4月よりスタートした立川市民オペラ合唱団との『カルメン』音楽プローべ。 きょう「第3幕開幕の音楽」の譜読みを完了、これでようやくひと通り全幕、合唱パートの全貌にもれなく触れたことになる。 第1→4→2→3幕の順に手掛け、ここまでちょうど3ヶ月。 まずは広いグラウンドを一周した気分だ。 慣れないスペリングや鼻母音の発音に苦労しつつも、合唱団の皆さんは少しずつ着実に進化を遂げていらっしゃる。 全くもって月並みな言い方だが、やはり「継続は力」だ。 第3幕をあと少しさらって、ディクションのレッスンを受けたら...いよいよグラウンド2周目に入る。 ひたすら歌い込んで、楽曲がしっかりと各自のものとなるレベルにまで到達したい。 これからが楽しみだ。 |
2016年06月30日
グラウンド一周目完走、立川『カルメン』
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2016年06月25日
「魔王」と「ハンノキの王」
我がペーテル・ブノワの曲に "Le Roi des aulnes" という1幕もののオペラがある。 直訳すると『ハンノキの王』、若きピエール (当時はこう名乗っていた) がパリで一旗揚げようと意気込んでいた頃の作品らしい。 結局これはブリュッセルで一度 (数度?) 上演されただけで、パリでの成功には繋がらなかったようである。 現在では序曲だけが知られている、と言われているがおそらくはそれもベルギー国内でのことであろう...とても佳い曲なのだが。 以前からこの題名がちょっと気になっていた。 『ハンノキの王』っていったい何? 手元にあるCDには、上記フランス語タイトルの他に英語で "The King of Alders" と記されている。 もちろん alder=ハンノキ、である。 また、アントウェルペンのペーテル・ブノワ財団から出ている序曲のスコアには、オランダ語で "De Elzenkoning" とある。 これも els=ハンノキ (複数形はelzen)、koning=王、ということになる。 ではドイツ語では? ハンノキはドイツ語で Erle、ならばハンノキの王は、と辞書を繰ると... "Erlkönig"=魔王 (北欧伝説で子供を誘って死に至らしめるとされる) なんと! たしかに、あの有名なゲーテ/シューベルトの『魔王』は "Der Erlkönig" だ。 では...魔王=ハンノキの王、なのだろうか? ゲーテ『魔王』を取っ掛かりに調べたところ、少し謎が解けた。 デンマークの伝説 (民間伝承) に "Elveskud" というものがあるそうだ。 僕はデンマーク語にはまったく明るくないのだが、"妖精の一撃" とでも訳せるか。 (そのストーリーはゲーテのそれとは異なり「結婚を控えた若者が出かけた帰りに妖精たちに誘惑される...それを拒んで帰宅した彼は結婚式当日に死体となって発見される、というもの) これを独語訳したのがドイツの文学者J.G.ヘルダーである。 ところがヘルダーは、"妖精" の訳語に "Elf" ではなく "Erle"(ハンノキ) をあてた。 うっかりだろうか、あるいは意図的にだろうか。 この物語は "Erlkönigs Tochter" (=ハンノキの王の娘) と題されて世に出る。 そして...我々のよく知るゲーテの "Der Erlkönig" は、これを素材として生み出されたのだ。 さて、日本では明治時代に、ゲーテ/シューベルトの "Der Erlkönig" を『魔王』と訳した。 なぜ『ハンノキの王』でないのか? ヘルダーの誤訳 (意訳?) に気づいて直したのだという説があるそうだ。 『妖精の王』→『妖魔王』→『魔王』といったような変遷があったかしら...あくまで想像だけれど。 ブノワの『ハンノキの王』のあらすじを知りたいのだけれど、資料をなかなか見つけられないでいる。 序曲はとても快活だし、あのオッフェンバックが主宰する劇場での上演を目論んでいたということなので、予想に反して楽しいオペラだったりして... |
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2016年06月19日
ホールリハーサル
東京農工大学グリークラブの皆さんと、当日の演奏会場である都立社会教育会館(立川)にてリハーサル。 ふだんの練習場よりも遥かに大きなステージ空間に戸惑いつつも、響きのイメージを懸命に探り当てようとするメンバー達。 自己完結に終わる小さな音楽でなく (それはそれで美しくまた心地よいものであるが)、聴衆に訴えかける力をもった強い "表現" をぜひとも目指してほしいと切に願う。 演奏会まであと二週間。 最善を尽くそう。 §東京農工大学グリークラブ 第36回演奏会 2016.7.3.(日) 15時開演 東京都立社会教育会館ホール |
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2016年06月14日
TOMITA FOREVER !!
