2018年07月31日

農工グリーの練習風景

 
 
農学部のある府中キャンパス。
正門から農学部本館を臨む。
(国の登録有形文化財なのだそう)
 
 
ある日の発声練習。
リーダーは学生指揮者Hさん。
 
 
またある日の男声練習、休憩時間。
音の確認に余念のないメンバー達。
ところで...
この練習室にはピアノが何台あるのだろう?!
 
 
そして今日。
ぷー が迎えてくれました。
 
演奏会まであと半月。
学業で多忙な中、グリーメンは自分たちの音楽を懸命に追究しています。
 
 
東京農工大学グリークラブ
第38回演奏会
2018年8月12日 15時開演
府中市市民活動センタープラッツ
バルトホール
 
みなさま、どうぞおはこびください。
posted by 小澤和也 at 22:38| Comment(0) | 日記

2018年07月20日

多田武彦『木下杢太郎の詩から』の詩たち〈5〉

 
組曲の最後に置かれた詩である。
 
 
市場所見
 
沖の暗いのに白帆が見える、
あれは紀の国蜜柑船。
蜜柑問屋に歳暮(くれ)の荷の
著(つ)く忙しさ ー 冬の日は
惨澹として霜曇(しもぐも)る市場の屋根を照らしたり。
 
街の柳もひつそりと枯葉を垂らし、
横町の「下村」の店、
赤暖簾さゆるぎもせず。
 
街角に男は立てり。手を挙げて指を動かし
「七(なな)番、中一(なかいち)あり」と呼びたれば
兜町、現物店の門口に
丁稚また「中一あり」と伝へたり。
 
海運橋より眺むれば
雲にかくれし青き日は
陰惨として水底(みなぞこ)に重く沈みて声もなし。
時しもあれや蜜柑船、
橋の下より罷りいづ。
そを見てあれば、すずろにも
昔の唄の思ひ出づ。
 
あれは紀の国蜜柑船。
 
 
【第一書房版『木下杢太カ詩集』(昭和5年刊) より引用。原文においてはほぼすべての漢字にルビが振られているが、ここではその大半を省略。また旧漢字は現行のものに改めた】
 
・霜曇り...霜のおくような夜の寒さに空の曇ること。
・現物...ここでは現物取引 (売買契約の成立と同時または数日後に現品の受渡しを行う取引) の意か。
・罷り出づ...参上する。人前に出て来る。
・漫ろ(すずろ)...理由もないさま。予期しないさま。
 
 
初出は明治44年1月『昴』。
作曲にあたって多田武彦が底本としたのは第二詩集『木下杢太カ詩集』である。
 
この『市場所見』、これまで取り上げたどの詩よりも僕には難解に思えた。
“横町の「下村」の店” とは?
第三連に描かれる “「七番、中一あり」” の呼び声は何を表すか? etc.
 
いっこうに手掛かりの掴めぬ中、何かしらのヒントはなかろうかと淡い期待をもって静岡県伊東市の杢太カ記念館を訪ねたのは4月の初めだった。
そこで偶然出会ったのが “杢太カ会” 発行の小さな冊子である。(文頭の画像参照)
タイトルもズバリ
“木下杢太カ『食後の唄』を読み解く”。
さっそく手に取り、ドキドキしながら目次を見ると...
何という幸運!
 
 
すぐに買い求め、帰りの東海道線の中で一気に読んだ。
著者は林廣親先生、杢太カに関する記念講演を文字起こししたもの。
以下の拙文においては、林先生のこのご著書を参考にさせていただいたことは言うまでもない。
 
 
第一連の冒頭。
 
沖の暗いのに白帆が見える、
あれは紀の国蜜柑船。
 
これは江戸発祥の大道芸「かっぽれ」の詞からの引用である。
(なぜこれが詩の冒頭に置かれたか...その理由は最後に明らかとなる)
 
年の瀬のある日。
詩人は日本橋界隈を散策していたのだろうか、まず目にしたのが蜜柑の市場であった。
(この後、彼の視点は次々と移動してゆく...『両国』においてのそれは “レストラントの二階” からの、いわば固定カメラに映った様々な風景であったのと対照的だ)
 
 
第二連も引き続き冬の寒々しい描写に始まる。
そして...下村の店である。
林先生の文章を引用させていただく。
 
この「下村の店」とは、私たちもよく知っている「大丸」の別称ですが、通旅篭町にあったこの店は、明治四十三年十月末日に閉店して、残務処理の営業に移っていました。その時期が、詩の書かれた時期とちょうど重なっています。入り口の暖簾はまだ掛かっていても、出入りする人も稀な状態だったのでしょう。
 
これ以上何を望もうかというほどの見事な解題である。
 
 
第三連。
兜町という地名から金融街のイメージをなんとなく持ったのだが、果たしてその通りであった。
舞台は株取引を営む店の前。
「七番、中一あり」の語は林先生によれば商人達の間の符牒であるとのこと。
(残念ながらその意味は僕には未だ分からず)
通信手段のないこの時代、街角の男の指の合図を店内に中継するのが丁稚の役目だったのだろう。
 
以下補足。
この『市場所見』は杢太カの第一詩集『食後の唄』にも収められているが、第三連の四行目が
 
後場なかば ー 店の前にも
 
となっている。
林先生の文章によれば、”後場半ば“ はやはり業界用語で午後2〜3時頃をさすという。
(さらにそのまた補足であるが、『昴』に掲載された初出の段階では、この第三連四行目そのものが無かったそうだ...すなわち杢太カは出版の折々にこの一行を書き足し、さらに差し替えたということになる。)
 
