地元の図書館にて、装丁のそっくりな二冊の歌集を発見。 ![]() その名も「決定版 世界名歌集」と「決定版 世界の愛唱歌集」。 あまりに似通った趣向に思えたので、何が違うのかを見較べてみることに。 すると… まず、出版社と出版年月は同じ。 (まあ、シリーズものとして刊行されたのなら当然か) んん?総ページ数も同じだぞ。 巻頭の目次をざっと眺めると、同じ曲名がどんどん目に飛び込んでくる。 菩提樹、歌の翼に、ロンドンデリーetc. (いくら定番曲が多いとはいえここまで同じとは) 結局、中身(収録曲)も両者同じであった。 違ったのは… なんと収録の順序だけ! 「世界名歌集」は国/地域&作曲家別に、 もう一方の「世界の愛唱歌集」は曲タイトルの五十音順に配列されている。 なにゆえわざわざこんなことを…? 使いやすいと感じる方をお求めください、ということかしら。 前者は、例えばシューベルトならばシューベルト、フォスターならばフォスターが並んで収められているので見ていてしっくりくる。 片や五十音順のほうは、とにかく曲名さえ分かっていればたどり着けるわけだ。 ただ… このテの本に当然載っているであろう『オー・ソレ・ミオ』が "あ行" のところに見つからない。 そう、この曲集ではタイトルが『私の太陽』、すなわち "わ行"、いちばん後ろに収められているのだ。 そんなわけで、使い勝手は一長一短な気がする。 それとも…まさか… あわよくば両方とも買っていただこう!という出版社の魂胆、もとい思惑なのだろうか。 (現にこの図書館には両方置かれていた) なんとも不思議な二冊の「決定版」である。 |
2015年09月30日
二冊の歌集のナゾ
posted by 小澤和也 at 21:49| Comment(0)
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2015年09月25日
ダバダ〜〜♪
都内某所、雑居ビルの二階にあるお気に入りの喫茶店にて小休止。 ![]() 静かで落ち着いた店内は読書や考えごとにもってこいである。 ![]() カウンター席ならではのうれしい風景。 ![]() マンデリンをお代わり。 このお店は2杯目からがリーズナブルなのだ。 ![]() 家で飲むコーヒーも美味しいけれど、綺麗なカップを愛でたり、居心地そのものを楽しむことのできる喫茶店もいいものだ。 ダバダ〜〜♪ |
posted by 小澤和也 at 21:42| Comment(0)
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2015年09月21日
至福の昼飲み
![]() ベルギービールウィークエンド東京2015 へ。 (六本木ヒルズ・アリーナ) ![]() Mooi weer︎(いい天気!) ![]() 連休だからだろうか、 いやとにかくスゴイ人出! 空いたテーブルを見つけるのにもひと苦労だった。 今日飲んだのは Chimay White, Gouden Carolus Classic, Poperings Hommel Bier, そして Wolf Dryhopp Weekend... どれも樽生。 ![]() ![]() Joy Wellboy のライヴ。 ![]() コインが1枚だけ余ったので 最後にベルギーワッフルを。 ![]() 今年も美味しくいただきました! |
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2015年09月15日
健康の秋、そして食欲の秋
先日受診した、年に一度の人間ドック。
その所見と詳しい説明を伺いに、近所のA病院へ出向く。
今回も特に変わりなく、「異常なし」あるいは「現状維持=経過観察」とのことだった。
まずはひと安心!
健康でいられることの有り難さを改めて噛みしめる。
ところが、先生からひとつ宿題が。
『減量…したほうがいいですね』
ああ、やっぱり。
仕事中は脳みそフル回転。
だから、けっこうエネルギーを使っているんだろうと感じているのだ。
実際、稽古後の食事はほんとうに美味しい!
いくらでも食べられる気がする。
だがおそらくは、自分で思っているほどカロリーを消費してはいないのかもしれない。
(確かに…立って棒振ってるだけだものな)
これからは、仕事上がりのエキサイトした脳をよしよし…となだめつつ、量をしっかり加減しながらいただくこととしよう。
posted by 小澤和也 at 22:33| Comment(0)
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2015年09月09日
伝記 ペーテル・ブノワ(11)
![]() §第6章
[母国へ戻ってーそしてパリへ]
(前回からのつづき) この仕事は経済上の理由だけでなく、芸術的な観点からも彼にとって興味をひくものだった。
なぜならばブノワは、海外に滞在しそこで新しい経験を積むこと、それ以上のことを求めなかったからである。
そしてフランスの首都パリは、その機会を充分に提供する場所であった。
当時のパリはオペラにとって大きな重要性を持つ都市だった。
パリはその作品の命運を決定していた…パリで上演されない作品、パリの聴衆に価値ありと見なされない作品が世界的に有名となることはなかった。
この首都において、ブノワは多くのことを学び続けた…それはここがヨーロッパにおけるすべての音楽的動向の反映される場所であったからである。
「ブフ・パリジャン」劇場は当時、オッフェンバックによって運営されていたが、彼はすぐにブノワの並外れた才能に気づく。結果、このフランデレン人作曲家はコンサートマスターのポストを得たのである。
パリにおいてブノワはいわば「二重の」生活を送る。
ひとつは「ブフ・パリジャン」での職務、そしてもうひとつは自身の理念に対する奉仕だ。
彼は劇場のために日中はリハーサル、夜は公演を指揮する。
また空き時間や劇場の中休み、また公演の後など少しでも時間があれば作曲をする。
さしあたって彼は、歌劇『ハンノキの王』の改訂の仕事に着手した。
この作品は新しい形によって、1861年に「テアトル・リリーク」にて上演されることになったのだが、その約束は実現されなかった。
まもなくブノワはこのオペラを取り下げ、序曲のみを残すと決めたのだった。
新たな気力をもって、ひとつの作品がブノワを駆り立てる。
そして『宗教曲四部作』第三部(
![]() [
![]() ここで不思議な共同作業の機会が訪れる。
「ブフ・パリジャン」の音楽家たちと親密な繋がりをもっていたブノワは、彼らにある頼みを聞いてもらうことができた…彼らは幕間に、またしばしば公演後に、自分たちの指揮者の新作の試演も行ってくれたのだ。
これはブノワにとって大きな助けとなる。
彼はそのおかげで、自分の作品の価値や意図した効果について判断することができたのであった。
これらの試みのため、ブノワはたいてい劇場の地下室にこもっていた。
あるとき支配人オッフェンバックは、いつものようにオーケストラと一緒にいるブノワを見つける。
『レクイエム』の厳粛で暗い響きは、その人生をまったく異なるジャンルの音楽[訳注:オペレッタ]に捧げてきたオッフェンバックに驚くべき感銘を与えたものと思われる。
(第6章 つづく) |
posted by 小澤和也 at 23:56| Comment(0)
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