先月亡くなられた冨田勲さん。 テレビやラジオ、映画やアニメなどのために実に数多くの楽曲を遺された、いうまでもなく日本を代表する作曲家のおひとりだった。 NHK「きょうの料理」のテーマ音楽が氏の作品と知ったときの驚きはいまも忘れられない。 だが、僕にとっての冨田さんは何といっても『シンセサイザーアーティスト・世界のTOMITA』なのである。 中一の頃だったと思う...僕が自分の小遣いで買った3、4枚めのレコードが『惑星』だった。 冒頭のロケット発射シーン、ショッキングな「木星」のエンディング、そしてラストのオルゴール...めくるめく無限のファンタジー。 次に聴いた『展覧会の絵』も好きだったが、それ以上にハマったのが『月の光』だ。 実のところ、このアルバムを聴くまで僕はドビュッシーのピアノ音楽をほとんど知らなかったのだ。 「月の光」はもちろんのこと、「アラベスク」「ゴリウォーグのケークウォーク」「雪は踊っている」etc. ... 僕の心は一切の先入観なく冨田ワールドのとりことなった。 NHKの追悼番組中で流れる『月の光』を聴きながら、居ても立ってもいられなくなり、気づいたらCDを買い求めていた。 美しいサウンドとともに、当時のできごとが鮮やかに蘇る。 やっぱり音楽は「記憶のタイムカプセル」だ。 贅沢を言わせていただけるなら、リメイクとともに曲順が入れ替わってしまったのが実に惜しい! 曲数が増えたのはうれしいのだけれど... 冨田さんのこれらのアルバムは、僕にとってまぎれもなく「青春の一コマ」であった。 ...どうぞ安らかに。 |
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2016年06月05日
演奏会まで一ヶ月
農工グリーのプローべへ。 演奏会まであと一ヶ月を切り、練習もいよいよ佳境に。 稽古場に着いたときには、学生指揮者Y君率いる男声が千原さんの曲を懸命にさらっていた。 今日の僕の練習は混声合唱のステージ。 SATBの新しいレイアウトを試しつつ、丹念に歌い込んでゆく。 今日いちばんの成果はディーリアスだ... この数週間で合唱団の響きが良くなってきた気がする。 『夏の夜、水の上にて歌える』。 わずか2分ほどの、しかも歌詩をもたないささやかな小品だが、ぜひ皆さまにお聴きいただけたらと願ってやまない。 東京農工大学グリークラブ 第36回演奏会 2016年7月3日 15時開演 東京都立多摩社会教育会館 ホール どうぞおはこびください。 |
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2016年06月01日
伝記 ペーテル・ブノワ(16)
§第9章 [ブノワ最初の世俗的オラトリオ『リュシフェル』] 1866年6月、エマニュエル・ヒールとの協同作業によるブノワの新作、オラトリオ『リュシフェル』(独唱、二重合唱、小合唱と管弦楽のための)が世に出る。 [訳注] エマニュエル・ヒール(1834-1899) フランデレンの詩人、散文作家。いわゆるフランデレン運動にブノワらと共に参加。 この『リュシフェル』は、(ブノワの音楽的発展の過程としての) 宗教的作品から世俗的オラトリオへの転換を意味するものである。 楽曲自体はなお宗教的バックグラウンドを持つが、作品は教会のためにではなくコンサートホールでの演奏を企図している。 初演は同年9月30日、ブリュッセルのクーデンベルク宮殿にて行われた。 詩人E.ヒールのロマンティックな幻影の世界にブノワは大胆さと壮大な構想をもって付曲し、それは自国のみならず海外においても驚きをもって迎えられたー フランデレン音楽芸術の新たな繁栄の到来を告げるものとして、また同時に力強い、確信をもった、そして不変なるフランデレン音楽の伸長の時代を知らせる作品として。 この作品のブリュッセルでの初演ーのちにヘントやアントウェルペンでも演奏されているーによって得た賞賛は、真に輝かしくまた驚異的なものであった。 当時、ブノワの師であるフェティスは予言的な言葉を述べている。 『あの作品は全世界で演奏されるようになるだろう!』 実際に、国境を越えてーオランダで、またとりわけロンドンでもー『リュシフェル』は熱狂的に受け入れられた。 人々は即座に、このように感じ取ったという...自分はいま、注目に値する事象[素晴らしい音楽]を彼固有の方法で語り伝えるすべを持った一人の芸術家の作品に向かい合っているのだ、と。 〈スコアの第1ページ〉 (第9章 完) |
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