2015年08月05日

堀口大學と農工女子美混声合唱団

 
 
 
農工グリーの演奏会から3日経ったが、僕の頭の中はいまだに男声合唱の余韻が残っている。
 
僕らの世代にとっては男声合唱といえばまずタダタケ(多田武彦)、そして清水脩の『月ピ(月光とピエロ』がもっとも身近な作曲家であり作品であった。
 
 
 
その『月ピ』…作詩はもちろん堀口大學(1892-1981)、日本におけるフランス文学者の代表的存在といってよいであろう。
(男声合唱ファンにはここでさらに『月下の一群』が頭に浮かぶに違いない)
 
その堀口大學がなんと、東京農工大学・女子美術大学混声合唱団の演奏会プログラムに寄稿されていること、そしてそれが氏の全集に収められていることを偶然知った。
矢も盾もたまらず、街の図書館へ…
 
あった!
堀口大學全集 第8巻。
その文章をここに引用させていただく。
 
 
組曲『月光とピエロ』
 
五篇のピエロの詩篇は、もともと、作曲されることなぞまるで考えずに、相互の間の組詩風な関連性なぞも念頭に置かずに作った、個々独立した作品でした。うち二三篇は一九一三年の秋から翌年の晩春にわたる私のベルギー滞在中に、残りの幾篇かは、戦禍に追れて移ったスペインで、一九一五年の初春までに成ったものでした。当時私は二十二、三歳。胸に病を抱いて、異境万里の外にさすらう、泣き虫小僧が、自分の切々たる流離の吟懐をせめて、心で泣いて顔では笑うおどけた顔のピエロと、しめやかな月の光とに托して歌いいでたものが、これらの五篇だとご承知いただいたらよかろうと思います。
こうして、成ったばらばらの、これらの詩篇を、適宜に配置、これに一貫した物語性を与え、この見事な合唱曲にして下さったのは、ひとえに、清水脩氏の稀世の才能のお力だと、久しく私は、感謝している次第です。
 
一九六二年新秋
堀口大學
(昭和三十七年十二月十四日
東京農工大学・女子美術大学混声合唱プログラム)
 
 
昭和37年ということは今から53年前。
記憶違いでなければ第5回にあたる定期演奏会で、我々の先輩方は『月光とピエロ』を歌っているということになる。
感慨も一入だ。
さらには…
堀口大學氏と当時の合唱団関係者とが、どのような縁をもって結ばれていたのだろうか。
興味は尽きない。
 
posted by 小澤和也 at 23:57| Comment(0) | 日記