2016年02月27日

ふたたび三好達治の『鷗』

 
また三好達治の詩について触れる機会ができた。
『鷗』、昭和21年7月刊行の詩集「砂の砦」(臼井書房)所収のものである。
 
 
 
つひに自由は彼らのものだ
彼ら空で戀(こい)をして
雲を彼らの臥床とする
つひに自由は彼らのものだ
 
つひに自由は彼らのものだ
太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ
つひに自由は彼らのものだ
 
つひに自由は彼らのものだ
太陽を西の窓にかけ
海が日暮れの舞踏室だ
つひに自由は彼らのものだ
 
つひに自由は彼らのものだ
彼ら自身が彼らの故郷
彼ら自身が彼らの墳墓
つひに自由は彼らのものだ
 
つひに自由は彼らのものだ
一つの星をすみかとし
一つの言葉でことたりる
つひに自由は彼らのものだ
 
つひに自由は彼らのものだ
朝やけを朝(あした)の歌とし
夕やけを夕べの歌とす
つひに自由は彼らのものだ
 
(三好達治詩全集U(筑摩書房刊)より引用)
 
 
疎開先の北陸で終戦を迎えた達治。
翌昭和21年、『故郷の花』に続いて出された『砂の砦』では、敗戦の衝撃から立ち直るかのような明るさ、若々しさを感じさせる詩が多く生まれている。
この『鷗』でも、ようやく到来した「自由」の気分がすべての行にあふれ出ているようだ。
河盛好蔵氏もこのように述べている。
「...これまでの鷗の詩とちがって、詩人の躍動する心臓の動悸が感じられる。精神の健康の恢復が感じられる」
(三好達治詩集(新潮文庫)の巻末解説より)
 
以前に拙ブログでも少し触れた、達治の『鷗どり』(戦前の作品である)という詩と比べても、同じ対象物にこめた詩人の思いのコントラストが浮かび上がってくる。
(「『海寄せ』に寄せて 5」、2015年7月27日の記事参照)
 
かぐろい波の起き伏しする
ああこのさみしい國のはて
季節にはやい烈風にもまれもまれて
何をもとめてとぶ鷗
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
[一部抜粋]
 
 
今年の夏、東京農工大学グリークラブの皆さんとこの『鷗』(木下牧子作曲) を演奏する。
明るく清々しい、美しい歌だ。
 
さて久しぶりにスコアを開き、詩集を繰っていくうちに、ある思いが脳裏をよぎった。
 
「ついに自由は彼らのものだ」
 
当然ながら  彼ら=鷗  である。
では、鷗=...  なんだろう?
空にいて、自由に羽ばたくもの...
 
こんなことも考えつつ、グリーメンと音楽を創っていこうと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 10:01| Comment(0) | 日記

2016年02月24日

【中期のシューベルト】双子の兄弟

 
『双子の兄弟』D.647
全1幕からなるジングシュピール
 
作曲:1819年1月完成
台本:ゲオルク・エルンスト・フォン・ホフマン
場面:ライン地方のある村
 
登場人物:
村長(Bass)
その娘リースヒェン(Sop)
アントン(Ten)
二人の負傷兵フランツ&フリードリヒ・シュピース(Bass)
地方官(Bass)
農夫たち(合唱)
 
シューベルト22歳のときの作品。
上演時間は約45分、ドイツ語による歌唱とダイアログ(台詞)からなる。
(モーツァルト『魔笛』と同じスタイル)
完成の翌年、ウィーンのケルントナートーア劇場にて7回上演されたというから、まずまずの評判であったのではないだろうか。
 
村長の娘リースヒェンはこの日が18歳の誕生日。
彼女にはアントンというフィアンセがいる。
そこへ突然、フランツ・シュピースという男が登場。
フランツはリースヒェンの名付け親であるとともに、彼女との結婚の約束を18年前に(!)村長に取り付けていた、というところから騒動が始まる。
フランツが役所へ出掛けている間に今度は、戦死したと思われていたフランツの双子の弟フリードリヒが帰ってきて...
あとは定番の人違い、勘違いのドタバタ劇となる。
(フランツは右眼に眼帯を着けているが、一方のフリードリヒは左眼に...など)
最後にはすべての誤解がとけ、リースヒェンとアントンは無事に結婚、双子の兄弟も再会が叶ってめでたしめでたし。
 
序曲はソナタ形式。
その明るさ、軽さはロッシーニ風であるが、旋律の歌ごころや転調の妙はシューベルトの個性そのものだ。
第1主題はリズミカルな弦のユニゾンと爽やかな木管のレガートで始まる。
 
