ピアノソナタ イ長調 D664 1819年夏、22歳のシューベルトは友人のバリトン歌手ミヒャエル・フォーグルとともに彼の故郷、上オーストリア州のシュタイヤーを訪れた。 美しい自然に恵まれたこの町の雰囲気は、シューベルトをこの上なく幸せな気分にさせたといわれている。 同地滞在中に作曲されたこのイ長調ソナタ、第1楽章Allegro moderatoは次のようなカンタービレな主題で始まる。 息の長いチャーミングな旋律がよどみなく、糸を紡いでゆくかのように生まれ出る、幸福感に溢れた楽章である。 (前に取り上げた嬰ハ短調ピアノソナタでの苦心の跡とは実に対照的だ) 展開部はいたってシンプル。 "無理をしていない" という印象。 第2楽章はAndanteの変奏曲。 ニ長調でありながらしっとりとした、夢みるような楽想が楽章全体を覆っている。 どことなく翳りを帯びた内声部の "綾" が美しい。 そして第3楽章。 最初の楽章と同様にソナタ形式をとる。 牧歌的な主題は次第に勢いを増し、ワルツにまで発展してゆく。 ここでシューベルトの筆は "有頂天" という言葉が当てはまるがごとく冴えわたっている。 前田昭雄氏はその著書の中で、シューベルト20歳代初め頃の充実ぶりを『若さの「完成」』という言葉で表現しているが、このイ長調ソナタはまさにその典型と呼んで差し支えないであろう。 【追記】 この曲の作曲年代については、1825年とする説もあるのだそうだ。 (シューベルトはこの年にもシュタイヤーへ赴いている) |
2016年03月31日
【中期のシューベルト4】ピアノソナタ イ長調
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2016年03月29日
農工大グリークラブとの時間
今年も始まった、 東京農工大学グリークラブとの濃密な時間。 久しぶりに府中キャンパスへ。 正門から本館を仰ぐ。 学生だった頃と変わらぬ、僕の大好きな風景。 今回は二人の学生指揮者とともに、バラエティに富んだ4つのステージをお届けする。 僕が指揮するのは男声合唱『日本民謡曲集』(清水脩)、そして混声合唱オムニバスステージ『夏の思い出』。 若きメンバー達との音楽創り、楽しみだ。 §東京農工大学グリークラブ 第36回演奏会 2016年7月3日(日) 15:00開演 東京都立多摩社会教育会館ホール (立川駅/西国立駅下車) みなさまのご来場をお待ちしております。 |
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2016年03月25日
Oさんのこと
3月19日。 合唱団団員Oさんの訃報が届く。 あまりのことに...言葉を失った。 Oさんとは『ラ・ボエーム』をつい先日ご一緒したばかり。 亡くなったのは終演四日後のことだと聞いた。 Oさんは立川市民オペラ合唱団の副団長を務められ、名実ともに団の精神的支柱のような存在でいらっしゃった。 世話好きで誰にでも優しく、いつでも柔和な微笑みを浮かべていらしたOさん。 団のイベント等では必ずといってよいほど仕切り役・司会進行役をなさっておいでだった。 今回の『ラ・ボエーム』でも給仕役をみずから買って出られ、懸命に動きを練習されていたのが印象的であった。 あれは本番の二週間前頃だったろうか。 立ち稽古の休憩時間に「いやあ...給仕は動くので精一杯、歌なんか歌えませんよ(苦笑)」 などと仰っていたのだが、本公演前日、ゲネプロ終了後には僕の顔を見るなり「先生!だいぶ歌えるようになりました!」と。 あのときのOさんの朗らかな笑顔が脳裡に焼きついて離れない。 23日夜、最期のお別れに伺う。 遺影の前でこう呟いた。 Oさん。 あまりにも突然で、 いまだに信じられません。 心の整理もまったくつかないままです。 Oさん、 この前のCameriere、 最高にカッコ良かったですよ。 そちらでも 楽しく歌っていらっしゃることでしょう。 大好きな音楽に囲まれて どうぞゆっくりとおやすみください。 ありがとうございました。 さようなら、Oさん。 |
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2016年03月21日
東京駅周辺そぞろ歩き、そして懐かしい集い
3月20日、春分の日。 横浜での仕事を終え、東京まで戻り遅めの昼食をとる。 夕方からの予定にはまだ時間がたっぷりあるので、駅界隈をぶらぶらすることに。 丸の内側から有楽町方面へ、落ち着いた珈琲店をなんとなく探しながら歩くも...成果なし。 結局そのまま銀座一丁目まで足を伸ばし、ときどき立ち寄る喫茶店でマンデリンをいただく。 店を出て、外堀通りをふたたび北上する。 キグナス石油の本社だろうか、看板とマークを発見。 ああ... "Cygnus" ではなく "Kygnus" と綴るのだったかと今さらながら気づく。 ("Cygnus"=はくちょう座) 暇なときはどうでもいいことを思いつくらしい。 ミサ通常文の "Kyrie" と "Agnus (Dei)" とを足して2で割ると "Kygnus" だなあ... などと頓珍漢な脳内連想。 ほどなくして... 福島県のアンテナショップに到着。 美味しそうな日本酒に一瞬惹かれたが、荷物が重くなるので断念。 代わりにこれまた大好きな "ままどおる" をゲット。 そしていよいよ待ち合わせ場所へ。 この日の集まりは大学の合唱サークルの同期会。 男子は7名全員集合、女子も4名参加。 宮崎地鶏のお店で...乾杯! 積もる話は尽きず。 校庭に埋めたタイムカプセルを掘り起こして開けたような大騒ぎに。 楽しかったね! みんな元気で...また会おう! |
