先週、シューマンのことを何となく考えていて (そういえば6月8日は彼の誕生日でした)、ふと大好きなあのメロディが脳裡に浮かんできたのが始まりでした。 「暁の歌」作品133。 全5曲からなるピアノ小品で、1853年10月、彼の死の3年前に作曲されています。 特にその第1曲は独特の透明感と静謐さとを湛えています。 ...モーツァルト晩年の作品がそうだったように。 楽譜を取り出して眺めているうち、限りなく澄んだコーラスの響きが “見えた” ような気がしました。 そう思うと居ても立っても居られずに、すでに夜更けであったにもかかわらず、混声合唱用にトランスクリプトした譜面を一気に書き上げました。 (歌詩がほしいな...) 依頼されたわけでもなければ演奏の予定もないのに、妄想(?)だけが次第に膨らんでいきました。 翌日。 何か手掛かりがないかとシューマンの評伝を読んでいて、作品の構想段階で彼が「ディオティマに」というメモを残していたことを知りました。 ディオティマとはドイツの詩人ヘルダーリンの小説「ヒュペーリオン」に登場する女性の名。 ヘルダーリンとシューマン。 何やら不思議な巡り合わせのようなものを感じ (ヘルダーリンも人生の半ばで精神に変調を来したのでした) 彼の詩作を調べていると... 一編の詩に目が留まります。 太陽は新しい喜びへ立ち帰り 日々は花のように かがやいて出現する、 (中略) 春の朝は時ごとに晴れやかだ、 高みから真昼はかがやく、 etc. (「春」手塚富雄訳 より引用) (これは...!) とひらめき、さっそく原詩にあたります。 その1行目と「暁の歌」第1曲の冒頭を比べると... Die Sonne kehrt zu neuen Freuden wieder, Die| Son-ne| kehrt zu neu-en| Freu-den| wie-der, ぴたりと当てはまります! なんということでしょう... さらにもう一箇所、奇跡を感じる部分がありました。 この曲の最大にして唯一のクライマックス、第27〜30小節に差し掛かったところ。ヘルダーリンの詩は 上記譜例、4小節目の2拍目まで、フォルテ[強く]の部分: Aus| Hö-hen| glänzt__ der| Tag__ (高みから真昼はかがやく、) 続く3拍目〜のピアノ[弱く]の部分: des_| A-bends_| (Le-ben) (夕べの生は...) “der Tag(真昼)” と “des Abends”(夕べ) のコントラストがシューマンの音楽としっかりと響き合っていたのです。 取り憑かれたように、わくわくしながら合唱譜を完成させました。 現下の閉塞感から解放された暁には、ぜひともこの歌を現実のものとして響かせたいと思っています。 【追記】 この編曲を完成させる直前、 H. ホリガー作曲 合唱、管弦楽とテープのための「暁の歌」 〜シューマンとヘルダーリンに基づく〜 という作品の存在を知りました。 CDを取り寄せて聴いてみると、なんとその第1楽章 (8分半ほど) のタイトルが「春」、上に記したものと同じ詩と同じ曲で歌った合唱が音素材として用いられているではありませんか! 僕がすっかり自分で見つけた気になっていた音楽と詩の組み合わせが、30年以上も前にすでに考えられ音化されていたことになります。 (ホリガー氏のほうはバリバリの現代音楽ですが) よって... 側から見れば小澤がホリガー氏のアイディアをちゃっかり真似たことになるわけですが、 (僕はパクっていません!) と天に誓いつつ、今回の拙作はボツにはせず手元に置こうと思います。 |
2021年06月16日
シューマン「暁の歌」x ヘルダーリン「春」
posted by 小澤和也 at 19:03| Comment(0)
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