 
そしていよいよ第四連。
海運橋の上にたたずむ詩人の目にはふたたび、第一連で見たような薄暗い陽の光と冷たい川の水だけが写っているようだ。
そのときー
ふいに蜜柑船が橋をくぐって現れる。
この瞬間の詩人の心の動きはいかばかりであったろう。
いま一度、林先生の文章から。
 
狂言の名乗りに通じるような「罷りいづ」という擬人的な言い回しによって喚起されるのは、「青き日」とは対照的な浮上の感覚です。それは物怖じもせず、舞台にせり上がって来た役者の登場場面を想わせます。「青き日」の寒色に対する「蜜柑」の暖色、沈潜と凝固に対する浮上と開放という、鮮やかに対照的なイメージが詩人の視覚を不意打ちした。
 
その瞬間、わけもなく詩人の脳裡に蘇った ”昔の唄“ が、詩の冒頭に置かれた
 
あれは紀の国蜜柑船。
 
であったのだ。
読み終えて、何とも言えぬ懐かしさ、そして人の心のあたたかさのようなものを感じ取ることのできる味わい深い詩である。
 
 
【参考文献】
木下杢太カ『食後の唄』を読み解く
林廣親 著/杢太カ会 刊
(杢太カ会シリーズ第22号)
 
 
(完)
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:18| Comment(0) | 音楽雑記帳

2018年07月13日

メロディスト・バッハ

 
 
18世紀前半、バロック音楽の最円熟期においてポリフォニーの語法を究め尽くしたバッハ。
音楽芸術を「神との対話」と考え、作曲に際して宗教的な視点を終生忘れることのなかったバッハ。
『バッハの音楽は、感覚の表層から深奥にまで届く、限りなくふところの深いものである。それだけに、それを究めてゆくためには、一定の知的な努力は避けて通ることができない。』
(礒山雅著「J.S.バッハ」より)
 
偉大な作曲家だということは解っている、だけれどどうにも近づき難い...
これが一般の方々の抱くバッハのイメージなのではないだろうか。
 
 
先日、とあるきっかけから「マタイ受難曲」の名アリア『憐れみたまえ、わが神よ (Erbarme dich, mein Gott)』を繰り返し聴く機会があった。
聴きながら、その日の僕はこんなことを考えていた。
[もし仮にこの歌詩や対訳を詳しく知らなくとも...聖書に立ち返ってその意味を解さなくとも...純粋にこの “旋律” に触れるだけでこれほどにも心が豊かになるのだな...]
 
そう、バッハは単に「対位法の大家」だっただけではない。
バッハはメロディストでもあったのだ。
(今さらここで力説することでもないけれど)
 
 
そんな今、僕の頭の中を流れる “メロディアスなバッハ作品” たちをランダムに挙げてみる。
 
・カンタータ第82番「われは満ち足れり」
〜『まどろめ、疲れた目よ』
目下 “イチオシ” である。
弦楽合奏と通奏低音によるたおやかな伴奏にのってバス独唱が歌う旋律はさながら子守歌のよう。
テキストも当然ながら深い意味を有するのだが、それを知るのはこのアリアを好きになってからでも遅くない。
 
・管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068
〜エア
言わずと知れた名曲。
僕が最初に好きになったバッハ作品のひとつ。
リヒター指揮のレコード (A面が組曲第2番だった...こちらも名演)、何度聴き返したろうか。
 
以下、タイトルのみ。
・パルティータ第1番変ロ長調BWV825
〜プレリュード
・フルートソナタロ短調BWV1030
〜第1楽章アンダンテ
・フランス組曲第5番ト長調BWV816
〜サラバンド
 
他にもブランデンブルク協奏曲第5番、有名なシャコンヌ (無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番)、平均律クラヴィーア曲集中のいくつかのプレリュードなど。
(これらの作品は多分にポリフォニックな要素も帯びているが)
 
 
こんな「入口」があってもいいと思う。
...バッハの世界へようこそ!
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:53| Comment(0) | 日記

2018年07月03日

演奏会のごあんない

 
 
公演まであとひと月あまりとなりました。
 
上田真樹さんの『そのあと』、そして女声によるチャーミングな小曲たちは、真っ直ぐな心をもった若きグリーメンの歌声に相応しい作品だと思います。
 
『木下杢太カの詩から』、実は今回初めて知った曲であり詩人です。
演目が決まってすぐに入手した文庫版の詩集を繰りながら、(多田武彦の音楽と杢太カの詩とはよくマッチするのでは) と直感しました。
やや挑戦的な選曲ですが、彼らの意気込みはホンモノです...ご期待ください。
 
 
§東京農工大学グリークラブ  第38回演奏会
 
2018年8月12日(日) 15時開演
府中市市民活動センタープラッツ バルトホール
(京王線府中駅下車すぐ)
入場無料、全席自由

・上田真樹/谷川俊太郎
男声合唱組曲「そのあと」
・大田桜子編
「アカペラコーラスセレクション〜花は咲く」より
・多田武彦/木下杢太郎
男声合唱組曲「木下杢太郎の詩から」

小澤和也 (指揮)
金主安、平野菜奈美 (学生指揮者)
 
どうぞおはこびください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:29| Comment(0) | 演奏会情報