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2016年03月18日
恒例の共演
横浜国立大学管弦楽団とのプローべへ。
(17日、常盤台キャンパス)
今年も式典演奏をご一緒する。
曲目はエルガー『威風堂々』第1番ほか。
毎年演奏している曲ではあるが、メンバーの皆さんがよい準備をしてくれていたおかげで初回から密度の高い内容となった。
メロディやフレーズ、和音や音色、それらのひとつひとつに方向性を与えることにより「表現の香り」が次々と立ち上がってゆく。
オーケストラの反応もなかなか上々だ。
今回、スコアを新調した。
振り慣れた作品だけれど、常に何かしら新たな発見がある...それがまた嬉しい。
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2016年03月14日
ご来場御礼
立川市民オペラ公演2016『ラ・ボエーム』、 二日間の公演を盛会のうちに終えることができました。 (舞台稽古風景) 昨年の『愛の妙薬』同様、合唱団員一人ひとりにまで魂を吹きこむ澤田康子先生の細やかな演出。 合唱の出番はさほど多くはないものの、音楽と演技がこのうえなく密に寄り添い合うプッチーニの世界。 歌唱とアクションの両立というシンプルにして困難な命題に、合唱団は今回も真摯に取り組みました。 (立ち稽古より) この二年間を通して、オペラ合唱団には「歌うため・演ずるための新たな基礎力」が培われたように感じます。 ここをスタートラインとして、次回公演(ビゼー『カルメン』)に向けさらなる飛躍を目指したいと思います。 (キャストの皆さんと) ご来場くださいましたみなさまに改めて御礼申し上げます。 これからも立川市民オペラをどうぞよろしくお願いいたします。 |
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2016年03月11日
『ラ・ボエーム』ゲネプロ終了
立川市民オペラ『ラ・ボエーム』。 今日は午後〜夜とゲネプロ二本立て。 公演に向けて最後の、そして最善の準備を心掛ける。 第3幕上演中、客席でちらりと時計を見ると...14:50を少し過ぎたところであった。 「あの日」から5年。 せめて心だけでもずっと寄り添っていたい。 公演初日組のゲネプロ、無事終了。 合唱、新しいアイディアを次のゲネプロで一つだけ試すことにする...上手くいくといいな。 休憩を挟んで18:00より二日目組のプローべ開始。 ここから児童合唱も合流する。 第3幕のCoro interno(舞台裏でのコーラス)、舞台袖での並び方を少し変えてみた。 上手くいった様子。 よし!...明日もこれでいこう。 明日&あさって、いずれも14:00開演です。 一人でも多くのお客さまに聴いていただけますように。 |
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2016年03月08日
ペーテル・ブノワの命日によせて
今日は19世紀ロマン派、ベルギー・フランデレンの作曲家、ペーテル・ブノワ (1834/8/17-1901/3/8) の命日。 後半生をアントウェルペンでの音楽教育に捧げたため、作曲家としては現在ほとんど知られていない。 母国ベルギーにおいても、彼の作品が取り上げられる機会はそう多くないという。 彼はその生涯のなかで幾度となく作風を変貌させたが、宗教音楽を集中的に書いた1860年前後〜圧倒的大編成による傑作、オラトリオ『戦争』などを作曲した1870年代前半にかけては、埋もれてしまうにはあまりにも惜しい佳品が並んでいる。 いま聴いているのは「宗教曲四部作」中の『レクイエム』のレコード。 僕が最も愛するブノワ作品である。 H.ルールストレーテ指揮 BRT合唱団、コルトレイク混声合唱団&室内管弦楽団 (1975年録音) ブノワその人、そして彼の作品たちがこれから少しでも知られてゆくよう、様々なかたちで発信を続けていきたいと思う。 |
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2016年03月06日
【中期のシューベルト3】ピアノソナタ嬰ハ短調
