立川市民オペラ合唱団の皆さんと市民合唱祭に出演。 (30日、たましんRISURUホール) 今年は『カルメン』〜ハバネラ&第4幕の合唱を演奏した。 舞台上は山台やピアノ、指揮台があって思いのほか狭かったのだが、合唱団のメンバーはそれをものともせず動き回りながらの熱唱。 この日カルメンを歌ってくださった実川裕紀 (MSop) さん、ありがとうございました。 演奏後の余韻を味わう間もなく、急ぎ移動開始。 二年ぶりに同日開催となってしまった江戸川区合唱祭へ向かう。 (タワーホール船堀) 会場で合唱団あしべの皆さんと無事合流。 今回は唱歌『紅葉』、そして『ホームソングメドレー・イタリア編』を披露した。 メドレーの終曲『オ・ソーレ・ミーオ』では2番の歌詞を原語 (イタリア語) に変更して挑戦! 練習を始めたばかりの頃は尻込みしていたメンバーも、本番のステージでは自信たっぷりに "Che bella cosa na jurnata è sole〜"! 気持ちよく歌い切ることができた。 両合唱団のみなさん、お疲れさまでした。 これからも楽しく歌っていきましょう! |
2016年10月31日
2つの合唱祭
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2016年10月25日
光は希望 その光あふれる陵に
秋の恒例行事、第11回青春かながわ校歌祭に今年も参加。 (15日、神奈川県立青少年センターホール) 同窓生による総勢約30名の混声四部合唱で、校歌と応援歌を高らかにうたう。 懐かしの紅葉坂。 本番当日。 ホール入りの前に、近くのスタジオを借りて声出し&最終確認。 合唱団の指導を仰せつかって三年目、校歌祭本番を振るのは昨年に続いて二回目となった。 声楽パートのみならずピアノ伴奏までもが緻密な筆致で書かれているこの『光陵高校の歌』、どれだけ歌っても飽きることがなく、常に "さらなる高みを目指したくなる" ような音楽なのだ。 来年もまた、校歌&応援歌をこよなく愛する同窓諸兄とともに (そしてできれば在校生の皆さんとも一緒に)、楽しく歌えたらと思っている。 |
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2016年10月17日
As Time Goes By
第70回記念 二紀展を鑑賞する。 (16日、国立新美術館) ユニークな野外彫刻の数々。 こちらは室内の彫刻室。 そして... こちらは室内の彫刻室。 醍醐孝代さんの作品、 "As Time Goes by"。 醍醐さんは、僕が学生時代に籍を置いていた混声合唱団での仲間のおひとり。 醍醐さんの彫像からは、いつも音楽が聴こえてくる。 今回、作品を観ながら思い出したのは...わがペーテル・ブノワの「幻想曲変ロ短調 op.18」だった。 (ブノワ作品中、例外的に有名なピアノ小品。YouTubeでも聴くことができる) まず間違いなく醍醐さんはこの曲をご存じないとは思うけれど... |
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2016年10月14日
ネーデルラント小史
僕が使っているオランダ語参考書 (オランダ語の基礎/白水社刊) のとあるページに、「ネーデルラント小史」と題した短い文章がある。 もちろんオランダ語だが、ネーデルラント (現在のベルギーおよびオランダのある地域) の歴史について実に簡潔に、そして分かりやすく述べられているのだ。 参考書の巻末にある本文の和訳から自由に引用させていただき、ここに紹介したいと思う。 かつてネーデルラントにはゲルマン民族が住んでいました。紀元前56年にカエサルがネーデルラントの大部分を征服し、この地域はローマ帝国の一部分になりました。 その後、フランク族がこの地域を征服しました。フランク族はフランク語、現在のオランダ語を話していました。ネーデルラントはフランク王国、後のフランス王国の一部分となりました。 中世にはフランドルの諸大都市はヨーロッパでもっとも豊かな貿易中心地でした。15世紀にネーデルラントはブルゴーニュ王国の一部になり、黄金時代を迎えました。 16世紀にはネーデルラントはハプスブルク帝国の一部分になりました。この時期にネーデルラントの大部分はプロテスタントで、スペインのカトリック王に対して反乱を起こしました。しかし、スペインの軍隊はネーデルラントの南部を奪還することに成功しました。 ネーデルラントの北部はスペイン人を止めることができ、独立共和国となりました。この共和国はヨーロッパのもっとも重要な貿易大国となり、全世界へ商船を送りました。