2024年02月10日

世界のオザワ

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202426日。

指揮者・小澤征爾、都内の自宅にて死去。

享年88歳。


嗚呼。

ついにこの日が訪れてしまった。



10代の僕にとってあなたは正にアイドルであり、それ以降はその存在自体が僕の人生における “指標” であった。

北極星のように、遠くにありながら常に方向性を示してくれる方であった。



ドキュメンタリー “OZAWA”

https://m.youtube.com/watch?v=X3OiEdS5-9Y

1985年の作品。

この番組をVHSに録画して何百回観たことか。

ヨーヨー・マとの対談中、突然の「カメラ止めてよ!」。

酔っ払って熱く説教する小澤さんとどこか冷めた十束尚宏さんの不思議なやり取り。

指揮レッスン生に向かっておどけながら「(それじゃ) 18分茹でたパスタ(みたいな指揮だよ)!」

etc. etc.


ぜんぶ憶えている。



小澤さん、

ありがとうございました。

そして長い間おつかれさまでした。

どうぞ安らかに。

posted by 小澤和也 at 00:19| Comment(0) | 日記

2024年02月08日

ブノワを知る10曲 (2)

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幻想曲第3 op. 18

作曲: 1860年あるいはその少し後、パリ

初演: 18613月、アンジェル・タイユアルダ (ピアノ)

出版: Richault (パリ)



ブノワの代表作

ペーテル・ブノワの全作品中、現在もっともよく知られているのがこの “幻想曲第3番変ロ短調 op.18” でしょう。多くのピアニストに取り上げられレコーディングも行われています。また吹奏楽やクラリネットアンサンブル用に編曲されていることからもこの作品の人気がわかります。

ドイツ諸都市への遊学を終えたブノワは18595月、新たな拠点としてパリへ移ります。彼をこの「芸術の都」へと駆り立てたのはオペラ作曲家として活躍したいという強い願望でした。国内外の多くの作曲家がパリでの成功を目指していたのです。


ピアノ曲を量産

ブノワは185961年にかけて集中的にピアノ曲を作曲し、それらの多くはパリで出版されました。大半は幻想曲やマズルカ、奇想曲といった小品ですが、他に “ソナタ変ト長調(1860)” や組曲形式の “物語とバラッド集 op.34(1861)” といった大曲もあります。

この第3番を含めてブノワには4曲の幻想曲がありますが、そのいずれもが調号 (シャープやフラットを多く用いた色彩的でロマンティックな響きをもつ調性で書かれています。

1変イ長調 (フラット x4)

2嬰ヘ長調 (シャープ x6)

3変ロ短調 (フラット x5)

4変ホ短調 (フラット x6)


初演評

3op.18は初演を行ったアンジェル・タイユアルダに献呈されました。その際のコンサート評では次のように述べられています。

『ブノワ氏は正しい流派の作曲家である。彼のピアノ曲は、この種の作品にしばしば見られる指の曲芸的技巧を唯一の長所とするものとは一線を画している。(...) op.18およびop.20幻想曲” を見れば、彼が非常に注目に値するピアノ作品を書きながらも、音楽的であり続けたかったということが納得できる』


【参考音源(CD)

フランダースの音楽 Vol.1

ペーテル・ブノワ ピアノ曲集

ヘーヴェルス (pf)

Talent DOM2910 34


こちらはデ・ベーンハウウェルの演奏↓↓

https://m.youtube.com/watch?v=eS-T3xUV7p0

posted by 小澤和也 at 14:45| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年02月02日

ブノワを知る10曲 (1)

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あっという間に一ヶ月が過ぎてしまいましたが、2024年はこれまで以上に我がペーテル・ブノワとその音楽について本ブログで発信していきたいと思っています。


そのためのひとつの試みとして...

(みなさんにこの曲をぜひ知っていただきけたら!と僕が考えているブノワ作品を1曲ずつ、できるだけ簡潔にご紹介していきます。

題して「ブノワを知るための10曲」。


記念すべき()1回は、象徴的な意味をもこめてこの作品を。



アヴェ・マリア op.1

作曲: 1858年、ベルリン

初演: 18589月、ベルリン大聖堂合唱団、 アウグスト・ナイトハルト指揮

出版: Bote&Bock(ベルリン)


ドイツ楽旅へ

1857年、22歳のブノワは新作のカンタータ “Le meurtre d'Abel (アベルの殺害)” によってベルギー・ローマ大賞 (グランプリを受賞しました。彼はその翌年、獲得した奨学金でドイツ諸都市への遊学に赴きます。ドレスデンでは自作の演奏を聴き、ミュンヘンではフランツ・リストと面会しました。

同年夏に訪れたベルリンでは大聖堂合唱団との出会いがありました。その素晴らしさを彼は本国への報告書の中で次のように述べています。「あらゆる巨匠たちの声楽曲、とりわけその黄金期である16世紀作品を演奏する大聖堂合唱団は賞賛に値する。60名の (ボーイソプラノと30名の男声からなる大合唱団は壮大な構想の作品を演奏する (...) ディレクターの厚意により私はすべてのリハーサルに参加することができた。私にとって興味深いセッションばかりだった」


作品

1

この時期に作曲されたのが “アヴェ・マリア” です。「無伴奏二重合唱のための」と添えられたこの作品にブノワは「作品番号1」を与えました。彼はすでにいくつかの歌曲やモテットを出版していましたが、この新作に何かしら期するものがあったのでしょう。

スコアにはそれぞれ「Chœur Solo (ソロ合唱)」、「Chœur Tutti (大合唱)」と書かれた二群の混声四部パートがあります (二重合唱の手法自体は上記 “アベルの殺害” においてすでに用いられていました)。さらに「大合唱」のテノールおよびバスはしばしば各二声に分割され、曲の冒頭はその男声四部合唱のピアニシモ (最弱音によって神秘的に始まります。そしてこの二重合唱のスタイルは後に生まれる傑作 “荘厳ミサ”  “レクイエム” にも受け継がれ、ブノワの言わば「トレードマーク」となりました。

この作品は聖グドゥラ大聖堂 (ブリュッセルの聖歌隊長J. フィッシャーに献呈されました。



【参考音源(CD)】

In Manus Tuas〜フランダースの宗教音楽

(In Flanders’ Fields Vol.50)

エンゲルス指揮、ラトヴィア国立合唱団

Phaedra 92050 (2枚組)

posted by 小澤和也 at 22:48| Comment(0) | 音楽雑記帳