ピアノソナタ嬰ハ短調 D655(未完) 1819年4月頃に手掛けたとされている、73小節のみのソナタ楽章断片である。 【歌曲を中心に精力的な創作を続けていたシューベルトだが、ピアノソナタに関してはその前年に書かれた2曲も未完に終わっている。(ハ長調D613、ヘ短調D625)】 第一主題(譜例A)はユニゾンでうねるような上下行の旋律。 どことなく焦燥感を帯びている。 [譜例A] 前に挙げた「序曲ホ短調 D648」のそれと同様、リズムモティーフの積み重ねによって形成された主題であり、第6小節よりすぐに推移に入る。 しかしほどなくして、減三和音や即興的な(換言すればやや「取り留めのない」)フレーズを経てすぐにホ長調の第二主題が現れる。(譜例B) 主題旋律自体はゆったりとしたラインを描くが、内声部の小刻みに震える音型がやはり不安な気分を醸し出す。 [譜例B] この第二主題は十分に確保される。 次いで再び第一主題のモティーフが展開風に扱われ、新しい楽想(譜例C)も登場。 [譜例C] そして、嬰ト短調と嬰ト長調とを揺れ動くチャーミングな結尾をもって呈示部は締めくくられようとする... が、その最後、譜例Dの下段4小節目の突然の全休止によりその流れは遮られてしまうのだ! [譜例D] この "不意の分断" は僕に、あまりにも有名なある曲を連想させる。 1822年作曲のロ短調交響曲D759(いわゆる「未完成交響曲」)の第1楽章、第二主題の終わりの部分だ。(譜例E) [譜例E] 話題をソナタに戻そう。 全休止の後、曲頭(嬰ハ短調)へ戻るための半音階パッセージと反復記号を置いたところで、シューベルトの筆は途絶えている。 以下は僕の想像である。 シューベルトはこのソナタで、中期のベートーヴェン的ないわゆる「主題労作」による楽曲構成を改めて試みたのではないだろうか。 遺された呈示部までにおいてすでに、そのための懸命の努力の痕跡を感じるのだ。 そしていよいよ展開部へさしかかる...というところで、22歳のシューベルトは苦悩し格闘し、結果的に先へ進むことを断念したように思えてならない。 もしシューベルトがこの楽章だけでも完成させてくれていたならば... 【追記】 譜例Dの終わりから「再現部へ入る」と見なす解釈があり、実際そのように補筆され録音もされているということをインターネットで知りました。 なるほど!一理ある!と思いました。 それでも、上記本文のように僕が考え、感じたというのも(少なくとも僕の中では)紛れもない事実なので、これはこれで残すこととします。 |
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2016年03月04日
【中期のシューベルト2】序曲ホ短調
序曲ホ短調 D648 作曲:1819年2月 編成:フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部 6分ほどの演奏会用序曲。 シューベルトは1817年にも2つの序曲を書いており(イタリア風序曲D590、D591)、このジャンルでは当時より人気を得ていたという。 この頃ウィーンで評判となっていたロッシーニのスタイルに倣った作品ということで、のちに "イタリア風" と名付けられた。 さてこのホ短調D648、今回初めて知った曲なのだがなかなか面白い。 以下、古典派〜初期ロマン派の序曲ということでひとまずソナタ形式の枠に当てはめて見てゆく。 Allegro moderatoの冒頭、ホ短調という調性のもつ性格のとおり、劇的なユニゾンの強奏で始まる。(譜例A) 第一主題部は鋭い付点リズムと分散和音による音型により進んでゆくが、シューベルトらしい息の長い旋律は出てこない。(譜例B, C) リズムモティーフの反復で執拗にたたみかけ、中期のベートーヴェンを思わせる楽想である。 最初のクライマックスののち、第二主題はト長調(平行調)で静かに現れる(譜例D)。 第一主題とのコントラストはそれほど強くなく、ここでも付点リズムモティーフが支配的である。 続いてヴァイオリンにより奏される譜例E(明らかに譜例Dから派生)は、この曲の中でもっとも旋律的なものといえよう。 そして小結尾はロ長調(同主調の属調ということになる)で輝かしく響きわたり、呈示部を閉じる。 続く展開部に相当する部分は非常に短い...ほとんどエピソード的である。 ほどなくして第二主題部が、上記譜例D→E→Fの順で型通りに再現される。 全休止ののち、テンポを速めて (Più moto) コーダに入る。 コーダもこれまでの素材を用い、喜ばしい気分のうちに華々しく全曲を閉じる。 第一主題部が展開部以降でまったく現れないことや、各要素の「繋ぎ」にやや不器用なところがみられる(ブルックナーの初期交響曲群に通ずるものがある)など "ツッコミどころ" も少なくはないが、それらを差し引いても不思議な魅力を感じる作品だ。 |
posted by 小澤和也 at 22:22| Comment(0)
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