2016年09月28日

小金井音楽談話室でのベートーヴェン体験

 
 
第12回 小金井音楽談話室
ヴィルタス・クヮルテット
〜弦楽四重奏の愉しみ:はるかな高みへ、音の旅〜
を聴く。
(26日、宮地楽器ホール 小ホール)
 
演目はすべてベートーヴェン。
第3番ニ長調 op.18-3
第10番変ホ長調 op.74『ハープ』
第14番嬰ハ短調 op.131
の3曲。
実に贅沢なプログラムである。
 
演奏に先立ち、コンサートのディレクターである足立優司さんのお話を伺う。
音楽のみならず、こうして素晴らしい解説を聞くことができるのがこの「談話室」の大きな特徴であり魅力である、と僕は思っている。
 
『第3番』は実にダイナミックな演奏。
個人的にはもう少しハイドン/モーツァルト寄りの音楽をイメージしていたのだけれど (ベートーヴェンがいわゆる「エロイカ的飛躍」を遂げるのはもう少し先である)。
続く『ハープ』は、『アパッショナータ』『ラズモフスキー』『第5交響曲』に代表されるベートーヴェン中期様式の総決算の時期に書かれた、それでいてやや小規模な、愉悦に溢れた作品である。
それだけに「掴みづらい」曲なのだが、この日の演奏はケレン味なく真っ直ぐな、すっと腑に落ちるものであった。
 
そしていよいよ、メインである『嬰ハ短調』だ。
ヴィルタス・クヮルテットの皆さんの凄まじいほどに高められた集中力をもって、第1楽章のフーガが始まる。
奏者と聴衆とを繋ぐ、実に intimate な空間 (これもまた小金井音楽談話室の魅力だ) で展開されてゆく創造の営み。
これはもう、単に「聴く」「味わう」といったレベルのものではなく、まさにひとつの「音楽的体験」であった。
第4楽章の変奏曲には (この時間が永遠に続いてくれたら...) と思える瞬間があり、終楽章アレグロでは「ひとり荒野に決然と立つベートーヴェンの姿」が見えた気がした。
 
演奏終了後にふたたび足立さんのお話、そしてアンコールにバッハのフーガホ長調が演奏された。
聴きながらしばし陶然...
このときの気持ちはとても言葉にできない。
 
僕がそのときに抱いた思いを、その何倍もの説得力をもって足立さんがプログラムノートに書かれている。
お許しを得て、その一部をここに引用させていただこうと思う。
 
(...)ところで嬰ハ短調という調は楽譜の最初に、それ自体十字を二つ重ねたシャープ記号が4つ、対角線が十字にクロスする四角形に配置されます。ベートーヴェンが "ガリツィン四重奏曲" 3曲で追い求めた芸術的な高みを、さらに主体的に追求しようとした第14番の始まりは、非常に印象的なフーガ。この作品が書かれた背景に、バッハの〈平均律クラヴィーア曲集〉第1巻第4番嬰ハ短調、さらに同第2巻第7番ホ長調 (つまり嬰ハ短調と同じシャープ4つの平行長調)、この二つのフーガの存在があった、と考えても何ら不思議はありません。自らが十字架にかけられたかのような厳しさを表出する嬰ハ短調のフーガと、あたかも永遠の救いを待ち望むようなホ長調のフーガ。バッハが描いた、人の内面に果てしなく広がる小宇宙、人間の様々な心の表情は、まさにベートーヴェンの後期弦楽四重奏の世界と相通じるものであり、彼は14番を書くことによって自分なりにそれを表現したのではないかと考えられるのです。(...)
 
 
posted by 小澤和也 at 14:41| Comment(0) | 日記

2016年09月23日

湘南アマデウス

 
 
湘南アマデウス合唱団/合奏団のゲネプロに立ち合う。
(22日、藤沢市民会館)
演目はミサ・ロンガKV262。
1775(もしくは76) 年の作品、モーツァルトのミサ曲の中でも規模の大きいもののひとつである。
 
湘南アマデウス合唱団の定期公演は年一回。
大多数のメンバーにとっておそらくはあまり馴染みがなかったであろうこの作品を、焦らずコツコツと時間をかけて創り上げてきた、そんな足跡を確と感じさせるような歌声に好感を覚えた。
 
プローべ終了後に感想を求められたので、ラテン語の発音について少しだけ触れた後、次のようなお願いをした。
まず
「オーケストラ越しに見るマエストロを遠巻きに見るのでなく "もっと近く" 感じて歌ってください」。
そしてもうひとつ、
「このミサロンガを、あともうひと回り深く愛してください」。
 
合奏団はマエストロの要望によく応え、コーラスを丁寧に支えていた。
今回も下棒として無事に役目を果たすことができ、ホッとしている。
 
公演まで残り10日。
音楽の女神が彼らに微笑みますように。
posted by 小澤和也 at 22:42| Comment(0) | 日記

2016年09月19日

40年ぶりに聴くモーツァルト

 
 
メータの『モーツァルト/40番』、
やっぱりこんなに美しい演奏だったのか...
 
