テノール・山枡信明さんの歌うシューベルト『冬の旅』ゲネプロを拝聴する。 (かながわアートホールにて) ホルツブラスカペーレとの練習でよく利用したアートホール…懐かしい。 会場の第1スタジオ。 ホールで聴くのとはまたひと味違い、歌手の息遣いやピアニストの表情を肌で感じられるような、贅沢な空間。 『冬の旅』は全24曲の連作歌曲集。 曲間の間(ま)の取り方や調性の選択(しばしばキーを上げる必要が生じる)は考え抜かれ、しかも極めて自然であった。 特に親しみのある曲の場合、えてして移調が気になるものだ。 個人的には第5曲「菩提樹」がそれ。 山枡さんはオーソドックスに長2度上げ、ホ長調を嬰へ長調にして演奏された。 僕のイメージとしては「木陰がより天国に近づいた」ような印象に。 僕はこれまで、この『冬の旅』を聴く際にはバス・バリトンを無意識のうちに選んでいたような気がする。 そのほうがなんとなく合うように思えたのだ。 でも今日、山枡さんの声でこれを体験し、改めて 【この、さすらいの旅[=死]へ向かう主人公は…若者なのだ!】 と気付かされたのだった。 (実に月並みな感想だが) ピアノの小林周子さん、いつもながら素晴らしい伴奏…否、協奏というべきだろう。 あるときはハープ、またあるときは管弦楽、オルガン、そして最後はライアーのように。 全曲を聴き終えての感想は… まだちょっと言葉にならない。 ただそれは、シューベルト(&ミュラー)のこの作品へ向けて注いだ、山枡さんと小林さんによる「追創造」(単なる再現でなく!)の瞬間であったと思う。 音楽って、素晴らしい。 |
2015年07月31日
冬の旅
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2015年07月27日
『海寄せ』に寄せて〈5〉
多田武彦/男声合唱組曲『海に寄せる歌』
(三好達治作詩)
5. 『鷗どり』
ああかの烈風のふきすさぶ
砂丘の空にとぶ鷗
沖べをわたる船もないさみしい浦の
この砂濱にとぶ鷗
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
かぐろい波の起き伏しする
ああこのさみしい國のはて
季節にはやい烈風にもまれもまれて
何をもとめてとぶ鷗
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
波は砂丘をゆるがして
あまたたび彼方にあがる潮煙り その轟きも
やがてむなしく消えてゆく
春まだき日をなく鷗
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
ああこのさみしい海をもてあそび
短い聲でなく鷗
聲はたちまち烈風にとられてゆけど
なほこの浦にたえだえに人の名を呼ぶ鷗どり
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
達治の第六詩集『一点鐘』所収。
前出の『海 六章』(ある橋上にて/波/貝殻/既に鷗は/この浦に/重たげの夢) に続く詩である。
多田武彦が第3曲として取り上げた『涙』(『艸千里』所収) と並ぶスケールの大きさを持つ作品。
河盛好蔵氏が述べているように、これは『或る日の作者の自画像』であり、抗いきれぬ運命への反抗と挫折を繰り返していたであろう当時の心境を回想の形でうたったものである。
音楽は、闘争的なニ短調の力強い響きで始まり、展開する。
一方、リフレインの(かつて私も〜)では対照的に、すべてのエネルギーを己の内へに向け自問するように歌われる。
第三連「春まだき日を〜」の部分では曲想がにわかに変わり、回想の、あるいは憧れを帯びた色合いとなる。
(このあたり、聴き手によって異なる感慨をいだくであろう)
そして最後のクライマックス、テンポを減じて叫ぶように歌われるのが「人の名をよぶ鷗どり」。
人の名、とは…
理想のひと、愛するひとの名前であろうか。
この『鷗どり』、
「詩」と「音楽」との妙なる調和を味わえる歌だと思う。
(完)
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2015年07月24日
渋谷をハシゴする
