2015年08月28日

ケルテスの誕生日に

 
 
1964年ザルツブルク音楽祭での『魔笛』DVDを観る。
 
クメント(タミーノ)、ベリー(パパゲーノ)の声と演技が実に魅力的。
他、パミーナをローレンガー、夜の女王をピータース、etc.
そしてなんと…第1の童子がポップ!
(しかし、童子のコスチュームだけはどうにも気になる。なぜこのような「ミシュ◯ンマンがライ◯ップで結果を出した」ような格好なのだろう?)
 
 
 
それはともかく…
ウィーンフィルと相思相愛だったケルテスの指揮するモーツァルトはほんとうに素晴らしい。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:47| Comment(0) | 日記

2015年08月26日

今夜はパウエル・クワックで

 
 
穏やかな気分で迎えた、49回目の誕生日。
 
音楽の魅力にグイグイと惹き込まれていった10代、逡巡の末に「根拠のない自信」だけを頼りに一歩を踏み出した20代、常に「遅れて来た者」としての自分を意識せざるを得なかった30代…そしてただ前進することのみを考えてきた40代。
さまざまな記憶が脳裏をよぎった。
 
これまでと変わらず、かつ一日一日を大切に、音楽とともに生きていこうと思う。
 
「音楽ノート」ともども、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
2015.8.26.
小澤和也
 
 
今夜はパウエル・クワックで乾杯!:-)
 
posted by 小澤和也 at 22:39| Comment(0) | 日記

2015年08月18日

伝記 ペーテル・ブノワ(9)

 
 
§第5章
[ドイツでのブノワ]
 
いよいよ、留学のときがブノワを待ち受けていた。
行き先はローマ?イタリア?
 
これまで長い間、イタリアの作曲家がヨーロッパ音楽の動向をリードしていた。
イタリアの楽派は全世界で大きな影響を及ぼし、この国の巨匠たちの指導や作品が唯一無二の優れたモデルであるとほぼ無条件に見なされていたのだ。
しかしながら、ドイツ・オーストリアは次第にその束縛から離れ、作曲家たちはドイツ的な形式と内容をもったこの国独自の音楽作品を創造することを目指して努力を続ける。
国内のムーブメントは力を増してゆき、まもなくイタリア楽派はドイツ国内から押し出されることとなった…ドイツは音楽的潮流の先頭に立ったのである。
バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの大作曲家たちは、ドイツ音楽の名声を確立するために力を尽くした。
 
ブノワにとって、ドイツは無限大の価値と魅力を有する国であった。
彼はライプツィヒ、ベルリン、ドレスデン、ミュンヘン他、多くの都市を訪ね、偉大な先人たちの作品研究に注力する。
ブリュッセル音楽院長フェティスの勧めによって、ブノワはまずライプツィヒへと旅立った。
短い滞在ではあったが彼はここで新しい音楽の活況をこの目で確かめる…その勢いとは1843年、メンデルスゾーンが音楽院を設立して以来現れ出ていたものであった。
ブノワは1858年の夏をドレスデンで過ごし、その後プラハ、ベルリン、ミュンヘンを訪れる。
この間のブノワは研究だけでなく作曲もし、ある合唱曲をベルリンで演奏する機会を得た。
それは8声(訳注:二重混声四部合唱)で書かれた『アヴェ・マリア』で、大聖堂の合唱隊によって歌われたのだった。
 
「ローマ大賞」受賞によって、ブノワはベルギー王立アカデミーに対して新作を提出する義務を負っていた。
そこで彼は『クリスマス小カンタータ』をもってその責任を果たす。
そしてこの作品もまた、よい印象を聴衆に残した。
 
またこのときブノワは、フランデレンに自国の音楽芸術が存在しないこと、そして外国の音楽が自国のそれを押しのけているという現状についても熟考する。
誰もがみな自国の芸術に温かみを感じ、芸術家たちが民族精神の意をくんで考え、創造するドイツのような国と比べ、状況はなんと対照的であろうか。
ドイツにおいては、全国民が誇りとする輝かしく堅固な音楽の殿堂が高く立ち現れていた…この点、フランデレンではあらゆるものが未だ始まったばかりであった…
 
この問題に関してブノワは長大な論文を書き、『クリスマス小カンタータ』とともにベルギー王立アカデミーへ送る。
この論文(「フランデレンの音楽学校とその未来」とフランス語で記されている)の中で、ブノワは自己の行動指針を述べた。
そして彼は後年、そのプリンシプルを強い熱意と粘り強さとで守り抜き、現実のものとしたのである。
 
(第5章  完)
 
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2015年08月17日

ペーテル・ブノワ生誕181年

 
 
今日8月17日は我がペーテル・ブノワの181回目の誕生日である。
 
 
ペーテル・ブノワ(1834-1901)はベルギー、フランデレン地方に生まれた作曲家・指揮者。
その後半生をアントウェルペンでの音楽教育に捧げたため、作曲家としてはほとんど知られていない。
母国ベルギーにおいてですら、彼の作品が取り上げられる機会はそう多くないようだ。
 
ブノワは生涯のうちに幾度となく作風を変え、最後は多分に啓蒙的・国民主義的なスタイルとなった。
(それゆえ、純粋な芸術性や普遍性に乏しいという印象が拭えない)
しかし、そこへ至る以前、特に30歳代初め頃までに書かれた作品はもっと知られてよいと思うのだ。
『宗教曲四部作』(クリスマスカンタータ、荘厳ミサ曲、テ・デウム&レクイエム)、『フルートと管弦楽のための交響詩』、『ピアノと管弦楽のための交響詩』など。
 