第2主題は属調関係にあるイ長調ではなく、ヘ長調で示される。
朗らかでコミカルなクラリネット。
 
シューベルトらしい転調を経て、古典形式に則って属調に落ち着き呈示部を閉じる。
展開部はきわめて短い...モティーフの反復と、そしてここでもさりげなく美しい転調的展開をみせる。
 
再現部はほぼ型どおりに進むが、第2主題は原調で...と思いきや変ロ長調に。
(そう来ましたか!)
4分あるかないかの小品だが、『フィガロ』や『バルビエーレ』の序曲と並べても遜色ない完成度である。
 
ストーリーは他愛のないコメディであるが、シンプルに面白いと思う。
(個人的には好きである)
セミステージ形式、ダイアログは日本語にして上演...なんていうのはどうだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:08| Comment(0) | 音楽雑記帳

2016年02月20日

【音楽雑記帳】「中期」のシューベルト

 
最近ちょっと興味があって「中期のシューベルト」について調べている。
1819-23年頃の作品がそれに当てはまるだろうか。
 
ロマン的色彩を施されつつも古典派様式に倣った前期に対し、底知れぬ深さ・大きさ・崇高さを帯びてくる後期の作風。
その変化点を感じてみたいのだ。
 
この時期の主な作品(敢えて歌曲を除く)を挙げてみる。
(なお年代の区切りは大まかなものである)
 
[1819年]
ジングシュピール『双子の兄弟』
序曲 ホ短調
ピアノソナタ嬰ハ短調(未完)
ピアノソナタイ長調
ピアノ五重奏曲『ます』
 
[1820年]
オラトリオ『ラザロ』(未完)
交響曲ニ長調(未完)
メロドラマ『魔法の竪琴』
弦楽四重奏曲ハ短調断章(未完)
 
[1821年]
交響曲ホ長調(未完)
 
[1822年]
歌劇『アルフォンソとエストレッラ』
ミサ曲変イ長調(1819年着手)
交響曲ロ短調(未完)
さすらい人幻想曲
 
[1823年]
ピアノソナタホ短調(未完)
ピアノソナタイ短調
ジングシュピール『家庭の騒動』
12のドイツ舞曲集
歌劇『リューディガー』(未完)
歌劇『フィエラブラス』
劇音楽『ロザムンデ』
 
一瞥して、未完の作品が多いことに気づく。
(いわゆる『未完成交響曲』もここに含まれている)
このことが何かを意味するのか...
 
これらの作品に触れつつ、『グレートヒェン』や『魔王』の作曲家がどのようにして『冬の旅』『即興曲』『グレイト』の境地にたどり着いたのかを知ることができたらと思う。
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:57| Comment(0) | 音楽雑記帳

2016年02月18日

黒ゴマ x ホワイトチョコ x コーヒー

 
 
胡麻ショコラ「雪ふる雪ふる」。
 
これは...はじめて体験する味わいだ。
黒ゴマとホワイトチョコレートの組み合わせがこれほどまでにマッチするとは!
 
 
淹れたてのコーヒーと一緒にいただいてみる。
〜妙なる調和、至福の境地。
 
お菓子屋さん(新潟大阪屋)のホームページによれば
「ウィスキーにもよく合います」とのこと。
試してみよう。
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 09:03| Comment(0) | 日記

2016年02月12日

ラ・ボエーム稽古風景

 
立川市民オペラ『ラ・ボエーム』、
昨日の立ち稽古。
祝日ということで、男声メンバーの出席率もぐんとアップ!
演出・澤田先生のご指導のもと、第2幕をじっくりと創り上げてゆく。
ソリストも勢揃い。
 
ムゼッタ
『あなたは苦しんでるのね...
私のところへ来たいんでしょ?』
マルチェッロ
『......』
 
ムゼッタ
『ああ、なんてひどい靴なの!』
アルチンドーロ
『わしに恥をかかせる気か!』
 
マルチェッロ
『俺の青春は 死んではいなかった...』
 
 
この日の立ち稽古は合唱にとっても大きく一歩前進!だった気がする。
(画像にはないが)児童合唱の真剣な眼差し、そして大人たちの演技にも自然な流れが感じられるようになってきた。
 
前回の『愛の妙薬』もそうだったのだが、澤田先生の演出は合唱メンバーひとりひとりに性格と感情が吹き込まれ、舞台の隅々までが息づいている。
ぜひとも多くの皆さまに、生の舞台をご覧いただけたらと思う。
 
 
 
posted by 小澤和也 at 09:13| Comment(0) | 日記