今月も引き続き、飲んだ珈琲についてのメモを。 ボキャブラリーに乏しいので、書いているうちにどれも同じような表現になってしまい結局区別がつかない...となりそうな気もするが。 (これまで同様、星の数はあくまで主観的かつ気まぐれな指標である) 【パナマ/ドンパチ農園 ティピカ】 パナマ西部、コスタリカとの国境に近いボケテ (Boquete) 渓谷のカジェホンセコ地区にある農園。 ドンパチとは、創業者の愛称ドン・フランシスコの短縮形なのだとか。 封を開けた瞬間に漂う柔らかく心地良い香りに魅了される。 味は思いのほかやや強め...苦みと甘みとが同時に到達。 木の実を思わせるような独特の後味。 ★★★★☆ 【ブラジル/シティオ・ド・ヴァルディール】 Sitio do Valdir、直訳すると「ヴァルディールさんの農園」。 調べたのだがほとんど分からなかった。 それらしき場所がミナスジェライス州レゼンデコスタという所にあるらしい。 (地図上でRJ=リオデジャネイロ州、その北のMGがミナスジェライスのようだ) 舌の上に広がるナッツのような香ばしさとコク、そのあとにほんのりと甘みも感じられる...すっきりとした味。 (はじめ、いつものやり方で淹れたらどことなくボンヤリとした味になってしまった。そこで豆を10→12gに増やし、湯温も普段より2℃上げて再度試したところ劇的に美味しくなったのだった) ★★★☆☆ |
2018年04月27日
今月の #ダバダー その4
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2018年04月21日
ペーテル・ブノワ『盛儀のミサ』から10年
今年の4月20日は 僕にとっての記念日である。 10年前のこの日、我がペーテル・ブノワの “Hoogmis” (盛儀のミサ) 日本初演が行われた。 2008年4月20日(日) 長岡市立劇場大ホール テノール:小原啓楼 合唱:長岡市民合唱団、法政大学アカデミーOB合唱団 管弦楽:東京シティフィル 指揮:船橋洋介 僕は合唱団トレーナーおよび副指揮者としてこの公演に携わった。 この作品との出会いが、僕がペーテル・ブノワという作曲家を知るきっかけであった。 以来、彼の生涯そして音楽を究めることが僕にとってのライフワークとなっている。 この”Hoogmis”、本国ベルギー以外ではほとんど知られていない。 そんな ”秘曲“ の楽譜を入手するにあたっては、合唱団メンバーの並々ならぬ努力があった。 ともかくアントウェルペンからスコアが届く。 しかし合唱譜 (ヴォーカルスコア) は無い。 無ければ作るしかない。 「では私が作りましょう」 何かに導かれるように手を挙げた。 気の遠くなるような作業。 だが今となって思えば... なんと楽しく、幸福な時間であったことだろう。 ヤン・デウィルデさん。 ペーテル・ブノワが設立した王立音楽院の音楽資料館長。 (楽譜を探していた合唱団メンバーが最終的にたどり着いたのがヤンさんだった) “Hoogmis” 日本初演にあたって合唱団が彼をアントウェルペンより招聘、リハーサルから公演まで立ち会っていただいたのだった。 ...思い出は尽きない。 ペーテル・ブノワの音楽を 日本にもっと響かせたい! これが僕の、これからの音楽人生における目標である。 |
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2018年04月17日
イシュトヴァン・ケルテスの命日に
今日はハンガリーの指揮者、イシュトヴァン・ケルテスの命日。 (1929.08.28.-1973.04.16) 一日の終わりに何か聴こうと思い、取り出したのがこのディスク。 §ベートーヴェン/交響曲第4番&序曲集 バンベルク響とのセッション録音 (オイロディスク原盤) である。 しかし、今日の “おめあて” は交響曲でなく... 最後に収められた「エグモント」序曲。 1960年3月、ケルテスがメジャーになる直前 (ウィーンpoとのあの『新世界より』をレコーディングしたのが1961年3月) の演奏ということになろうか。 感情に溺れず、奇を衒ったところの一切ない「真っ直ぐな」ベートーヴェン演奏だ。 Sostenuto, ma non troppoの序奏部においてもインテンポを基調とし、弦楽器の強奏による主要モティーフの連打も重苦しさとともに「造形の美しさ」を感じさせる。 