2013年12月29日

伝記 ペーテル・ブノワ(7)

 
§第3章
[ペーテル・ブノワは勉強する]
 
(前回からの続き)
 
こうして彼は、自身をさらに成長させるためブリュッセルの音楽院へ入学する。
当時の音楽院院長は F.J.フェティスであった。
 
父ブノワは息子を院長に引き合わせる。
ペーテル少年は既に作曲していた一連の作品を携えていた…それらの多くはモテット、ミサ、テデウムなどの教会音楽だった。
フェティスはそれらの作品に驚嘆し、この少年に個人レッスンを行うことにする。
彼はブノワにピアノと和声、次いで作曲法を教授した。
短期間のうちにこの若者は、自らの仕事に精通し、またあらゆる困難にもうち勝てるような作曲家へと成長する。
 
ブノワが音楽院で学んだ3年の間、贅沢な暮らしをしていたなどと考えてはいけない。
それどころか、学校の外では彼は懸命に働かなければならなかった…なぜなら、彼は経済的に自立すると同時に、レッスン料を支払うための金を稼がねばならなかったからである。
ある時期には、彼は一日に0.35フランしか使わなかったという。
(父親への手紙より)
彼はブリュッセルで職を探す。
ブノワの教師の一人、C.ハンセンスは彼にモネ劇場のオーケストラの「トライアングル奏者」の席を世話してやった。
 
しかし、ここで思いがけない変化が訪れる。
ブノワはブリュッセル・フラームス劇場の支配人 J.カッツの訪問を受けた。
カッツは彼をこの劇場のオーケストラの指揮者として招いたのだ。
このオファーはブノワの心を喜びで満たした。
 
このフラームス劇場は、パルク劇場の中に創設されたものである。
そこでは何が上演されていたか?
たいていは道化芝居かメロドラマであった。
一座は6年間にわたり、木曜と日曜の週二回出演を続ける。
 
さて、ここでのブノワの仕事はどのようなものだったか?
彼は劇場の小さなオーケストラを指揮するだけでなく、劇を伴奏するための(それらは激しく物々しい芝居だった)音楽を書かなければならなかった。
彼は在職中に少なくとも12の、この種の音楽を提供したのだった。
 
それにもかかわらず、この仕事は彼の充実した、そして全力でなしとげた研究を妨げることはなかった。
その最良の証明が…
1853-54年、彼はあらゆる科目で一等となり音楽院での首席の座を獲得した、という事実であろう。
さらにその一年後、ブノワは再び名をあげる。
1855年(ブノワ21歳)、彼は「ローマ大賞」に応募し、佳作賞を受賞したのだった。
 
(第3章  完)
posted by 小澤和也 at 00:41| Comment(0) | 音楽雑記帳

2013年12月27日

私的『今年の漢字』


京都・清水寺で先日披露された『今年の漢字』は「輪」。
やはり、オリンピック招致が今年最大の話題=決め手ということなのだろう。
 
仕事納めもほぼ済んで、自分にとっての2013年を漢字一文字で表すなら何だろうと考えた結果…
 
私的『今年の漢字』は 【埃】 に決定! 
 
"ホコリ" ではないです…念のため。
今年僕がいちばん読み込んだ楽譜は、やはりヴェルディ『アイーダ』だ。
アイーダといえば、舞台はエジプト。
エジプトを漢字で書くと「埃及」、
そして略号は「埃」…これである。
 
手もとの漢和辞典によれば、
・埃=呉音で「āi」(音読みもアイ)
・及=呉音で「jí」(音読みだとキュウ)
漢文風の発音だとアイジー、あるいはエイジーといったところか。
「音(おん)」を当てるとともに、「土埃の広く行き渡る」ようなイメージを盛り込んだのかもしれない。
なかなかうまい当て字だと思った。
 
来年はどんな字が浮かんでくるだろうか。
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:51| Comment(0) | 日記

2013年12月25日

伝記 ペーテル・ブノワ(6)

  ペーテル・ブノワの両親
 
 
§第3章
[ペーテル・ブノワは勉強する]
 
祖父と自然だけがペーテル少年の "先生" であり続けることは、当然ながら不可能だった。
彼はやはり学校へ行くべきであった…そして我慢強く勉強する。
当時、『地区競技会』と呼ばれるものがあった…それはその地区のすべての学校の最高学年の生徒達が参加する試験である。
10歳のとき、ブノワもこの競技会に参加し、金メダルを獲得した。
それは間違いなく、大いなる栄誉のしるしであった。
 
我らのペーテルはさらに模範的に最善の努力をする…そして彼の父親は息子に、教師になるための勉強をさせることを決意した。
そのために喜びを失った者、それは不幸なペーテル自身であった。
 
若者が教師となるために進む学校は『師範学校』と呼ばれている。
ブノワがリール(Lier)の師範学校に行くことにしたのは、彼が15歳になったときであった。
そこへ入るためには、入学試験を受けなければならない。
ペーテルは試験を受けた、しかし…
彼はそこで自分の誤りを打ち明けることになった!
 
どうしてこのようなことになったのか?どうすればよかったのか?
彼は良い生徒だったのだろうに!
ならば彼は指定された問いに答えられなかったのか?
 
