一向に出口の見えない新型コロナウィルス禍。 仕方のないことだが、こういった時世では芸術や文化はいつも “後回し” だ。 実に歯痒く、そして苦しい。 ネット上でこんなニュースを目にした。 【文化大臣、文化機関と芸術家への支援を約束ーグリュッタース大臣「予期せぬ緊急事態と困難への対応」】 (2020.3.11. 連邦政府報道情報局 (BPA) より) さすがは文化国家ドイツである。 この記事を読みながら、僕はとあるエピソードを思い出していた。 20世紀の大指揮者フルトヴェングラーの未亡人エリザベットさんの遺した回想録にある、第二次大戦中のベルリンでの話として述べられている文章である。 “前夜の空襲で家を破壊され、焼け出されたはずの知人がコンサート会場に来ている。 被災は誤報かと思って訊ねてみたら、 『いや、未明の空襲でたしかに家はやられました。でも、そうなってみると、フルトヴェングラーの演奏会へ行く以上のどんないいことがぼくにできるでしょう』 と答えたという......。” [中野雄著: 丸山眞男 音楽の対話 (文春新書) より引用。文中の改行は小澤が施しました] 戦争と伝染病感染拡大とを同列に扱うことはもちろんできない。 でもこれだけは確実に言えるはずだ。 『どのような極限状態にあろうとも、人間には芸術が、音楽が絶対に必要である』 |
2020年03月27日
芸術のもつ力
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2020年03月14日
3・11 祈りの日に
東日本大震災 追悼・復興祈願祭へ。 (11日、鎌倉・鶴岡八幡宮舞殿にて) 鎌倉の神道、仏教、キリスト教宗教者が一堂に会し、先の震災の犠牲となった人々へ祈りを捧げ、被災された方々に思いを寄せる。 僕自身は6年ぶりの参列。 毎年この時期はオペラの稽古と重なることが多いのだが、今年は運良く3/11がオフ日となった。 (結局は件のウィルス禍により公演そのものが中止に...皮肉なものである) 神職らによる「大祓詞 (おおはらへことば)」の朗唱のあと、僧侶らによる読経、カトリック司祭による祈りの言葉が続く。 「観世音菩薩普門品偈 (ふもんぼんげ)」の力強い合唱、そして讃美歌「いつくしみふかき」の奉唱が八幡宮の舞殿に響くさまは、厳かな空気の中にも大らかさを湛えていてなんとも清々しかった。 信仰の対象・在りようこそ異なれど、祈るという一点において心は互いに通じ合っているのだと思う。 式の大詰め、各宗教者による玉串拝礼が行われた。 榊の枝を携え、柏手を打ち礼をする僧侶・司祭の姿は実に新鮮かつ美しいものであった。 ウィルス禍により重苦しい空気が世界を覆い、僕ら表現者にとっても厳しい日々が続いている。 そのような中で彼らの祈りの声を聞くことができ、少しだけ気持ちが軽くなった気がする。 |
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2020年03月11日
無観客公演ライヴ配信考
先の見えない新型コロナウィルス禍、それに伴い数多くのコンサートや演劇などのイベントが開催中止を余儀なくされるなか、2つの公演のライヴ配信が大きな話題を呼んだ。
びわ湖ホールのヴァーグナー『神々の黄昏』(3月7&8日)、そしてミューザ川崎シンフォニーホール/東京交響楽団の演奏会 (3月8日) である。
僕はそれぞれを部分的に視聴したのだが、実にいろいろなことを考えさせられた。
ヴァーグナーの初日を観ながらのツイートより:
《美しい映像と(脳内で充分に補完できる)素晴らしい音響。
そしてここには決して姿を現さない舞台スタッフ・音楽スタッフほか全ての関係者お一人おひとりの「仕事」が結集されてゆくさまを僕は想像する...
感動と感謝で胸がいっぱいに。》
僕自身のことも含め (中止となった立川の『トゥーランドット』!)、オペラの現場で公演のために動く人々の姿を想い起こさずにはいられなかったのだ。
翌日、東響のライヴを観ながら僕はこんなことを呟いていた。
《びわ湖の『指環』同様、この音楽会に関わる全ての方々の心意気に感動。
ただ昨日と決定的に異なるのは無人の客席がずっと映し出されていること。
これが僕には辛い...あまりに辛い。
この厳しい状況が一日でも早く終息しますように。》
(そうなのだと納得していたとはいえ) 無人の空間へ向けて渾身の音楽を奏でていた楽団員の皆さんの心境はいかばかりであったろう。
サン=サーンスの交響曲が終わると同時に画面上は拍手とブラヴォーの弾幕 (画面を埋め尽くすほどのコメント表示をこう呼ぶのだそうな) が怒涛のように流れ続けていた...
