2024年05月31日

念願の斑鳩紀行


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午前8時。
静寂に包まれた法隆寺西院伽藍はえも言われぬ美しさ。
目で、耳で、肌で...すべての感覚を研ぎ澄ませ、遠く飛鳥時代の空気を感じてきました。


中宮寺の菩薩半跏像も素晴らしかったです。
古拙の微笑、頬に触れる繊細な指先、そして思惟に深く沈む眼差し...

心洗われるひとときでありました。
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posted by 小澤和也 at 10:50| Comment(0) | 日記

2024年05月08日

“An die Freude” に寄せて

1824年5月7日、
ケルントナートーア劇場 (ウィーン) にて
ベートーヴェン作曲
“シラーの頌歌「歓喜に寄せて」による終結合唱を伴う大交響曲”
が初演される。

シラーが「歓喜に寄せて」を書いたのは1785年晩秋のことである (25-26歳)。
その頃の彼はマンハイムでの亡命生活を余儀なくされ、経済的にも行き詰まっていた。
そこに手を差し伸べたのが、以前にシラーへファンレターを送っていたライプツィヒのケルナーとその友人達である。
彼らはシラーの窮状を知るや即座に彼を招き入れ、数年間にわたり生活面・金銭面での援助を惜しまなかった。
こうした温かな友情への感動を『不滅の友愛の記念碑』(内藤克彦氏の著作より)として歌ったのが “An die Freude” である。

1803年の「シラー自選詩集」によれば「歓喜に寄せて」は全8節、96行から構成されている。
各々の節は8行の先唱部分プラス《合唱》と記された4行が続く形をとる。
そしてベートーヴェンが付曲したのは全96行中のうち36行、全体の4割足らず ─ 特に詩の後半部は全く用いられていない ─ なのだ。
(それでもベートーヴェンによるその “4割” の選り抜き方は実に見事だなと個人的には思う)

先日、縁あってシラーの原詩にじっくりと向き合う機会を得た。
以下に拙訳を掲げる。
太字がベートーヴェンによって採用された部分であるが、今回それ以外の60行を改めて知ることができたのは僕にとって大きな喜びであった。



歓喜に寄せて
フリードリヒ・シラー


歓喜よ、神々の美しい閃光よ、
天上の楽園から来た乙女よ!
私たちは炎に酔いしれつつ足を踏み入れる、
聖なる者よ、そなたの聖所へ。
そなたの不思議な力は再び結びつける、
時流が厳しく分け隔てたものを、
すべての人間は兄弟となる、
そなたの柔らかな翼の憩うところで。

《 合 唱 》
抱き合おう、何百万の人々よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、 星空の上に
愛する父は住みたもうに違いない。


ひとりの友の友になるという、
大きな成功を勝ち取った者、
一人の優しき妻を得た者は、
喜びの声を互いに合わせよう!
そう、この地球上でたった一つの魂でも
自分のものだと呼べる者も (声を合わせよう)!
そしてそれを成し得なかった者はひっそりと
泣きながらこの集いから出てゆくがよい!

《 合 唱 》
この大きな環に住む者は
共感を尊べ!
それは (私たちを) 星々へと導く、
あの未知なるものの鎮座するところへと。


この世に生くるものはすべて
自然の乳房から歓喜を飲み、
善き者、悪しき者、みな
自然がつくったバラの道をたどる。
歓喜は私たちに口づけとぶどうの枝と、
死の試練を受けた一人の友を授ける、
肉欲は虫けらに与えられ、
智天使ケルビムは神の御前に立つ。

《 合 唱 》
ひざまずくか、何百万の人々よ?
創造主を予感するか、世界よ?
星空の上に主を探し求めよ、
星々の彼方に主は住みたもうに違いない。


歓喜は永遠の自然の中の
力強い発条である。
歓喜が、歓喜こそが回す
大いなる世界時計の歯車を。
それは蕾から花々を、
天空から恒星たちを誘い出し、
それは天球を回す、
先見者の遠眼鏡もまだ見ぬ宇宙の中で。

《 合 唱 》
天空の華麗なる地図の中を
星々が楽しげに翔けゆくように、
兄弟よ、自らの道を進め、
勝利へと向かう英雄のように喜びに満ちて。


真理の炎の鏡の中から
歓喜は探究者へ微笑みかける。
徳の険しい丘の道へと
それは耐え忍ぶ者を導く。
信仰の光輝く山々の頂に
歓喜の旗が風にはためくのが見え、
打ち砕かれた棺の裂け目を通して
それが天使の合唱の中に立つ (のが見える)。

