2019年12月31日

我が懐かしの「月下の一群」<4>

 
 
 
 
『催眠歌』 アンドレ・スピール
 
海よ、きかせておくれ、お前が轉(ころ)がしてゐた碩(こいし)のことを....、
お前はいつまでも飽きないか?
お前が碎いて砂にする岩のことを
お前の波のことを、お前の沫(しぶき)のことを
お前の泡のことを、お前の匂ひのことを、
お前の露が島に芽生えさせ
お前の風がいぢめる松の木のことを。
 
牛乳のやうなお前の夜明のことを
お前の中に生れ、殖えて、さうして搖れてゐる
魚(さかな)のことを、貝のことを、藻のことを、海月(くらげ)のことを、
さうしてお前の中に死んでゆく諸々(もろもろ)のことを....。
お前は何時までも飽きないか?
きかせておくれ、お前をひきつける青空のことを
お前の水に水鏡したがる星のことを
(お前の波は休みなくその影をくづしてゐる)
夜明にお前をのがれ、お前を呼吸し、お前をひきずる太陽のことを、
夕暮、お前は太陽を自分の臥床(ふしど)に引止めて置きたいのだが
太陽はいつも逃げて了ふ。
 
きかせておくれ、碩(こいし)のことを。
お前はいつまでも飽きないか?
 
【新潮文庫版「月下の一群」(1955年刊) より引用】
 
 
南弘明氏がこの曲集のために選んだ全5編のうち最長の詩。
そして当然ながらその音楽ももっともドラマティックなものとなっている。
 
 
『催眠歌』単独での初出時期は不明。
詩の構成は「月下の一群 初版」からさほど変わっていない。
使われている語句の差異 (主なもの) を挙げると
 
第2行: お前は何時までも飽きぬのか?
(第12、20行も同様)
第6行: お前の露が島の上に生えさせる
第8行: お前の牛乳のやうな夜明のことを
第15行: (お前の波は休みなくその影をこはしてゐる)
第17行: 夕暮、お前は太陽をお前の臥床に引止めたいのだが
etc.
 
第8行、それまでの「お前の〜」で始まるリズムパターンを敢えて打ち切って
「牛乳のやうなお前の夜明のことを」
と語順が入れ替えられている点が (些細なことだが) 印象的である。
 
 
詩の原題は “Berceuse”(子守歌、他にロッキングチェアの意も)。
(cf. berceur[形容詞]: 静かに揺れる、人をまどろませるような etc.)
 
大學の訳詩の題名は上記のとおり『催眠歌』。
なんとも味のある名訳である。
一方、作曲家が男声合唱曲集「月下の一群」第4曲に付けたタイトルは『海よ』。
詩の第1行からそのまま持ってきたのだと思うが...
なぜ『催眠歌』を用いなかったのだろう?
posted by 小澤和也 at 02:40| Comment(0) | 音楽雑記帳

2019年12月07日

我が懐かしの「月下の一群」<3>

 
 
今回取り上げるのはフランシス・ジャム (1868-1938) の『人の云ふことを信じるな』。
 
 
その前に...前回の投稿の訂正から。
11/21にアップした拙文中、
 
>「男声合唱曲集・月下の一群」作曲にあたって
>南弘明氏が用いたテキストは主に「白水社版」
>である。
 
と記したのだが、正しくは
“(...)南弘明氏が用いたテキストは「新潮文庫版」である。” である。
【新潮文庫版の内容をつぶさに確認しなかったのが原因...白水社版をそのまま文庫化したものであろう、という油断もあった】
 
ここからは同版を引用させていただくこととする。
 
 
『人の云ふことを信じるな』  フランシス・ジャム
 
人の云ふことを信じるな、乙女よ。
戀をたづねて行かぬがよい、戀はないのだから。
男は片意地で、男は醜く、さうして早晩、
お前の内氣な美質は彼等の下劣な欲求を嫌ふだらう。
 
男は嘘ばつかりを云ふ。男はお前を殘すだらう、
世話のやける子供と一緒に圍爐裏の側に。
さうして晩飯の時刻になつても男の歸って來ない日には
お前は感じるだらう、自分が祖母のやうに年老いたと。
 
