2015年06月30日

チャンチャマイヨ

 
ペルーのコーヒーを頂戴した。
 
 
麻袋風のかわいらしいパッケージ。
 
"Prod. of Villa Rica CHANCHAMAYO"
 
ペルー中部にチャンチャマイヨ渓谷というコーヒーの名産地があるのだそうだ。
 
 
豆は比較的深煎り、
すでに粗挽きに挽かれている。
 
さっそく淹れてみた。
 
味のベースはスッキリとした苦味とコク。
酸味はほとんどなく、飲みやすい。
 
美味しくいただきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:43| Comment(0) | 日記

2015年06月24日

ブノワ (35):オラトリオ『スヘルデ』[5]

 
(スコア最終ページ)
 
 
【第3部・後半】
 
オラトリオの第1部からここまでは "詩人" が語り手として、スヘルデの美しさやフランデレンの歴史、人のあるべき姿について歌い、語ってきた。
そして第3部の後半に至って "芸術家" が初めて登場する。
 
「ああ、私の努力はただの幻に過ぎぬのか?
それは虚しい夢想のように消えてしまうのか?
自分の心に生まれ来る生命を私が感じるとき、
私にとって、宝のように注ぐスヘルデが至高の存在であった。
しかし、それは幻影であったのか、
この川が与えてくれた喜びのすべては…
 
だが、それがどうしたというのだ!
私はその苦悩を癒すための何かを持っているのだ。
私は探し求める、純粋なる美の領域を。」
 
 
ブノワ研究者で王立フランデレン音楽院図書館長のJan Dewildeさんはフルスコアの序文の中で次のように述べている。
『この "詩人" と "芸術家"(後者は最後の部分にのみ登場する)は通常、1人のバリトン独唱で歌われる。これらの登場人物が二人の "作者" を描いていることは明らかである。』
彼の言う二人の作者とはもちろん、台本作者のエマニュエル・ヒールと作曲者ペーテル・ブノワのことであろう。
 
 
ここでまたも曲調がガラリと変わり、管楽器が晴れやかに鐘の音を響かせる。
アントウェルペン大聖堂のカリヨンだろうか。
そして少女と青年はじめ様々な人物たちが姿を現す。
 
少女と青年
「鐘が鳴っている、
私たちは町へ向かおう!」
船乗りたち
「鐘が鳴っている、
我らは町へ向かおう!」
少女
「祝祭、それは私の心を惹きつけます!
はやく!急いで!」
二人
「さようなら、スヘルデ、愛の川、
歓喜の声が岸で私たちを呼ぶ」
農民たち、漁師たち
「我らは積荷をどっさりと載せて、
声をあげて市場へ向け航海するのだ!」
商人たち
「我らは悦びにひたる、
今日もよく働いた、と!」
到着する水夫たち
「私の天使に挨拶を!
祖国に挨拶を!」
全員
「鐘が鳴っている etc.」
 
するとスヘルデ和音が輝かしい金管楽器によってハ長調で奏でられ、芸術家が再び登場。
 
「スヘルデ、おまえの雄大な和音を
人々の歌に付け合わせよ、
言葉の中に魂が溢れ出るところ、
そこでは愛と美が支配しているのだ。」
 
そして大団円。
オラニエ公の主題が二重合唱によって朗々と歌われる。
 
全員
「さようなら、スヘルデ、愛の川、
歓喜の声が岸で私たちを呼ぶ、
くねりながら進め、皆の恩恵のために、
自由の祖国を貫き通って、
力強く、華麗なる祖国ネーデルラントを!」
 
 
(オラトリオ『スヘルデ』完)
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:17| Comment(0) | 音楽雑記帳

2015年06月22日

兼松講堂でのベートーヴェン

 
 
第27回 くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート、盛況のうちに終演。
そのラストを飾る『ベートーヴェン/ピアノと管弦楽、合唱のための幻想曲』の演奏に立川市民オペラ合唱団がゲスト出演した。
僕は残念ながら本番の演奏に立ち会えなかったのだが、何人かの方々から合唱団へのお褒めの言葉を頂戴し、ホッと胸を撫で下ろしている。
 
この『幻想曲』は、有名な交響曲第5番や同第6番『田園』と同時期に作曲された。
その編成の特殊さ(前記にさらに6名の独唱が加わる)から演奏される機会は滅多にないが、作曲家自身がピアノの名手であったこと、また彼が傑作『第九交響曲』の構想を長年にわたってあたため続けていたことを考えるとき、この作品の魅力が改めて浮かび上がってくるように思われる。
 
この2ヶ月あまり、メインの練習曲目である『ラ・ボエーム』の譜読みと並行して不慣れなドイツ語の合唱曲に取り組んでくださった合唱団の皆さん、ほんとうにお疲れさまでした。
 
 
そして今日は完全オフ。
ゆっくりと身体を休める。
近所の喫茶店で…のんびり読書など。
 
 
初体験の焼きたてスフレパンケーキ。
こんなに美味しいものだったとは!
 
