(画像:ホ長調D353冒頭) シューベルトの弦楽四重奏曲といえば、一般にはどのようなイメージを持たれているのだろう。 真っ先に思い出されるのはやはりニックネームを持つ2曲、『ロザムンデ』(イ短調D804) と『死と乙女』(ニ短調D810)、さらには晩年の大作、ト長調D887あたりということになろうか。 『ロザムンデ』『死と乙女』が作曲されたのはいずれも1824年。 自らの脳裡に溢れる豊かな楽想とロマン的激情...対してそれらを受け止めまとめあげるだけの構成力、筆の力が及ばないという精神のアンバランスに苦悩した1820-23年頃の "危機" を乗り越え、いわゆる「後期様式のシューベルト」に差し掛かる時期にあたる。 そしてト長調D887はその2年後、1826年の作品だ。 これら以外の四重奏曲は知名度も演奏される頻度も極端に低い、というのが実情であろう。 最近、ふとしたことからシューベルトの初期作品について調べる機会を持った。 彼の幼少時代を時系列でざっと振り返ると以下のようになる。 1803...父、兄より音楽教育を受け始める (ヴァイオリン、ピアノ) 1804...ホルツァーに音楽理論、歌唱法、オルガンを師事 1808...宮廷礼拝堂児童合唱団入団、同時にコンヴィクト (寄宿制神学校) 入学、オーケストラではヴァイオリンを担当 1810...作曲活動開始、第一作は4手ピアノのための幻想曲 1811...歌曲の作曲開始、この頃より弦楽四重奏作品を作曲、サリエリのレッスン開始 この年、(未完作品含め) 弦楽四重奏曲を3曲/歌曲を3曲作曲 以降、コンヴィクトを離れるまでの間、 1812...(未完作品含め) 弦楽四重奏曲を3曲/歌曲および重唱曲を計5曲 1813...同 8曲/同 計27曲 このように、作曲家シューベルトのキャリア形成上注目すべきジャンルは歌曲と弦楽四重奏曲だったのである。 1812年秋より家庭内 (ヴァイオリン=二人の兄、ヴィオラ=フランツ少年、チェロ=父) で四重奏を楽しむようになったのも、彼がこのジャンルに力を注ぐ契機となったことであろう。 コンヴィクト退学までの間に書かれた弦楽四重奏曲の完成作品 (7曲) では未だ習作的な要素を強く残しているように思われるが、1813年秋、コンヴィクト期の集大成として作曲された第1交響曲 (ニ長調D82) をひとつのきっかけとして、シューベルトの弦楽四重奏曲は次第に充実の度を増してゆく。 そして以下に示すように、彼のあのチャーミングな初期交響曲群と歩を同じくして、弦楽四重奏曲も書き進められていったのだった。 (1813/10:第1交響曲ニ長調D82) 1813/11:弦楽四重奏曲変ホ長調D87 1814/09:弦楽四重奏曲変ロ長調D112 (1815/03:第2交響曲変ロ長調D125) 1815/04:弦楽四重奏曲ト短調D173 (1815/07:第3交響曲ニ長調D200) 1816/??:弦楽四重奏曲ホ長調D353 (1816/04:第4交響曲ハ短調D417) (1816/10:第5交響曲変ロ長調D485) 上に挙げた四重奏曲4曲は (もちろん後期の作品ほどの深みには達していないにせよ)、古典的様式の鋳型の中にシューベルトの個性【美しい旋律と表情豊かな転調】を盛り込んだ佳品たちである。 第1楽章は例外なくソナタ形式。 続く緩やかな第2楽章では二つないし三つの楽想が自在に組み合わされ、ソナタともロンドとも異なる独自の形式がみられる。 第3楽章はいずれもメヌエットとトリオ。 主題は純音楽的なかっちりとしたものもあれば、レントラー舞曲のようなどこかひなびた旋律も。 (変ホ長調D87のみ、中間二楽章が入れ替わっていて、第2楽章:スケルツォとトリオ、第3楽章:三部形式のアダージョとなっている) そして終楽章はソナタ形式もしくはロンド形式に自由さを取り込んだ独特なスタイル。 ところどころに置かれたゲネラルパウぜ (全休止) があの『グレイト』交響曲の同じ楽章を、ひいてはブルックナー休止をも想起させる。 「ベートーヴェンの後で、何ができるだろう」 常々このように語っていたというシューベルトの、彼なりの "第一の" 答えが、これら初期作品の中で既にしっかりと述べられている...改めてそう実感させられた今回の "知る旅" であった。 |
2017年07月30日
【音楽雑記帳】シューベルト/弦楽四重奏曲考
