2021年05月24日

「翼」、そして「ウィングス」

 
♪〜風よ 雲よ 陽光(ひかり)よ
夢をはこぶ翼
etc.
 
「翼」(曲/詞: 武満徹) という歌をご存じですか?
石川セリが1995年にリリースしたアルバム「翼〜武満徹ポップ・ソングス」に収められ、民放ニュース番組のエンディングテーマとして (1996年OA) も広く知られた曲である。
 
僕はこの歌を合唱曲として初めて知った。
1985年頃だっただろうか。
ラジオから聞こえてくる柔らかな響き、幻想的でジャジーなハーモニー...
あっという間に虜になった。
(このとき聴いたのは岩城宏之指揮、東京混声合唱団による演奏。「翼」のほか「小さな空」「島へ」なども流れていたと記憶する)
 
夢、遙かなる空、希望...
 
曲想と歌詞のイメージから、ずっとこの歌をおおらかな青春賛歌のようなものと漠然と捉えていた〜ついこの間までは。
 
 
先日「混声合唱のための『うた』」について少し調べる機会があり、いくつかの資料にあたった。
それらによると...
「翼」のメロディの原型は1982年に西武劇場にて上演された「ウィングス」(恩地日出夫演出) の劇中音楽であったとのこと。
実際の舞台ではピアノや弦楽合奏によって奏でられたそうである。
この旋律に武満自身が詞をつけ、合唱曲にアレンジしたのが翌1983年のこと。
 
 
この劇、いったいどのようなストーリーだったのだろう?
にわかに興味がわく。
 
【ウィングス】
アメリカの劇作家A.コピットによる1978年の作品。
脳卒中に倒れたアクロバット飛行士の凄絶な闘病を描いた物語。
 
飛行士...ウィングス...翼...
 
ここまでくるとどうしても戯曲を読んでみたいではないか。
日本語版 (額田やえ子訳) の存在を知り、さっそく古書をゲット。
 
 
戯曲は
プレリュード/カタストロフ/覚醒/探険
からなる四部構成。
 
主人公のアクロバット飛行士エミリー・スティルソンは脳の発作により記憶を失い、さらに彼女自身が何者であるのかという意識すら定かではなくなっている。
彼女の存在する空間は孤独と混乱、恐怖と無秩序の世界だ。
 
そんなエミリーに優しく寄り添い、彼女に手を差し伸べ続けるのが療法士であるエイミィ。
エイミィの献身によりエミリーは少しずつ言葉とアイデンティティを取り戻してゆく。
 
 
エイミィ「あなたの人生について、何か思い出せる?(...)」
エミリー『(...)それにわたし、もしかするとわたしかも知れないものを見るわもしかするとあれはあの(...)あれをとじたときおこるものかも知れない。あの目を。』
エイミィ「夢のことね。」
エミリー『(ほっとして)ええ。だからはっきりわからないの。』
 
エイミィ「あなた、昔は飛行機に乗ってたんでしょう?」
エミリー『ええ、そうなの!とっても!わたしいつも...歩いた...翼の上を歩いたのよ。』
 
エイミィ「どうしたの?」
エミリー『何か...濡れてる。』
エイミィ「それ何だかわかる?』
エミリー『言葉が...その言葉を見つけることができないの。』
エイミィ「きっと見つかるわ。(...)何なのかはわかっているんでしょう。」
エミリー『...なみだ?』
エイミィ「そう、そうよ。よくできたわ、(...)じゃどういう意味があるかわかる?」
エミリー『悲しみ?』
エイミィ「そうよ、よくできたわ、それはね...あなたが悲しんでるってこと。」
 
(本文より適宜引用させていただいた)
 
 
そしてラストシーン。
ついにエミリーは、とある日の自身の夜間飛行についての記憶を完全に蘇らせる。
エミリーの長い長いモノローグが終わり...音楽...暗転...そして沈黙。
 
 
この「破砕から集成」へと向かう物語に寄せた音楽に、武満は自ら詞をつけた。
 
ひとは夢み 旅して
いつか空を飛ぶ
(...)
遙かなる空に描く
「自由」という字を
 
これらの言葉のもつ意味の重さ・深さが、僕の中でいつの間にか一変していた。
いま我々が否応なく直面しているコロナ禍という厳しい現況...
(エミリーの苦闘とは質的に異なるものだけれど) その終息に向け光が見えてきたときには、一語一語を噛み締めながらこの「翼」を歌いたいものである。
〜「希望」を、そして「自由」を空に描くのだ〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 11:57| Comment(0) | 日記