2015年06月06日

1893年のチャイコフスキー その2

 
1892年の夏、チャイコフスキーはあるアマチュア詩人から6編の詩を受け取る。
詩人の名はダニル・マキシモヴィチ・ラートガウス…当時まだ学生であったらしい。
チャイコフスキーはこれらの詩に曲を付けることを約束、そして翌年5月、『悲愴交響曲』の作曲期間中に『6つのロマンス op.73』を完成させた。
 
 
1. 僕らは一緒に座っていた
Andante non troppo ホ長調、12/8拍子
 
前半部は甘美な懐かしさをもって穏やかに語られるが、突然曲調が変わり不吉な三連符のシンコペーションが伴奏に現れる。
それは『悲愴』第1楽章中盤のホルンの音形を思い起こさせる。
 
(歌詩大意)
僕らは一緒に座っていた 小川のそばで
でも 君には何も語りかけなかった
そしていま 僕はまたひとりになって
僕の心の中の後悔も消えてしまった
 
 
2. 夜
Adagio ヘ短調、3/2拍子
 
c-es-ges(減三和音)の上行+半音階下行に始まる主旋律が、終始陰鬱な気分を醸し出す。
ピアノの左手で延々と鳴らされるfのバスは弔鐘のようにも聞こえる。
 
(歌詩大意)
恐ろしい暗闇と憂鬱が 僕の胸にのしかかる
悲しみの瞳に 眠りが静かに降りてきて
僕の心は過去と話しはじめる
せめて夢に出てきておくれ 愛しいひとよ!
 
 
3. この月夜に
Andante con moto 変イ長調、9/8拍子
 
明るく快活な曲調。
a piena voce(豊かな声)でもって高揚した夜の気分が歌われるが、「愛しいひとよ」の部分ではテンポを落とし、どこか諦めの表情となる。
 
(歌詩大意)
この月の夜に 僕は恋心を抑えられない
だが どうやって君にそれを伝えよう
夜は過ぎ去ってゆく 愛しいひとよ許しておくれ
また憂鬱で悲しい昼がやってくる
 
 
4. 太陽は沈み
Andante ホ長調、3/4拍子
 
心には一点の翳りもなく、清々しい喜びが表現される。
『悲愴』第2楽章ワルツ(といってもこちらは5拍子だが)のもつ澄んだ心境がこれに近いような気がする。
 
(歌詩大意)
太陽は沈み 空が金色に染まる
心は鎮まり 夜が僕らを遠くへ連れ去ってくれる
君は僕の肩にもたれかかる
僕はこのうえなく幸せだ 今宵 君とともに!
 
 
5. 憂鬱な日々に
Allegro moderato 変イ長調、4/4拍子
 
憧れ(上行)と不安(下行)が入り混じったような前奏右手の音形、せわしない左手の動きは心のざわつきであろうか。
 
(歌詩大意)
憂鬱な日々に 君の美しい表情が僕に向けられる
輝く魔法によって 僕はふたたび君といるようだ
僕の悲しみは雲の彼方へと消えてゆく
君のために 君を愛しながら僕は生きたい!
 
 
6. もう一度 昔のように
Andante mosso イ短調、3/4拍子
一転して重く単調な伴奏音形に乗って、これまた狭い音域を喘ぐように動くレチタティーヴォ風の旋律が実に印象的である。
終盤近くに一瞬現れる、incalzando(切迫して)を伴うゼクエンツ(反復進行)の部分は、まさに『悲愴』終楽章、最後のクライマックス直前の高まりを連想させる。
原詩の第3連にある「僕の身に何があろうと/僕はそれを語るまい」が、その数ヶ月後のチャイコフスキーの運命を暗示しているというのは…考え過ぎだろうか。
 
(歌詩大意)
もう一度 昔のように ひとり悲しみに包まれる
ポプラの木の葉がささやき 星は輝く
僕の身に何があろうと それは語るまい
愛しい君はどこに? 僕のために祈っておくれ
 
 
やはりどこかに、チャイコフスキーの琴線に触れるところがあったのではないだろうか。
決してこじつけでなく、そう思うのだ。
『悲愴』交響曲を愛する人々にぜひ味わってほしい佳品である。
 
 
※歌詩大意を編むにあたっては下記資料を参考にさせていただいた。
・藤井宏行氏による日本語訳(梅丘歌曲会館 詩と音楽)
・Mr. Wil Gowansによる英訳(Naxos 8.554358 CD解説)
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 18:54| Comment(0) | 日記