2016年08月26日

孔子か、サティか

 
孔子の「論語・為政編」に、次のような有名な言葉がある。
 
『五十にして天命を知る』
 
五十歳になって初めて、天から与えられた自らの使命を悟るようになる、の意。
 
 
一方で、エリック・サティはこんな言葉を遺しているそうな。

"Toute ma jeunesse on me disait:
Vous verrez quand vous aurez 50 ans. 
J'ai 50 ans. Je n'ai rien vu."
 
若い頃よく言われた、
「50歳になればわかるよ」と。
私はいま50歳だ。何もわからない。
 
 
今日誕生日を迎えた僕の心境は...
どちらかというとサティ寄りだろうか。
 
分かったような顔をすることなく
音楽の真理をひたすら究めてゆきたい。
 
「音楽ノート」ともども、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 
2016年8月26日
小澤和也
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:58| Comment(2) | 日記

2016年08月25日

額装

 
現在所持している2枚のペーテル・ブノワのメダルを額装してみた。
 
 
右上、こげ茶色の小さいメダルは、前回 (8/18) の記事で書いたもの。
もう一方の大きなほう、拡大するとこんな感じである。
 
 
表面にはブノワのポートレイトと "PETER BENOIT" の文字、そして裏面には
"1834-1934 STAD ANTWERPEN" 
と刻されている。
生誕100周年を記念してアントウェルペン市が制作したものだろう。
こちらのほうがより晩年の横顔だろうか、こげ茶色のそれよりもだいぶ恰幅がよい様子。
 
 
フランデレンではお酒やタバコのラベルなどにもペーテル・ブノワの名前や肖像が用いられているらしい。
やみくもに全てをコレクションする趣味はないけれど、これらのメダルのように美しいもの、また対象への愛を感じることのできるグッズをいくつか手元に置き、折にふれて眺めるというのはなかなか楽しい。
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 22:08| Comment(0) | 日記

2016年08月18日

ペーテル・ブノワの誕生日に

 
8月17日は我がペーテル・ブノワの誕生日。
その生涯と作品の研究は僕のライフワークである。
上の写真はブノワの記念メダル。
彼のプロフィールとともに "1867-1892" の年号が。
 
メダルの裏面には次のように刻されている。
 
 
 
"25周年の記念祝典
アントウェルペン、フランデレン音楽学校創立
ならびに同校校長就任
1892年6月24日"
 
1867年に学校を設立して以来、ブノワはその後半生をアントウェルペンでの音楽教育に捧げる。
それとともに、彼の作風は次第に国民主義的なものとなっていった。
この時期、歌曲やオラトリオ、カンタータなど多くの声楽曲が書かれたが、それらのテキストにはフランデレン語が選ばれ、さらに作品のテーマもフランデレン史の理解・啓蒙を目的としたものが多くなってゆく。
そのことが結果として、ブノワを国際的な名声から遠ざけることとなったのだった。
 
そんなペーテル・ブノワであるが、荘厳ミサやレクイエムを含む『宗教的四部作』、ロマン派の時代には稀少なフルート協奏曲、フランデレンの古い伝承からインスピレーションを得たというピアノ小品など、多くの魅力的な作品も遺している。
これらの曲が多くの人々に愛される存在となることが僕の願いである。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:23| Comment(0) | 日記

2016年08月16日

九段下にて祈る

 
 
8月15日、終戦の日。
九段下にて平和を祈念する。
 
 
蝉時雨のなか、参拝の列へ。
 
 
参拝後、初めて遊就館を見学する。
この資料館の展示を観て感じることは人それぞれだと思うが、少なくともこれだけは言える。
 
「史実を知り、そこから学べ」
 

 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:02| Comment(0) | 日記

2016年08月12日

ベルギーがいっぱい

 
「日本・ベルギー友好150周年」の記念切手が発売されたのでさっそくゲット。
 
両国の間に日白修好通商航海条約が締結され、国交が始まったのが1866年 (慶応元年) のことなのだそうだ。
以来、小国ながら周辺大国と伍しつつ中立を保持する稀有な存在として注目され、また同国王室と皇室の関係も永きにわたって親密であるなど、地味ながらも良好な関係を続けている両国である。
 
切手には、ユネスコ世界遺産に登録されている美しい地域や建造物が図案に選ばれている。
(以下、画像はネット上にあるものをお借りしました)
 
 
ご存じ、首都ブリュッセルのグランプラス。
「世界でいちばん美しい広場」とも。
 
 
トゥルネのノートルダム大聖堂。
12世紀の献堂、その大部分が現存するそうである。
 
 
わがフランデレンからはブリュッヘ歴史地区が登場。
(日本郵便のパンフレットにはなぜか「ブリュージュ」と仏語表記されているが(苦笑))
 
中世においては商業の中心的拠点として繁栄するもその後衰退したブリュッヘ。
それによりかえって、街並みに往時の面影を多く残すことになったと言われている。
「北のヴェネツィア」とも呼ばれ、ヤン・ファン・エイクやメムリンクの活躍の舞台となったブリュッヘ...
ぜひ一度訪れたい場所である。
 
