ヴォーカル・アンサンブル アラミレの演奏会へ。 (15日、大森福興教会) ピエール・ド・ラ=リュー...今回初めて知り、聴いた作曲家である。 Pierre de la Rue (1452ca-1518) はジョスカンやイザークと同時代に活躍したフランドル楽派の作曲家。 今年が没後500年のメモリアルイヤーにあたる。 この日演奏されたのは彼の「ミサ《ロム・アルメ》」。 “アラミレ” のリーダーであるテノール・櫻井元希さんの文章 (演奏会パンフレット) によると 『これ以上複雑で多彩なミサ曲を、同時代の作品から見出すことは相当な困難を伴うものと思われます』 とのこと。 またこのパンフレットには頻繁に「メンスーラ・カノン」なる用語が登場する。 メンスーラ (mensura) を直訳すると定量記譜法における異なる音価同士の関係、そしてメンスーラ・カノンとは一つの旋律を2つ以上の声部が異なる音価 (すなわち異なるテンポ) で奏する音楽形式である。 パンフレットに目を通し、また開演前の櫻井さんのプレトークを聞きながら、僕は爛熟した、ある種マニエリスム的で技巧に溺れたような音楽を想像していた。 しかしいざ演奏が始まると、そんな不安はまったくの取り越し苦労だった。 定旋律である《ロム・アルメ》(武装した人) はさまざまに変容を遂げ、ラ=リューの紡ぐメロディラインは流麗でありながら実に自然、技巧的であってもぎこちなさは一切感じられない。 (このような作曲家を知らなかったとは...!) 正直なところちょっぴり悔しかった。 “アラミレ” の皆さん (Superius3・Contratenor4・Tenor3・Bassus3の計13名編成) の歌唱はほんとうに素晴らしかった。 単に楽曲そのものの美しさを引き出すだけでなく、意思を持った (それは取りも直さずリーダー櫻井さんの “歌心” であろう)「人が人に伝えるために存在する」音楽となっていたように思われる。 ゆったりと、佳い時間であった。 お誘いくださったメンバーIさん、ありがとうございました。 |
2018年09月20日
ヴォーカル・アンサンブル アラミレ
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2018年09月12日
コープマンのバッハ
新日本フィルの演奏会 (トン・コープマン・プロジェクト2018) を聴く。 (9/6@トリフォニーホール) プログラムは彼の十八番であるバッハ。 管弦楽組曲とブランデンブルク協奏曲の組み合わせというゴージャスなものである。 グイグイとオーケストラをドライヴするコープマン。 新日フィルも出だしこそ慎重な構えだったが、次第にマエストロと一体となって “スウィングするバッハ” を奏でていた。 プログラム中、飛び抜けて秀逸だったのがブランデンブルク協奏曲第3番。 ヴァイオリン、ヴィオラ&チェロ各3、コントラバス1+コープマンのチェンバロ弾き振り。 オーケストラは各パート1名、チェロを除いて立奏...音楽的にももちろん愉しめたが、それ以上にメンバーお一人お一人の波打つような身体の動きに心底魅せられた。 (この日一番の収穫がコレかも...目で聴くバッハ!) コープマンの通奏低音も即興の連続。 グリッサンドあり、ノイズのような刺激的な連打ありで実にノリノリ! 同じく協奏曲第1番ではホルンのキラキラとした、それでいて上品な響きを堪能、2曲の管弦楽組曲で大活躍したトランペット&ティンパニも素晴らしかった。 アンコールはヘンデル/王宮の花火の音楽〜歓喜 (La Réjouissance)。 当然バッハが演奏されるだろうと思っていた僕は一瞬「!」となったのだが、もしかしたらこの日最初に演奏された組曲第4番の終曲 (これも”Réjouissance” と題されている) とひびき合うように置かれたのかも... などと思ったり。 幸福感に満ちたひと夜であった。 (ブランデンブルク協奏曲第3番の1ページ。 こうしてみるとスコアもスウィングしている) |
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2018年09月04日
ブルックナーの小宇宙
今日は久しぶりの終日オフ。 そして...アントン・ブルックナーの誕生日。 (1824年生) けさ、何か聴こうと考えたのだが、シンフォニーという気分ではなかった。 そこで選んだのがこの「モテット集」。 ブルックナーは敬虔なカトリック教徒であった。 そして作曲家としての自覚が芽生えるずっと以前より最晩年に至るまで、生涯を通じて多くのモテットを書く。 交響曲だけではない、彼のもう一つの小宇宙。 有名な「アヴェ・マリア」(1861年作曲)をはじめ、「この所を作り給うたのは神である」(1868)、「正しい者の口は智恵を語り」(1879)、「王の御旗は翻る」(1892) など、珠玉の名品が綺羅星の如く並ぶ。 このディスクには他に、僕の大好きな、しかしあまり知られていない2曲が収められている。 1842年作曲のいわゆる「ヴィントハーク・ミサ」、アルトとオルガンのための「アヴェ・マリア」(1882) である。 ヴィントハークとは17歳で助教師となったブルックナーの最初の赴任先の地名。 アルト独唱と2本のホルンおよびオルガンのためのこのミサ曲は全曲を通しても10分前後、冒頭のキリエから終章アニュス・デイまですべてハ長調を基調として書かれており、実に素朴でひなびた味わいをもつ。 お世辞にも名曲とはいえないが、ところどころに後年の彼らしい鮮やかな転調が見えるのが何とも微笑ましいのだ。 ブルックナーは全部で3つの「アヴェ・マリア」を遺した。 それらの中で唯一、独唱用に書かれているのが上に挙げた「アヴェ・マリア」である。 4分程度の小品だが、その筆致はぐっと熟達の度を増している。 (作曲年代としては「第7交響曲」と同時期) 旋律線・和声ともにえも言われぬ神秘性を帯び、繰り返し聴きたくなる麻薬的な魅力を感じるのだ。 ブルックナーといえば “重厚長大” のイメージがどうしてもつきまとうが、彼の生涯と足跡を俯瞰しようとするとき、こうした宗教的小品を見逃すことはできないと思う。 |
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0)
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