『エリック・サティとその時代展』へ。 (22日、Bunkamura ザ・ミュージアム) すごく良かった! まず目に飛び込んできたのが、ムーランルージュやシャノワールのポスター。 扇情的で限りなく俗っぽいのだが、それでいてどれも芸術的なのだ… なんという不思議な "聖俗の隣り合わせ" だろう。 当時歌われていたシャンソン(小唄)の楽譜表紙も多数展示されていたが、その挿絵自体がひとつの作品であるかのようだった。 楽譜といえば…サティの自筆譜。 これには胸が震えた! 僕が見たのは「ジムノペディ第2」の最初のページだったが、あの淡々とした音の運びの中に細かな修正、あるいは小節を丸ごと×で消し込んだ跡などが見られ、とても興味深かった。 (これは欲しい!)と思ったが… 当然ながら売ってはいなかった(苦笑) また、広い展示スペースに小さく流れる「ジムノペディ」や「薔薇十字団の音楽」が実に快適な空間を形成していた。 のちの「環境音楽」の先駆となったサティの面目躍如といったところだろうか。 観覧後、自分へのお土産にメモ帳を購入。 もう一度観に行きたい!と素直に思える展覧会であった。 さて、Bunkamuraを出て246を渡り、 渋谷区文化総合センター大和田へ。 水中豊太郎(Tuba)×平野裕樹子(pf) デュオ・リサイタルを聴く。 会場入口で、僕のテューバの師匠であり、以前より大変お世話になっている堤拓幸さんとバッタリ! 実に久々の再会…音楽の世界は狭いなあ。 お隣に座らせていただき、水中さんのお話や懐かしい昔話のあれこれなど。 水中さんは現在、フランスを拠点にご活躍されていらっしゃるとのこと。 そのためだろうか、プログラムも近現代フランスの作品を中心に据えた新鮮なものであった。 水中さんの素晴らしいテクニック、そして純度の高い美しい音色にしばし酔う。 思えば中高生時代、僕にとっての「音楽の表現手段」はテューバだった。 学校備え付けのオンボロ楽器を必死に操りつつ、合奏体の最低音部(ベースライン)を担う喜びというものに目覚めていったあの頃を懐かしく思い起こしていた。 |
posted by 小澤和也 at 00:20| Comment(0)
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2015年07月20日
農工グリーとの少し長い一日
東京農工大学グリークラブとのホールリハーサルへ。 (19日、府中の森芸術劇場ウィーンホール) この日はまず、府中キャンパスにてOB合同で歌う『海に寄せる歌』(多田武彦作曲)のプローべを3時間みっちりと。 細部にわたって意を通わせつつも、組曲としての全体の流れを創ることを心掛ける。 響きはかなり練り上げられてきた。 あとは、どこまで突き詰められるかである。 プローべを終え、東府中へ移動…暑い! ホール近くのファストフードで涼をとる。 珍しくこんなものを注文してみた。 ティーゼリーティー。 そしてホールへ到着。 響きの良い空間で歌える幸せ。 ここで女声とも合流し、演奏会の全曲目を試演する。 学生指揮者H君の振るステージはなかなかよい仕上がり。 OG合同の女声合唱、不慣れな広い空間でやや緊張気味だったかも。 残り2週間でイメージの転換を図ろう。 皆さん、お疲れさまでした。 |
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2015年07月16日
『海寄せ』に寄せて〈4〉
三好達治、昭和16年秋に第六詩集『一点鐘』を刊行。
37編の詩と1編の散文詩を収める。
うち半数近くが「海」に関連する題材をとった詩となっているのが特徴だ。
多田武彦も、この詩集の中から組曲の第4〜7曲のテキストを選んだ。
『海 六章』のうちの『ある橋上にて』『既に鴎は』『この浦に』の3編、加えて『鴎どり』である。
4. 『この浦に』
この浦にわれなくば
誰かきかん
この夕(ゆうべ)この海のこゑ
この浦にわれなくば
誰か見ん
この朝(あした)この艸(くさ)のかげ
水彩による小ぶりな、淡い色合いの風景画のような詩。
そのリズムは伝統和歌のように昔風であるが、同時に新鮮さをも感じさせる。
これに付けられた音楽も、1分足らずのひっそりとしたものである。
6. 『既に鴎は』
既に鴎は遠くどこかへ飛び去った
昨日の私の詩のやうに
翼あるものはさいはひな…
あとには海が残された
今日の私の心のやうに
何かぶつくさ呟いてゐる…
昨日と今日、
飛び去った鴎と残された海、
私の詩と私の心 etc.