レクイエムの総譜。
 
僕がブノワに興味を持つきっかけとなったのが、前記『四部作』中の "Hoogmis"(荘厳ミサ)との出会いである。素朴ながら美しい旋律線と、しばしば現れる絶妙な転調に惹かれた。最大の特徴が大小二群の混声合唱による立体的な響きの造形感。
 
市販されている(おそらくは)唯一の音盤。
(A.ラハバリ指揮 BRTNフィル&合唱団)
 
 
ペーテル・ブノワ研究とその作品演奏、僕のライフワークである。
posted by 小澤和也 at 20:26| Comment(0) | 日記

2015年08月14日

納涼ビアタイム

 
都内某所にてベルギービールをいただく。
まずはいつものChimay Redでスタート。
 
 
お供はこれまた定番のフリッツ、ソラマメとパンチェッタのソテー、
そして野菜のアヒージョ…これが美味!
 
 
調子が出てきたのでお代わり♪
Gouden Carolus Classicでほろ酔いに。
 
 
ごちそうさまでした!
posted by 小澤和也 at 23:39| Comment(0) | 日記

2015年08月09日

演奏会のお知らせ

 
近く出演予定のイベントのご案内です。
 
 
§江戸川区合唱祭
(合唱団あしべ)
 
日時…2015年10月18日(日)  午後開演
会場…タワーホール船堀
曲目…花のかず(木下牧子)、だれもいそがない村(信長貴富)他
出演…合唱団あしべ、小澤和也(指揮)、平岡祐子(ピアノ)
 
合唱団あしべが毎年参加している合唱祭。
今年は、岸田衿子さんの詩に付曲された3曲を歌います。
 
 
§立川市民合唱祭
(立川市民オペラ合唱団)
 
日時…2014年11月8日(日)  午後開演
会場…たましんRISURUホール
曲目…ビゼー/『カルメン』より
出演…立川市民オペラ合唱団、小澤和也(指揮)
 
来春の『ラ・ボエーム』公演に向けて練習中の市民オペラ合唱団。
合唱祭では『カルメン』を歌います。
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:10| Comment(0) | 演奏会情報

2015年08月05日

堀口大學と農工女子美混声合唱団

 
 
 
農工グリーの演奏会から3日経ったが、僕の頭の中はいまだに男声合唱の余韻が残っている。
 
僕らの世代にとっては男声合唱といえばまずタダタケ(多田武彦)、そして清水脩の『月ピ(月光とピエロ』がもっとも身近な作曲家であり作品であった。
 
 
 
その『月ピ』…作詩はもちろん堀口大學(1892-1981)、日本におけるフランス文学者の代表的存在といってよいであろう。
(男声合唱ファンにはここでさらに『月下の一群』が頭に浮かぶに違いない)
 
その堀口大學がなんと、東京農工大学・女子美術大学混声合唱団の演奏会プログラムに寄稿されていること、そしてそれが氏の全集に収められていることを偶然知った。
矢も盾もたまらず、街の図書館へ…
 
あった!
堀口大學全集 第8巻。
その文章をここに引用させていただく。
 
 
組曲『月光とピエロ』
 
五篇のピエロの詩篇は、もともと、作曲されることなぞまるで考えずに、相互の間の組詩風な関連性なぞも念頭に置かずに作った、個々独立した作品でした。うち二三篇は一九一三年の秋から翌年の晩春にわたる私のベルギー滞在中に、残りの幾篇かは、戦禍に追れて移ったスペインで、一九一五年の初春までに成ったものでした。当時私は二十二、三歳。胸に病を抱いて、異境万里の外にさすらう、泣き虫小僧が、自分の切々たる流離の吟懐をせめて、心で泣いて顔では笑うおどけた顔のピエロと、しめやかな月の光とに托して歌いいでたものが、これらの五篇だとご承知いただいたらよかろうと思います。
こうして、成ったばらばらの、これらの詩篇を、適宜に配置、これに一貫した物語性を与え、この見事な合唱曲にして下さったのは、ひとえに、清水脩氏の稀世の才能のお力だと、久しく私は、感謝している次第です。
 
一九六二年新秋
堀口大學
(昭和三十七年十二月十四日
東京農工大学・女子美術大学混声合唱プログラム)
 
 
昭和37年ということは今から53年前。
記憶違いでなければ第5回にあたる定期演奏会で、我々の先輩方は『月光とピエロ』を歌っているということになる。
感慨も一入だ。
さらには…
堀口大學氏と当時の合唱団関係者とが、どのような縁をもって結ばれていたのだろうか。
興味は尽きない。
 
posted by 小澤和也 at 23:57| Comment(0) | 日記

2015年08月03日

ご来場御礼

 
 
東京農工大学グリークラブ 第35回記念演奏会、おかげさまで盛況のうちに終了しました。
 
酷暑のなかご来場くださいましたお客さま、ほんとうにありがとうございます。
お楽しみいただけましたでしょうか。
 
合同ステージにご参加くださったOG&OBのみなさま、コンサートを裏で支えてくれたスタッフのみなさまにも改めて御礼を申し上げます。
 
そして…
在校生のみんな、お疲れさまでした。
企画運営からさまざまな事務作業、準備を地道に進めてきた結果が見事に実を結びましたね。
おめでとう!
 
これからも、東京農工大学グリークラブをどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:16| Comment(0) | 日記