《 合 唱 》
勇気をもって耐え忍ぶのだ、何百万の人々よ!
よりよい世界のために耐え忍ぶのだ!
あの星空の上で
大いなる神が報いたもうであろう。


人が神々に返報することはできないが、
神々と等しくあろうとするのは素晴らしいことだ。
悲嘆 (に暮れる者) も貧困 (に喘ぐ者) も手を挙げ、
愉快な者たちとともに楽しもう。
遺恨や復讐は忘れよう、
不倶戴天の敵も赦そう。
涙を彼に強要することのないよう、
悔恨が彼を苛むことのないよう。

《 合 唱 》
罪科の帳簿などは捨ててしまおう!
全世界が和解しよう!
兄弟よ、星空の上で
神が裁くのだ、私たちが裁いたように。


歓喜が杯の中に湧き出る、
黄金の葡萄酒のうちに
残忍な者たちは優しさを飲み、
絶望 (する者たち) は力強い勇気を (飲む)。
兄弟よ、お前たちの席から飛び上がれ、
なみなみと注がれた大杯が巡ってきたときには、
その泡を天に向かって撒き散らそう。
このグラスを善き精霊に!

《 合 唱 》
星々の渦が褒めたたえるもの、
熾天使セラフィムの賛歌が褒めたたえるもの、
このグラスを善き精霊に
星空の上のはるか彼方にある善き精霊に!


重い苦悩にあっては確固たる勇気を、
無実 (の者) の涙するところには救いを、
堅い誓いには永遠を、
友にも敵にも真実を、
王座の前では男子の誇りを ─
兄弟よ、たとえ財産や生命にかかわろうとも ─
功績には栄冠を、
偽りの悪党には没落を。

《 合 唱 》
この神聖なる集いをより密に、
黄金の葡萄酒にかけて誓おう。
この誓約に忠実であることを、
星々の審判者にかけて誓おう!


(訳: 小澤和也)
posted by 小澤和也 at 02:45| Comment(0) | 日記

2024年05月01日

ブノワを知る10曲 (3)

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レクイエム


完成: 18632月、パリ

初演: 18639月、聖グドゥラ教会、 ジョゼフ・フィッシャー指揮

出版ペーテル・ブノワ財団 (アントウェルペン)



激動の一年

18626月、ブノワはパリでオッフェンバックが主宰するブフ=パリジャン劇場の指揮者に就任します。日々の公演とリハーサル、新聞や雑誌への音楽評論執筆、そしてそれらの合間に作曲...と彼は精力的に活動しました。その間に書かれたのがこの「レクイエム」です。

ブノワはこの地でオペラ作曲家としての成功を目指しましたがそれは叶わず、翌年3月にこのポストを離れます。それゆえ「彼にとってこの一年は100年にも感じられるような耳と魂の拷問であったに違いない」(ブロックスによる伝記より)とも評されますが、この経験がブノワの芸術的見識を拡げ洗練させる助けになったことは確かでしょう。


レクイエムの特徴とその魅力

この曲の最大の特徴はやはり合唱パートでしょう。以前に取り上げた「アヴェ・マリアop.1」と同様、大小二群に分けられた二重合唱が劇的な効果をあげています。

そして「ベネディクトゥス」では小合唱の中にソロパートが置かれ、さらに「サンクトゥス」および「ベネディクトゥス」では大合唱のソプラノに少年合唱を加えるなど、ブノワの響きに対する徹底したこだわりが感じられます。

聴きどころは枚挙にいとまがありませんが、私がもっとも好きなのは「ディエス・イレ」の中盤、”Recordare(思い出したまえ)“ の優しく愛撫するような旋律です...この部分は何度聴いても心が震えます。(下記参考動画 16’40”)


【参考音源(CD)】

・ルールストレーテ指揮、BRTN室内管&合唱団、コルトレイク混声合唱団

(1975年録音)

Etcetera KTC1473 (2枚組)

・ペーテル・ブノワ 宗教曲四部作

デ・ワールト指揮、アントワープ響、ナミュール室内合唱団、オクトパス交響合唱団

(2015年ライヴ録音)

Royal Flemish Philharmonic RFP013


私が初めてこの曲を聴いたのはヘレヴェッヘ指揮のライヴ録画でした (現在Youtubeで全曲視聴可能)

その後、上記ルールストレーテ盤のLPを入手、長らくこれが唯一の録音だったようです。

2018年、三人の指揮者による「宗教曲四部作」全曲を収めたアルバムが発売されました。


ルールストレーテ指揮による演奏へのリンクはこちら↓↓

https://m.youtube.com/watch?v=y3NmI0YnjME

posted by 小澤和也 at 11:24| Comment(0) | 音楽雑記帳