「大事なことはすべて立川談志に教わった」(立川談慶著)を読む。 談慶さん(敢えて「さん」付けで呼ばせてください)のことは正直あまりよく知らなかった… 時折Twitter上で鋭く的を射た言葉を投げていらっしゃるのを見かける以外は。 偶然この本のことを知り、なぜか(読んでみよう)と思ったのだ。 それは、タイトルにある「ししょう」のルビのせいだったかもしれない。 ![]() 我が「師匠」のことを思い起こしつつ、一気に読んだ。 《修行とは不合理と矛盾に耐えること》 (p.18) のっけから膝を叩いて大笑い。 僕自身、10代の頃の師匠の言動に 「そんな理不尽な…!」 と、何度思ったことだろう。 今考えれば、あの時のカミナリも無茶振りも「見えない優しさ」だったのだな。 《個性を伸ばす教育から個性は生まれない》 (p.32) さすが談慶さん! 全く同感です! 《想定外を想定しろ》 (p.112) 察知する力、察知してから対応するまでの時間を限りなく短くすること… この時間Δtをゼロにすることができれば、すなわち「想定外を想定」できたことになるのだろうな。 (コレ、演奏会本番で振っていて時折思うことでもある) 談慶さんの二つ目昇格、さらには真打ち昇進までの描写は真に壮絶。 (入門から13年半だそうである) そして、お披露目パーティでの談志師匠の言葉がこれ。 《…大事なのはプロセスなんです…今までこいつがやってきたことが無駄じゃなくなったのです。みんな、こいつの芸の幅になったのです…》 (p.188) 重く、深く、そしてあたたかい言葉。 読みながら、いろいろなことを考えることができた。 (師匠って、有り難いよな…) 素敵な本だった。 談慶さん、ありがとうございます! |
2013年08月31日
師匠って…
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2013年08月28日
ケルテスのブルックナー
今日は、ハンガリーの名指揮者イシュトヴァン・ケルテス(1929-1973)の84回目の誕生日。 CD棚から取り出したのは、お得意のモーツァルトでもブラームスでもなく… ブルックナー。 ![]() ロンドン響との第4交響曲。 1965年10月、キングズウェイホールでのセッション録音。 ケルテスが遺したブルックナーはこの「ロマンティック」のみである。 【他に'64年3月の別録音(ライヴ)がある】 ブルックナーとケルテス。 イメージ的には結び付きにくい組み合わせであろう。 端的に言えば 「体脂肪率ヒトケタ台のブルックナー」だ。 楽譜に指定のないテンポの変動は一切無し。 オルガン的で重厚なサウンド作りも避けられている。 「らしくない」と言ってしまえばそれまでだ。 でも、一切の先入観を排してスコアのみを見つめたとき、ケルテスがいかにこの作曲家の魂に対して忠実に寄り添っているかに気付かされる。 一つ一つの音が無闇に引き延ばされないので、特に両端楽章では対位法の綾がこのうえなく明確に描き分けらていれるのだ。 淡々と流れる第2楽章、そしてひたすらに突き進む第3楽章では、その曲想とケルテスの持つ美質とが見事に合致している。 とりわけ、第2楽章の繊細な響きは何とも言えず美しい。 …というわけで、ユニークではあるが実に音楽的なケルテスのブルックナーなのだ。 彼の指揮で第3、第5あたりも聴いてみたかったものである。 追記) このTestament盤には「ハース版使用」と記されているのだけれど、僕が把握している幾つかの箇所を聴く限り、これはノーヴァク版による演奏である。 第3楽章トリオではフルート&クラリネットが旋律を奏でるし、第4楽章大詰めのトランペット&ホルンは付点リズム音型を吹き鳴らす。 (ハース版ではこうはならない) |
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2013年08月27日
生命を賭けた音楽
![]() 佐村河内守 "交響曲第1番《HIROSHIMA》の世界展" を観る。 (17日、東京ミッドタウン) 写真家・大杉隼平氏によるパネル展示。 さきの震災の被災地を訪れる佐村河内さん。 ![]() ![]() ![]() 佐村河内さんゆかりの品々。 ![]() ![]() ![]() 自筆。 ![]() 「書く」というよりも 「刻み込む」と表現したほうがふさわしいと思えるほどの気迫。 ![]() 彼にとっての「幸福」は どこにあるのだろう。 絶え間ない耳鳴り、 苦しみの極みであろう体調。 それらと闘いながら、 まさに生命を削りつつ作曲を続ける佐村河内さん。 彼自身の思う「幸福」の通りに これからの彼の人生がありますように。 ![]() |
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2013年08月26日
Birthday
![]() 今日は誕生日。 望んでいた結果が出て嬉しかったり、時には日々流されてゆくような感覚にとらわれたり… それでもトータルでは前進。 そんな一年だったような気がする。 この先も、 「継続は力」「努力は裏切らない」 これだけを引っさげて、走ってゆこう。 この「音楽ノート」共々、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2013.8.26. 小澤和也 |
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2013年08月23日
山枡信明さんの "Müllerin"
![]() テノール・山枡信明さんのリサイタルを今年も聴く。 (18日、みなとみらいホール) 演目は待望のシューベルト「美しき水車小屋の娘」全曲。 この物語の象徴の一つであろう "リュート" にかけてだろうか、プログラムに先立ってダウランドの「流れよ、わが涙」が歌われた。 なんとも洒落た演出ではないか。 (うーむ、そう来たか!) 思わず膝を打つ。 シューベルトの前半はかなり抑え気味、やや慎重な入りのように感じられた。 所々、ピアノとのバランスの難しい瞬間もあったかもしれない。 …というのも山枡さんは、伴奏を圧倒的に上回るようなボリュームで声を張り上げるということを常よりなさらないのだ。 2011年のリサイタルのパンフレットに、山枡さんはこのような文を寄せていらっしゃる。 私にとっての、歌とピアノの理想的な関係は、合唱曲に喩えると説明しやすい。(中略)歌曲では、たまたまこの4つのパートの1つを声が、残りの3つをピアノが担当するようなものだ。そして合唱の声部間に起るような調和を、歌曲の声部間に実現したいと思っている。 以上、引用が長くなったが、おそらく山枡さんはこの日もご自身に、より厳しい均衡感覚を求めていらしたのではないか。 それでも第8曲「朝の挨拶」のあたりから、にわかにノッてきた様子。 山枡さんらしく「テキストへのひたすらな肉薄」を感じさせる歌唱。 第10曲「涙の雨」では、顔芸(言葉が適切ではないが)をも駆使した迫真の表現に心を掴まれる。 彼はすっかり "粉挽きの若者" になっていた。 第14曲「狩人」以降は圧巻。 山枡さんのイメージされたひとつの世界を克明に描き切ったシューベルト。 第19曲「粉職人と小川」では前奏のピアノが弔鐘のように響き、終曲「小川の子守歌」はもはや "彼岸の調べ" 。 アンコール(!)として、 「菩提樹」がゆったりと日本語で歌われる。 聴衆へのサービスを最後まで忘れない山枡さんであった。 ロビーへ出ていらした山枡さんを真っ先に捕まえて、ガッチリと握手を交わす。 ダウランドのことを伺うと、 「いや、あんなこと思い付いちゃって…」 と照れ臭そうに一言。 再会を約してお別れ。 山枡さん、 佳い "Müllerin" をありがとうございました。 Auf Wiedersehen!! ![]() |
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