《6万数千人のオーディエンスの拍手喝采がオケとマエストロに届きますように。》
この日は改めてヴァーグナーを視聴。
ジークフリートの死の場面からブリュンヒルデの自己犠牲〜終幕まで。
美しい舞台と精緻な音楽...これは間違いなく “歴史的瞬間” だ!と僕は感じた。
《芸術への献身、無償の愛、心意気...言葉にするとあまりに陳腐であるけれど。
2つのライヴ配信をきょう体験して、音楽に対する向き合い方、自分はどうあるべきかということを改めて学んだ気がする。》
『神々の黄昏』終演。
静寂の中、粛々と続くカーテンコールに再び胸を締め付けられる思いがした。
そんな僕の気持ちをほんの少し和らげてくれたのが、完全に下りた緞帳の向こう側から聞こえてきた拍手と歓声であった。
インターネットによる今回の試みはもちろん成功であったと思う。
クラシック音楽ファンの裾野を広げることにも貢献したに違いない。
それでも...
たくさんの人々に視聴されて良かったね、で済んでほしくはないし、ましてや今回の公演関係者の方々の懸命の努力と決断を美談として扱われておしまい、となっては困るのだ。
現在のこの状況がひと段落したら...
みなさま、ホールへそして劇場へお運びください。
そこには真に生きた音楽、そして表現が溢れていますから。
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2020年03月08日
ペーテル・ブノワの命日に
(ペーテル・ブノワのデスマスク) きょう3月8日は ベルギー・フランデレンの作曲家 ペーテル・ブノワ (1834-1901) の命日。 先月、久しぶりにブノワ作品の新譜が出た。 デュポン/ブノワ: ピアノ協奏曲集 (英ハイペリオン CDA68264) デュポン: ピアノ協奏曲第3番へ短調 Op.49 ブノワ: ピアノと管弦楽のための交響詩 Op.43 ハワード・シェリー (ピアノ/指揮) ザンクト・ガレン交響楽団 録音: 2018年2月 ドイツ&ボヘミアへの研究旅行〜パリ滞在から母国へ戻った後、1865年にブリュッセルにて作曲。 上記のようなタイトルだが実質的にはピアノ協奏曲である。 3つの楽章からなり、それぞれに表題が記されている。 第1部: バラッド 第2部: 吟遊詩人の歌 第3部: 幻想の狩猟
ピアノ曲集 “物語とバラッド集”(1861) や “フルートと管弦楽のための交響詩” (1865) と同様、彼の生地ハレルベーケに残る古い伝説や物語からインスピレーションを受けているという。 これで同曲の所有ディスクは3種類となった。 いずれじっくりと聴き比べてみよう。 |
posted by 小澤和也 at 21:15| Comment(0)
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2020年03月03日
無念
立川市民オペラ2020
プッチーニ『トゥーランドット』
公演中止となりました。
新型コロナウィルスの感染拡大を受け行政の方針他を鑑みた決断とのこと。
詳細はこちら (立川市地域文化振興財団) のリンクをご覧ください。
無念です...ただただ無念です。
posted by 小澤和也 at 11:13| Comment(0)
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2020年03月02日
演奏会のご案内
東京農工大学グリークラブ 第40回記念演奏会 小金井宮地楽器ホール 大ホール(武蔵小金井駅下車すぐ) 入場無料、全席自由 主な曲目: §フランスの詩による男声合唱曲集 『月下の一群』 (堀口大學訳詩/南弘明作曲) §女声合唱とピアノのための組曲 『朱鷺』 (高野喜久雄作詩/鈴木輝昭作曲) 他 5年に一度の記念演奏会がまた巡ってきました。 OB・OGの皆さんとともに歌うまたとない機会です。 『月下の一群』は1977年の初演以来かれこれ40年以上歌い継がれている、日本の男声合唱界における “古典的名曲” のひとつ。 『朱鷺』は今から14年前、農工グリー女声にとって初のOG合同ステージで取り上げた、僕にとって実に思い出深い作品。 コンサートの詳細はこれから少しずつ紹介したいと思います。 みなさま、どうぞおはこびください。 |
posted by 小澤和也 at 23:53| Comment(0)
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