 
 
§第2章
[ペーテル・ブノワの少年時代]
 
フランデレンの中で、アントウェルペンほどペーテル・ブノワが崇拝されている都市はない。
もっとも、ブノワは出生地という意味ではアントウェルペン人ではない。
彼は西フランデレン、美しいレイエ川地域の子供であった。
コルトレイクの近く、古く小さな村ハレルベーケにて、ペーテル・レナールト・レオポルト・ブノワは1834年8月17日に生まれた。
 
ブノワは壮大で豊かなフランデレンの風景の中で成長する。
ハレルベーケからそう遠くない所に、1302年、フランデレン市民がフランスの支配者を打ち負かした地である Groeninger Kouter がある。
1世紀前には人口4000人をようやく数えるほどであったこの小さな村は、レイエ川ーイギリス人が亜麻精製所としての優れた能力ゆえに黄金の川と名付けたーの川岸に興った。
穏やかに波打つような耕地、陽気に流れるレイエ川、そして広大な空ーこうした彼の生地の自然は、ブノワの心に常に深い感銘を与え、そして彼はこれらの印象を、彼の音楽作品の中に繰り返し表現していったのだった。
 
つい数年前まで、ハレルベーケには中世の城の遺跡があった。
ハレルベーケはとても古い村である、と先に私は述べたが、歴史がそのことを我々に示している。
古文書は我々に次のように教えてくれるー
882年、《Harlebeca》はノルマン人によって壊滅させられた…
さらには11世紀、フランデレンの森林監督官もしくは伯爵がハレルベーケの城に移り住んだ、と。
 
ハレルベーケの人口は、その大半が農民、そして亜麻の栽培者である。
ペーテル・ブノワの一族はその例外となった…彼らは、村民の中ではむしろ裕福な方であった。そしてブノワの両親は質素な生活をしながらも、彼らの子供たちに幸福な青春期を送らせ、適切な教育を授けることができた。
 
ペーテル少年は初めての音楽教育を彼の父から受けた…と、ブノワに関する様々な著作物は伝えている。
この父親はレイエ川沿い、ハレルベーケから数キロの所にあるベーフェレンで生まれ、若い頃にコルトレイクで音楽(楽典、声楽、クラリネットおよびコルネット)を学んだ。
彼は並はずれた技量の専門家ではなかったが、音楽のセンスに富んだ人物であった。
 
後にブノワの父親はハレルベーケの水門管理人となる…彼はそこで質素に、つましく暮らした。
彼はまた聡明で感受性が強く、生命と自然が我々に示す「美」のすべてを見るためのペーテル少年の目を開かせたのである。
 
(第2章 つづく)
 
posted by 小澤和也 at 22:30| Comment(0) | 音楽雑記帳