戀があるなぞと信じるな、おお、乙女よ、
さうして青空で上が一ぱいな果樹園へ行つて
一番によく茂つた薔薇の木の中に
一人で網を張つて、一人で生きてゐるあの蜘蛛を見るがよい。
 
【原文においては第6行『側(そば)』、第8行『祖母(そぼ)』、第9行『乙女(をとめ)』にルビが振られている】
 
 
自然や鳥獣、そして少女を好んで詩の題材にしていたというジャムらしい作品。
詩の言葉どおりに (恋なんてものは...)(男なんて...) と若い女性に向けて説く教訓譚のようであり、一方で (そうは言っても恋をしてしまうのが人間さ...) と皮肉っぽく語っているようでもある。
 
 
この詩がはじめて発表されたのは1921年「三田文学」誌上であり、その後「月下〜」初版、フランシス・ジヤム詩抄、白水社版「月下〜」、新潮文庫版「月下〜」などに収められている。
「初版」と前掲の新潮文庫版とではいくつかの言葉の細かな違いがあるだけで、全体としてはさほど変わりがない。
主な差異を挙げると、
 
題名: 人の云ふことを信ずるな
(同様に第1行および第9行も「信ずるな」となっている)
第1行: 少女よ (第9行も同様、ただしルビはやはり「をとめ」)
第7行: 帰って来ぬ日には
第8行: お前は感ずる
同: お前が祖母のやうに
第12行: 一人で綱を張り
 
印象が大きく変わる箇所は
お前が祖母のやうに→自分が祖母のやうに
一人で綱を張り→一人で網を張つて
くらいであろうか。
 
 
フランシス・ジヤム詩抄 (第一書房、1928年刊) およびジャム詩集(新潮文庫、1951年刊) でも次の二点を除き「月下〜」初版と同じであった。
題名: 人の云ふ事を信ずるな......
第5行: 男は僞りばつかりを
 
 
最後に、自筆原稿として遺された「新訳ジャム詩集」(1977年脱稿) の中の同じ詩を引用する。
80歳代の大學の紡いだ言葉である...あまりの劇的な変化にただ驚くばかりだ。
 
 
『人の言葉を信じるな』
 
人の言葉を信じるな、少女よ。
恋を探す気になぞなるな、恋なんか無いのだから。
男は片意地で醜悪、早晩、
君のしとやかさは下劣な男の情慾に飽きられる。
 
男は矢鱈に嘘をつく。男は君を置き去りにする、
世話のやける幼児を君におしつけて。
晩の食事の時刻に男の帰宅しない日は、
君は感じる、祖母にもまさる身の老いを。
 
恋が存在するなぞと考えるな、少女よ。
青空が降るほどの果樹園へ行くがよい
そして鮮やかな緑のばらの刈込みの中ほどに
独居の巣を張って生きるあの銀いろの蜘蛛を眺めて暮らすがよい。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:42| Comment(0) | 音楽雑記帳

2019年12月06日

合唱団あしべ2019

 
 
合唱団あしべ、年内最後のレッスンへ。
まずは普段と同じく、軽いストレッチと発声練習から。
続いてこれまたいつも通りに新曲の音取り稽古を。
なかにしあやねさんの『立ち止って』、しなやかな旋律と繊細なハーモニーがとっても綺麗な曲。
譜読みはまだ始まったばかり...続きが楽しみだ。
 
そして最後の30分、
恒例の「年忘れ歌合戦(?)」を開催!
〜といっても、今年歌った曲を片っ端からブッツケ本番で通すだけなのだが、コレが意外と楽しい。
5月のイベントで披露した歌謡曲、秋の合唱祭で歌った『四季の雨』、毎年歌っている (でも練習はここ何年もしていない)『O Holy Night』、そしてあしべの愛唱歌『芭蕉布』などなど。
 
 
 
 
歌い終えた皆さんの笑顔、笑顔、笑顔...
これぞ音楽のもつ幸福な「力」。
 
 
 
 
 
あしべの皆さん、一年間お疲れさまでした。
来年も楽しく歌いましょう!
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 17:51| Comment(0) | 日記