2016年11月27日

プロメテウスからエロイカへ

 
楽都ウィーンで交響曲作曲家としての地位を確立しつつあったベートーヴェン。
1800年初頭〜01年春にかけてバレエ音楽『プロメテウスの創造物』を作曲、そのフィナーレ(第16曲) に登場するのが "あの" 旋律である。
 
[プロメテウスの創造物Op.43〜第16曲 (冒頭)]
 
同時期に書かれたとされる『12のコントルダンス』の第7曲にも、同じメロディが用いられている。
よほどお気に入りのフレーズだったのだろう。
 
[12のコントルダンスWoO.14〜第7曲]
 
ギリシャ神話に登場するティタン族の英雄・プロメテウス。
天上の火を人間に与えたために最高神ゼウスの怒りを買い、カウカソス山頂に鎖で繋がれ生きながらにして大鷲に内臓をついばまれるというという責め苦を強いられたという。
その彼が水と泥から2つの人形を作り、これらに生命を吹き込むことにより人類が誕生したとされる。
いうまでもなく、プロメテウスの創造物=人類 である。
 
 
1802年 (「ハイリゲンシュタットの遺書」が認められた年)、ベートーヴェンは『15の変奏曲 (フーガ付き)』を作曲。
楽譜出版社に "全く新しい流儀で書いた" と手紙で伝えた意欲作である。
 
 
[15の変奏曲 (フーガ付き) op.35〜冒頭のバス主題 (上) および旋律主題 (下)]
 
ベートーヴェンはまず、お気に入りの主題の低音部のみを登場させ、幾つかの変奏を施した後おもむろにメロディを呈示する。
〜ここに "エロイカ" 交響曲フィナーレの原型が姿を見せることになるのだ。
彼のスケッチ帳に "エロイカ" の楽想が現れるのは1803年の初頭から、そして完成は翌04年春と推定されている。
 
ナポレオンを介して理想の英雄像を探究するひとつの "物語" のようなこの交響曲、そしてミューズの住地パルナソス山へ泥人形を運び、審美的教育によって彼らに人間的な性格を与えたプロメテウス。
両者の存在はベートーヴェンの思い描く理想のなかで互いに響き合っていたに違いない。
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記