これらあらゆるものの対比によって、詩人の心の虚しさが静かに浮き彫りにされている。
最初の二行はテノールの独唱によってしっとりと歌われ、短いながらも第3曲『涙』と並んでこの組曲の聴きどころとなっている。
7. 『ある橋上にて』
十日くもりてひと日見ゆ
沖の小島はほのかなれ
いただきすこし傾きて
あやふきさまにたたずめる
はなだに暮るるをちかたに
わが奥つきを見るごとし
組曲『海に寄せる歌』の終曲にあたる。
音楽の持つ気分は前曲『既に鴎は』に近く、人生の無常を優しく、淡々と歌う。
詩の第三連でにわかに感情が高まるものの、それもすぐに収まってゆく。
はなだ(色)【縹色】は、薄い藍色のこと。
おちかた【遠方】は文字通り、あちらの方を指す。
そして、奥つき【奥つ城】は…墓所である。
詩人によって選ばれたこれらの言葉の、哀しいほどの美しさよ。
組曲第5曲『鴎どり』は…項を改めよう。
(つづく)
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2015年07月13日
ジワジワくるオランダ語参考書
僕が何冊か持っているいるオランダ語の入門書の中で、場面設定や例文のとびきり面白いものがコレ。 たとえば… 【第1章】 A:あなたは中国人ですか? B:いいえ。 A:それではインドネシア人ですか? B:いいえ、私はインドネシア人ではありません。 A:ああ、あなたは日本人ですね。 〜内容は如何にも第1章(いわゆるbe動詞を扱う)という感じだが… オランダの人々から見たアジア人の「距離感」を表したものだろうか。 【第2章】 A:私達は朝の9時から晩の8時まで働きます。 B:日本人は皆、勤勉ですね。 A:いいえ、何人かの日本人は怠け者です。例えば私です。私はとても怠け者です。 〜謙遜なのか、単に自虐的なのか。 【第4章】 A:お腹がすきました。 B:ここに中華料理屋がありますよ。 A:でも私は5ギルダーしかありません。 B:私がお金を貸してあげますよ。 〜あ、ご馳走するワケではないのですね。 と思っていると… 【第12章】 A:ビール2つ、お願いします。 … B:そろそろ帰ります。ああ、財布を忘れました。 A:私が払いますよ。 B:すみません。 A:何でもありませんよ。 〜よかったヨカッタ。 【第17章】 A:あなたがそんなに厚い本を4日以内に翻訳するなんて、不可能ですよ。 B:それが不可能でも、やってみなければなりません。 A:日本人は勤勉です。キ◯ガイざたです。 〜ここで再び日本人勤勉(?)ネタが登場。 (ちなみに書中では、◯の部分は伏せ字になっていない!) とまあ、 読み返すほどにジワジワくる内容なのだ。 書名は…ナイショ(笑) (現在は絶版かもしれません。お尋ねくださればコッソリお教えします) |
posted by 小澤和也 at 23:01| Comment(0)
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2015年07月09日
30年ぶりの再会
杉本毅&小枝佳世 デュオリサイタル 〜クラリネットとピアノの夕べ〜 を聴く。 (6/26、鶴見・サルビアホール) 演目は ヴィドール/序奏とロンド メシアン/鳥たちの深淵 ベートーヴェン/ソナタ第32番ハ短調 休憩を挟んで、 フォーレ/夜想曲第8番 ラヴェル/ラ・ヴァルス ヴェーバー/協奏曲第2番 と盛りだくさん。 そして、フランスものとドイツものが絶妙なバランスでミックスされている。 ヴィドールは音楽院の試験曲として書かれたものらしく、技巧とカンタービレがほどよく散りばめられた小品。 続くメシアン…これには圧倒された! 静寂、絶望の叫び、そして鳥の声という3つの事象が凄まじい緊張感をもって対峙する。 10分近くにわたった杉本さんの独奏、見事の一言に尽きる。 会場内の雰囲気がピリリと引き締まった中、小枝さんの独奏によるベートーヴェンが始まる。 第1楽章は手堅く。 そして第2楽章の変奏曲が進むにつれ、紡がれたベートーヴェンの音符たちが空間を自在に飛翔するさまが見て取れた。 ハ長調の最後の和音が消える…思わずそっと手を合わせたくなる、何かこう、とても大切にしまわれていた "たからもの" を見せていただいたような気分に。 ここまでで既にお腹いっぱい。 後半はゆったりとした気分で聴かせていただくことに。 フォーレと「ラ・ヴァルス」は連続して演奏された…小枝さんのアイディアだろうか、面白いと思った。 ラヴェルの音楽の魔力にひとしきり酔いしれた後、杉本さんが再び登場しいよいよヴェーバー。 