 
 
(文頭に置いた演奏会場の画像は、コンサートをお聴きになっていらしたうえのよしお様が撮影したものを使わせていただきました)
 
posted by 小澤和也 at 23:41| Comment(0) | 日記

2015年06月16日

『海寄せ』に寄せて〈2〉

 
多田武彦/男声合唱組曲『海に寄せる歌』
(三好達治作詩)
 
 
2. 『仔羊』
 
海の青さに耳をたて 圍ひの柵を跳び越える 仔羊
砂丘の上に馳けのぼり 己れの影にとび上る 仔羊よ
私の歌は 今朝生れたばかりの仔羊
潮の薫りに眼を瞬き 飛び去る雲の後を追ふ
 
 
昭和10年刊行の第四詩集『山果集』所収。
先にふれた『砂上』同様、これも冒頭に置かれた詩である。
『山果集拾遺』として収められているものを含め70編余りのすべてが四行詩だ。
 
この頃三好達治はボードレールの詩集『悪の華』の翻訳に携わっている。
このフランスの詩人については、以前にも散文詩集『巴里の憂鬱』全訳を出版する(昭和4年)など、達治にとって身近な存在であった。
 
「仔羊」とは、詩中にあるように達治の紡ぎ出した歌たちであろうか、あるいは視野をかっと広げつつ詩壇での新たな飛躍を期する達治自身の姿であろうか。
彼は実際、この翌年あたりから四行詩のスタイルからの脱出を試み、散文詩や小説への転換を図るのであった。
 
 
さて〈1〉で取り上げた『濶ヤ集』であるが、実はこの「濶ヤ」がどういう意味なのか長いことずっと解らないままであった。
改めて少し調べてみると
「野草濶ヤ」という語が出てきた。
 
野草濶ヤ無限趣
 
漢詩の一部と思われる。
(出典は不明)
ひっそりと野に生える草花には無限の趣がある、といった意であろう。
 
もうひとつ。
これは良寛上人の作であるそうだ。
 
庭階虫鳴秋寂寂
野草濶ヤ没杖滋
 
庭のきざはしで虫が鳴く ひっそりと寂しい秋
静かに野に生える草花は 私の杖が隠れるほどにおいしげっている
…概ねこのような内容であろうか。
 
「間」は本来は「閨vと書くこと、「間」は「閑」(のんびりとしている、ゆったりと落ち着いている)に通ずることなども今回初めて知った。
 
「濶ヤ」=ひっそりと静かに咲く花。
美しい言葉だ。
 
 
(つづく)
 
 
posted by 小澤和也 at 10:03| Comment(0) | 音楽雑記帳

2015年06月14日

母校の同窓会

 
昨日、母校の同窓会である光陵会の総会へ。
 
 
変わらぬ校舎。
 
 
総会会場は…思い出の視聴覚室。
在学当時、吹奏楽部はいつもここで合奏していたものだった。
壇上、向かって右奥(黒板消しクリーナーが置いてあるあたり)が我がテューバパートの定位置。
懐かしい記憶が蘇る…
 
ひと通りの議事が滞りなく進み、恒例の特別講演。
今年はパズル作家・あさみ順子さんの楽しいお話を拝聴する。
 
 
そして閉会。
参加者の大半はそのまま懇親会へ向かわれたのだが僕はお先に失礼することに。
事務局スタッフの皆さん、総会の運営ほんとうにお疲れさまでした。
今年も楽しい時間をありがとう。
(余談だが、スタッフの最年少が47期生と聞き感無量…ちなみに僕は17期(!))
 
 
さて…
30年も経てば変わるものは変わる。
キャンパスのすぐ近くにあった駄菓子屋さん。
 
 
これは4年前の画像。
(すでに廃業されて久しい様子だったが)
昨日ここを通ると…新しい住宅が建っていた。
 
 
Time goes on...
 
 
posted by 小澤和也 at 12:14| Comment(0) | 日記