多田武彦/男声合唱組曲『海に寄せる歌』
(三好達治作詩)
2. 『仔羊』
海の青さに耳をたて 圍ひの柵を跳び越える 仔羊
砂丘の上に馳けのぼり 己れの影にとび上る 仔羊よ
私の歌は 今朝生れたばかりの仔羊
潮の薫りに眼を瞬き 飛び去る雲の後を追ふ
昭和10年刊行の第四詩集『山果集』所収。
先にふれた『砂上』同様、これも冒頭に置かれた詩である。
『山果集拾遺』として収められているものを含め70編余りのすべてが四行詩だ。
この頃三好達治はボードレールの詩集『悪の華』の翻訳に携わっている。
このフランスの詩人については、以前にも散文詩集『巴里の憂鬱』全訳を出版する(昭和4年)など、達治にとって身近な存在であった。
「仔羊」とは、詩中にあるように達治の紡ぎ出した歌たちであろうか、あるいは視野をかっと広げつつ詩壇での新たな飛躍を期する達治自身の姿であろうか。
彼は実際、この翌年あたりから四行詩のスタイルからの脱出を試み、散文詩や小説への転換を図るのであった。
さて〈1〉で取り上げた『濶ヤ集』であるが、実はこの「濶ヤ」がどういう意味なのか長いことずっと解らないままであった。
改めて少し調べてみると
「野草濶ヤ」という語が出てきた。
野草濶ヤ無限趣
漢詩の一部と思われる。
(出典は不明)
ひっそりと野に生える草花には無限の趣がある、といった意であろう。
もうひとつ。
これは良寛上人の作であるそうだ。
庭階虫鳴秋寂寂
野草濶ヤ没杖滋
庭のきざはしで虫が鳴く ひっそりと寂しい秋
静かに野に生える草花は 私の杖が隠れるほどにおいしげっている
…概ねこのような内容であろうか。
「間」は本来は「閨vと書くこと、「間」は「閑」(のんびりとしている、ゆったりと落ち着いている)に通ずることなども今回初めて知った。
「濶ヤ」=ひっそりと静かに咲く花。
美しい言葉だ。
(つづく)