2014年09月27日

ロッシーニの世界へ

 
 
メゾソプラノの鳥木弥生さんよりご案内を頂戴し、ルナノバ第6回公演/ロッシーニ『チェネレントラ』を観る。
(26日、川口リリア・音楽ホール)
 
La Cenerentola とはいわゆる「シンデレラ」、意地悪な継親や姉たちから虐げられながらも健気に生きる心根のやさしい娘の物語である。
(ちなみに、このオペラでは継母ではなく継父が登場、魔女やカボチャの馬車は出てこない…その代わり、王子の従者や家庭教師がストーリー展開上重要な役割を担う)
タイトルロールはもちろん鳥木さんである。
 
実は…恥ずかしながら僕はロッシーニを食わず嫌いしていた。
レコードを聴いてもスコアを見ても、どうにも引っかかってこないのである。
それだけに、今回の巡り合わせはむしろ「チャンス」になるような、そんな気がしていた。
 
第1幕95分(!)、
チェネレントラが粗末な身なりでかまど番をするシーンから宮殿舞踏会にヴェールを被った謎の淑女(もちろんチェネレントラ)が登場する場面まで、物語は一気呵成に運ばれる。
これは…愉しいぞ!
 
第2幕は60分、むしろあっという間のように感じた。
暗い場面もカラリと、教訓めいた歌もサラリと…そして大団円。
 
鳥木チェネレントラの気品ある美しさに感動!
今井伸昭先生のキレ味鋭くかつ細やかな演出と、それに応える歌手の皆さまのプロ根性に敬服。
ことに継父ドン・マニーフィコ(畠山茂さん)と従者ダンディーニ(増原英也さん)の存在感と「過剰なエネルギー放射」("過剰" という点が重要と思われる)に圧倒された。
 
そしてこの日、僕の耳がいちばん喜んだのは…
服部容子先生のピアノを久しぶりに聴けたこと。
あるときはオーケストラのサウンドを紡ぎ、またあるときはレチタティーヴォのクラヴィーアで歌手と絡み、さらにはプロンプター役まで!
 
カーテンコール。
(この一枚だけ…)
 
観る者にとってロッシーニは "愉しい"。
されど、
演奏する側からすれば間違いなく "キビシイ"。
あらゆるものがピタリと嵌ってないと、面白くもなんともなくなってしまうからだ。
この日、客席で大笑いしながらいろいろなことを考えた。
 
鳥木さん、素敵な公演を、そして貴重な機会をありがとうございました。
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:46| Comment(0) | 日記

2014年09月24日

ファミリーコンサート考


先日放送されたN響演奏会(ほっとコンサート)の番組を見ていてふと思ったことを、番組終了後に何となくTwitterでつぶやいた。

@kazuya_ozawa:
【私見・ファミリーコンサートの心得】
・敷居は低く
・でもハードルは下げちゃだめ

すると、それに対して足立優司さんよりリプライを頂戴した。
足立さんは東京都内や福島・いわき市でコンサートの企画をされている方である。

@足立さん:
小金井音楽談話室もそのご意見に賛成
です♪

@kazuya_ozawa:
ありがとうございます!
いくつかのファミリーコンサートや子
どもコンサートを見、あるいは振って
いて思ったことです。
加えて、先ほどのN響@Eテレを見て
いて確信いたしました♪

@足立さん:
その通りと思います(^^)。
子どもは自由で柔軟、先入観なく様々
な芸術的刺激を受け入れてくれます♪ 
いわきのおでかけアリオス事業で常に
その認識を新たにしています。

@kazuya_ozawa:
御意。
「これはまだ(子供には)難しいだろ
う、きっと分からないだろう」などと、
結局大人がバイアスを掛けてしまいが
ちなのだと感じます…
自戒の念をこめて。

@足立さん:
談話室で一昨年開催した「0歳から楽
しめるコンサート」はヒンデミットの
室内楽とべリオのオーパス・ナンバー
Zooでした。
お昼にはべリオの一部を聴いてどんな
動物を表しているか、絵に描いてもら
うワークショップもやりました♪
盛り上がりましたよー(^^)。

@kazuya_ozawa:
ベリオ!木管五重奏でしたっけ?
ヒンデミットも…いいですね!
その場に居合わせたかったです(^o^)/ 

…と、このようなやり取りを。
ちなみにベリオもヒンデミットも20世紀の、いわゆる近現代の音楽のカテゴリに括られる作曲家である。

忘れてはならないこと。
"琴線に触れるか否か" は聴きて(子供)が決めるのだ。


またほどなくして、テノール歌手の山枡信明さん(デュッセルドルフ在住)からもズバリ本質を衝いたコメントをいただいた。

@山枡さん:
扱う曲が本物であること(受けを狙っ
たくだらない曲をやらない)、
そして演奏が本物であること(手を一
切抜かない)。

続いて@山枡さん:
ファミリーコンサートではパッケージ
を考え、また演出で子供を楽しませる
のは必要な努力だが、肝心の提供する
音楽が本物でないと。
選曲と演奏。