posted by 小澤和也 at 01:22| Comment(0)
| 音楽雑記帳
2017年07月29日
新調
ここのところ御機嫌斜めだった我がパソコン。 ディスクドライブがなかなか言うことを聞かなくなっていたところへ、とうとうHDまでもが常時カチカチカチカチ...と音を立てるようになってしまった。 良き相棒だったのだが仕方ない。 ということでこのたび一式を新調。 全くのコンピュータ音痴である僕にとっては難関(?)であったもろもろの設定も、半日近くかけてなんとか無事に終了。 最新モデルではないけれど、僕にとっては申し分なしの快適さだ。 |
posted by 小澤和也 at 12:03| Comment(0)
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2017年07月17日
校歌祭練習スタート
今年もまた「青春かながわ校歌祭」の季節がやってきた。 第1回目の練習会を母校の会議室にて。 (15日、横浜市保土ヶ谷区) 僕らが通っていた頃とほとんど変わっていない廊下、そして昇降口。 「光陵高校の歌」「光陵高校応援歌」(いずれも混声四部合唱) の2曲を歌う。 新しいメンバーも加わり、さらにパワーアップの予感。 (Aさん撮影の画像をお借りしました) 「第12回 青春かながわ校歌祭」 2017年9月30日(土) 厚木市文化会館大ホールにて 同窓の皆さん、ご一緒に歌いませんか? |
posted by 小澤和也 at 23:41| Comment(0)
| 日記
2017年07月15日
マスターとのコーヒー談義
馴染みのブックカフェに立ち寄ると... 店内が芸術祭会場になっていた。 チグエンナーレ2017と題された「一人工作祭」なのだそう。 様々なオブジェ、デザイン、写真、はたまた学生時代のノート etc. アーティスト (ヨシマツチグサさん) の強烈な個性が感じられる。 作品を鑑賞しながら、マスターとコーヒー談義。 まず生豆の状態で悪い豆を除き、焙煎後に再び選別しているとのこと。 (左側がはじかれた生豆) マスター曰く 『家で淹れるときでも挽く直前にお皿の上で豆をチェックする、それだけできっと美味しくなりますよ』 コーヒーを抽出する際の湯温も伺ってみた。 82-83℃とのこと...僕が想像していたよりかなり低かった。 『豆本来の風味を引き出すにはこのくらいの温度がベスト』とマスター。 これは是非わが家でも試そうと思う。 ここでは飲み物をいただきながら書棚にある本を読むこともできる。 哲学、環境問題、絵本など、よそではおそらく目にも留めないあろうジャンルのものもつい手に取って眺めてしまう...そんな不思議な魅力がこのブックカフェにはあるのだ。 |
posted by 小澤和也 at 01:35| Comment(0)
| 日記
2017年07月03日
ご来場御礼
東京農工大学グリークラブ 第37回演奏会、 盛況のうちに終演。 (7月2日、小金井宮地楽器ホール) 響きのきわめて美しいこの会場で、グリーメン達はこれまでの研鑽の成果をよく発揮していたと思う。 (画像はすべてリハーサル風景) 女声合唱のための「かなうた 第2集」(北川昇作曲)は、この団特有の澄んだ歌声と作品 (詩、曲ともに) に内在する透明感とが相乗的に良い方向に作用し、会心の出来となった。 男声が今回メインで取り上げたのは多田武彦の「白き花鳥図」。 新一年生がメンバーの半数近くを占めるという "ユニットとして纏まりきらない" 状態からのスタートとなったが、公演二週間前あたりから声と表現に確信が現れはじめ、昨日のステージでは (これだ!) と思わせる瞬間を幾度となく聴くことができた。 これからの課題としては、まず何といっても発声テクニックの向上、そして日々の練習 (特に自主練習) のクオリティと効率を上げるためのスキル獲得、さらにもう一つ加えるならば...『もっと欲を出して=満足度のハードルを上げて!』といったところか。 学生指揮者ステージを振ったKさん、S君、お疲れさま! その「男声合唱のための熱唱曲集」でキレッキレの伴奏をしてくださった宮代佐和子さん、どうもありがとうございます。 ご来場くださいました皆さまにも厚く御礼申し上げます。 今後とも東京農工大学グリークラブをどうぞよろしくお願いいたします。 |
posted by 小澤和也 at 21:19| Comment(0)
| 日記