その他、ワッフルにビール、ダイヤモンドにベゴニアと、お馴染みのアイテムも図案化されている。
これらの切手、実物は小さいけれどとっても綺麗だ。
興味を持たれた方はぜひお手にとってご覧あれ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 16:21| Comment(2) | 日記

2016年08月06日

演奏会のごあんない

 
 
 
これから出演するイベントのお知らせです。
 
 
§第42回 立川市民合唱祭
(立川市民オペラ合唱団)
 
日時…2016年10月30日(日)  午後開演
会場…たましんRISURUホール
曲目…ビゼー/『カルメン』より
出演…立川市民オペラ合唱団、小澤和也(指揮)他
 
 
§第37回 江戸川区合唱祭
(合唱団あしべ)
 
日時…2016年10月30日(日)  午後開演
会場…タワーホール船堀
曲目…ホームソングメドレー《イタリア編》他
出演…合唱団あしべ、小澤和也(指揮)、平岡祐子(ピアノ)
 
 
なんと...今年も同日開催に!
東京の西寄りから東の端まで、ダッシュします!
 
どちらの会場でも、多くの団体が美しいハーモニーを奏でられることでしょう。
みなさま、どうぞおはこびください。
 
posted by 小澤和也 at 11:28| Comment(0) | 演奏会情報

2016年08月02日

続々:「魔王」と「ハンノキの王」

 
J.G.ヘルダー
(1744-1803)
 
 
またまた「ハンノキの王」について。
 
"こんな夜遅く風を衝いて馬を駆るのは誰か?"
ゲーテの名作 "Erlkönig"(いわゆる『魔王』) の冒頭である。
そして、この詩に生命を与えるインスピレーションの源となった作品こそ、J. G. ヘルダーがデンマークの古い伝説から訳した "Erlkönigs Tochter"(『ハンノキの王の娘』) であった。
 
いろいろと調べ、また助言も頂戴してその原文に当たることができたので、得意のナンチャッテ翻訳でここに挙げてみたいと思う。
 
 
『ハンノキの王の娘』
 
オールフ氏は真夜中に遠く馬でゆく
結婚の申し出をするために
 
緑の地に妖精たちが踊っている
魔王の娘が手を差し伸べる
 
「ようこそ オールフさん!何を急いでいるのです?
こちらへ来て私と踊ってくださいな」
 
「私は踊れぬ、踊りたくもない
明日の朝は私の結婚式なのだ」
 
「オールフさん、私と踊ってくださいな
ふたつの黄金の拍車をあなたにあげますから
 
絹のシャツはとっても白くて上等ですよ
私の母が月の光で漂白したのです」
 
「私は踊れぬ、踊りたくもない
明日の朝は私の結婚式なのだ」
 
「オールフさん、私と踊ってくださいな
黄金の山をあなたにあげますから」
 
「黄金の山はうれしく受け取りたいが
私は踊れぬしそうすべきでもない」
 
「私と踊らないつもりなら、オールフさん
悪疫と病があなたを追っていきますよ」
 
娘は彼の心臓に一撃を与えた
彼がこれまで感じたことのないような痛みを
 
娘は青ざめた彼を馬に乗せた
「お前の大切な女のもとへ帰るがいい」
 
彼が家の戸口に着くと
母親が震えながらそこに立っていた
 
「わが息子よ、私にすぐ話して
お前の顔色はなぜそんなに青白いのかい?」
 
「青ざめずにはいられましょうか
私は魔王の国に遭遇したのです」
 
「愛するわが息子よ
私はお前の花嫁に何と言おう?」
 
「彼女に言ってください、私は森にいます
馬と猟犬を試すためにと」
 
翌朝早く夜がまだ明けぬうちに
花嫁は結婚式の客たちとやってきた
 
彼女は蜂蜜酒を、葡萄酒をふるまった
「オールフさんは、私の花婿はどこに?」
 
「オールフさんは今、森へ行っています
馬と猟犬を試しているのです」
 
花嫁は緋色のとばりを持ち上げた
そこにオールフ氏は横たわり、死んでいた
 
 
拙い訳だが、雰囲気だけでも感じ取っていただけるだろうか。
幻想的な、そしてどこか怪談めいたメルヘンである。
ゲーテ『魔王』の表出する切迫感&リアリティとは対照的だ...実に興味深い。
そして改めて、ゲーテの凄さを思わざるを得ないのだ。
 
さて今回、両作品を比べていてちょっと面白いことに気づいた。
それぞれの詩の第一行、および最終行を並記してみる。
 
【ヘルダー】
Herr Oluf reitet spät und weit,
(...)
Da lag Herr Oluf und war tot.
 
【ゲーテ】
Wer reitet so spät durch Nacht und Wind?
(...)
In seinen Armen das Kind war tot.

reitet, spät, 
そして最後の "war tot."
ここでゲーテはやはり、意識して言葉を選んでいるのだろう。
「見事な本歌取」と言ったら大袈裟であろうか。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 09:33| Comment(0) | 日記