まさに「我が意を得たり」である。
・子供が "飽きない" ような選曲ありき
・交響曲は "難しい" からやらない。やっても "さわり" だけ
・馴染みのTV主題歌なら "きっと" 喜ぶだろう etc.
こういった発想がいかにナンセンスであるか。
「楽しませる」ことと「媚びる」こととはまるで違うのだ。

昨年夏、港北区民交響楽団の皆さんとやった親子コンサートは良かったな。
もちろん、楽しんでもらうためのさまざまな工夫はしたが、その代わり選曲も演奏も本気だった。
posted by 小澤和也 at 19:21| Comment(0) | 日記

2014年09月22日

サンドアートパフォーマンス

 
昨晩のNHKEテレ・N響ほっとコンサートの放送、なかなか楽しかった。
なかでも、飯面雅子さんのサンドアートパフォーマンスとの共演による『ピーターと狼』はスゴかった!
 
ガラス上に置かれた砂の濃淡だけでもって、幻想的な絵が次々と描かれる。
そして、それらが音楽に合わせてリアルタイムで展開してゆく…この臨場感!
 
 
画像は物語の大詰め、
みごとに狼を捕まえたピーター、狩人たち、おじいさんの行進の場面。
おじいさんの背中に乗っているネコが可愛い。
 
ふと気づくと、ピーターのすぐ後ろに小鳥が飛んでいる。
そして…狼の姿も。
 
おや…?
狼のおなかの中から…アヒルの鳴き声が。
 
アヒルは生きていました…!
めでたし、めでたし。
 
 
造形美術と音楽との
幸福な融合。
会場のお客さまはきっと、
この何倍もの感動を味わったことだろう。
 
 
 
posted by 小澤和也 at 10:41| Comment(0) | 日記

2014年09月19日

音楽を愛する友へ

 
最近読み返した本である。
著者のエトヴィン・フィッシャーは僕の大好きなピアニスト。
1886年生まれであるから、フルトヴェングラーと同年ということになる。
 
彼は先の大戦を挟んだ20年余りの間に多くの録音を遺した。
僕が初めて聴いたレコードはフルトヴェングラーとのベートーヴェン『皇帝』協奏曲。
そして "決定的に" 彼に惚れ込むきっかけとなったのが、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』である。
なんとエスプレッシーヴォなバッハ!
ことに「バスがよく歌う」のだ。
さらにはモーツァルトの協奏曲、シュナイダーハン&マイナルディと組んだトリオでのベートーヴェンやシューマン、どの演奏も佳い。
 
さて、
久々に手に取ったこの本。
フィッシャーの音楽観・作曲家観が、深い愛情と知識とをもって語られている。
 
 
〈ベートオヴェンのピアノ曲集〉
 
ここでフィッシャーは
〜現代のピアニストは、ベートーヴェン演奏においてあまりに多くを知り過ぎ、教育され過ぎているのではないか〜
といったことを述べている。
『…われわれを震撼すべきこれらのもの(=ベートーヴェンの音楽のもつ根源的な力)に対して、われわれはもう不感症になっているのだ。』
 
彼は、若い演奏家が取り上げるべきものとしてディアベリ変奏曲、op.77の幻想曲、バガテル集などを挙げ、これらの作品から、ひいてはベートーヴェンの音楽からファンタジーを、戯れを、そして常に清新な気分で楽曲に向き合う心を感受せよ、と訴えている。
 
 
〈ヴォルフガング・アマデーウス・モーツァルト〉
 
冒頭のこの一文に、彼の思いのすべてが込められているのではないだろうか。
 
『誰かに対して、なにか特別の好意を示してあげたいと思うときにはいつも、わたくしは、ピアノに向かってその人のためにモーツァルトの作品を一曲演奏するのがつねである。』
 
なんという美しい心。
 
 
〈 ローベルト・シューマン〉
 
フィッシャーはこの悲劇の天才についても章を設けている。
ただし…
それはあっけないほどに短く、そしてどこか切ない。
 
印象的だったのは、彼が文中でシューマンを『尊敬する友人』という言葉で表していること。
ベートーヴェンを『創造者、崇高な精神の持ち主』と形容、モーツァルトについては『神の世界の人』と表現しているのと比べると実に興味深い。
 
 
僕にとってフィッシャーは、単に優れた音楽家であるだけでなく、「詩人」そして「思索する人」として心から尊敬する存在なのだ。
 
 
posted by 小澤和也 at 17:45| Comment(0) | 日記

2014年09月14日

『愛妙』Tシャツ

 
 
立川市民オペラ 2015年公演
『愛の妙薬』合唱団Tシャツ、完成!
 
 
公演は来年3月。
みなさまのご来場をお待ちしています!
 
posted by 小澤和也 at 23:52| Comment(0) | 日記