第2番のコンチェルト、第1楽章はまずまず型通りに運ぶが、続くアンダンテではレチタティーヴォ風の独奏が印象的だった。 そして…終楽章ロンドは軽快なポロネーズ。 杉本さんの華麗な技巧が全曲を通じて冴え渡る。 晴れやかな気分のうちに終演となった。 終演後、ロビーにて杉本さんと久々の対面。 30年ぶりということになる。 実は僕が高校生の頃、吹奏楽部のクラリネットパートをたびたびご指導いただいていた。 ある日、レッスンに見えられた杉本さんに一度だけお話を伺ったことがある。 そのときの言葉が今でも忘れられない。 『みんなには、(三年間で燃え尽きてしまうのではなく)卒業した後もずっと楽器を続けてほしい、音楽を好きでいてほしいと願っている…そう思ってもらえるよう、僕はみんなに音楽のよろこびを伝えたいんだ』 杉本さんは僕のことを憶えてくださっていたようだ。 僕は伝えた。 「今も…音楽やってます!」 |
posted by 小澤和也 at 11:56| Comment(0)
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2015年07月06日
『海寄せ』に寄せて〈3〉
多田武彦/男声合唱組曲『海に寄せる歌』
(三好達治作詩)
3. 『涙』
とある朝(あした) 一つの花の花心から
昨夜(ゆうべ)の雨がこぼれるほど
小さきもの
小さきものよ
お前の眼から お前の睫毛の間から
この朝 お前の小さな悲しみから
父の手に
こぼれて落ちる
今この父の手の上に しばしの間温かい
ああこれは これは何か
それは父の手を濡らし
それは父の心を濡らす
それは遠い国からの
それは遠い海からの
それはこのあはれな父の その父の
そのまた父の まぼろしの故郷からの
鳥の歌と 花の匂ひと 青空と
はるかにつづいた山川との
ー風のたより
なつかしい季節のたより
この朝 この父の手に
新らしくとどいた消息
第五詩集『艸千里』所収。
前掲の『山果集』からおよそ4年を経た昭和14年に刊行された。
艸千里とは「阿蘇山の中央火口丘の一つ烏帽子岳北斜面の火口跡。直径約1kmの浅い窪地で、草原をなす」(広辞苑より)。
本詩集中に『艸千里濱』という題名の詩作がある。
これまでの四行詩から大きく変貌を遂げ、いっそうの円熟の域に達した達治のスタイル。
その内容は、これまでのような鳥や花などの形象にぴたりと焦点を当てたものから、より詩人自身の心境(それはしばしば孤独や失意の色を見せる)を語るものへと移っているように思える。
【昭和12年7月に日中戦争が勃発、達治は出版社の特派員として一ヶ月ほど上海に赴く。
また同時期には詩人中原中也死去の報に触れている。】
「お前」である達治の長男がふとしたときに流した涙。
「父」とはもちろん達治自身である。
父の手にこぼれて落ちた温かな涙に、詩人は自らの祖先や故郷を思うのだ。
『象徴詩の手法がこれほど見事に生かされた例は他に求めがたく、生命の持続をこれほど純粋に美しく歌った詩も稀有である。』
(河盛好蔵氏による文章より)
冒頭部分
「とある朝」〜「ああこれは これは何か」
までは、レチタティーヴォあるいはアリオーソのようなバスの独唱によって訥々と語られる。
そして詩の後半
「それは父の手を濡らし」
以降は一転して、男声独特の厚みとうねりを帯びた、文字通り温かくなつかしい響きをもって歌われるのだ。
本組曲中における「静かなるクライマックス」と位置付けるにふさわしい佳作である。
(つづく)
posted by 小澤和也 at 17:25| Comment(0)
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2015年07月02日
演奏会のお知らせ
近く開催予定の演奏会のごあんないです。 §東京農工大学グリークラブ 第35回記念演奏会 日時…2015年8月2日(日) 15時開演 会場…府中の森芸術劇場 ウィーンホール(全席自由、入場無料) 曲目…多田武彦/男声合唱組曲「海に寄せる歌」、木下牧子/女声合唱曲集「光と風をつれて」他 出演…小澤和也(指揮)、速水琢(学生指揮)、宮代佐和子(ピアノ) 女声の記念ステージではOGを多数お迎えして約25名、男声の『多田武彦/海に寄せる歌』でも多くのOBにご参加いただき50名を超える大編成でお送りいたします。 みなさま、ぜひお運びください。 |
posted by 小澤和也 at 12:32| Comment(0)
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