いや、そうではない、だが…
彼はそうしなかった!そうしたくなかったのだ!
ペーテルは音楽家になることを望んでいた、教師ではなく!
それゆえ彼は易しい問題にも答えず、何も書かれていない答案を出したのだった。
 
こうして彼は自分の意向を貫き通し、作曲家になるべく勉強することを許される。
 "勉強" とは?
そこにはたいへん多くの、そして重要な学ぶべきことがあった。
というのも、作曲家を志す者はただ音符が読めるばかりでなく、音楽理論や楽器奏法など多くのことを知らなければならない…これまでの多くの音楽家がそうしてきたように。
ペーテルは、これらの科目をすべて学ばなければならなかった。
 
・和声学:
音やその響きを、心地よく適切に互いに結合する
・対位法:
与えられた声部に、一つまたはそれ以上の旋律を、全体のフォルムを考慮し美しく音楽的に作曲する技術
・フーガ:
二声、あるいは多声の音楽作品、各々の声部に順番に主題が歌われ、その間、他の声部で適切な応答旋律(対位法的旋律)を聞かせる
 
また彼は、すべての楽器の理論を知る必要があった。
それらの理論は、編曲法および管弦楽法を使えるようにするためのものである。
 
ペーテル・ブノワは作曲家となる意志を固めた。そして…
彼にそれを思いとどまらせるものは何もなかった。
 
(第3章  つづく)
-->
posted by 小澤和也 at 21:27| Comment(0) | 音楽雑記帳

2013年12月22日

始動

 
港北区民交響楽団とのプローべへ。
(21日@港北公会堂)
8月の親子コンサート客演以来だ。
来年の定期演奏会をご一緒することとなり、昨日はそのための第一回目の合奏。
まずは全曲をひと通り見渡すことに。
 
大学祝典序曲は初回にかかわらずまずまずのまとまり。
なによりも、ブラームスの響きが楽団のカラーにマッチしている。
仕上がりが楽しみだ。
 
続いてはビゼー/交響曲。
「古典形式」の枠組の中に、迸る楽想を半ば強引に詰め込んだような…
さらには筆の未熟さすら味方につけてしまったかのような…
なんとも不思議な魅力の作品である。
聴きながら、なるほど!と思った。
この曲固有の「色」がある、と。
区民響にはもしかしたら新しい色かもしれないが、粘り強く求めていこう。
 
そして今回のメインプログラム。
シューマン/第2交響曲の音符達は予想通り、弦セクションにはとても厳しいようだ。
時間をかけて、根気よく向き合っていくしかない。
でも…それはきっと「報われる」作業なのではないかしら。
 
 
§港北区民交響楽団 第54回定期演奏会
 
日時:2014年5月18日 午後開演
会場:港北公会堂
曲目:ブラームス/大学祝典序曲、ビゼー/交響曲ハ長調、シューマン/交響曲第2番
指揮:小澤和也
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 02:03| Comment(0) | 日記

2013年12月20日

シューマンを辿る(3)

 
§弦楽四重奏曲第3番イ長調 op.41-3
 
前にも軽く触れたが、1842年はシューマンの「室内楽の年」である。
弦楽四重奏曲の作曲過程について、彼の日記には次のように書かれているそうだ。
 
6/04  イ短調四重奏曲(=第1)に着手
6/11  第2の四重奏曲に着手
6/24  第1の四重奏曲完成
7/05  第2の四重奏曲を書き上げる
7/08  第3の四重奏曲に着手
7/22  第3の四重奏曲完成-歓喜
 
2ヶ月弱のあいだに、立て続けに3曲を書き上げたことになる。
この年、対位法・フーガ、そして弦楽四重奏曲の研究に集中して取り組んだシューマン…
その成果は1作ごとの著しい進化となって現れ、素晴らしいイ長調カルテットが完成したのだ。
 
第1楽章はソナタ形式。
7小節の短い序奏部、そして第1主題に現れる旋律は5度下行、階名で「ラーレ」と進行する形で始まる。
これは愛するクララ(Cla-ra)の名前からとったといわれている。
その真偽はともかく、一度聴いただけで耳に残るチャーミングなテーマだ。
リズミカルな伴奏に乗って伸び伸びと奏でられる第2主題はさながらピアノ小品のよう。
隙のない形式感の中にもさりげない工夫が散りばめられた、端正なフォルムのソナタ楽章である。
 
第2楽章はスケルツォ的であり、同時に変奏曲の形をとる。
続くアダージョ・モルト(ソナタ形式的)の第3楽章は、主題もさることながらそれに絡む各楽器の対位法の綾がこのうえなく美しい。
第2主題に相当する部分で刻まれる付点リズムが、一抹の不安、メランコリーを感じさせる。
 
そして第4楽章。
ロンド形式とみてよいだろう。
第2楽章と同様、鋭いリズムで切り込んでくる主要主題は、以降様々な調性で現れる。
2つの副次主題もシンコペーションの連続!
対照的に所々、民謡風の旋律がエピソードのように奏でられ、実に効果的な変化を感じさせるのだ。
楽章後半もシューマンの筆は冴え、ダイナミックで才気に溢れたフィナーレを構築してゆく。
そして迎える大団円…
紛れもなく "若き巨匠" の音楽だ。
 
新しい音楽を志向しつつも古きよき伝統をを踏まえんとした30歳代のシューマン。
バッハ、そしてハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの深遠な世界に何としても迫りたかったのだろうな…
そんなシューマンの "熱さ" がこれら3曲からは感じられるのである。
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 21:59| Comment(0) | 音楽雑記帳