Allegroの主部、長いクレシェンドの後の最初のクライマックス (66小節〜)。 ヴァイオリンの上行旋律 (f-g-as-b/g-as-b-c/as-b-c-des-des-e-f) が圧倒的な存在感を示す中で、ケルテスはヴィオラの反行形をしっかりと響かせる。 さらにあと一つ、些細なことなのだが不思議と耳に残った箇所がある。 コーダ、Allegro con brioから「勝利のシンフォニー」が始まる...その307小節〜はエグモントの魂の勝利とそれを讃える民衆の喝采の場面。 ヴィオラ・チェロおよびファゴットが四分音符でうねるような音形を奏で、それを補強するように4本のホルンがf音/g音を吹くのだが、ケルテスはこれをあたかも余韻たなびく鐘の音の如く響かせる。 そしてスコアを見ると... 確かにホルンは (ほんの少し長めの) 付点四分音符で書かれているのだ。 ケルテスの楽譜の読みの深さに改めて驚嘆するばかりである。 ケルテスの「エグモント序曲」には僕の知る限りこれ以外に2つの記録がある。 2) ロンドン響 1964/3/13 Live 3) 日本フィル 1968/5/1 Live ※DVD 3種類もの同曲異演が遺されているというのはケルテスにしては珍しいのではないか? 2)、3) ともにライヴ収録ということもあって、それぞれに独自の表現が施されているように思える。 それらを聴き比べるのもまた一興であろう。 |
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2018年04月13日
念願のカフェバッハ訪問
以前からずっと気になっていた珈琲店へ。 南千住駅から吉野通りを浅草方面へ10分ほど歩く。 正面にスカイツリーの姿が。 そして到着。 自家焙煎珈琲屋 バッハ。 カウンター席へ。 スタッフの方 (こういったお店の場合でもバリスタとお呼びしてよいものだろうか) がお一人で、次々と入るオーダーを手際良く捌いていらっしゃる。 そんなプロの技術を目の前でしかと拝見。 注文したのはマンデリン・タノバタック...やはり僕にとっての “好みのど真ん中” から。 買ったばかりの本を読みながらゆっくりといただく。 期待通りの香ばしさとまろやかなコク。 こうなるともう一杯飲んでみたくなる。 ドミニカ/ハラバコアをオーダー。 思いのほか強い、フルーティーな酸味。 先日別の珈琲豆店で同じ銘柄を購入し自宅で淹れたときには「ほのかな甘み&穏やかな酸味、のちに苦みがやってくる」といった印象だったのだが。 やはり奥が深いな、珈琲道。 スタッフの方の一連の所作、ことにコーヒーポットの扱いは少しの無駄もなく美しい姿であった。 真似するだけでも美味しく淹れられるのではないかしらと錯覚するほど。 この後、錦糸町まで足を伸ばした。 言問橋より東武線の鉄橋を臨む。 どんどん近くなるスカイツリー。 |
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2018年04月07日
多田武彦『木下杢太郎の詩から』の詩たち〈1〉
多田武彦/男声合唱組曲『木下杢太カの詩から』。 この作品が書き下ろされたのは1960年、多田が「東京に移り住んで4年目、江戸情緒に心酔しきった頃」(“作曲者のことば” より) のことである。 このときは『両国』『こほろぎ』『雪中の葬列』『市場所見』の全4曲構成であった。 後に『柑子』を第3曲として追加、既存の曲にも改訂が施され現在われわれが知る形の組曲となる。 (改訂版の初演は1983年) これら5つの詩について、感じたことや考えたことを少しずつ、自由に綴っていこうと思う。 両国 両国の橋の下へかかりや 大船は檣(はしら)を倒すよ、 やあれそれ船頭が懸声をするよ。 五月五日のしつとりと 肌に冷き河の風、 四ツ目から来る早船の緩やかな艪拍子(ろびやうし)や、 牡丹を染めた袢纏の蝶々が波にもまるる。 灘の美酒、菊正宗、 薄玻璃(うすばり)の杯へなつかしい香を盛って 西洋料理舗(レストラント)の二階から ぼんやりとした入日空、 夢の国技館の円屋根こえて 遠く飛ぶ鳥の、夕鳥の影を見れば なぜか心のみだるる。 【第一書房版『木下杢太カ詩集』(昭和5年刊) より引用。原文においてはほぼすべての漢字にルビが振られているが、ここではその大半を省略。