南部はハプスブルク帝国の一部にとどまりました。 1795年にナポレオンがネーデルラントを征服しました。1815年に、ナポレオンのワーテルローでの敗北の後、ネーデルラントの北部および南部は王ウィレム1世の支配下で再び統一国家となりました。 しかし、南部ネーデルラントはウィレム1世の方針に不満で反乱を起こしました。これがベルギーの独立につながりました。この時からネーデルラントは2つの独立した国家からなります。 (引用ここまで) 貿易・商業の要衝であったことから「ヨーロッパの十字路」とも呼ばれ、常に周辺大国から狙われ数々の戦いの舞台となってきたネーデルラント。 ことにベルギーは、言語の線引きと宗教上の線引きが複雑に絡み合い、隣国フランスおよびオランダ (もとはひとつの国!) と絶妙なバランスをもって位置している。 ベルギー王国の波瀾の歴史、興味は尽きない。 ちなみに、我がペーテル・ブノワが生まれたのはベルギー独立の4年後、1834年である。 |
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2016年10月10日
Dona nobis pacem
バッハ『平均律クラヴィーア曲集第2巻』 〜フーガ ホ長調 (BWV878) 先日のヴィルタス・クヮルテット演奏会でアンコールに演奏されたこのフーガ。 四梃の弦楽器による祈りに満ちた響きがホールを満たしていた。 そして、僕の頭の中では "Dona nobis pacem (我らに平和を与えたまえ)" の言葉が渦巻いていた。 終演後、これがモーツァルトによる編曲であるということを知る。 バロック期の音楽作品を研究していた頃のモーツァルトが、バッハの『平均律』から幾つかのフーガを弦楽四重奏用に編んだのだそうだ。 (その中の5曲が "KV405" としてまとめられている...ホ長調フーガはその第3曲) そのモーツァルトに倣って、とは甚だ僭越な物言いであるが、この美しいフーガに "Dona nobis pacem" の歌詞を付け無伴奏混声四部にしたものを書いた。 いつかどこかで演奏できたら、と思っている。 |
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2016年10月08日
"うたうバッハ" ふたたび
2011年の来日公演で演奏されたバッハ『フランス組曲第4番』の映像をTVで視聴して以来ずっと待ち焦がれていたマレイ・ペライアの同曲集の新録音がついにリリース! さっそく入手する。 J.S.バッハの『フランス組曲』は1722年頃、ケーテン時代の作品である。 彼のクラヴィーア曲集の中では、イギリス組曲 (1715年頃作曲) とパルティータ (1726-30年頃作曲) のちょうど中間に位置することになる。 組曲としての規模は先に生まれたイギリス組曲よりも小ぶりで、対位法の綾もそれほど厳しくなくむしろ典雅な響きを持つ。 上記第4番から聴き始める。 ああ...やはり "うたうバッハ"。 楽曲自体の持つ端正なフォルムを一切崩すことなく、ペライアは各声部をじっくりと歌い上げてゆく。 続いて、全6曲中でもポピュラーな第5番ト長調へ。 冒頭のアルマンドから、うっとりと夢見るような響きに包まれる。 ガヴォットの柔らかく弾むリズムは、あたかもアンティークのオルゴールをかけているかのようだ。 ここでDisc 1へと戻る。 こちらに収められた組曲第1〜第3番はすべて短調の作品だ。 まず第1番ニ短調。 この調性特有の凛とした厳しい曲想にも、ペライアはそっと包み込むような優しい触感を施す。 特にサラバンドの美しさには思わずハッと息を飲んだ。 続く第2番ハ短調では、抑制された表情の楽章 (アルマンド、エアetc.) と運動的なクーラントやジーグなどとの鮮烈なコントラストが印象的。 第3番ロ短調は比較的地味な存在だが、第4楽章アングレーズ (イギリス風舞踏) でのリズムの微妙な揺らぎがユニークだ。 そして最後に第6番ホ長調を聴く。 全曲中もっとも規模の大きな作品である。 風格と華やかさを兼ね備えたこの曲に対し、ペライアはあるときは緻密に、またあるときは自由な伸びやかさをもって向き合う。 組曲の終盤、ブーレ〜ジーグと続くあたりでは、畳み掛けるようなリズムに軽く興奮すら覚えた。 ...と、あっという間に6曲を聴き終える。 佳い音楽に触れることのできる満足感にあふれた、喜びと安らぎに満ち満ちたひとときであった。 |
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