 
僕がクラシック音楽を聴くようになったキッカケは、当時家にあった父所有の数枚のLP、そして十数本のエアチェックテープであった。
レコードはシュトラウス一家のワルツ集、ヴィヴァルディの『四季』、『運命/未完成』が表裏に収められた定番中の定"盤"、ムソルグスキーの『展覧会の絵』など。
 
エアチェックテープの中では、「ベートーベン/第7」とだけ父の手書きの文字で記されたカセットに録音されていた曲が大好きだった。
なぜこんな言い方をするかというと...
なんとそのテープには第3&第4楽章しか収録されていなかったからである。
(交響曲の楽章形式など知るはずもない当時の和也少年は、唐突に始まるスケルツォと怒涛の如きフィナーレが「第7」のすべてだとずっと思っていたのだった)
 
それともう一本、モーツァルト/交響曲第40番の入ったお気に入りのテープがあった。
(父の好きな曲でもあったらしい)
おそらくは僕が生まれてはじめて聴いたK.550...もしかしたらはじめてのモーツァルト体験だったかもしれない。
「なんてきれいな音なんだろう!...オーケストラってすごい!」
確かそう思ったはずだ。
インデックスカードには、FM誌の番組表を丁寧に切り抜いたものが貼られていた。
曲名の後には『(指)ズービン・メータ/イスラエル・フィル』と書かれていた。
自分でレコードを買いレコード誌を読むようになり、ワルターやベームの名を知るようになるまで、僕にとって「40番」といえばこの演奏だったのだ。
 
 
僕にモーツァルトの素晴らしさ、オーケストラの美しさを教えてくれたこの演奏をまた聴きたい、
そう思い始めてどれだけ経っただろうか...
今月ようやく初CD化された輸入盤をさっそくゲット。
ドキドキしながら我が家のプレーヤーにセットする。
 
極めて純度の高いモーツァルトである。
「ト短調」という調性の持つ悲壮的、宿命的な性格も、作曲当時のモーツァルトが抱いていたであろう暗く屈折した心情も、楽曲の中に「解釈」として盛り込まれることはない。
旋律もバスも隅々まで歌い抜かれ、弦楽器を主体としたオーケストラのサウンドは常にキラキラと輝かしい...イスラエル・フィルの機能美!
 
昔聴いたときの、あの感触がかすかに、だが確かに蘇ってくる。
当時、知識を持たぬゆえにかえって余計なバイアスを感じることなく、無心に音楽と戯れることのできた自分。
そして今日、終楽章を聴き終えた瞬間...
モーツァルトの微笑みが見えたような気がした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:13| Comment(0) | 日記

2016年09月11日

番外:「魔王」と「ハンノキの王」

 
デンマークの古い伝承からJ. G. ヘルダーの『ハンノキの王の娘』、そしてゲーテのいわゆる『魔王』へと繋がる「ハンノキ伝説」。
 
つい先日、図書館で「デンマークの昔話」という本を見つけた。
パラパラとページを繰ると...
『ハンの木の子供』という物語が収められている。
オールフ氏の結婚前夜の話とは異なるが、なかなか心に響くものであった。
 
以下、自由に引用しつつあらすじを記す。
 
 
林の中にとあるお百姓夫婦が住んでいた。
二人には小さな娘がいた。
あるとき、その子が外で花を摘んでいると、一人のかわいい子供が現れ、綺麗な花々を見せて娘を誘う。
二人は森の奥深くへと姿を消してしまった。
驚いた両親は急いで捜しに出掛けるが、娘が見つかることはなかった。
数日後の月夜の晩、母親は娘の幻影を見る。
 
それから長い時が経ち...
夫婦の間には男の子が生まれていた。
またある日、その坊やが姉のお墓に花を飾っていると、小さな子供たちが大勢現れ、坊やの手を取って森の中へと入って行く。
両親は慌てて息子を捜しに行くが...無駄であった。
それからしばらくして、母親は悲しみのあまり死んでしまう。
 
数日後のある月夜の晩、父親は二人の小さな子供が花を持って母親の墓へと向かう姿を見つける。
彼が子供たちの名前を呼ぶと、子供の姿はふっと消えてしまい...
そこには花だけが残っていた。
 
「デンマークの昔話」山室静訳
三弥井書店刊 世界民間文芸叢書 別巻 (1978) 所収
 
 
ハンの木に、あるいは「森」そのものに、昔の人々は計り知れない霊的な力というものをどれだけ感じていたことだろう。
あるいはまた、幼くして亡くなった子が転生し、ハンの木の妖精として在り続ける、といったような発想だろうか。
いずれにせよ、現代の我々が考えるそれとはまったく異なる「死生観」を、当時の人々は常に抱きながら暮らしていたに違いない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 18:10| Comment(0) | 日記

2016年09月04日

河口湖畔にて

 
 
専修大学フィルの合宿に合流。
(9/2-3、河口湖)
 
今回の曲目は
ロッシーニ/ セヴィリアの理髪師 序曲
ドビュッシー (ビュッセル編)/ 小組曲
シベリウス/ 第2交響曲
 
限られた時間の中での合奏。
伝えるべきことをひとつひとつ、大切にメンバーへ託してゆく。
 
 
プローべ後、恒例のアンサンブル大会を聴く。
目を引いたのが、ドヴォルジャークの六重奏曲。
演奏は粗削りだが、なによりもその挑戦意欲にエールを送りたいと思った。
 
もう一つ、
2Fls&Vcによるハイドンのトリオ。
見た目はニワトリ(?)だが音楽的センスはさすが。
しっかりと楽しませてくれる演奏だった。
 
 
そして...打ち上げの宴。
若者たちと夜更けまで大いに飲み、語る。
 
次回の演奏会をもって卒団する4年生から、素敵なプレゼントをいただいた。
 
 
もろみにモーツァルトを聴かせて育てたという福島のお酒、そして津軽びいどろのぐい呑み。
 
 
 
4年生のみんな、ありがとう!
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:24| Comment(0) | 日記