また旧漢字は現行のものに改めた】 ・檣...本来の読みは「ほばしら」。船に立てて帆をかかげる柱。 ・四ツ目...墨田区本所付近の旧い地名。本所四ツ目芍薬(牡丹)園という花園が有名だったそう。 ・玻璃...ガラスの別称。 初出は明治43年7月『三田文学』。 両国橋 (当時のものは現在の橋よりも20mほど下流に架かっていたとのこと) の下を流れる隅田川、行き交う船、そして夕暮れの空... 古き良き “江戸の粋” を詩のそこここに感じ取ることができる。 「レストラントの二階から」のくだりがはじめのうちやや唐突に思えたのだが、彼の創作活動について調べるうちに少しずつ様子が飲み込めてきた。 明治の末期、若い文人や美術家たちによる懇談の集い「パンの会」が結成される。 新しい芸術について語り合うという趣旨の、パリにおけるいわゆる ”カフェの文化“ に倣ったものであろう。 杢太カは友人北原白秋らとともにこの会のメンバーであった。 その最初の会場が両国橋にほど近い西洋料理店「第一やまと」だったそうな。 また、杢太カの『築地の渡し 竝序』という詩の中に次のようなフレーズがある。 「...永代橋を渡つての袂(たもと)に、その頃永代亭となん呼(よべ)る西洋料理屋ありき。その二階の窓より眺むるに、春月の宵などには川の面鍍金(めつき)したるが如く銀白に〜」 料理屋の上階から景色を眺めつつ一献傾けるのが彼にとってよほどお気に入りだったに違いない。 さて、上記『木下杢太カ詩集』(以下S5と略記する) に先立って大正8年に出版された彼の第一詩集『食後の唄』(T8と略記) にもこの詩が収められているが、T8とS5では若干の相違がある。 そのうちの2つを挙げておきたい。 まず10行目。 S5:西洋料理舗(レストラント)の二階から に対し T8:旗亭(レストウラント)の二階から という表記になっている。 料理屋や居酒屋、旅館を表す「旗亭(きてい)」という言葉は中国由来のもの。 大正5年、杢太カは医学校の教授として瀋陽に赴任している...そのことと関係しているかもしれない。 もう1つは最後の行。 S5:なぜか心のみだるる。 に対し T8:なぜか心のこがるる。 「こがるる」(切に思う、恋い慕う、思い悩む etc.) のほうがより多彩なニュアンスを内包しているように感じられるのだが... 以前、白秋の詩を読んだ際にも思ったことだが、語句の入れ替えから句読点の有無、改行の調整などに至る細かな推敲訂正の歩みには真に興味深いものがある。 (つづく) |
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2018年04月04日
木下杢太郎の詩を味わう
(大正5年 春) ここのところ木下杢太郎の詩を読んでいる。 詩人であり劇作家、美術史研究家、そして皮膚科の医学者でもあった杢太カ (本名:太田正雄) は1885年、静岡県伊東の生まれ。 13歳で上京、その後東京帝大医科大学へ進む。 在学中より与謝野鉄幹・北原白秋らと親交を深め、活発な創作活動を展開した。 その作風は異国 (南蛮) 情緒的な華やかさ、そして浮世絵を愛でるがごとき江戸の粋を感じるものである。 僕がまず手にしたのは岩波文庫「木下杢太カ詩集」(河盛好蔵選) であるが、その始めのほうに収められていた『珈琲』という詩にふと目が止まった。 【以下、第一書房版『木下杢太カ詩集』(昭和5年刊) より引用。原文においてはほぼすべての漢字にルビが振られているが、ここではその大半を省略した。また旧漢字は現行のものに改めた】 珈琲 今しがた 啜つて置いた MOKKA(もか)のにほひがまだ何処やらに 残りゐるゆゑうら悲し。 曇つた空に 時時は雨さへけぶる五月の夜の冷(ひやこ)さに 黄いろくにじむ華電気(はなでんき)、 酒宴のあとの雑談の やや狂ほしき情操の、 さりとて別に是といふ故もなけれど うら懐しく、 何となく古き恋など語らまほしく、 凝(ぢつ)として居るけだるさに、 当もなく見入れば白き食卓の 磁の花瓶(はながめ)にほのぼのと薄紅の牡丹の花。 珈琲(かふえ)、珈琲、苦い珈琲。 この夏、農工大グリークラブと男声合唱組曲『木下杢太カの詩から』(多田武彦作曲) を演奏する。 折にふれそれらの詩について書いてみたいと思う。 |
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