2022年10月17日

ブロムシュテットさんのマーラー

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NHK交響楽団 第1965回定期公演を聴く。
(10月15日、NHKホール)

ブロムシュテットさんが転倒して入院、当面の演奏会をキャンセルとの報を知ったのは6月の末だった。
(ああ...)
僕の脳裡に暗雲が立ちこめた。
快方に向かっているらしいとはいえ、彼の年齢での転倒事故となると音楽家人生にとっては致命的ではないのだろうか?
(どうか10月の来日に間に合いますように...いえ、せめてお元気で復帰なさってください...)

祈りは通じた。
ブロムシュテットさんは9月中旬にストックホルム・フィル、同月末にベルリン・フィルに客演し指揮活動を再開。
そして今週無事に来日されN響とのリハーサルを開始した。

以上のような経緯があってのこの日の演奏会、僕にとってはブロムシュテットさんの指揮でマーラーが聴けるだけで既に奇跡であった。

開演予定時刻より5分押しで団員の方々が舞台へ。
会場を包み込むような温かな拍手。
と突然、拍手の音が急変したではないか!
コンサートマスターにエスコートされ、ブロムシュテットさんが登場されたのだ。
NHKホールでこれほどに大きな、否、嵐のような激しい拍手を聴いたのは初めてだった。

第1楽章が始まる。
ここ数年のブロムシュテットさんの音楽的志向と共通する、どこまでも澄みきった各楽器の音色、充実した内声 (レコードなどではあまり聞こえないバスクラリネットやコントラファゴットの動きが実に鮮明であった)、そして過度な “情念的表現” を排した純度の高い “歌” がそこにはあった。

座って指揮をするブロムシュテットさんの上体の動きはかなり小さくなっていたものの、打点 (拍を示すための手の動き) は十分に明瞭であった (ように私には見えた)。
オーケストラも必死にマエストロの意図を汲み取っていた。
だが...
楽章の大詰め、フルート、ホルンおよび低弦を中心としたアンサンブル的に最難関ともいえる箇所 (第382小節〜) でそれは起きた。
ホルンだけが糸の切れた凧のように離れて行き、そのまま還って来なかったのだ。
痛恨の極み。
N響でもこのようなことが起きてしまうのか...

第2楽章はレントラー舞曲の形をとった、アイロニーに満ちた音楽。
「ゆったりと」「やや速く」「きわめて遅く」と作曲者によって示された3つの楽想が自在に展開し運ばれてゆくのだが、ブロムシュテットさんはそれらの対比を (かつてのバーンスタインやテンシュテットが激しく描き分けていたほどには) 大きく取っていなかったように思えた。
プログラムノートには「マーラーに独特の “意図的に愚劣に作られた” 音楽」という言葉でこの楽章について説明がなされていたが、ブロムシュテットさんの音楽では常に「美」と「抑制」が全体を支配していた。
「ロンド・ブルレスケ」と題された第3楽章においてもその流れは継承されていて、“狂気すれすれの” “苦悩する天才” マーラーの戯画化された姿はそこにはなかったように感じた。

そして第4楽章。
冒頭、ゆったりとした美しい主題を奏でる弦楽合奏...それを指揮するブロムシュテットさんの後ろ姿が突然、何倍にも大きく見えたのは僕だけだろうか。
バーンスタインやテンシュテットによるレコードでは諦念のため息、あるいは慟哭のようにも聞こえるこのアダージォの音楽を、ブロムシュテットさんはひたすら美しく、あたかも救済と再生の音楽であるかのようにオーケストラを導いていた。

最後の音が静かに消える。
長い長い沈黙。
そして割れんばかりの喝采へ。
(ブラヴォーの一声は要らなかった...かな)
僕も懸命に手を叩きながら、こんなことを考えた。

〜ブロムシュテットさん指揮のマーラー第9 交響曲の音楽的志向は、音楽書やレコード解説などでしばしば書かれまた語られているような “作曲者の辞世の歌” あるいは “死への静かな眼差し” といった文言から最も遠く離れたところにあるのではないか〜

僕の耳が (もはや習慣的に) “演奏上の瑕疵に気づかずにいられない” 聴きかたをしてしまうゆえ、この日の演奏に手放しで感動することは残念ながらできなかったが、それでも終演後には改めて “音楽に触れるよろこび” そして “人の心のあたたかさ” がしっかりと胸の奥に刻まれているのを感じたのだった。
posted by 小澤和也 at 01:00| Comment(0) | 日記